第8話 焼き芋焼くなら温魔石
ディオ兄が帰る前にお客さんに挨拶をしようとして、テーブルの上の白磁のティーセットに目が留まった。ディオ兄が「ああ」と思いついて小さく声上げると、ルトガーさんが不思議そうに尋ねた。
「なんだ、ディオ。どうした?」
「ルトガーさん、ああいうティーポットって高いですか?」
「ああ、あれはそれなりに高いな、お前欲しいのか?」
ディオ兄はお客さんに遠慮して小さな声で聞いたのに、ルトガーさんときたら地声が大きすぎる。
部屋中の人に聞こえているよ。
「ああいうのがあれば、アンジェにミルクを飲ませてやれるかなと。夜遅くや朝早くはサシャさんに授乳を頼めないから」
なるほど、アンジェのためかと言うと、ルトガーさんは、考えてやらんといけないなと呟いた。
え、おじさん、あたしを乳児院に入れろって言った人だよね?
何かあったのかしら、同じ人とは思えない、解せぬ…
あたしはディオ兄の背中で話を聞いていると、優しそうな眼鏡の紳士がディオ兄を見つめているのに気がついた。
あ、目が合った。一応、愛嬌を振りまいておくか。
*にこ、にこ、にこ~*ついでに手足もパタパタする。
あ、表情がほころんだ、あっちもにっこりしている。
あれ?ソファーから立ち上がった、こっちに来るよ。
その人はディオ兄の横に立つと、深い水色の緩い巻き毛と眼鏡をかけた灰色の瞳であたしを見つめている。ふむ、物静かなインテリという雰囲気だね。
「あ~い?」 *何ですか~?*
「坊や、可愛い赤ちゃんだね、名前は?」
「アンジェリーチェ、アンジェです」
笑顔で答えたディオ兄の顔が次の言葉で緊張が走った。
「孤児の坊やがひとりで育てているんだって?」
「―はい…」
「それは…」
「俺の許可が出ている」
その会話にルトガーさんが助け舟を出した。
「異論はあるかもしれんが、この子は一人で妹を育てる。
何かあったら俺が後見人として責任を持つし、近所の女達も手を貸す、問題は無い」
声を掛けて来たおじさんは、かぶりをふって呆れたような声でルトガーさんに言った。
「ルトガーも変わったねえ、昔は子供の世話をするような奴じゃなかった」
「うるせえな、ここで昔の話をするな」
友達なのかな、護衛をつけているような身分の人なのに随分親しそうだ。
ルトガーさんが割って入ってくれたことで、ディオ兄がほっとしているのが背中越しにわかる。
「坊や、君の妹を取り上げるつもりはないから安心しなさい。ルトガー、ティーポットじゃ飲みにくい、私が赤子用の吸い飲みがあるから用意してやろう。
坊やを心配させた詫びとして近いうちに持って来てプレゼントするよ」
「いいのかアルゼ?すまんな。ディオ良かったな」
ディオ兄は喜んで何度もその人に頭を下げ、ルトガーさんの執務室をでた。
ミルク用の吸い飲みが貰えればあたしの長い空腹もなくなる、有難い申し出を聞いてから、廃墟の家に帰った。
着いたらすぐに洗濯物を畳んでから食事の用意だ。
ディオ兄が廃墟に転がっていたレンガを使って作った竈が庭にある。
「鉄鍋は、汁物以外は使えるよ、穴は小さいから炒め物ぐらいは大丈夫」
昔の金属の鍋などはよく小さな穴が開いた、鋳鉄技術が未熟だったせいだ。昭和の日本でも、鋳掛け屋という鍋の修理の専門職がいたくらいだ。
お金に余裕が出来たらどこかで直してもらうといいね。
それまでは穴の開いていても使える料理でないと…
ディオ兄の手を綺麗に洗ってもらい、手順を説明して料理の指導の始まりだ。塩豚のブロックを切り身にして叩いて控えめに塩をふり、コショウとセージを一緒に揉みこんでもらった。
そして温まった穴開きの鉄鍋に、薄くオリーブ油を塗ってから切り身の塩豚を並べ、パンとチーズを用意した。
「うーん、いい匂い。お腹空いた」
お昼に戻ったとき焼いておいたジャガイモを、鉄鍋に押し付けて温め直し、焼き上がって残ったお肉の油に擦りつけて口に運ぶ。
豚肉の甘みのある脂のコクを、ほくほくしたジャガイモでからめとる。
香野菜とコショウの香りがお肉にしっかりついている。
こんがりと焼けたパンを鍋についた豚の脂を拭い取り、削ったチーズと一緒に頬張る。
「うまーい!アンジェも一緒に食べて欲しいよ」
『ディオ兄、塊のチーズを軽く焚火で炙ると美味しいよ』
「なるほど、やってみよう。―う、うま!」
お腹がふくれたディオ兄は満足そうに後片付けをした。
