第96話 通路の先は罠ばかり
ようやく水路の罠から這い上って来たリアム君は疲労困憊の体で倒れていた。しゃがんだ兄様が心配そうに彼の様子をうかがっている。
「強い光が水の中から差したため、それをたよりに潜って泳ぎ、ようやく水路から脱出できて助かりました。てか、なんでお嬢様は光っているのです?」
少年が戸惑うのはわかる、なんせ今のあたしは人間LEDの有様なのだ。
しかもハイビーム、彼も実に眩しそうに手をかざして見ている。
ちょっと照明を落とすか、よっしゃ、対向車の眼に優しいロービーム!
「このくらいで、いいでちゅか?」
適当にお願いしたらちゃんと光量が落ちた。兄様達は顎が外れそうに驚いているが、あえて説明しなかった。
お腹が空いて頭が動かないのだ、このままではハンガーノックする!
「おにゃかちゅいたでちゅー!」
「そうだな…僕らもフォルトナに来てまだ食べてない…」
ちっこい体でアルコール入りのボンボンを頻繁に食べるわけにいかない。
ヤモリンという貴重な案内ができたのだ。彼と会話するためにもウイスキーボンボンは大事に食べないと。
おじょうーさまー!お嬢様―!何か遠くから女性の声が聞こえてくる。
ああ、ダリアさんだ、でも今一つはっきり聞こえないのは、壁の向こうにいるのだろうか。
「アンジェ?どうした?」
壁に耳を付けて息をつめているとお兄様が不思議そうに見つめた。
この壁は薄そうだ、迷路のための隔壁なのだろう仕掛けは無さそう。
これならダリアさんに連絡できるかもしれない!
「だりあしゃん、ここれちゅー!」
うー!舌噛みそうだ!お兄様の前だが念を送ってしまおう!
『ダリアさん!ここだよ!』
壁のせいで伝わらない、そばに落ちていた小石でコンコン叩く。
兄様も気がついた、皆で一斉に壁を叩いて合図した。
「ここでーす!助けてください!」
*ゴンゴンゴン*
(わかりました、ちょっと後ろに下がって下さい)
壁の向こうで小さい声が聞こえると、思わず耳を澄ませたリアム君が壁に近寄ってしまった。
(せーの!)
*どっかああああーん!!!*
ガラガラとモルタルでくっついていた石壁が崩れた。
「お嬢様、御無事ですか?離れてしまい申し訳ありませんでした」
ダリアさんが拳で叩き割った石壁から半身を覗かせ、どっこいしょと壁を跨いでやってきた。
「まあ、リアムさん呑気に寝てるなんて神経太いですね」
いや、気絶しているからね。白目むいているし…
瓦礫とモルタルの欠片に埋もれていることで状況を分かって欲しいぞ。
拳が当たった辺りの岩の壁部分は木っ端微塵である、爆弾かよ…
脅かしてうっかり殴られないように気を付けよう…
ダリアさんは背中に背負っていた風呂敷みたいな包みを下ろして床に広げた。
彼女が嬉々として作ってくれた服の数々、お出かけのときに彼女はいつもあたしの着替えなどのお世話セットを持って出る。
ダリアさんはあたしの服が湿っているのに気がついたのだ。
「お嬢様失敗しちゃったのですね。それじゃお着替え致しましょうか?」
「ダリアしゃん、おもらし、じゃにゃいでちゅよ」
「お嬢様、恥かしがらなくてもいいのですよ、大丈夫、小さいうちは誰でもおもらし位しますよ」
*ニコニコ*
違うと言っているのに、絶対おもらしだと確信した顔をしている。
「ダリア、アンジェは僕が抱き上げたせいでオシメが濡れたんだ。僕は水路に落ちせいで服がずぶ濡れだったから」
ダリアさんはお兄様の湿った服を見てなるほどと呟き、そして、にっこり微笑む。
「優しいお兄様がいらっしゃり、お嬢様は幸せですわね」
おい!何故あくまでおもらしに持って行こうとする!本当にお兄様に抱かれてたせいだってーの!
