第95話 お兄様発見!
男爵屋敷に残っていたディオは、友人のフェーデと共に子供達にだすクッキーを取りに調理場に向かっていた。
そこから父親のカラブリア卿が出て来るのを見ると、彼の緊張した顔を見て不思議に感じた。
「父上、何かあったのですか?」
カラブリア卿はいきなりディオにあって驚いたようだったが、ふっと思い付き、彼の腕を取って言った。
「ハイランジアにとって重大な知らせを受け取った。ハイランジア城に向かう。
お前は部外者ではない、一緒に来い」
卿の真剣な顔つきに気がついたフェーデは、戸惑うディオについて行くように背中を押した。
「あとのことは任せておけよ。村の子供は、俺とクイージさんがクッキー持たせて帰らせるから、警邏兵の兄ちゃん達に送ってもらうし大丈夫だ。
ディオは自分のしなければならない事を親父さんとやってこい」
「すまんなフェーデ、それからパーシバルにも言ったが、スレイに聞かれたら警邏兵と一緒に出掛けたと言ってくれ」
「分かりました、ディオをよろしくお願いします。お気をつけて」
フェーデに見送られ、カラブリア卿が手綱を取った馬にディオは一緒に乗せられて同行した。
「フェーデはよい友人だな、お前をよく気遣ってくれている」
「はい、なにより大事な友です」
なぜか父は護衛のパーシバルをおいて来た、フォルトナまでの道は警邏兵の詰め所が各所にあり、安全だからだろうか。ディオが疑問に思っていたら父はいきなりアンジェのことを語りだした。
「ディオ、アンジェはただの捨て子ではなかった。貴族の子だ、グリマルト公爵がある貴族を捜査していて、それがアンジェリーチェの父親だと分かった」
「本当ですか?それでは何故捨て子なんかに?ああ、それより、既にハイランジアの子になっているのだから、バッソを出て行かないですよね?」
馬上で自分の後ろに乗る卿の顔を、ディオが心配で堪らぬ様子で見あげた。
真っすぐに街道を見据えたまま、彼は固い表情で手綱を握っている。
「あの子はもうハイランジアの跡取り、それに父親は、アンジェは死んだと思っている。
アンジェの父親のことは決して彼女に言ってはならない。
あの子に被害が及ばぬように守らねばならん!」
えっと言ったまま、絶句したディオは目を見開いて父親の顔を再び見上げた。
* * * *
真っ暗い通路が明るくなり、ヤモリンというはた迷惑だが心強い仲間ができたおかげで、あたしはやっと元気が出て来た。
しかし、現在何処にいるのか分からないのに、どうやって行方不明のお兄様を探したら良いのか。
遠くの真っ暗な空間を前にして段々不安になってきた、ヤモリンが額をピタピタと触ってきた。
『嬢ちゃん、しっかりしなせい。あっしはこの辺りは詳しいでゲス。外に出るまではあっしが案内するでゲスよ』
ひとりでは無かった、この小さな友人の言葉に心から安堵することが出来た。
『あたし、ヤモリンと友達になれて本当に良かったと思うよ』
『うひょー!嬉しいでゲス!テレちゃうでゲスよ!』
興奮したヤモリンが頭の上で小躍りし始めた、頭から何やら落ちて来る。
う!なんか臭いぞ!こ、これは屁っぴり虫じゃないか!!
「うぎゃー!カメムシー!やめー!」
人の頭でゴキブリより質が悪い物食うな――!
『それじゃあ、嬢ちゃんの頭の上にいるときは食事はやめるでゲス』
ええ、そうしてくださいよ。まったくもう…
『生き締めにしたやつらは、ここの嬢ちゃんの髪の毛に隠しておくでゲス』
*さっさっさっさ*
やめろ!人の頭を食料貯蔵庫にするなあああ!!
