第64話 守護天使
テントの前でクイージさんがせっせとかば焼きを焼いていると、その匂いに勝てない人々がドンドン釣られてやって来た。かば焼きの香りは最強だね!
ディオ兄の店の甘い物は正月の御馳走として売れていった。
くじ引きも好評で、猫の飾り模様のおかげで子供がやりたがった。
「ディオ、そろそろ休んで飯を食え。俺が代わってやる」
「うん、ありがとうセリオンさん」
人の波がひと心地ついてホッとしていると、パパが様子を見に来てくれた。
背中のあたしとディオ兄の頭を撫でて、おつかれさんと微笑む。
「ディオ、忙しかったらしいな。大丈夫だったか?」
「メガイラさんとクイージさんが隣にいるしセリオンさんも、安心してできました」
「料理評判でした。ナマズって教えても旨けりゃいいやって意見でしたよ」
「そうか、そろそろ疲れたろう、手伝いのおばちゃん達がきたらセリオンも一緒に交代して食事休憩を取れ」
人込みの誰かに向かって、セリオンさんが急に丁寧な礼の姿勢を取ったのを見て、パパが振り返った。
「やあ、ディオ、盛況だね」
漂う甘辛いかば焼きの香りを気にする護衛のジョナスさんを連れて、アルゼさんが一冊の帳簿らしいものを持って見せた。
彼は帳簿をルトガーパパに渡して言った。
「ディオの取り分だよ、王都に銀行口座を開いたから君が管理してやってね」
「ありがとう、アルゼ。テントで何か食っていってくれ」
「もちろんそうするさ、ジョナスも楽しみにしていたんだよ。報告が済めばゆっくり味わって帰るよ」
アルゼさんはディオ兄の考えた物を王都のギルドで商品登録して、毎月お金が振り込まれるようにしてくれたそうだ。
ギルドでは特許料も取り立ててくれる、特許料を払えば他の職人達が製品化できる。
そのギルドで、特に話題になっているのがガラスの製法で、評判になってからは特許料を払って製品化する工房が続々と現れたそうだ。
アルゼさんは独占するよりも国の産業として育てて国益を考えた方が良いと思い、そうしたのだと説いた。
「分かりました、俺も賛成です。国のためになるのだったら、ハイランジア家にも貢献できますよね?」
「もちろんだよ、僕も国のために名を売りたいと思っていたんだからね。有難い弟のお陰で僕も国の役にたてるよ。
君から聞いた製法で今までない大きな板ガラスを作れるようになって、おかげで注文が殺到している。
仕上げにどうしても磨きが必要だけど、僕のガラス工房は腕の良いガラス工の磨き職人がたくさんいるから大丈夫」
「でも、俺はただ思ったことを言っただけで製法だなんて…」
「誰も思いつかなかったんだよ。みんなガラスは吹いて作ると思い込んでいた。
ガラス職人にガラス工とガラス吹き工がいるのは知っているかい?」
「いいえ、どう違うのですか?」
「ガラス工は、ガラス吹き工が作ったガラスを切断、研磨、加工して窓に取りつける。
しかし、ガラス吹きはもっときつい仕事なんだ。
大きな板ガラスを作るには、うんと長く息を吹き込める体の大きな男を雇う。
そして、限界まで息を吹き込んでから遠心力で形を整える。
体力が勝負なんだ、吹き職人は職業病として、ただれ目や肺を酷使して肺炎結核になる人が多い。
皆、痩せて倒れる者が多い過酷な仕事なんだよ。