まあ、そんなことは置いといてとダリアさんが呟く、あたしの申し開きは一切聞く気が無いらしい。
「オシメが濡れては気持ちが悪いでしょう?かぼちゃパンツも持って来ましたよ。お嬢様の御要望通りに縫いましたからね」
おお、この世界でまだ見たことが無いかぼちゃパンツ!
オシメ丸出しなんてあたしの乙女心が恥ずかしくて死ぬ!
そこで、すっぽり包む感じで何かないかなと思ったとき、かぼちゃパンツで良いかとダリアさんに頼んだのだ。
ちょっとおどけて腰に手をあててポージング!
「ぷりちーでらぶりーでどちぇくしーれしゅ!」
意訳 *プリティーで、ラブリーで、どセクシーです!*
「きゃー!お嬢様可愛いですー!」
ニコニコしてダリアさんが正座して拍手している。
「何を見せられているのだ、僕たちは…」
「というより何余裕かましているんですか、この女性達は…」
ダリアさんの包みの中にはクッキーもあり皆で食べた。
ようやくカロリーを補給できて元気が出てきた、これでもう少し念力が使えるだろう。
間食している間に、頭に乗って来た友達のヤモリンを紹介したが、お兄様達は完全に引いていた。
「まあ、お嬢様!迷路の案内のできるヤモリンとお友達になるなんて、さすがハイランジアの血筋です」
リアム君が小さい声でお兄様に囁いた。
「ヤモリと話せるなんて、お嬢様おかしくないですか?」
「そうかなあ、僕はリゾドラードのハイランジア英雄譚を読んだ事が有る。あれには、ドラゴンと政治談議して国の行方を決めたという王がいたぞ」
リアム君が口を開けて呆れている…
お兄様はあたしがパパの娘だと信じている、いろんな伝説があるハイランジアの血筋だから不思議な事をやっても受け入れてくれたのだろう。
ダリアさんや他の人も、あたしがルトガーパパの娘だと思っている筈だ。だから天使の生まれ変わりなんて突飛な話をあっさり信じてしまったのだ。
皆を騙しているようで申し訳なくて胸がもやもやしてしまう。
「さあ、それじゃあこの廊下を進みましょうか?」
それにしても、最近は微塵も感じさせないが、ダリアさんは、以前、怖がりだったはずだ。なぜこんなに変わったのだろう?
「ダリアしゃん、ここが怖くないでちゅか?」
「お嬢様ったら、ダリアの怖いものはお化けだけですよ」
お化けがいそうだから、人は暗いところが怖いのじゃないのかな?
ダリアさんの怖さの判断基準がよくわからん。
何の迷いも無く前進しようとするダリアさんを兄様が止めた。
「ちょっと待て、ダリア、ここの通路の先にも罠があるらしい、下手に歩くと危ないぞ」
「ヤモリンが、わにゃを探ってくれまちゅ」
あたしのお願いでヤモリンは既に探索に出掛けてくれていた。
「や、ヤモリが言うことを理解しているのか??」
「信じられないです…」
「お嬢様のすることですから♪」
ダリアさんをはじめ男爵家の皆は、もはやあたしが何をしても驚かない…
お兄様の前だが仕方ない、ここを脱出するためには何の罠かは確認をした方が良いのだ。
そうこうしているうちにヤモリンが帰って来た。
『嬢ちゃん、ここは穴しか見えないから弩だと思うでゲスよ。他にも無数にあって、あっしじゃ探りきれないでゲス。こりゃ、よけるのは苦労するでゲスよ』
「ヤモリンは弩みたいと言ってまちゅ」
ヤモリンと意志が通う状況をダリアさんだけが当たり前に受け止める。
「それなら匍匐前進で進みますか、こういう矢の罠は立っている状態を想定していますから、伏せていれば上を通り過ぎて行きますよ」
「「なるほど」」
いやいやいや!それは平行にセットしてあるときだけでしょう?
