第71話 フェーデ君合格!
背が高く鍛え上げられた体躯のカラブリア卿が、語気を荒くして見下ろすと、大人でさえ身をすくむ程の威圧を感じる。
元来、気の強いフェーデは、視線を外さずに彼の怒号ともいえる叱責を正面から受けた。
「どうなのだ!身分をわきまえずに接しているのか?!」
子供ならなお更とんでもない恐怖を感じる筈だが、すくみ上がりそうな雰囲気のなかフェーデは勇気を振り絞って声を出した。
「す、すいません。でも、俺は、ディオを友人だから対等な関係だと思っています。だから、だから俺は、このままディオと呼ばせて頂きたいです!」
フェーデは怖さで縮こまりそうな心の中で、カラブリア卿に毒づいた。
―ディオはきっと母親似だな、男爵様のほうが絶対にディオに相応しい父親だ!こっちの親父は嫌な貴族の典型みたいな奴だな!
ディオもカラブリア卿の態度に憤慨し、フェーデを庇うようにさらに前に出て言った。
「そうです、父上。俺が頼んで彼に呼び捨てにしてもらったのです。父さんもディオと呼ぶように彼に言いました。彼は大事な友人だからです」
それを聞くとそれまで威圧的な態度でいたカラブリア卿が急に相好を崩した。
「合格だな」とにっこり笑ってフェーデの顔を見てから、ディオの頭を撫でて「お前も合格だ」と微笑んだ。
急変した態度をとったカラブリア卿に、どう反応していいか混乱する二人に彼は語った。
「ルトガーから友達ができたと聞いていた、ディオと呼んでいると。こっちが頼んだことだから、叱らないようにと話を聞いておった」
笑顔のカラブリア卿はフェーデの肩をでかしたとばかりにポンポンと叩く。
「ディオの友人と聞いてな、どんな子供か試してみようと思った。本当にすまんな、フェーデ。
お前達がどんな友人なのか知りたかったのだよ」
彼はルトガーにフェーデを試したいと伝えると、子供相手だからくれぐれも手加減するように頼まれたと話した。
ようやく安心したせいか、フェーデが憤慨しながらカラブリア卿を問い詰めた。
「ええ、じゃあ、本気で俺とディオを怒っていたわけじゃないのですか?試しただけですか?」
カラブリア卿が静かに頷いた。
「お前は度胸があるな。わしの前で言いたいことを呑んでしまう奴は何人もいたが、臆することなく反論してきた者はほんのわずかだ。
子供でそんな度胸が有ったのは、お前の他はルトガーくらいのものだ。
フェーデはディオと同じ年だそうだな」
「は、はい、今年の9月で8歳になります」
「読み書きはできるのか?計算は?誰かに勉強を習ったことはあるのか?」
「えっと、俺の父は子爵家に仕えていたので、そこの執事さんは良い人で、下働きの子でも学問はしておいた方が良いと、教会の勉強会に習いに行かせてもらえましたから」
「子爵家?そんなところに仕えていたのになんでバッソなんかに?どこの家だ?」
「スキフォーソ家です」
「ハッ!!!あいつか!噂は聞いておるぞ、お前もさぞやムカつくことがあっただろう?
ううん?フェーデどうだ?嫌な奴らだったろう?」
「いえ、大したことは…どの家でもあることですし。それに、何しろ執事のラヴィック・ライオルトさんは良い人で優しい方でした。執事さんには良くしてもらいました」
仕様人としてこの子供の家族は真面目に働いていたのだろう、仕えていた家の悪口になるようなことは、論点を外して避けようとしている。
ニヤリと微笑んだカラブリア卿はフェーデに言い聞かせた。
「お前の父は今やハイランジアの雇い人だ、あの子爵に義理を立てる必要などないぞ。
ルトガーはバッソで引きこもって社交をおろそかにしていたからな、お前の悪口でもディオの養父を助ける貴重な情報になる」
「本当ですか?」
「本当だ、どんな情報でも欲しいというやつがおるのだよ」
カラブリア卿の言葉を聞いて、フェーデは胸につかえていた子爵家の不満を一気に吐き出した。
「あの家の馬鹿息子は酷い悪戯をして使用人を虐めていました。
真冬に半地下の下男たちが寝ている寝所に水をぶちまけて布団を濡らして喜んだり、使用人が使っている井戸に馬糞を放り込んで使えなくしました!
それから、それから…」
フェーデは思い出すたびに怒りが沸き起こり、熱を帯びていつしか卿を相手に言葉を選ばずに話していた。
「俺の父は梯子で壁の修理をしているとき、あいつが梯子を引っ張ったんだ!
それで大怪我したのに、使えない使用人はいらないと言って追い出した!
