第74話 親友からの手紙
レナート神父は教会の庭にあるバラの花の根元に敷き藁を足していた。
今季の冬は厳しい、バラが痛まないよう気がかりだったのだ。
―このバラにあの酔いどれ天使が引っ掛かっていたっけ。
苦笑しながら思い出した神父が立ち上がり、膝についた前掛けの土を払い落としていると、ガイルが教会に入って来たのが見えた。
彼は神父を見つけると、手紙らしきものを持って挨拶をした。
「神父さん手紙が届いていたから持ってきました」
「すまないねガイル。良かったらお茶にするから一緒に飲まないかい?」
「そうですか、それならディオのところで芋のパイを買ったから、食べますか?」
「奥さんのお土産じゃないのかい?」
「他にもありますからお構いなく」
手紙の主はカラブリアの司祭ジャウマ・バルバだった。若き日の神学生の頃、一緒に勉強していた親しい友人だ。
レナート神父が中央に睨まれて不遇をかこっていたとき、何かと力になってくれたのが彼だった。
現在バッソに落ち着いたのも、カラブリアの司祭である彼が裏で計らってくれたからだ。
―手紙のやり取りで元気でいると知ってはいるが、たまにはカラブリアに直接会いに行きたいものだ。
ふたりは神父の家の食堂に入ると、よく来ているガイルは、すかさず茶の用意をし始めた。
この辺りはガイルの夜回りの持ち場でもある、そのため特にバッソでも治安の良い地域とされている。
ガイルの家も近くにあり、妻と子供も一緒に住んでいる。
「神父さん、俺がお茶を淹れるから手紙を読んでいて良いですよ」
「ありがとうガイル、お願いするよ」
いそいそと手紙を開けて神父は文面を読み始めた。
読んでしばらくして、友からの文をにこやかに読んでいたレナート神父が困り顔を作った。
神父の様子が急に変わったのを見て、ガイルが心配して手紙内容を尋ねた。
「何か悪い知らせですか?」
「いや、ハイランジア家にとっては良い知らせなんだろうが…」
―この知らせをアンジェはどう思うかな?
拝啓
レナート、懐かしき友よ。
今年の冬の寒さは君が心配するほどカラブリアでは感じないよ。
ここは大きな都で暖かいから、君もこっちの教会を担当してくれるといいのに。
だが、君にとってバッソが離れ難い土地になったと聞き、君の便りからあの荒れはてたバッソが活気を得ていることに安堵したよ。
さて、このたび筆をとったのは、かのグリマルト公爵の申し出があったからだ。
公爵閣下の采配でふたりの子供の婚礼式の提案があった。
閣下はエルハナス侯爵家とハイランジア男爵家に既に手紙を送り、王都に居合わせたアルゼ様は喜んで賛成したそうだ。
グリマルト公爵が事態を急がせているとなると決定とみていいだろう。
閣下の手紙では、ハイランジア家の小冠授与式が来年の春になるそうだから、その前に婚礼式を済ませたほうが良いだろうという話だ。
式を行うために、カラブリアかバッソで僕らも進行を確認しておこう。
何しろ赤子が主役の婚礼式なのだから、無事滞りなく進行するように気をつけなくてはね。
今度会うのを楽しみにしているよ、身体に気を付けて過ごしてくれたまえ。
敬具
いつまでも君の友 ジャウマ・バルバ
レナート・ベラスケス様
読み終わった神父は顔上げて思案した。
婚礼式なんてもっと先だろうと考えていたのだが、グリマルト公爵が采配するとは、これはもう避けられない運命だろう。
アンジェはどう思うか少々心配になった神父だった。
* * * *
セリオンさんに連れられて、神父さんに呼ばれたディオ兄とあたしは礼拝堂にやって来た。平日の今日は他の信徒はいない、最近、あたしとずっと一緒にいるメガイラさんは、屋敷にまだ働き手が少ないので付いてこなかった。
「良かった、メガイラさんは御屋敷ですね。これで込み入った話ができます」
レナート神父はそう切り出して、彼の部屋に招き入れた。
セリオンさんがそんな神父さんを不思議そうに見て言った。
「神父さん急にふたりを連れてこいって、何の話ですか?」
「どうも、当の君たちが話を聞かされていないらしいから、教えておこうと思ってね。というのは、君たちの婚約式の話だよ」
え?今なんか唐突に信じられない言葉が…
「俺とアンジェの婚約式ですか?俺は昨日、父さんから聞きました」
えー!ちょっと待って、あたし聞いて無いんですけど!!
