第9話 魔法陣と魔石と怖い人
お店にいたセリオンさんはカウンターにいたマスターと商談中だった。
カウンターの上には魔石がいくつも並んでいた。
色とりどりの魔石がマスターの脇にあるランタンの灯りでキラキラと輝いている。ポルトさんがそれを見てディオ兄とダミアンさんに囁いた。
「今日は運がいいぜ。魔石ハンターが来ているから、出物があるかもしれないぞ。あの人が来ると安く買える魔石が店に並ぶんだよ」
魔石ハンター?セリオンさん魔石を集める人だったのか。
『ディオ兄は知っていたの?』
「ううん、知らなかったよ。なんだかボロボロだけど怪我したのかな?」
こちらの視線に気付いたセリオンさんが振り返って驚いた。疲れている様子だが大きな怪我はなさそうで安心した。
「ディオじゃないか、なんでこんな店にいるんだ?」
「セリオンさんこそ、魔石ハンターだったの?」
セリオンさんは笑って「あくまで副業だよ、小遣い稼ぎだ。それに俺はまだ駆け出しで最近始めたばかりだ。これは魔獣の、俺の血ではないよ。だいぶ疲れたよ。それより買い物に来たのか?」
そこで雇って貰ったダミアンさんと新しく作ったサツマイモの良い売り方を考えて焼き芋を売ることにしたこと、それで温魔石を買いに来たのだと話した。
店のマスターであろう、眼鏡を掛けた白髪を長く伸ばしたお爺さんが声を掛けてきた。
集計が終わり、出してきた硬貨の中に鉄や銅と共に金貨が一枚入っていた。
金額を確認したセリオンさんは軽く頷くとそれを胸ポケットにしまった。
「そういうことか、じゃあマスター買い取り有難うな。こちらの客は俺の知り合いだ。少し安くしてくれると助かる」
「セリオンの友達なら安くしてやるぞ。今回は良い石を持って来てたからな。それで?温魔石なら温度帯によって値段が違う、温度はどのくらいのが欲しい?」
ディオ兄とダミアンさんは、温めたい物の温度は60度から70度だけど、温魔石ひとつだけでは温度のむらができるかどうか、もっと上の温度が必要だろうかと質問するとお爺さんが首を振った。
「いや、大丈夫だ。魔石で温めるのは火を使う場合と違って、指定された温度帯以上には上がらないから火より便利だ。魔石に条件指定するのが魔法陣だ、温度指定も魔法陣に描きいれて指定する。
魔法陣を描きいれてあれば内部の温度ムラはほぼない。
スイッチは別に起動用の魔法陣を描きいれて使用するんだよ。そんな単純なものなら魔法陣も安い書式のもので大丈夫だな」
えっとつまり、魔石だけだと使えるけど細かな設定ができないから、魔法陣で指令内容を指定するのか。
それにしても、魔法陣か!魔法陣見たいな…魔法陣見たいなあ…
「ほーら、赤ちゃん温魔石対応の魔法陣だよ~♪」
あたしの目の前に金属板に書かれた魔法陣をマスターが持って来て見せた。
おお、有難うございます!見たかったのよ、これ。
「マスター赤子に何やっているんだ?」
セリオンさんが様子のおかしいマスターに聞いた。
「はっ!わし何で赤ちゃんにこんなもん見せたかったのだろう??
見せてやりたくて堪らなくなってしまった。何でだ??」
自分でもなんでこんなことをしたのか分からないとマスターが首を振った。
しまった!またやっちゃった!!あたしがやらせたんだ!
ディオ兄が低い声でひと言呟いた。
「アンジェ…」
『ごめんなさーい!』
おんぶされた背中でとにかく謝るしかなかった。
いかんいかん、気を付けないと本当にヤバイことに巻き込まれそう。
誰かに気付かれでもしたらきっと利用しようという人も現れるに違いない。
しかし、赤ん坊のせいかあたしの精神や行動が大人のときほどコントロールが効かない。もしも、パニックを起こしたり、興奮して感情的になったら、大惨事だって招きかねないかもしれない。反省、反省。
買いうものが決まったから、あとは値段だ。
ダミアンさんとポルトさんは、マスターと値段と魔法陣の書き込み手数料の交渉に入った。
ふと気がつくと、ディオ兄とあたしをセリオンさんがじっと見ていた。
冷静にそしてまるで観察するように、やがて静かに微笑んで口を開いた。
「ディオは妹ができて毎日嬉しそうだな」
「うん、アンジェが来てから毎日たのしいよ」
「お前の運が向いて来たのもアンジェに会ってからだよな」
「そうだよ、アンジェが幸運を連れて来たんだよ。アンジェは俺の天使だもん」
いや~、妹愛がテンコ盛りでちょっと恥ずかしいですよ、お兄ちゃん。
ほら、セリオンさんがさすがにドン引きしているよ。あれ?
