第80話 恐れるべきは悪魔ではない
パパは、あたしを抱いたまま労ってくれた。
「アンジェ、よく頑張ったな。フレッチャと鴨達にも礼を言ってくれ。ダミアンを助けてくれてありがとう」
『はい、そう伝えますね』
あたしは鴨達の前に出ると、ダミアンさんの命が助かったことに感謝していることを伝えようとした。
『鴨ちゃん達、みんな来てくれてありがとうね。おかげでダミアンさんの命が助かった』
「「「「「クワクワ…グア…ガッガッ」」」」」
あれ?何か通じてない、何言っているのか分からない?何で?
『うう、言葉が通じなくなった???』
「アンジェ?さっきまでは話ができたんだろう?」
パパが不思議そうに聞いて来たが、あたしにも見当がつかなかった。
何故話ができなくなったのか原因がわからない。
セリオンさんがしばらく考えてから、もしかしたらと前置きしてから自分の意見を言った。
「以前、鴨と話が通じた時、お前酔っぱらっていたよな?そして今回も」
『あ!そういえばそうだね』
「確かにそうだよ、アンジェ、今は酔いが醒めているの?」
ディオ兄がパパの腕の中のあたしを見上げて言った。
そういえば…ちょっと寒くなってきたかな。これっていつも酔いが醒めてくると寒気が出ていた前世の体験と同じだよね。
セリオンさんが、やおらガイルさんのそばに近寄ると、有りますよねと声を掛けた。
「ガイルさん、胸ポケットにラム酒持っているでしょう?出してください」
「何で知っているんだ…」
渋い顔のガイルさんに、セリオンさんが悪戯っぽく笑って、自分の人差し指をクイクイッと曲げて見せた。
「スリの技は密偵として使えるから、鈍らせないようにいつも磨いておけって言ったのはガイルさんでしょう?
ガイルさんのポケットに何が入っているか、いくら入っているか、俺にはバレてますからね。
ちなみに今日の持ち金は2105スーです」
「何で知っている!ていうか、俺の財布の中身を公開するな!」
油断も隙も無いなと、もの凄く渋い顔をしたガイルさんが渋々とラム酒の小瓶を出した。
受け取ったセリオンさんがあたしにそれを差し出した。
「アンジェ、舌を出せ。ちょっとだぞ、ちょっとだけ舐めろ」
はーい、と言いつつラム酒の小瓶を抱えて、引き寄せグビッとな。
「あわわ!アンジェ!」
焦ったパパが声をあげ、見ていた皆が目をむいた。
慌てたセリオンさんに小瓶を取り上げられたがもう遅い。
うわ!しまった、ちょっと多く飲みすぎちゃったかな?さすがラム酒きくー!
ふわ~~~~!世界もまわる~
*ウヒャヒャヒャ* 気持ちの良い酔いがまわって来た!
*うきゃきゃきゃ*
「よ、酔っているみたいだな…」
セリオンさんに、猫の子のように、産着の後ろを掴まれてぶら下がっている。あたしは自分でもよく分からない楽しさでヘラヘラと笑っている。
ルトガーパパは呆れたままあたしを受け取って話しかけた。
「アンジェ、ほら、ちゃんと鴨に礼を言わないと、鴨達も帰れないだろう?お礼の御挨拶をしなさい」
ほらほらと、あやしながらパパはアッカ隊長の前にあたしを連れて来た。
『ほへ~、はいはい…鴨ちゃん達、どうも有難う。お疲れ様、今度はあたしが何か有ったら助けるからね。バイバイ有難う』
『ほんとか~?貸しひとつだからな、悪魔っ子』
忘れるなよと、何度も言いながら、戸口から出て行った鴨達はバサバサと一斉に川に帰って行った。
ペッシェ川の近くにある野良小屋に低体温症になっていたダミアンさんを担ぎ込んでもう3時間近くになるだろうか。
寝藁や木箱に皆が座り、ダミアンさんも敷いた毛布に包まってフレッチャにくっついて横になっている。
フレッチャは寝藁が気に入ったのか、もう少し寝かせてちょうだいと寛いでいる。
「良かったなあ、ダミアンが元気になって…」
砂糖入りの紅茶を淹れたガイルさんがカップを出して皆に勧めた。
「それより、アンジェだ。先程少々聞いたが、もう少し話してもらおうか?ここなら他の者はいない、神父さんいいですか?」
ああ、そのまえに、とルトガーパパがひと言、セリオンさんに伝えた。
「今まで事情を知っていて、ふたりを守っていてくれたんだな。ありがとう、お前がそばにいてくれてアンジェ達も安心だったろう」
セリオンさんがハッとして顔を上げた、パパはもう一度ありがとうと言って、彼に近寄り肩を抱いてにっこり笑うと、いきなり彼の頭をヘッドロックして拳でグリグリと押し始めた。
「親父同然の俺に黙っていたお仕置きだぞ!!」
「いてててて!!!」
*グリグリグリ*
暫らくして、気が済んだルトガーパパは、「わっはっはっ」と豪傑笑いを放つとセリオンさんを解放した。
痛みで頭を抱えていたセリオンさんは、目をしばたたいたが、パパと眼が合うとようやく安心したように小さく微笑んだ。
セリオンさんからは、まるで独りぼっちになったような心許なげな先程の顔つきは消えていた。
彼にとって親代わりになってくれたパパに、信用して欲しかったと言われたのが心に引っ掛かって申し訳なく思ったのだろう。
そのとき、神父さんの訴えかける視線を感じて、彼の心の声を聞いた。
『なんでしょう?』
『アンジェ、あなたに多大な期待を寄せられないように、前世のことを隠します。天使の生れ変りのあなたは、ときどき、本来の子供に戻る、いいですね』
『はい、わかりました』
酔いが見事に引いて来た。自分でも混乱するが、子供のように自由なアンジェというあたしと、前世の記憶に裏打ちされた大人のあたし。
一体何故こうもクルクルと混在するのか?
