第99話 言えない生みの親
「お嬢様、そろそろ夜も遅うございます。今夜はもうお休みなさいませんと」
アイリスさんのいたわる様な視線があたしに送られている。
お腹は空いていませんか?と聞かれたが、色んな事を聞きすぎて食欲も湧かなかった。
「いらにゃいでちゅ」
アイリスさんに促され、親指を咥えたあたしはパパから離された。
ダリアさんに抱っこされ、肩に顔を埋めたまま部屋を出る。
「おやすみなさい、可愛い娘」
出て行くときに、カメリア様が頬にキスし、お兄様があたしの頬を撫でて見送ってくれたので、バイバイして感謝の気持ちを伝えておいた。
心配顔のディオ兄がヤモリンを肩に乗せてダリアさんの横に来ると、手を伸ばして背中を撫でてきた。
『ディオ兄ごめんね、心配掛けて』
「俺もごめん、最近は勉強ばかりで、ダリアさんとメガイラさんに任せっきりだったから、アンジェが悩んでいたのを気がつかなかったよ。
これからは心が重くなったら、何でも話すようにしようね」
ディオ兄は優しい、優しい心のまま大人になって欲しいものである。
全く思いもしていなかったが、ハイランジアの末席を汚すことになった以上、パパのためバッソの役に立つようディオ兄と共に頑張ろう。
* * * *
セリオンがアンジェを見逃した廊下の護衛に注意しようと尋ねると、彼らは部屋のなかで、ベッドの下やソファーの下を覗いて、アンジェの姿が見当たらないと騒いでいた。
「アンジェならここにいる」、そう言って彼らを部屋に出すと、ダリアにアンジェとディオを連れて部屋に入らせると、ドアを閉め廊下で護衛に向き直った。
「アンジェは廊下に出て食堂から居間に入って来た。あんた達見かけなかったのか?」
申し訳なさそうに身を固くした護衛達は、信じられないでしょうが、と、声を落として言った。
「廊下を監視していたとき、何か人の気配がしたのですが、どうしても人の姿が見当たりません。
いくら探しても誰も居ないので、だんだん気味が悪くなってしまって。
それでお嬢様が心配になり、無礼を承知でお休みの様子を覗きに入室したら、いらっしゃらなくて肝を潰しました。
お部屋から出る姿を見落とすなんて…本当に申し訳ありません」
セリオンはちょっと目を見張ったが、頭を下げている彼らに顔をあげるようにいった。
「うちのお嬢様はかくれんぼが得意なんだ。本来慣れている俺が一緒にいなくてはいけなかった。
カメリア様にはお叱りを受けないように頼んでおくから、気にしないでくれ」
ホッとした警護達に背を向けるとセリオンは苦い顔をした。
―アンジェの奴、もしかして知らない間に力を使ってないだろうな?
地下で歌いまくっていたといったし…大丈夫かな、あいつ?
居間にはまだ保護者達が残って、カラブリア卿からアンジェのことについてさらに詳しい報告を聞かされていた。
「グリマルト公爵の調べでは、アンジェはルトガーの従妹姪、叔父セリオンの孫、セルヴィーナの娘だ。そして父親は子爵のスキフォーソ。
裁判の前だからな、細かいことはすっ飛ばして説明するぞ」
子爵は跡継ぎのスペア欲しさに、片っ端から領地の美しい娘を召上げて子を産ませたが、それでも子供は全て女だった。
彼は要らない女の赤子を闇に葬り始めた、不審に思い子爵家を調べていた者もいたがいつの間にか消えていった。
今は子爵が何人の人間を消したのかを調べている最中だという。
「アンジェが助かったのは、執事だった男が裏切り、フォルトナに行く旅芸人の一座に金を渡して託したからだ。それで、バッソに捨てられた」
「なるほど、よりによってスキフォーソ家でしたか…しかし、何故セルヴィーナがあんな奴に引っ掛かったんです?」
「持参財産を持った母親が死ぬまでの12歳まで、セルヴィーナが修道院にいたことは言っただろう?
そこを出た後、年老いた侍女と共にセリオンが買った家に住んだそうだ。
だが、領地は領主が替わり、スキフォーソの領地になっていた。
彼女が年頃になったある日、とんでもない利息がついた過去の未払いの税金の支払いを命じられた。
引っ越してくる前の住民税だ、明らかに彼女欲しさにでっち上げた税金だ。
中央に異議申し立てをしようとした忠実な老侍女は何故か消えた。」
苦い顔つきで腕を組んで聞いていたルトガーが怒りで真っ赤な顔をした。
どこにでもある傲慢な貴族のよくある話だが、とカラブリア卿が言った。
カメリアも盛大に眉をひそめた、女性を軽く見る男、社交の場での、その慇懃無礼な態度で、腹で何を考えているのか判る人間だった。
―立派な御父上と、ご理解のある御主人お持ちになり幸せなことですね。
お二人のお陰でエルハナス家は安泰だ。
ルトガーとカラブリア卿が、カメリアの次期当主として拍を付けるために、戦功をでっち上げたのだろうと遠回しに言ったのだ。
思い出すのも腹立たしいとばかりに、カメリアは眉根を寄せていたが、すぐにハッとしたように尋ねた。
「アンジェには後々も親のことは伝えないのでしょうか?まあ自分が何故捨て子になったのか経緯を知れば父親を憎むこそすれ、会いたいとも思わないでしょうけど…」
でも母親については、というと皆は気の毒に思い、口が重くなったところで、カラブリア卿が手紙で読んだ情報を明かした。
「処分は重い、ただの廃爵でなく連座は当然、縁座でも処分になった。スキフォーソ家はこの後、孫の代まで爵位に着くことは禁じられる。
他の貴族の家に、婚姻、養子、妾や庶子に至るまで他貴族と関わることを禁じられた。
この命に逆らえば相手の家も何らかの処分の対象になる。貴族として完全に息の根を断つための罰だ。」
要するに、とカラブリア卿がテーブルに片肘をつくとぐいっと身を乗り出してルトガーを見据えた。
「アンジェリーチェがスキフォーソの子だと知られれば、ハイランジアの跡継ぎは許されなくなる。だから、本人には知らせない」
ルトガーは頭を押さえて呻いた、カラブリア卿は言葉を継いだ。
「だが、ディオには伝えた、あの子はアンジェの許嫁だからな。知る権利とアンジェを守る義務がある」
「ディオはなんと言っているのですか?」とカメリアが尋ねた。
「アンジェの親が誰でも関係ない、もしアンジェがハイランジア家から出されたら、自分も出ると言った」
やはりそうですかと、カメリアが微笑みルトガーの顔を見つめた。
「アンジェは私よりも早く未来の騎士を見つけたのですわね」
「やはりカメリアの弟だな、真っ直ぐなところが似ている」
手を取り合って話すふたりを見て、カラブリア卿がむすっとした表情で言った。
「お前らのような騒ぎを起こさないように、しっかり目を配らないとな」
手を固く握って話していた夫婦は顔を見合わせると晴れやかに笑った。