第60話 男爵家の人事相談
緊張しているメガイラさんが、赤ちゃん籠からあたしを抱き上げようとした手を止めて、ディオ兄とカラブリア卿を、固唾をのんで見つめている。
冷や汗をかいたまま動けなくなっているカラブリア卿を見て、おせっかいで口に放り込み、「美味い」と言わせちゃうか、とも考えたが、やめた。
ここで余計なことをして、真実でない行動をさせてもこんがらがるし、ディオ兄をがっかりさせるだけだ。
心配顔のクイージさんが何か言う前に、その気まずい空気を破ったのはスレイさんだった。
彼は皿を持って「坊ちゃま」とディオ兄に親し気に近寄り、上司のパーシバルさんに窘められる前に、揚々とした様子で語り掛けた。
「この間の芋のケーキ、カラ芋でしょ?あの芋は荒地でも栽培できるから、飢饉用に俺の故郷ではいつも育てています。
でもね、大して旨くないから家畜の餌なんですよ。それが、坊ちゃんが作るとあんなに美味いんだから。
俺は砂糖が入ってないって聞いてびっくりしました。
旦那様、坊ちゃんが作ってくれた物ですから、間違いないですよ。
お預けは辛いので、もうお先に頂いて良いですか?」
さつま芋ってこっちではカラ芋っていうのか…
スレイさんは笑顔をディオ兄に向けると、「さあ、食うぞ」と言ってドンドン料理を皿に乗せ出した。
先程の、張りのある声のパーシバルさんとスレイさんのやり取りは、小声でもディオ兄に全て聞こえていた。
スレイさんが呑気な声でうまいうまいと食べ始めると、彼はほっと安堵した。
飢餓感から何でも食べたディオ兄と、父親でも違う常識で暮らすカラブリア卿とは、もはや埋められない溝があるのだろう。
ディオ兄が貴族の父親に、ナマズ料理を強く勧めるのは酷かもしれない。
ルトガーさん達は何のためらいも無く料理をドンドン選んでテーブルについた。
吹っ切れた顔でディオ兄はカラブリア卿に振り返った。ああ、もう卿が食べてくれなくても良いと判断したんだ…
「父上、無理をしないで下さい。俺が別の物を持って来ます。あ、豚は貴族の方は駄目ですよね。それじゃ鳥をクイージさんに「いや!食す!」え?」
「お前がバッソの領民のために工夫して作ったものだろう?わしは食うぞ!」
そう言うとカラブリア卿は、マナーを無視してその場で立ったままガバッと、ナマズフライのタルタルソースがけを口の中に放り込んだ。
目をつぶって咀嚼して飲み込むと、かっと目を見開いた卿は、息を呑んでその様を見ていたディオ兄に一気に言葉を吐き出した。
「わしは、戦時食料が少ない中、下層民が食うナマズを好奇心で食ったことがある。
それは、二度と食うまいと誓うほどの臭さであった」
ディオ兄はそれを聞いて小さくなってシュンと項垂れてしまった。
『ディオ兄、顔を上げなよ。パパは喜んでいるみたいだよ?』
えっ!と、頭を起こした彼の目に飛び込んだのは、カラブリア卿の満面の笑顔だった。
「でかした、ディオ!あんなに臭い魚をこれ程美味い味に仕上げるとは!本当に感心したぞ!
おい!パーシバルもダリアも食え!スレイ…はお代わりか…」
「父上、匂いは?無理してないですか?」
「まったく臭くないぞ!とてもうまい。これなら領民も喜んでくれるだろう」
「良かった、父上がそう言って下さると自信を持って勧められます」
卿の言葉にディオ兄はとても喜んでぺこりと頭を下げると、従者のスレイさんが食べまくっている横で、楽しそうに説明しながらあれこれと勧めた。
「ディ、ディオ。わしにも料理の説明して貰えるかな?」
「はい、父上」
良かったね、ディオ兄。パパとちょっと距離が近づいて。
始めの印象よりもディオ兄のことを深く思っているように察せられる。
パーシバルさんとダリアさんも少しずつ取り分けて、味がわかると急に表情を変えて、うんうんと頷きながら食べている。
ルトガーさんとガイルさんの豪快な食べ方も目を引いた。
「はあー!美味いなあ。この白身魚のフライというのは、この上にかかっている酸味とコクがあるタルタルソースも美味い。
このさつま揚げっていうのは串にさせば出店で出せるな」
「本当に、ディオが考えたパン粉というのはサクサクした食感が良いですね。
おっと、ディオ様でした。いかんなあ、つい出てしまう」
「お前は俺の身内みたいなもんだ、構わんよ」
「そうは行かないでしょう…」
食卓の隣に座っているルトガーさんの言葉にガイルさんが苦笑した。
「すまんが邪魔するぞ、話したいことがあるのでな」
白身魚バーガーを乗せた皿を持ってカラブリア卿がふたりの向かいに座った。
あたし達の話をするのだろう、これは良く聞いておいた方がいいかな。
以前のように、子供だからと言って勝手に話を進められては腹がたつからね。
