第81話 怪しい信者たち
それは痩せた長身の男性だった。年の頃は50絡みだろうか、灰色の髪をきっちりと綺麗に撫でつけていた。
こんな野良小屋に不釣り合い過ぎて、ひとりだけ浮かんで見える程に、黒革の手袋にステッキを持って、濃い灰色の羊毛で織ったコートに身を包んだ優雅な佇まいをしている。
挨拶もなしに彼はしゃべり始めた。
「なるほど、あるいは、ハイランジア卿とその関係者を殺して、奇跡の子を取り上げ、自分の教区に現れたと喧伝する。
そして、幼子の養父になり、後ろ盾となり奇跡の子の父として周りを牛耳る。
リゾドラードで教皇は、今や国王の立場を脅かすほどの力を持っています。
今のドットリーナ教なら、アンジェリーチェ様を利用しようと思うでしょうね、より強力な権力を手にするために。
神の奇跡を証明できる子供が手に入れば、それこそ他国にも権力の手を伸ばせる。宗教は国境を越えられますからね」
驚いたパパが声を上げた「カラブリア卿の執事のランベルか?!」
「申し訳ありませんが聞いておりました」
そう言うと、ランベルと呼ばれた彼は、あたし達に会釈をしながら、一歩中に入ってきた。
「あちらの屋敷に着いた途端に、何やらお嬢様の行方が分からないと騒ぎになっておりまして、すわ誘拐かと…
私もお助けせねばと、ひと気のないところを探っていたら、皆さんのお話が耳に入ってしまいました。
立ち聞きするつもりは無かったのですが、結果的に無礼を致しました。
お許しください、男爵閣下」
丁寧に詫びをいれているランベルさんを眺めて、戸惑いがちに、どうしたものかと目を泳がせたパパが答えた。
「いやいや、ランベル、よく来てくれた。いやそれよりこの事は…」
「話はお聞きしましたので、事情は全て理解致しました。私はバッソに来る前に、すでにエルハナス家の執事を退職致しております。
閣下、私は今日より貴方様を主としてお仕え致します。この命を懸けてハイランジア家をお守りすることをお誓いします。
アンジェリーチェ様の秘密は他言いたしません、御安心ください」
ランベルさんは胸に右の手をあてて深く頭を下げた。
パパはほっとしてあたしを抱きしめた。
「そう言ってくれて有難い、この子は俺にとって大事な子供だ。どうかディオ共々守ってやって欲しい。
俺は父親としてこの子を守る、どんな子供であろうと俺の娘だ」
すごいな、パパはやっぱり有名な武人だけあって、腹が座っているわ。
頼りがいのある素敵なお義父さんだよ。
「何しろ俺も神父と同じように、天からこの子を守れとお告げがあったのだからな!」
パパは、決意みなぎる表情で、小屋の屋根の上に広がる見えない空を見つめて言った。
それを聞いたあたしは全身から冷や汗がぶわっと出た!!
それって、あたしが悪戯でパパに聞かせたやつだよねー?!!
なんて罪作りなことをしてしまったのだろう!パパみたいな人にこんな嘘をついてしまって。
申し訳なさで、う、胃が痛い…
*う、うう、びいええええええ!*
いきなり引きつけを起こしたかと周りが心配するほど、あたしは泣き出した。
自分でもどうにも止まらない、できないのだ。
「アンジェ…さっきまでしっかり話していたのに?どうしたんだい?」
動揺しているパパに抱かれたまま、あたしは、仰け反りかえり、むずかって、泣き声をますます高くしていった。
おろおろしているパパをみて、ディオ兄が渡してと手を伸ばして、あたしを受け取ってあやし始めた。
「いいこ、いいこ♪」
収まっている腕のなか、ゆらゆらりとリズミカルに揺らぐ優しいアイスブルーの瞳にあたしが映る。
深く透明な、心に染み込んでくるようなブルーだ…
『大丈夫だよ、アンジェ。ルトガーパパはきっと許してくれるよ。怒られるなら俺も一緒だからね。あ、神父さんとセリオンさんも一緒だね』
そもそも元凶はあたしですね…
「ひっくひっく ふえええええぇぇ ひぐうううぅ」
* * * *
ディオの優しくあやす声を聞きながらも、なかなかアンジェは泣き止むことができなかった。
ディオの抱きしめる胸の中でいつまでも泣いていた。
フェーデがそんなアンジェの泣くさまを眺めていたが、まるで宣誓でもするかのように、高らかに謳った。
「旦那様!俺はディオの友人として、どんな時でもアンジェ様を腹黒な教会関係者から守って、ディオとアンジェ様の味方であることを誓います!」
フェーデが力強くルトガーに宣言すると、毛布を被せられていたダミアンがそれに続いた。
「旦那様、俺も元々ディオ様とアンジェ様は可愛い身内のように思っていました。決して人には漏らしません、お二人のために働きます」
「当然俺も!ふたり共ルトガーさんの子供なんだ。どんな奴ら相手でも、守って見せますよ」
胸を叩いてガイルが力強くルトガーに誓った。
セリオンとレナート神父は深い安堵の溜息をついた。
しゃくりを上げる赤ん坊の泣き声が響く中で、ルトガーは感謝の言葉をその場にいる人たちに告げた。
しばらくして、ようやく、ダミアンを動かしても問題ないだろうと判断し、屋敷に戻ることになった。