僕はなんとか違う方法で製造できないか、あれこれ試していたら借金を抱えこんじゃって。アハハ」
鉛を溶かして冷えたら、その上に溶かしたガラス入れれば?というディオ兄の思い付きはコロンブスの卵だったんだね。
アルゼさんは片膝をつくと、ディオ兄と瞳を合わせて、両の肩を温かい手で包んで微笑んだ。
「ありがとう、ディオ。君は素晴らしい弟だよ」
アルゼさんの工房は酷い赤字を出したと聞いている。王都の売り上げなど、誤魔化せるだろうに、ちゃんと報告をしてくれた。
パパが腹黒と呼ぶのが理解できないのだが。
『とてもパパのいう腹黒男にはみえないよね』
『ほんと、誤解されやすい人なのかもしれないね…』
ディオ兄は頭にそんな感想を浮かべると、たまりかねて口を開いた。
「ルトガーさ…父さんはアルゼさんのことを腹黒って誤解しているんです」
「?」
「家のために跡継ぎを辞退するなんて、なかなか出来ないでしょ。とても腹黒な人がそんな謙虚な事できないですよ。ルト…父は誤解してます」
アルゼさんはそれを聞いてケラケラと笑った。
「いやー、でもね。当たらずとも遠からずだね。僕は自分でもそう思っているよ」
ディオ兄は、彼が謙遜していると思い、信じられないという顔をした。
アルゼさんはクスクス笑うと、まあ聞き給えと手をディオ兄の肩に置いた。
「カラブリアは海軍あがりの家系で、それはもう厳しくて、僕は堅苦しいエルハナス家より新興貴族になった方が気楽と思って、姉上に押し付けたんだよ」
今、ジョナスさんが青い顔をした気がするが、気分でも悪くなったのかな?
小声で何かアルゼさんにあたふたと伝えようとしている気がするが、彼には聞えないようだ。
「この国では革命と、その前後の戦争のため、貴族の絶対数が減って、国は民を抑えるためにもっと貴族の数を増やしたいと思っている。
それで、新興貴族が生まれやすい土壌になっているのさ。
煩い伝統のある家より、自分が大金でも稼いで家を興した方が気楽だろう?」
「そうだったんですか。それは父上や姉上は御存じなんですか?」
おい、やめろ…アルゼ…
うん?ジョナスさんが小声で何か言っている?
う!ちょっとアルゼさん、後ろを振り返った方がいいよー!
「え~、言えるわけ無いじゃないか。だから、自分のようなひ弱な男には武で名高いエルハナスを継ぐ資格はない、と悩んだふりして申し出たら、思い通りになって幸運だったよ。
残念なことにまだ男爵どころか領主にもなれないけどね。アハハハ」
「あーら、それは初耳ですわね」
「わしもじゃ、アルゼ、もっと聞かせてくれ」
場の温度がドーンと下がり、冷気を帯びた禍禍しい空気に変わった。
いつのまにか、カメリアさんとカラブリア卿がアルゼさんの背後に立っていた。
おどろおどろしくもどす黒い瘴気を纏った戦場の女神が平穏なバッソに現れた!さあどうする?
戦う!
逃げる!
▷ 泣いて許しを請う…
「ひいいいいいいぃぃー!」
「アルゼ!貴方が侯爵家を継げば、私はルトガーとハイランジア家を作っていたわ!離婚なんてしなくて済んだのよ!」
「さよう!貴様が自由にしたいためにカメリアに譲ると言ったのか!わしはてっきり姉の力量と自分を比べて辞退したと思っていた!