メガイラさんの腕に抱かれて、あたしは意識を集中した。
「ルトガー、バッソから使用人を雇うなら、ふたりの事を良く知る者を優先的に雇い入れて囲い込んでしまえ。
今までは気にもされなかったバッソだが、二つの王家の血筋を受け継ぐハイランジア家の跡継ぎが出来た以上、否が応でも注目を浴びるに違いない。
テスタニア王妃を通じてリゾドラート王国にも跡継ぎの話が伝わっている。
早いうちに男爵家としての体裁を整えねばならん。
ディオとアンジェが成人するまでの上級使用人の賃金はわしが持つ。お前はそれまでにバッソの経済状態を改善するように努力しろ」
「分かりました、申し訳ありませんがお借りします。乳母は既に雇っておりますが、他にどの位の人数を雇えばいいか…」
「その相談はわしの執事のランベルとカメリアの元侍女長のアイリスが相談にのるだろう。ふたり共新年からこちらで務めることにしてもらった」
「な!あのふたりを雇ったらとんでもない金額でしょうが…クイージもまだ正式な契約をしておりませんが、高給取りを3人…返済の目途がつきません」
「馬鹿者、返済不要だ!わしが持つと言っているではないか。
ランベルとアイリスは数年で退職の身だ、教育係としてお前の処の若い者を今からみっちり教え込ませる。
手始めに、ランベルにはお前の処のセリオンを、主人付きの従者に仕込むよう伝えておいた。
筋が良いようなら執事候補として、補佐にすえて知識を叩きこむように言った。
あの男ならディオも安心できるだろう。
アイリスはバッソに来てもカメリアの配下、賃金はカメリアが持つ。
それにクイージは無報酬で良いからお前の処にいたいと言っておる。
お前が、他の家の晩餐会を請け負うのを許可すれば勝手に稼ぐそうだ。
あいつを雇ったら最低でも年1000万スーは必要だからな、ハイランジア家はラッキーだぞ」
うわ!スーの貨幣価値は円と同じようだから、1000万円かい!
クイージさん本当に高給取りなんだ…びっくり。
いやそれよりセリオンさんだ!
貴族の使用人の使用期間は職によって違う、従僕や護衛は容姿が重要なので、せいぜい10年から15年程で使用期間が終わる。
だがその上の従者、それも主人付きに格上げされれば、仕える期間がうんと延びる、執事ともなれば50年から60年は屋敷で働ける。
上級貴族の執事は日本円で1000万くらいの高給取りだったそうだから凄い!
なのに、衣食住は全て雇い主持ちで無税!
しかもメイド付き!それも賃金は主人持ち!部屋は使用人のためのパーティーが開ける広さ!
頑張れセリオンさん!目指せよ執事!!下男から成り上がって執事になり、退職後は高級ホテルの主人になった人だっているのだから!!!
「それで、カメリアに聞いたが、息子が王都から帰って来ないそうだな」
「はあ、俺を避けて帰らずにタウンハウスに籠ったまま…」
「いきなり妹がいると聞いてかなり動揺していたらしいからな」
「難しい年頃に可哀そうなことをしたと思っています」
難しい年頃?子供の話…ということは…あたしの兄になるのか。
これはよく聞いておかねばと耳をそばだてるが、急に聞こえが悪くなった。
「それで…来年…になるな」
「そうですね、男爵家として………ですから」
「違う…王都で…だ………ではないか」
「ああ!しまった、確かに………がある…」
「………貴族が全て……気を付けろ…」
あれ?聞こえない?なんで?あ!気が付いたら目の前にメガイラさんが覗き込んで何か言っている。
「お嬢様は本当に大人しいですわね。あたくしが来てから一度も泣いたことがないのですから、本当にお利口さんですわ」
メガイラさんが抱き上げて話しかけていたのだった。話しかけられると音声が切れるのか。
うむむ、パパさん達が何を話すか気になったのに…残念!
「あう~ぱーぱ、ぱーぱ」
「あらあら、パパのところに行きたいのですね?分かりましたよ。ルトガー様、お嬢様がお探しですよ」
メガイラさんがすぐにルトガーパパのところに連れて行ってくれた。
「おお、アンジェはパパが大好きだなー!可愛いなあ、もう」
デレデレしてあたしに頬擦りするルトガーさんをガイルさんとカラブリア卿が引き気味にみているが、本人は全然気にしていない。
「わしはカメリアにこんなふうに接したことは無かったな…」
「はい?何とおっしゃいましたか?カラブリア卿」
記憶をたどるようにぼんやりと独り言を呟いた卿は、パパのひと言で現実に連れ戻された。
「あ、いや何でも無いのだ。ルトガー頑張れよ」
「はい、有難うございます」
あ、話が終わったみたい、残念。だけど、来年は男爵家として何かあるらしい。でも、なんで王都なんだろう?
まあ、どっちにしろ赤ちゃんのあたしには関係ないわね。