斜めの角度なら容赦なく当たるじゃないですか!
さっき背の低いあたしですら頭にかすったのよ…
そこを突かれると、なるほどそうですねとカッカッカと豪傑笑いで誤魔化した。
ダリアさん、確かに護衛には向いていない…
石壁はごつごつとしている、クライマーの達人ならよじ登れるか。
ダリアさんに念話を送って、罠が当たらない歌を唄った後なので心配しないで、見ていて欲しいとお願いした。
『お嬢様の御力は信じておりますけど、あまり無茶はしないで下さいね』
OK!OK!わかってますよ、しかし、この事態を打開するには少しは無茶をしないとね。
「おにいちゃま、あんじぇが わにゃを さぐりまちゅ」
「お、おいアンジェ何を言っている、止めろ!」
そう言った端から、あたしを止めようとしたお兄様はダリアさんにガシッと抱きとめられた。
手足の指に意識集中し三点確保を守って…と。
「アンジェー???」
勢いよく壁を上り始める、呆気に取られたお兄様とリアム君の視線を背中に感じるが、今は後のことなど気にしている場合ではないのだ。
よじ登って見つけた穴のなかに意識を流し込んで探ってみた。
鉄の尖った矢、返しのない矢の先、矢羽根には水鳥の羽の代わりに革がついている。
ここの仕掛けは弩で間違いない、矢のサイズが短く、溝が矢の後ろについてない。
矢羽根は、鳥の羽よりも革や紙のほうが、飛距離は落ちるが狙いが正確だ。
狭い場所から正確に撃てる矢を選んだのだろう。
ただでさえプレートメイルもつらぬく貫通力と殺傷能力が高い弩なのに、こんな狭い処では確実に死ぬ。
『嬢ちゃん、毒の匂いはしないでゲスよ、除けられれば大丈夫でゲス』
『ありがとう、ヤモリン』
床の作動板を踏むと、床下の滑車に通した紐が引っ張られて、紐の先端に繋がっている弩の引き金が引かれるように細工された罠だ。
一本の縄から分岐した複数の縄で弩セットして、複数の矢が一斉に飛んで矢襖になるタイプと、一か所に1本か2本の矢が飛んで来るタイプがある。
どうやらここは作動板ひとつにひとつの弩らしい、面倒だな…
何らかの動力で捻じりバネを巻き上げて矢を自動装填しているのだろう。
通路に降りてお兄様達に罠が多すぎて回避するのはほぼ不可能だと告げた。
「なんてこった…行くのも戻るのもできないじゃないか…」
先程の遭遇した刃は見ている間にガラガラと上がって再びセットされた。
よし、ここはあたしが頑張るしかないか。
「お兄ちゃま、アンジェにまかしちぇ!」
面食らう兄様達を無視していきなり廊下をテトテトと走り回った
わーっと、悲鳴をあげた兄様をニコニコ顔のダリアさんが取り押さえている。
もう片方の手でリアム君の首根っこを押さえているが、彼はすでに白目をむいて落ちていた。
面倒だから全部作動させてやる!
全力でトテトテと走るだけで作動板が次々と反応した、弩の矢がバンバン放たれたが全部あたしの体を外れていく。
フォーク!カーブ!スライス!シュート!あたしは決して当たらない♪
効果が弱まっていたら怖いので、絶対当たらないように、念を入れて歌を重ねて歌ったのだ。
通路ごとにいちいち!絶対罠に当たらないようにね!
床に鉄の矢がボロボロ力なく落ちていく。
石床にカランカランと音を立てて転がっていく、通路を端までくまなく走った。
よっし!このくらいやれば、次の矢の充填まで時間が稼げただろう。
「もう大丈夫、とおれまちゅよ」
ハアハアと息を弾ませ、額に汗を浮かべてニコリとお兄様の前にたった。
「お前…なんて無茶をするんだ…」
お兄様に耳が痛くなるほどお説教を喰らってしまった。