ぎゃあぎゃあと騒いでいて人の気配に気がつかなかった。
気がついたときには暗い通路の先から誰かがやって来るところだった。
「なんでここだけ明るい…?お、お前なんで発光している?」
気がつくと前方の通路にフェルディナンドお兄様が立っていた。
「うきゃあああー!お兄ちゃま、見ちゅけたでちゅ!」
お兄様を見つけて歓喜の半べそをかいたあたしは猛ダッシュ!訂正、テトテトと近寄った。
「お前、アンジェリーチェなのか?なんでこんなところに?」
驚愕しながらも兄様は両手を伸ばして駆け寄ってくる。
そのとき、ヤモリンの悲鳴に近い声が頭の上であがった。
『嬢ちゃん、前方の天井にギロチンが吊ってあるでゲスよ!』
近づいて来た兄様が踏みしめた足の下から、カタンと不気味な音が鳴った。
何かが起動するガタリという音の後に、前方の壁の隙間からゴオンと重々しく風を切る刃の音がした。
人間の体を真っ二つにする分厚い刃が、兄様目がけて振り子のように飛んで来た。
背後のその刃に気がつき、凍り付いた目の前のフェルディナンド兄様に、咄嗟にあたしは彼の脚にぴょんと抱きついた。
不気味な静けさの中、兄様にしがみ付いて恐る恐る目を開けると、彼は引きつった顔で震えて目を大きく見開いている。
彼の鼻先にあるのは巨大な扇形の鋼鉄の刃、見上げると天井から鎖で繋がれて、時間を止めたままオブジェのように鎖は95度で静止していた。
錆止めの薄く塗られたオリーブオイルのテカリまではっきりと眼に入った。
微動もせず音もしない刃に冷たい光が走ったとき、骨ごと断ち裂かれたかもしれない恐怖に気がついた。
兄様はハッと我に返り、あたしを胸に抱き上げて、すぐに飛びのいて体を避けると、刃はやっと仕事を思い出したように再び動き出した。
ジャラーー-ン…… ブーーーン……
煩い鎖と空気を裂く音と共に不気味に揺れていたが、段々と振り子運動をやめて静かにぶら下がった。
息を呑んでいた兄様はやっと長い溜息を吐いてからあたしを見た。
「何なのだ…今のは…アンジェ大丈夫か?」
お兄様は、発光していることは、お構いなしにあたしの身を気遣ってくれた。
床に降ろされ、あっちこっちを怪我が無いか調べられ、やっと安心した兄様が口を開いた。
「可愛そうに、どうしてこんなところに。頭の上は虫の残骸だらけだぞ。供の者は何をしているのだ」
お兄様がヤモリンの食べ残しを頭からパラパラと払いのけてくれた。
払いのけた後、あたしの乱れた髪を撫でつけ頬を包んだ冷たい指から緊張が感じられた。
あたしを怖がらせまいと、努めて落ち着いた態度を取っているだけなのだろう。彼もきっと怖がっている。
「アンジェ、兄ちゃまをたちゅけに来たでちゅ」
無茶なことをと言いながら頭を撫でられ、何で発光しているのだろうと、不思議がられながらも、また抱き上げられた。
「蛍ゴケか夜光キノコの粉かな?妙に明るいが、まあ助かるから、アンジェにはこのままでいてもらおう」
そうしてください、突っ込まれなくて助かりました。
ふむ、抱っこされたままなら歌の効果で、兄様にも罠が当たらないだろう。
ヤモリンは何処に行ったのかと見渡したら、こっそり兄様の背中にひっついていた。
「道はわかりまちゅか?」
「一応はな、僕は城側から道順を覚えているせいで、うっかり初めに勘違いしてしまった。お陰で罠に引っ掛かり、従者のリアムとはぐれてしまったんだ。
彼を危険な目に遭わせてしまって…悪いことをした…」
そうだ、確かリアム君は、水がザブザブと音をたてるほど水のあるところにいた筈だ。
『ヤモリン、通路の中に浸水しているところはある?』
『カーテンウォールの一部に水路が通っているので、水が引きこまれている箇所があるでゲス』
