第91話 鬼岩城
ルトガー達がフォルトナへの道を進んでいるときだった。
城に近い小高い丘からその馬車の動きを見ている男がひとり、アルゼの商会で売り出している遠眼鏡を使い、その様子を窺っていた。
ガイル程の大男ではないが、30歳くらいの堂々たる偉丈夫だ。
着ている衣服は道中のトラブルを避ける為か、高価とは言えないくたびれた服を着ている。
だが、乗っている馬の盛り上がった筋肉と黒光りする馬体をみるに、彼が只の平民でないことは確かだ。
彼は、無紋の馬車と馬上のルトガーとセリオンを確認すると、にこりと微笑んだ。
そして襟の裏側に付けていたバッジを目立つように左の胸につけた。
彼の胸の銀の丸いバッジは七宝焼でアザミの花が描かれている、それはグリマルト家の使用人の証であった。
バッジとは貴族に仕える使用人の身分を証明するもの、このバッジが何かで、どこの使用人か判るようになっている。
「旦那様の悪戯好きには困ったものだ…狂乱の貴公子と謳われていたルトガー殿が、カメリア様の尻の下に敷かれているのも、また興趣かな。
このデュバルの私淑の騎士であるルトガー殿には申し訳ないが…
さて、そろそろ主の手紙を届けに参ろうか」
デュバルは馬に跨ると、丘を駆け下りてハイランジア城を目指した。
ハイランジア城では、カメリアがそわそわと落ち着かない気分で、ルトガーとアンジェの訪問を自室で待っていると、執事が銀盆に乗せた手紙を持って来た。
差出人の蝋印を見たカメリアは思わず声をあげた。
「まあ、グリマルト公爵様から、なんの御用事かしら?」
「アザミの従者からはお返事は結構と承っております」
カメリアが封を開けたなかにあった何枚もの便箋を手に取ると、読んでいる途中で顔を赤くした。
怒りに耐えかねて、最後まで読まずにそれをテーブルの上に放り出した。
手紙の中にはルトガーが王都で会ったセルヴィーナのことが書かれていた。
彼女の容姿、年齢、外見ばかりを謳った内容に辟易して、最後まで読めなかったのだ。
そんな美人をグリマルト公爵の捜査に協力するためと頼んだら、ルトガーが公爵の手を取り、大そう喜んで屋敷に引き取ると約束してくれたとあった。
若い美人…喜んだ…屋敷に引き取って一緒に暮らす…
この言葉でカメリアは逆上してしまった、公爵は幼いころから彼女の性格を熟知している、怒りのあまりそれを忘れていた。
彼が年に似合わずなかなか悪戯好きだということを。
* * * *
城郭都市フォルトナは、高さ7.5メートル、長さ20キロの市城壁に囲まれ、城壁から3メートルも突き出した381本の見張り塔が壁よりもさらに6メートル高く聳え、それが30メートルおきに設置され、外との交通のため18の市門が設けられている。
その城郭都市の最も奥の最も攻めがたい場所に、エルハナス家の当主カメリアが住むハイランジア城がある。
小さな山の地形を活かして作ったハイランジア城は、その背後には120メートルの岩だらけの切り立った崖が地獄の口を開けている。
崖の下にあるのは森林とポツリとした小さな村、貧弱な畑が点在し、さらに奥には不毛の地アルバが続く、城のある標高は457メートル、分厚い岩盤のある上に聳える城の正面に至るには市門を通り城下から入るしかない。
城の大きさは東西200メートル、南北150メートルの城の外側にカーテンウォールと呼ばれる垂直の分厚い外郭壁と深さ5メートルの水堀、城主の住む天守を守るための内郭壁とに分かれている。
外郭壁にひとつだけある城門は外堀の跳ね橋を通らねば入れず、城門兵が少しでも不審に思えば前後の落とし格子が落ちて、一気に逃げ場を無くし、そこで上から煮え湯、弩の矢、落石の雨が降り惨殺される。
そこを通れたとしても内郭壁の前に中核門があり、そこでまた検められる。
そして内郭部は最後の防衛線、とりわけ頑丈な壁がそびえ、天守を守っている。
天守2階3階の城主のいる部屋に至る城内通路は、一旦地下に入るようになった複雑な構造だ。
案内がなく進むと迷路に入り込み地下の罠通路に落とされる。
その中では、いくつもの数の敵を押しつぶす鋼鉄の落とし格子、殺人溝、巨大貯水槽、落とし穴、罠仕掛けの床などが敵を撃退するために仕掛けられている。
多くの戦乱において難攻不落の城と謳われたハイランジア城、籠城戦で11カ月以上持ちこたえた歴史ある名城だ。
城は今も不届きな侵入者を、手ぐすねを引いて待ち構えている。
その分厚い城壁の下、城壁の基礎部分から近いところに地下通路があった。
水堀が近いせいか極めて湿気が高く、ジメジメとしたかび臭い真っ暗な通路に旅行用の折り畳みの手持ち燭台を持った少年がふたり、壁に手を添え歩いていた。
先頭を歩いている小豆色の髪を束ねた少年従者リアムが不安に耐えかねて口を開いた。
「フェルディナンド様、城門の守備兵に無理を言うなんて、あの人達、後で怒られますよ。どうしてこっそり御帰宅なんですか?