セリオンさんの綺麗な切れ長の目が、ちょっぴり睨むようにあたしを見た気がするけど、気のせいだよね?
「なるほどな…まあ、お前が良いなら問題ない」
「?」
古道具屋さんに購入した鉄製の箱に魔法陣を刻み込んでもらうために、来週の受け取りになったためその日はもう帰ることにした。
いかん…魔法陣を見たさで意識を集中しすぎてかなり眠気が出て来た。
ふにゃ、もう無理だわ。自分の体のことを考えて…な…かった…
* * * *
ダミアンとポルトのふたりが帰ると、別れ際にセリオンがディオに言った。
「なあディオ今は本当に楽しいか?今の生活、妹と暮らして本当にお前は幸せ?」
「うん、アンジェはね、神様がくれた家族だと思う。家族が欲しいってお願いしたら、すぐ来たんだもん」
「普通は優しい金持ちの親が欲しいと願うもんだが?」
「俺は小さいから施設で仲間にいじめられてたし、養母さん達も煙突掃除の親方も鞭を持っていて、殴られていつも怖かったし、この町に来てセリオンさんやルトガーさん、ガイルさんに会わなかったら今も大人の人が怖かったかもしれない。
だから、できれば家族なら妹か弟が欲しかったのを神様が分かってくれたんだ」
ディオは肩越しのアンジェが良く寝ているのを見て、にっこり笑った。
「アンジェがいれば勇気が出るんだ。大人の人を怖がっていたら、アンジェを育てられない。俺はアンジェのお手本になるように頑張る」
セリオンは興奮気味に語るディオを静かに見ていたが、そうかと小さく言うとディオに言い聞かせるように語った。
「ディオ、何もかも神の采配なんてことは人間の思い込みだ。自分の未来は神の手に委ねずに自分で選び取るんだぞ」
ディオには、セリオンが何を言いたかったのか、何を言われているのかぴんとこなかった。
なので、自分の未来を自分で選べという部分だけすくい取り、「うん」と元気よくセリオンに頷いた。
* * * *
あの後、アゼルさんから吸い飲みを貰った。
古道具屋を出たらガイルさんに、吸い飲みが届いたと聞いたのだ。
それを渡されたとき、ディオ兄はいかにも高そうな白磁の器を見て表情が引きつっていた。
きれいな花が絵付けされた白い吸い飲みは薄く軽く、貴族の寝室のベッドサイドテーブルに置いてありそうだ。
可愛い小花を散らしたデザインは、すぐにあたしのお気に入りとなった。
「これでアンジェのお腹が空いたときも安心だね。山羊乳をダミアンさんが分けてくれたし、これで冷魔石買えれば楽になるけど」
ディオ兄は古道具屋で買った小鍋でミルクを人肌に温めて、膝に乗せたあたしに吸い飲みで飲ませてくれていていた。
柔らかな甘い香りがする、あれ?ミルクの匂いとしては甘ったるい。
何この匂い?あ、やばい、ディオ兄が船漕いでいる。
念力で彼の手にあった吸い飲みをそっとテーブル代わりの木箱の上に降ろした。
良かった、壊れなくて…貰ったばかりで割れたら泣いちゃうよ。
ふあ、あたしも眠くなってきた…何だろう…寝たばっかりなのに。
気づいたらセリオンさんの腕に収まっていて、彼に布で鼻と口を塞がれていた。彼も自分の口元を覆っていた。
「良い匂いだったろう?アンジェ。さっき、焚火の中に入れると良い匂いがするお香だと言って渡した眠り薬だ。これでディオに邪魔されない」
ぞわりと背中から冷たいものが走った。
ディオ兄とあたしを引き離すためにお香勧めたの?それはあたしのことを只の赤ん坊でないことに気がついているから?
どうしよう、セリオンさんの出方次第だけど、彼はディオ兄にとって大事な兄貴分だ。ディオ兄がゴミ捨て場をうろついているときに救い出してくれた人だ。
セリオンさんがいなかったら冬を越せなかったとディオ兄は今でも感謝しているのだ。
セリオンさんはもう一度ディオ兄が良く寝ていることを確認すると、あたしの口を塞ぐようにして抱きかかえた。何をするのか不安を押し殺して黙って様子を見ていたら、遠く離れた仄暗い林に連れていかれた。
そして、地面に膝をついてあたしを降ろすと冷たい声で言い放った。
「さて、アンジェ。お前の正体を明かしてもらおうかな?」
始めて会ったときの、あの、冷え冷えとした抜き身の刃のような視線が見下ろしていた。あたしの首に本物のナイフを突きつけて。