不憫な奴だと思っていたのに、よくもまあ親を謀りおったな!!!」
目を覆う護衛のジョナスさんの前で、怖いふたりにアルゼさんは吊るし上げをされている。
オロオロしているディオ兄の横にルトガーさんがやって来て彼の頭を撫でた。
「やっぱり俺が思った通り腹黒だったなあ、アルゼは…」
修羅場にて候…めっちゃ怒られていますアルゼさん。
大人になっても子供みたいに怒られて気の毒だが仕方ないね。南無…南無…
* * * *
アンジェロ・クストーデは東京都のT市の街の中をのんびりと物見遊山を決め込んでいた。
ここがかつて彼女の住んでいた町、家の近くに国立公園があって、彼女は生前この公園によく遊びに出掛けていた。
花見に花火大会、野鳥観察にサイクリングか、楽しそうに人生を送っていた彼女の姿がみえる。
―その人生がやがて他人によって無残に奪われた、気の毒な人だ。
公園を出た後にモノレール近くへ、町で一番大きな中央図書館だ。彼女は公園の帰りはここに寄っていた。
ほう、大きな図書館だな、ここなら彼女のためになる情報も得られそうだ。
本をペラペラとめくる、そばに数人の人間がいるが、誰も彼の存在を知らない。
アンジェロ・クストーデは、そばにいる男性に構わず近づくと、彼の体を通過して違う本を手に取った。
彼女の興味を引かなかった情報も知りたい、この世界の様々な情報を手に入れたい。
しばらく彼は貪るように本を読み、片っ端から情報を頭に入れた。
アンジェ、君の記憶は貴重な窓だ。私が知るべくもなかった異なる世界の存在を教えてくれた。
私は君の過去の記憶を使って別の世界を透視できるようになった。
礼はしないといけないから、君らに役に立ちそうな情報を探して、提供してやるからね。
君がいる限り、この君の記憶の窓から、私は自分が作った退屈な世界から外に遊びに行けるのだから。
* * * *
白亜の館の屋根の上に立った銀髪の少年が眼下を眺めていた。
楽しそうに鼻歌を唄っていたがしばらくすると独り言を口にした。
「だめだよう、アンジェったら。人々の意識を操作したら証拠を消さないと、君の身が危なくなるだろう?そういう事もちゃんと覚えないとね。今回は僕が助けてやったからね、ウフフ」
クスクス笑いながら、銀髪の少年は、白亜の館の頭上の空を見上げた。
「あの町バッソに、全員の記憶を操作して暗示のある噂を流したのに、なんでカラブリア卿の暗示が解けたのかな?…他にもいたし…」
空をみあげたままぽつりと呟いた。
「誰か邪魔した?…」
抜けるような真の青が広がる空を、その、どこまでも透き通っている青を、感慨深く見上げていた彼は、くすりと笑うと屋根から遠くを見下ろして朗々と歌い出した。
歌声はアルバの地に降り注いで沁みとおり、聴こえなくともその声は、アルバに存在する全ての命の首を、呪縛の鎖で締め上げた。
怒り狂いし人々は 憎悪の言葉を唇に
魔獣溢れし 呪いの地
武器をおのれの腸に おのれ自ら餌と投げん
かくてアルバの棄民ども 埋められもせず 散り敷きぬ
「お前たちの歌だよ」
彼はさも愉快に眼下の一群に言い捨てた。
白亜の館の周りには、這いまわる蛆のように、うぞうぞと蠢く大群衆が目的も無く集まっていた。
「ロビーナ家の奴らは皆殺しだ」
「奴らをひとり残らず吊るしてしまえ」
「恨みをはらしてやる…」
「俺たちを…生きさせろ…」
口に上る言葉は怨嗟だけ、怒声と共に決して離さない武器を、見えない敵に狂ったように振り上げるも、その眼には涙を湛えている。
少年は両手を大きく広げると空に向かって叫んだ。
「この世の地獄はここに在り!見えているんでしょ?」
彼は手を広げてクルクルと、その場を回ると、だんだん薄い影となり、ゆらりと歪んで消えた。
その場の、クスクスと笑う声が遠ざかり、救いを待ち続ける人々がアルバに残された。
これにて2章が終わりました。
文中の「生きさせろ」はプロレタリア作家の雨宮処凛さんの有名なタイトルです。
これを読んだとき、何て素晴らしいタイトルと、惹きつけられて本文を読みました。
次回の3章は一ヶ月の休みの後に再開したいと思っています。
いつも読んで頂いている方には申し訳ありませんが、忙しいこともあり、お許しください。
これからもよろしくお願いします。 ('ω')ノ 薫風丸