葦毛の牝馬フレッチャにはルトガーが乗り、他の馬にはガイル、セリオン、ランベルが乗り、荷馬車はレナート神父が御者を買って出て、荷台にダミアンと一緒に、ディオとフェーデが乗り込んでいた。
屋敷に戻るための道すがら、動き出した荷台でフェーデはディオの腕の中のアンジェを覗き込んだ。
泣き疲れたアンジェは、ディオが生きているのか心配するほど、ピクリとも動かずに眠っている。
不安でいまにも泣き出しそうなディオに、フェーデが肘で軽く押して明るい声で言った。
「ディオ、心配するな。俺の弟や妹も、ぎゃんぎゃん泣いた後は、くたびれちまって良く寝ていたぞ。
お前の妹がいままで大人しすぎたんだよ」
フェーデはディオと目を交わすと、微笑んで元気だせよとポンと背中を叩いた。
この友人は人の気持ちをよく察してくれるなと、ディオは感心した。
自分はいつも人を避けていたから、そういうふうには気がまわらない。
人との関わりを持たないようにしていたら、人付き合いで機敏な対応迫られてもできはしないだろう。
彼と友人になれたのは、自分にとって幸いだったと思った。
ディオは子守歌代わりに小さく歌い出した、フェーデも一緒に歌い出した。それは、教会で神父が教えてくれた賛美歌だった。
いざ高き天国へ 真に青なるその先へ ♪
太陽の東 月の西 探し求めしその果てに
天の梯子に 登りつきて 我ら教えを求め賜わん♪
レナート神父は手綱を握ってその歌声に聞き入って何事か考えていた。
彼は肩越しに、眠りこんでいるアンジェと、不安そうなディオを見て、また正面の道をきっと見据えた。
* * * *
パチッと眼が覚めてみたら、ディオ兄の腕のなか、既に屋敷の玄関ホールについていた。
調理場で、何やらクイージさんが皆を集めて演説をぶっている。
メガイラさん、ダリアさん、そしてアイリスさんが神妙な顔で耳を傾けている。嫌な予感しかしない。
「アンジェリーチェ御嬢様は天より授かった天使の生れ変りなんじゃ!その証拠に空も飛べるのじゃ。
しかし!もしも他の者に知られたら、どんな悪党に狙われるかしれん!
そのために、絶対に秘密にするようにせねばいかん!」
こちらはこちらで、なんだか勝手に話が進んでいた。
背中に冷たい汗がつらつらと湧いて出てくる。
すると、神父さんがそばに寄り添って来た、目配せするので声を聞いた。
『あなたにはまだ言ってなかったけど、この間、クイージさんが、あなたが普通の子ではないと知って、畏れたことを恥じて悩み、教会に告解に来たのですよ』
クイージさん黙っていてくれたんだ…そうか、もしかして最近元気なかったのはそのせいだったのか。ごめんね、クイージさん…
「さあ、クイージさん、皆さんも今回の騒ぎについてお話しますから、礼拝室に集まって下さい」
レナート神父が礼拝室に皆が集まるように声を掛けた。あたしを守るために話をしてくれるのだろう。
貴族の屋敷や城には必ずあるのが礼拝堂だ、神により近づくために普通は建物の中で一番高い部屋にある。
ハイランジア家の屋敷では、建物の都合で、かつて開かずの部屋だった2階が、礼拝室、兼図書室として利用されるようになっていった。
どういうわけか、あたしはルトガーパパにがっちり抱かれている。
隣でニコニコしている執事のランベルさんが好々爺と化していて不気味だ。
『神父さん、ごめんなさい。あたしのせいで嘘を話すはめになって…本当にごめんなさい』
『アンジェ、全ての責任は私が受けます。私に任せて下さい』
『神父さん?』
神父さんは何を思ったのか、みんなに大ぼらをふいた。
「皆さんご存じのように、教典では昔、はるか昔、天から追われた人の祖は神の怒りに触れて、楽園から追われ地に降り立ちました。
追放された人の始祖は数々の苦難を乗り越えねばならなかった。
神は、ときには無情に、そして無関心で人に接してきました。
だが、神は数多くの奇跡を遣わされて人を助けて下さった。今回も同じように、アンジェリーチェを遣わしたのです。
神は、この世界の苦しみを開放するために、天使を遣わしました。
私は聞きました、来る日のためにアンジェを守りなさいと。来るべき日がいつなのか、何が起こるのかはわかりません。
しかし、私達はそれまでに彼女を守らねばなりません」
有りえない!いやいや、絶対有りえないよー!
無神論者のあたしが、そんなの、有りえないから!
お正月と受験に神社行って、お葬式を仏式でして、友達の結婚式で牧師さんが出て来るのを矛盾だと思わない。
そんな、不思議がまかり通る国に育ったあたしに、それは無い!!
バカ言わないで下さいよ…なんてこと言うのですか?
天使降臨!頭が痛い…これから、嘘の罪を背負って生きねばならないとは!
ルトガーパパが抱きしめる手に力が籠るのは、不安からだろうか。
だが聞いていた人たちは神父さんの話に納得したようだ。
神父さんに促され、これ以上使用人が増える前に、皆は秘密を守るために固く誓いを立てた。
そして、その日が来るまでに、静かに暮らすことにしようと話がまとまった。
ルトガーパパが近寄るとディオ兄ごとあたしを抱き上げた。
頬擦りされたとき、ちょっと固いパパの髭が頬に痛くて、あたしはまた泣き出してしまった。