『ディオ兄、あたし聞いて無いよ?』
「うん、赤ちゃんだから誰も言わなかったんだと思うよ。でも、そのうちはするもんだと、俺は知っていたから、別に驚かなかった。
メガイラさんから、将来、アンジェと結婚するって聞いていたし」
いや、確かにそういうことになっているけど、無理でしょう…
このまま結婚したら、ハイランジア家のためにはなるとは思えない。
あたしが渋い顔でいたらセリオンさんに言われた。
「きっとディオをハイランジア家に留めるための式だな。アルゼさんの商会は、今王都で注文が舞い込んでいるらしいぜ。
王妃様が城の中の舞踏会の部屋を鏡の間にすると言われて、かなりの大口注文になったそうだ。
それで、ディオのことも評判になっているわけさ」
セリオンさんから、ポンと肩を叩かれたディオ兄は、何を言われているのか分からずキョトンとしている。
「大きな板ガラスの製造法、アルゼさんはディオひとりの名前だけで登録したんだと。
そうすれば、友人のルトガーさんを助ける一助になると思って。
お陰で、王都でハイランジア家の入り婿のことは噂になっているそうだぞ」
まだ結婚しておらんわい!!!
「アンジェ、俺、しっかり勉強修めて頑張るから、一緒にハイランジア家とバッソを守ろうね」
*にこりんぱ!*
はあ、可愛い美少年の微笑み。和む~~~…いやいや!そうじゃなく!!
誰だ?勝手に外堀を埋めに来ているのは!
ディオ兄はテレテレしている…うう、ディオ兄可愛い。可愛いが、こっちは申し訳ない気分でいっぱいだ。
「アンジェ、もともとディオは婿入りするためにハイランジアに入っているんだ。ここは黙って婚約式に臨め、そうすればディオの虫よけになるしな」
「そうですね、うるさい貴族を除けるためにも婚約を正式に済ませるのは良いことでしょう」
神父さんまで…あたしの脳内年齢は34歳、いや今年で35歳か…
いや、申告では今年19歳と誤魔化したが…
そんなあたしにとって、こんな幼気な少年と婚礼するなんて、これはもう犯罪に手を染める気分ですよ!!
「アンジェは俺と結婚するのは気が進まないの?俺じゃ駄目なの?」
ディオ兄のウルウルしだした眼に「やばい!」と速攻で反応してしまった。
『違うよ!ディオ兄と結婚、幸せに決まってるじゃん!』
*あせあせ* 泣かないでー!
「ほんとに?」*ウルウル*
くー!可愛い、ここはひとつ泣かさないように…
『ほんと、本当!嬉しいよ。わーい!嬉しすぎで戸惑っちゃった!』
「良かった、アンジェが嫌がっているのかと思って辛かったんだよ」
そ、そんなことを…危ない…下手な事言わないようにしよう…
年頃になればいい人見つかるだろうし。
「良かったなあディオ」とセリオンさんがニヤニヤしてあたしを見下ろした。
うう、面白がっている!くそ~~~!
セリオンさんが神父さんの台所でお茶の用意を始めている。
『しかし、なんでそんな話が急に公爵様から持ち上がったのかしら?』
「それについては、ルトガーさんからちょっと聞いたんだが、どうも王都の大物が絡んでいるらしいぞ」
なんじゃそれは?誰よ?いらんことをするわねえ…
* * * *
カラブリア卿に、王都で学校に行くように言われたディオとフェーデのふたりは、春に本格的な家庭教師が来る前にそれぞれ課題が与えられた。
ふたりは、食事時にはアイリスが食事のマナーや所作などを指導して、フェーデは勉強を詰め込まれ、ディオは座学で貴族の常識を叩きこまれている。
今日は、ディオとフェーデは子供部屋でメガイラの監督の元、勉強をしていた。
アンジェのベビーベットがあるこの部屋は、メガイラがふたりの勉強をみるのに丁度良いのだ。
アンジェが良く眠っているのを確認すると、メガイラが休憩のためお茶を取りに行った。
「え?ディオもう婚約するの?正式に教会で?」
フェーデは目を見張って、友人の早すぎる婚約に驚いた。
「うん、カラブリアかバッソかまだ分からないけど、年内には婚約式をやって、正式にハイランジア家の婚約者として王様に認めてもらうんだって」
只々、驚いていたフェーデは呆れていた。
「まだ子供なのに婚約かよ…貴族って変だな。それであのディオの本当のおっかない親父さんも乗り気なのか?」
「うん、父上は賛成だって、ルトガー父さんのところに連絡があったそうだよ」
「へえ、ディオはきっと母さん似だな。あの親父さんすげえ怖くてさ。俺、こないだ、お前の親父さんに凄まれたとき、ビビッて、玉ヒュンしちゃったよ」
むうっ!と口を結んだディオがフェーデを窘めた。
「フェーデ!アンジェの前で下品な言葉を言わないで!」
「ええ?だってまだ赤ちゃんだぞ。わからないだろうが?」
「駄目!絶対ダメ!アンジェはレディーで、天使なんだからね」
―良かったアンジェは寝ていて聞いて無かった
眠っているアンジェの耳を抑えて、汗だくで顔を赤らめて抗議しているディオを見てフェーデは呆れた。
「わかった、わかった、気を付けるよ」
―妹を天使とか平気で言うなんて、ディオって本当に妹バカだ…
ディオは出来すぎな奴だから、ちょっと変態気味だがこの位は愛嬌か。
しかし、アンジェちゃんは苦労するかもな…
フェーデは将来、友人の妻になる赤子を見て、頑張れ!とエールを送った。