第61話 お節介な妖精さん
パパに抱っこされたまま寝たふりをして皆の様子に気を配る。
ディオ兄は実父のカラブリア卿と席を並べて、話をしながらナマズのパイ包みを美味しそうに食べている。
食が進む人たちに、セリオンさんがディオ兄の販売している薬草茶だと説明しながら給仕してまわっている。
『なかなか様になってきたね、セリオンさん』
『お、そうか?覚えることが多くて大変だけど、俺も頑張るぜ』
スレイさんがパーシバルさんからお説教を聞かされている席に、セリオンさんがお茶を淹れに行くとスレイさんに声を掛けた。
「あんた、ナマズだとわざと伝えなかっただろう?」
「アハハ、バレた?」
一瞬で顔色を変えたパーシバルさんを無視して二人は話を続ける。
スレイさんはお説教の間食べそこなっていた料理を口に運んだ。
「ディオのため?それともカラブリア卿のため?」
「うん、両方かな。よそよそしい関係で、歯がゆいと思ってさ」
食べる手を少しも止めずにスレイさんは、話を続けた。
「旦那様は、結婚して辞めた使用人の婆さんが、夫と死別して独りで困っていると聞いて領地に呼び寄せて使用人のための家に住まわせてやったのさ。
そんな人だもの、坊ちゃまの苦労を知っているから、絶対食べて貰えると思ったんだよ」
なるほどと聞いていたセリオンさんとは違い、パーシバルさんは、主人にキチンと伝達しなかった事をやんわりと叱ったが、ふたりを思っての行動は褒めた。
セリオンさんは礼を言ってテーブルを離れた、彼のお陰でディオ兄は卿と間のわだかまりが消えたのだから。
心配していた料理だったが、メガイラさんとクイージさんも食事を始めて、どんどん無くなっていった。
皆にデザートを出す頃に、カラブリア卿が御付きの人達に話した。
「家から男爵家に使用人を出すことにした、ランベルとダリア、後は…」
パーシバルさんの進言がすかさず入った。
「旦那様、スレイをお薦めします。こいつなら馬の世話もできます」
「嬉しいです!坊ちゃまと一緒なら美味い物にありつけますから。市場の賄いも旨かったですし、俺のバッソのお使いの楽しみになっていましたから」
スレイさんの言葉に推薦したパーシバルさんが焦り始めた。
「お、お前、坊ちゃまの警護に市場に行かせたとき、坊ちゃまの料理をお相伴にあずかっていたのか?」
「へへ、役得でした」
呆れたカラブリア卿が何か言う前に、そばを通ったディオ兄が鶴の一声で応えた。
「父上、スレイさんはすごく楽しいひとで、俺も来てくれたら嬉しいです」
そう言うとカラブリア卿に良いですよねと期待の目で見つめた。
これには卿も応えるしかなかった。
ルトガーパパは膨れ上がる使用人に及び腰だったが、ディオ兄のために腕に覚えがある使用人で固めて欲しいという卿の願いを聞きいれて、雇用を受け入れたらしい。
ダリアさんは、満面の笑みでべそをかくという実に器用な挨拶をルトガーさん達にしていた。
『なんだか、どんどん人が入って来て、あたしのことバレないかすごく不安だわ』
「俺らが頑張るしかないな…ディオ」
「うん、もしものときは皆で一緒に逃げようね」
試食会が終わり、カラブリア卿がお帰りになる時間になった。
「ディオ、今度来るときは手土産も持ってくると言ったのに、遅くなってしまった。
本と、それからこの絵を、この人はお前の母のデルフィーナだ」
差し出された綺麗な額に収まっている肖像画の女性は、ディオ兄と面差しの似た若く優しそうな美人だった。
彼と同じ穏やかなアイスブルーの瞳をこちらに向け微笑している。
腕の中から見上げるディオ兄の顔は何かこらえるかのような表情を浮かべていたが、絵を胸に抱えるとしゃんと背筋を正して礼を言った。
「有難うございます、どんなひとなのか知りたいと思っていました。大事に飾ります」
「気づいているだろうが、わしはお前をディオと呼ぶことにした。
バッソに来た頃のお前のことはルトガー達から聞いた、オドオドして隠れるように生活していたと。
しかし、今のお前はとてもそのようにみえない。人というものは、ただ年齢を重ねても成長できるものでは無い。
お前は自身の力で成長したのだろう、わしはお前の今を尊重する。
ルトガーと話し合い、紋章院の記録を改めてもらい、ハイランジア家の養子であるお前の正式な名前は、デスティーノ・ハイランジア・エルハナス、7歳だ。
実母は無記だが、実父はわし、サルバトーレ・エルハナスと記録した。
人攫いの残党がまだいるのだ、お前が生きていることは知られない方がよい。
ルトガーの言うことをよく聞いて、くれぐれも注意して過ごせ」
ディオ兄はお母さんの肖像画を胸に、真剣に耳を傾けこくりと頷いた。
「良かったな、ディオ。それにこっちの本アンジェが好きそうだ。お姫様が結婚を迫って来た魔王を騙して魔界に君臨する話、こういうの好きだろう?」
おお!どストライクですよ!!王子様の陰に隠れて、あなた任せなんて生き方好きじゃないですから。
「あ~い、きゃいあー」
「こ、こんなもの読んでいたらアンジェの性格に問題が出てくるのでは?」
「父上が持っていらしたのですよ?」
―ああ、カメリアの性格を忘れていた…あいつの好みか…