パパの腕にしっかり捕まってしまったあたしを囲んで神父さんが話始めた。
前世は話すわけにいかないので、ところどころを誤魔化して伝えた。
ディオ兄があたしを妹として育てるとパパに宣言した後、教会にお祈りしたら、あたしに不思議な能力が授かったと説いたのだった。
「わたしは教会で天啓を受けました、バッソに天使を降ろすと」
うわ!神父さんそこまで言っていいの?
お任せしたあたしとしては、神父さんに辻褄を合わせてもらうしかないのだが、この先は頭が痛い気がする。
いや、悪いのは全部あたし、とは分っているんだけどね…
「アンジェは天使の生れ変りとして、遣わされたのです。
しかし、今のドットリーナ教には内密にしなければいけません。
もしも、この奇跡が教会本部に知られたら、悪魔の子として処分されるかもしれないのです」
フェーデ君が理解できないと首を捻りながら質問した。
「なんで?アンジェちゃんが神様から力を授かった子なら、教会は喜ぶのじゃないのですか?」
彼の素朴な疑問に神父さんが答える、教会の中枢は今、権力を求める者達の伏魔殿と化しているのだという。
本来の信仰を与える立場からかけ離れ、教会上層部は自分の領地を広げ国王の政策さえ口出しをする、権力の道を求めたのだ。
これにはドットリーナ教を国教と崇め、教会の総本山があるリゾドラード王国も頭を痛めている。
ドットリーナ教は国の隅々に力を及ぼしている。
人民の心を掌握している教会が国王の政策に口出しをしてきても、無下にはできない状態で、リゾドラードでは王の権威は失墜しつつある。
「聖職者とは、金のない平民が権力の中枢に喰い込むには実に都合の良い職業です。
元羊飼いが高位の聖職者になり、王の補佐役に抜擢されたこともあります。
それでは、どうやって王の目に留まるほどの高位の聖職者になるか、フェーデ、わかりますか?」
「学問でしょう?修道院で子供のうちに仕事をして、合間に一生懸命に勉強して、さらに上の神学校に推薦されるように、でしょう?
神父さん達はみな学問を治めていると聞きましたよ」
「それもあります。しかし、教会の権力者にとってもっと必要なもの、それが奇跡です。
自分の治める教区の信徒の病気を治したとか、自分のいる教会の神の像が涙を流したとかです」
「それなら、レナート神父だってお医者をしているじゃないですか?」
「私は真面目に医学を修めました。インチキなどしていませんからね」
レナート神父さんは教会では秘密になっている例を教えてくれた。
金を積んで人をやとい、なってもいない病気や障害を演じさせる。
そして、祈ってもらったとたんに治ったふりをする、それを吹聴させて聖人が現れたと評判をとる。
または、神の像に手品や仕掛けをして奇跡を演出する。
今のドットリーナ教の高位の聖職者は、全てがそうやって成り上がって行った人たちばかりだという。
そんな人達にとって、真面目に医学を勉強して、嘘を正そうとするレナート神父は実に煙たい存在だったのだ。
「私はそんな体制を批判して中央から睨まれ、追放されたのです。何度か口封じに殺されそうになりました。
親友のジャウマ・バルバの口添えで、カラブリア卿が守ってくれなかったら、既に死んでいたでしょう。
そして、カラブリアで死んだことにして、名を捨てて生き延びる道を選びました。そんな私の教区から奇跡の子供が現れたら、どんな難癖をつけられるか。
アンジェは私共々殺されるだろうと考えるのが自然です」
「よく破門を免れましたね?」ガイルさんが言う。
「殺した方が安全でしょう?破門となるとコッソリ処理できないですから」
小屋の中がしんと静まり返る、その緊張で張り詰めた空気は突如、戸口から現れた人によって破られた。