しかも、天守に直接向かわずに、城門塔の秘密の通用門からわざわざ、地下の外郭通路に抜けて円塔から風車塔に出ようなんて」
「そこの通路は領主しか知らない脱出用通路なんだ。代々当主一族のみ伝えられていて、罠のない廊下を歩ける。
この通路を知っているのは、かつてここの城主だった王族達と我がエルハナス家の母上と御爺様と僕だけ、父上もちょっぴりなら知っているかもな」
少年従者リアムが、疑い深い目でエルハナス家の跡取り息子フェルディナンドに問うた。
「このハイランジア城の隠し通路は罠だらけなのでしょう?本当にしっかり覚えていますか?」
「意気地がないな、僕はこの城のことは図面で良く知っている。それに母上に案内されて通ったことがある、安心してついてこい」
「それにしても何で学校をかってに休んで迄帰ったのですか?」
「母上が逆上してハイランジア家と縁を切ってしまったら、大変では無いか!父上はどうでも、アンジェが可哀そうだ。
母上があまりに怒っていたら僕が次期当主としてアンジェを救ってやらねば」
「その騒動の始まりは坊ちゃまの手紙でしょうが…」
「何か言ったか?」
「いや、何も……騒動を起こす前に考えて欲しかったなあ…」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
「坊ちゃま、分かれ道ですが、どっちでしょう?」
「ええっと、左だ」
ふたりが左に曲がってからすぐだった、足元で床が嫌な音でなった。
*ガッコン*
「うわ!」
「ひいいいぃぃ!」
二人は足元にいきなり現れた穴に落とされた。
* * * *
執事がルトガーとアンジェの来訪を告げた。
アイリスと共に客間に入って来たルトガー達をにこやかに迎えたカメリアからは不穏な空気が漂っていた。
挨拶も早々にカメリアが公爵からの情報を切り出した。
「あなた、手紙でグリマルト公爵から連絡があったわ…セルヴィーナって21歳の女の人のこと、桃色の金の髪、儚げな美人だそうね。
公爵から詳しい話を聞かされて、ルトガーは喜んで身柄を引き取ることにしたんですって?」
グリマルト公爵の連絡があったと聞いて安心したルトガーは、いっきに肩の荷を下ろしたようにリラックスして滑らかに話し出した。
公爵が彼女のことを説明してくれたなら、カメリアが焼きもちを焼くことも無いと思ったからだ。
「確かに若いな、今年21歳だ、それにとびきり美人だ。男の庇護欲をそそるな、あれでは大そうもてるだろうなあ」
公爵が与えてくれたセルヴィーナとの巡り合いに喜びで胸を弾ませていたルトガーは、彼女の顔に貼り付いた社交用の不自然な微笑みを見落として火に油を注いでしまった。
「バッソに来たらお前にも紹介するよ、これからはバッソの屋敷で一緒に暮らすことになったから」
途端にカメリアの表情が変わり怒髪天をつく勢いで怒り出した
「よくも…ルトガーいけしゃあしゃあと…あれ程裏切ったら覚悟してよと言ったのに!これだから男っていうのは信用できないのよ!あなたもお父様と一緒なのね!!」
「え?ええ?セルヴィーナは俺の「俺のですって!!!」
その瞬間、カメリアは暴走する鬼になった!
ソファーに置いてあったクッションを退けると、そこにあったのは鞭だった。
「許さないわよー!ルトガーそこになおりなさい!」
「待てカメリア、なんでお前、結び玉つきの皮鞭なんか持っているんだ??」
「あなたのお仕置きにピッタリでしょう?さあルトガー観念しなさい!」
「バカ!そんなのただの鞭より強力じゃないか!殺す気か!!」
「結び玉に棘が無い分有難いと思いなさい!」
やめてくれーと!叫んでいるパパを置いて、アイリスさんがあたし達をさっさと外に出した。
「夫婦喧嘩は奥様のストレス解消ですから、暫くはお好きにさせるのがよろしゅう御座いますのよ。
御嬢様とセリオン達は別の部屋にご案内致します、危険ですからね」
本当に大丈夫ですかとセリオンさんが聞くと、武器倉庫から結び玉つきの皮鞭を選んだ時点で、執事さん達は部屋の家具を入れ替えておいたので問題ないと言われた。
いや、質問の返答としてズレていませんか?家具の心配などしてないし…
「鞭を避けるための盾も、壁に飾っておいたから旦那様なら上手によけるでしょう。
御心配には及びません」
ハイランジア家のために独身になったパパは、かなりの男前とあって、様々な独身女性から秋波を送られ、カメリア様は辟易していた。
元々焼きもち焼きなのに、かなり無理をしているのはパパも承知だそうで、カメリア様のストレスが溜まると相手をしてあげるのだ。
そのためパパもこうしたことには慣れているし、しばらくしたら収まっているから大丈夫だという。
その割には悲鳴が鬼気迫るものがあるのだが、まあパパなら大丈夫か?
ということで、あたし達は別の部屋でまったりと夫婦喧嘩というか、カメリア様のストレス解消が終わるのを待つことになった。
「お、俺やっぱりルトガーさんの様子を見て来るよ。場合によっては止めないと、ダリア、アンジェのことは頼むよ」
「ええ、分かったわ、セリオン」
心配なセリオンさんはパパのところに行ってしまった。
うーん暇だな…相変わらずパパの叫び声がたまに聞こえるけど、夫婦喧嘩は犬も食わないのでスルーってことでOK。
それよりお城のほうが面白そう、なかを見て回りたいな。
そのうちパパにお願いしたら案内してもらえるかもしれない。
カメリアが、ルトガーの疑惑の行動に詰め寄っている間に、アンジェは意識を飛ばしてハイランジア城内を探ってみることにした。