「こっちは…魔法石と魔法陣の研究書だな。ディオが勉強したいと言っていたやつだ、良かったな。こういう本は高いし、この辺りで売ってないから、なかなか手に入らないぞ」
「本当だ!有難うございます父上!」
「そうか、欲しかったのか?気に入ってくれて良かった」
門の外にカラブリア卿を迎えに来た馬車が横付けされていた。
あたしはメガイラさんに抱かれてお見送りだ。ディオ兄はお土産の干し柿のブランデー漬けを渡していた。
カラブリア卿とふたりで名残惜しさを隠して別れの挨拶をしている。
―ディオ兄、ちょっぴりお節介をさせてもらうね。
チョンと彼の背中を押すと、小さなディオ兄の体は、ぽふんと軽い音を立てて、外套を着こんだガッシリと鍛えられた父親のお腹に顔を埋めてしまった。
カラブリア卿は驚くも、両手で彼の頭と肩をしっかり抱き寄せて言った。
「また来る、これからはしっかりお前の成長を見ているからな」
木枯らしが笛のような音を吹き散らす庭を、二人は胸のうちの温もりを覚えて晴れ晴れとした笑顔で別れた。
メガイラさんとクイージさん達とお片付けのお手伝いをした後、暖炉の前でセリオンさんとディオ兄、就寝前のミルクを飲んでいた。
「アンジェ、さっき俺の背中押したでしょ?」
『違うよ、あたしじゃないよ。きっと背中押蔵さんだよ』
「なんだそりゃ?人の名前か?」とセリオンさんが首をひねる。
『勇気が必要な時しゃしゃり出てくる、人の背中を押す妖精さんよ』
前世で友達とやっていた麻雀のとき、勝負を降りなきゃいけない、そんなときに決まって降臨するのが背中押蔵さんという質の悪い妖精だった。
(ここで危険回避したら勝てないよ、勝負しようよ)と押蔵さんは、あたしの背中に張り付いて、常に根拠のない自信と勇気をそそのかしていた。
「背中押蔵さんリーチ!」「それだ!ロン!」「ぎゃー!」という具合だ。
あたしの前世で、余計な時にそそのかす妖精さんだったが、今日のディオ兄に降臨したのは、お父さんとの間を取り持つ勇気押蔵さんだったのだよ。
「やっぱり、アンジェじゃないかあ」
『違うもーん、妖精さんだもーん♪』
いつの間にかホットミルクのなかにラム酒を入れた、セリオンさんがケラケラと笑い声をあげた。
* * * *
メガイラさんは子育ての経験者で安心して身を任すことが出来た。
今までディオ兄がやっていたあたしの世話はみんな彼女の仕事になった。
ディオ兄にひっついている時間が少なくなって、一緒にいる時間も少なくなってきた。
すると、ディオ兄が最近、面白くなさそうにしているが目に付くようになった。
「俺の妹なのにお世話を全部とられちゃった…」
ディオ兄の兄馬鹿が進んでいる、将来がちょっと心配になるので、この際妹離れをしてもらおう。
そう思っていたらメガイラさんがディオ兄を元気づけてくれた。
「坊ちゃま、今は妹とはいえ、アンジェ様は女の子、お世話は婆にお任せください。
それに、いずれは結婚する婚約者なのですから、そのうちずっと長い時間をお二人で暮らせますからね」
「え?俺とアンジェ…結婚するの?」
「まさか御存じなかったのですか?坊ちゃまはそれでハイランジア家に養子に入ったと聞いていますが」
「あ…なんか実感わいてなかったです…」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔だ、思いもしなかった事態だったらしい。
『大きくなった後で、あたしじゃ嫌だって言えばいいのよ。ディオ兄だったら、他にいっぱい素敵な女の子が群がって来るから大丈夫よ』
「俺は他の女の子よりアンジェが良い!」
いきなり大声を出して、メガイラさんが目をパチクリしてディオ兄を見た。
出した声の大きさにディオ兄も我ながら戸惑っている。
「それはよう御座いました。ならばハイランジア家も安泰ですわね」
「お、俺は市場の出店の用意をしてくるね。メガイラさんアンジェをよろしくお願いします。アンジェまたね」
そう言って踵を返したディオ兄は慌てて出て行った。
セリオンさんが付いて行く、子供のときに結婚相手を決めてしまうのは貴族によくあるらしい。
ディオ兄は他の子供との付き合いが苦手なようだから、今はきっと考えたくも無いのだろう。
大丈夫、きっとディオ兄のお似合いのお嬢さんが見つかるよ。
* * * *
足早に階下に降りて、玄関ホールでぴたっと足を止めたディオに、セリオンが聞いた。
「おい、どうしたんだディオ?」
ディオは耳まで赤くした顔で下を向いたままぼそりと呟いた。
「ねえ。セリオンさん。俺…アンジェと本当に結婚するの?」
「ああ、ルトガーさんはお前をバッソに留めるために、紋章院に婚約者として養子にしたと報告したんだからな」
赤い顔でぼうっとしているディオをセリオンが励ました。
「将来は好きにして良いんだぞ。別に他の女と「アンジェが良い」…」
顔を益々赤くしながらディオはもう一度言い切った。
「俺はアンジェが良い、アンジェとならば結婚する」
ディオはアンジェを見てくれは赤子でも、自分を支えてくれる等しい関係だと思っている。
その日から、妹でありながらも、また別の存在でもあるのだと彼は自覚した。
うう、また長くなってしまいました。長くてごめんなさい。