未払いの賃金があるのに!それから………」
興奮し始めたフェーデは、堰を切った勢いで怒りに駆られ、次々に子爵家の内情を暴露し出した。
もはや何の義理もかける必要などないことを教えられ、腹のうちに隠していたものを全て吐き出した。
その話をカラブリア卿はニヤニヤしながらも真剣に聞いてくれた。
だんだん言いたい事を言ったフェーデが話し過ぎたかと後悔した顔をする。
「フェーデ良く話してくれた、わしもあの子爵は大嫌いだ!お前とは気が合うな。良い情報を貰った礼をやろう」
卿は自分の子供のディオの頭を撫でながら、しばし考えてから良いことを思いついたと手を打った。
「今度、家庭教師が来るそうだからお前も一緒に学べ。
そして13歳の年にディオと一緒に王都の学校に行くように。学費や生活費は全てわしが出すから心配するな」
あっけにとられているフェーデをよそにカラブリア卿は続けて言った。
「話がそれたな、それでディオはナマズの養殖をしたいのだな?よし、分った。父がなんとかしてやろう」
そういうと、卿はさっさとカメリアの城に土産にするために、干し柿と干し芋を全て買い占めると、手を振って去って行った。
「なあ、ディオ…俺なんか事態が呑み込めないのだけど…」
「俺も…王都に行くって初めて聞いたよ?…」
それまでひと言も言わずにディオを見守っていたセリオンがやっと口を開いた。
「ようするに家庭教師が来たらフェーデはみっちり勉強しろということさ。
ディオはもう合格ラインをパスしているが、マナーや行儀作法、ダンスとかが全然駄目だから特訓しないとな。もちろんフェーデもだぞ」
ディオとフェーデの顔が見る見るうちに蒼くなっていった。
「ダンス、マナー、行儀作法…みっちり勉強…」
フェーデが呻くような声を出すと、ディオもまた頭を抱えていた。
「王都なんて行きたくないよ、アンジェと別れちゃうじゃないか!」
「お前ほんとうに妹離れしろよ…」
呆れたフェーデが遠い目をして空を見上げると、お昼を告げる教会の鐘が、よどみ始めたふたりの気分を励ますように高らかに鳴り響いた。
* * * *
カラブリア卿に雇われているダリアは逡巡していた。
まさかあの幽霊屋敷に雇われることになるとは…
怖い…怖いけど仕方ないのね。あたしに選択権はないのだから。
パーシバルさんに才能が有ると言われたけど、臆病な性格はいくら鍛えても強くなることは無かった。
護衛の職を解かれたが、侍女として男爵家に入ることになった。
カラブリアの知人たちに挨拶を済ませてバッソにやって来たが、正直この屋敷には来たくなかった。
玄関前の低い階段に足を踏み入れるも、なかなか歩を進めずたたらを踏むダリアに、ざわざわと冷たい風が頬を叩いていく。
テーブルの下に潜んでいたとき、転がって来た首だけの、あの銀髪の少年の目を思い出す、歯の根が合わずにカタカタと鳴り始めた。
力の抜けた半開きの瞼とうつろな双眸があたしの顔の下に来た、その刹那、確かに見開いた目が、あたしを捉えて薄く笑った。
その時の恐怖を思い出したダリアはぶるっと大きく身震いした。
あれは夢でも幻でもなかった、あまりにも鮮明に目撃したのだ。
「どうしたんですか?ダリア」
恐怖ですくみ上がっていたダリアは、いきなり自分の名を呼ばれて心臓が飛び上がった。
「ひうっ!」
階段に掛った足がもつれそうになり、後ろ足を踏ん張って耐えた。
ダリアの目に入ったのはメガイラと彼女の胸に抱かれた赤ん坊だった。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって大丈夫ですか?」
メガイラが心配そうにそばに寄って来た。
「メガイラさん、ああアンジェリーチェ様も…今日からよろしくお願いします」
慌ててダリアが頭を下げると、メガイラも会釈で応えた。
ダリアはメガイラの腕の中にいるアンジェを見てホッとした。
メガイラは笑顔で、玄関わきの呼び鈴の紐を引っ張って高らかに鳴らし、ドアを開けた。
「あなたが来てくれて助かりましたわ。今はまだ日雇いの使用人しかいないので、お迎えに行けなくてすいませんでした」
「いえいえ、馬宿まで警邏兵の方がお迎えに来てくださって、玄関まで荷物を運んでくれて助かりました」
「部屋は私と同じで3階に用意してあります。
もうじき侍女長としてアイリス、執事としてランベルがやってくれば、徐々に召使が増えますが、それまでは住み込みの侍女はあなただけです。
下働きは日雇いの使用人がいるから安心してください」
話を聞きながらダリアはメガイラの胸にいるアンジェをちらりと眺めた。
天使のような面持ちの赤ん坊がニコニコして手を振っている。
―可愛い!アンジェ様は本当に天使のような御様子だわ。
そのとき、アンジェは思っていた。
ふむ、怖がり侍女のダリアさん、あのでっかいマホガニーの大テーブルを脳天頭突きでひっくり返したんだよね。
パニック起こしたら屋敷を破壊しそう…こ、怖い…
怒らせないように揉み手で対応しておこう…
しかし、彼女が見たという銀髪の少年とはなんだろう?