残った分の焼肉は笹の葉に包んだ。
「俺、自分の稼ぎだけで、こんなに美味しくて、お腹いっぱいになったのは初めてだよ」
そういえばダミアンさんから貰ったサツマイモは何にしようかな。
『焼き芋なら玉砂利か枯れ葉が一杯ないとできないか』
人の土地なのに、枯れ葉を焼いて火事にでもなったら困る、危ないから焚火ではしたくないな。
「玉砂利?あの小さい小石のこと?庭に一杯あるよ?何に使うの?」
『え、あるの?小さくて丸っこい石だよ?』
「うん、泥棒除けに足音がでる玉砂利を窓の下に敷き詰める家は結構多いよ。すぐそばにあるから拾って来ようか?」
ダミアンさんのために焼き芋を作るためと言ったら乗り気になってくれて、小石を一杯拾って洗って水分を拭いて乾かして貰った。
気泡のような穴が無い加熱しても割れにくい良い小石だった。
鉄鍋の大きさから中くらいの大きさの芋を3本で何とか小石に埋まるくらいで焼けそうだった。
『これを鍋の中でサツマイモを焼けた小石の中に埋めるように入れてじっくり時間をかけて加熱すると甘い焼き芋ができるよ』
「おお、できたらダミアンさんが喜ぶね」
2時間くらいかかると言ったらびっくりしたけど、ダミアンさんに喜んでもらいたくて眠むいくせに、今やりたいと言い張り、寝る前に加熱してくれた。
焼き上がった芋は、手を布でグルグルに巻いて手袋替わりにして、焼けた小石から注意して取り出した。
端っこをちょっぴり味見したディオ兄は甘さに目を丸くしていた。
今日もよく働いたディオ兄は火の始末をするともう眠気でフラフラだ。
「ちゃんとした自分の家に住めるようになりたいな…」
藁の寝床に横になると、ディオ兄と眠るまで話をした。
ディオ兄は働いてばかりだから、娯楽代わりにあたしの知っているお話をすると、とても喜んでくれた。
イメージ画像も念を込めたら彼に届いて、口を開けてびっくりしていたのが可愛くて笑えた。
今日は忙しかったね、朝の5時に起きて洗濯に出かけ、家に帰ってそれを干して、サシャさんのところに行ってから市場へ、そして掃除の仕事と市場の仕事、ご飯はゆっくりできないし、あたしのミルクを貰わないといけないし。
明日からは掃除が無いから少し余裕ができるかな。
話している最中に寝落ちした彼の寝顔を眺めながら考えた。
この子は頭がいい、バッソに来るまで何の教育も受けて無いのに不思議だ。
ディオ兄は本を何冊か持っている、旧王都の孤児院からここに逃げこんで来たとき、優しい神学生がこの廃墟に来てディオ兄に恵んでくれた。
そして、来たばかりの頃から毎夜やって来て、勉強をおしえてくれた。
最近は彼が忙しくなったのか会えなくなった、と寂しそうだ。
奇特な人もいるものだ、この世界では、浮浪者と浮浪児は犯罪者予備軍のように扱われるので、優しくしてくれる人は少ないのに。
―俺はバッソに来てから幸運に恵まれている。みんないい人ばかりだし、教会で神様に自分の家族が欲しいと祈ったら妹もできた。
早く大きくなって助け合えるようになりたいなと、思いながらあたしも眠りに落ちた。
翌日、出来上がった焼き芋一本づつを、冷めていますがと、ダミアンさんとポルトさんの二人に差し出して3人で試食会とあいなった。
「甘い!これは美味いなあ」
「変だな、俺も焼いたけどこんなに甘くならなかったのに」
そこでサツマイモはゆっくり加熱すると甘くなることを説明したところ、ダミアンさんが温魔石を買ってこれを店で売ろうと言い出した。
それは良いアイデアだ、温魔石だと同じ温度を維持できるだろう。焼き上がった芋も温かいまま食べてもらえる。
「ディオ、小石をもっと用意できるか?俺は入れ物を用意するから、お前に良さそうなものを見て欲しい。帰りに買い物に付き合ってくれ」
「それなら今日は早じまいしようぜ。ダミアン、俺が安い店を教えてやるよ」
市場を引き上げた後、ポルトさんが案内した店は古道具屋だったが、品数がとにかく豊富で焼き芋を焼くのにぴったりな金属製の箱が見つかった。
「ここは魔石の安い出物がちょくちょくあるんだよ」
ポルトさん達と珍しいものであふれる店内を見物していると、意外な人物を見つけた。
「あれ?セリオンさん?なんでそんな怪我しているの?」
カウンターのマスターと一緒にいたのは、服が破れ、血が沁みたシャツを着て、くたびれた様子のセリオンさんだった。