「しょこ行くきゃー!」
『案内するでゲスよー!』
分けが分からないお兄様が、「何だ?誰と話しているアンジェ?」と困惑するが、次の言葉で顔色がぱっと晴れた。
「お兄ちゃま、リアム君のいそうな所が分きゃりまちゅた」
ウキャウキャとはしゃぎながら、呑気に罠だらけの通路をあたしと新たな友は、面食らう兄さまと共に捜索に出掛けることにした。
ヤモリンが言っていた水路の落とし穴の前にきた。
『ここの落とし穴は水路で他の落とし穴と繋がっているでゲス。もしかしたらここにいるかもしれないでゲスよ』
「お兄ちゃま、ここだけを手で押すようにしてくだちゃい」
「わかった、こうかな」
ヤモリンが手で押すように指示してくれた床の石を兄様が作動させると、ガタンという音と共に、石床に模していた木板が開いた。知らずに歩いていたら落ちていただろう。
覗き込んだ穴は結構深かった、なかなか這い上がってこれないように深く掘っている。
これが蝋燭の灯りだったら照らしても水面は見えなかっただろう。
しかし、あたしは自分の体を発光させているので、どこでも昼間のように明るい。これは凄く便利だわ!
ヤモリンはポテリと石床に飛び降りさっさと中に入る。
『あっしがちょいと水路の横側を覗いて見るでゲスよ』
『よっし!あたしは下をハイビーム照射しているわ!』
『『もっと光を!!』』
アハハ、ヤモリンとハモった♪
いきなり照度を増したあたしを見てお兄様が狼狽えた。
「うええええ???」
そのとき、横の水路からザバッと勢いよく何かが浮かび上がってきた。
ぷはーと大きく息を吸い込み、彼は立ち泳ぎでキョロキョロして叫んだ。
「フェルディナンド様?おーい!誰かいますか?!」
ジャブンと水音をたて、壁に取りつき声を上げていたのは、見覚えのある小豆色の髪をした少年だった。
「ああ!リアム無事だったか!怪我は無いか??」
「おお、フェルディナンド様!もしかしてそちらはアンジェ様???」
「あたりでちゅ!登れまちゅか?」
「は、はい。とにかく上に上がりますね」
リアム君は狭い石壁の縦穴を腕と足を突っ張らせて苦労して上り出した。
* * * *
その頃、ルトガーの一行は安全な隠し通路からカーテンウォールを目指していた。入り口付近で罠に引っ掛かると水路に落とされることが多い。
アンジェの話からも水路付近を探すのが早いと判断したのだ。
「ねえ、どうやってセリオンはフェルディナンドが罠に掛かった事を知っていたの?それにアンジェがどうしていなくなったの?」
カメリアはいい加減白状させたくて、ルトガーの腕を乱暴に鷲掴みにして引っ張り、彼の顔を向けさせた。
ルトガーは観念したように妻にアンジェのことをかいつまんで話すことにした。カメリアは真剣に耳を傾けてくれた。
「神から授かったとしか思えない妙な力なんだ…頼むから気味悪がらないでくれ。
あの子は良い子だ、ディオも領民の命も助けてくれたし」
「気味悪いだなんて思わないわ、だってアンジェはフェルディナンドを助けるといって出て行ったのでしょう?
それにもうルトガーの可愛い跡継ぎですもの、あたしにとっても娘と同じよ。弟の可愛い許嫁でもあるしね」
ふたりはまた腕を絡めて冷たい通路を黙って歩いた。
先頭で燭台を掲げていたセリオンは神経を尖らせ、二人の話を聞いていたが、アンジェを受け入れて貰えてようやく胸が落ち着きを取り戻した。
通路はジメジメしてかび臭く、やがて微かな水音が聞こえて来た。
セリオンはアンジェに向けて念話を送ったがまだ遠いのか反応が無い。
―何処にいるアンジェ…
セリオンは心配で胃の底が重くなった。