第59話 食わず嫌いは許さない
ハイランジア城に、今も滞在しているカラブリア卿は、居たたまれない気持ちで客分としての日々を過ごしていた。
バッソに行ってディオに会いたいが、会う度胸がないという実に割り切れない
気分を抱えていた。
朝食の席でぼうっとする彼を、娘のカメリアが堪りかねて励ました。
「お父様、ここにいるより、ディオのところへ尋ねたらどうですか?ディオは年越しと新年の祭をひとりで商売をするそうですわよ」
「え?あの子は男爵家に入ったのにまだ商売をする気なのか?」
「そういうことは私に聞かずに、本人にお聞きあそばせ」
そういうと彼女はカラブリア卿に数冊の本を持たせた。
「ディオは本好きですから土産にこれらを持って行けば喜びますわよ。
それに今夜はルトガーとガイルを招待して、ディオが考えて作った料理が出るのですって。
バッソの領民に広める前に試食して欲しいそうですわ。
川魚の料理がメインだそうですから、海産物に慣れたお父様の意見も参考になるではないですか?」
娘に背中を押されて、カラブリア卿もこれで用意した土産を本と一緒にやっと渡せると、ディオを訪ねる勇気が出た。
* * * *
今夜はルトガーさんとガイルさんを招待しての気楽な夕飯の筈だった。
招待したのはふたりだけだったのに、ディオ兄の実父のカラブリア卿が自分も参加するとねじ込んできた。
スレイさんがやって来て、いきなり今夜尋ねると言って来たのだ。
ディオ兄が作るもので、バッソの川魚の料理だからお口に合いませんよと伝えたのだが、カラブリア卿がとにかく来たいので、と断ることができなかった。
「わざわざナマズの名前を出したのに来るというなら断れんだろう」
ルトガーさんはそう言って、好きにさせてやれと言った。
クイージさんとディオ兄は慌てて人数分を増やすことにした。
メガイラさんも背中にあたしを背負いながらお手伝いをしてくれて、なんとか間に合わせることができた。
ルトガーさん達だけなら気楽に夕飯を出せたのだが、貴族さんが来るとなると、その御付きのひとを無視する分けにいかないじゃないの。
一挙に人数が増えるじゃん!まったく…
「こ、こんな物を出してと怒りださないかな…?おまけに庶民しかやらない立食形式だし、心配になってきた」
貴族の家では家族だけの食卓でも、晩は客にも使う格式ある食堂で必ず正装に着替えて食べる。
朝と昼の家族用の食堂とはきっちりと区別している。
他貴族を招く晩餐会は、貴族にとって家の格式が探られる気の抜けない行事でもある。
ただの夜会よりもしばしばする晩餐会のほうが、その家の内情を評価する材料になるからなのだ。
ディオ兄は習ったばかりの貴族の常識が頭にあって、ひたすら緊張していた。
「そんな習慣の人が家に来て俺の考えた物を食べるなんて…」
セリオンさんがディオ兄の前に屈み目線を合わせて言った。
「カラブリア卿はディオが夕飯を作るからゴリ押しをかけたと思うぞ。行儀をわきまえていないのは、向こうだって承知の上だ。
ルトガーさんも一緒だから安心しろ」
メガイラさんとクイージさんも手を忙しく動かしながら、ディオ兄を励ましている。
「坊ちゃま、本日はバッソのために坊ちゃまが考えた料理を披露する場ですよ。言わば庶民のための料理、大丈夫ですよ」
「そうじゃよ、坊。カラブリア卿は確かに貴族の矜持に煩い方だが、わきまえることは御存じな方じゃよ」
ディオ兄の背中をぽてぽてと叩いて気合を入れて、あたしも激励した。
『食べて美味しいならきっと上手く行くよ』
「うん、美味しいって言って貰えるといいな」
セリオンさんに頭をぐりぐり撫でられて、やっとディオ兄の度胸も据わったようだ。
「ディオ、ルトガーさんの呼び方、そろそろ改めとけよ。男爵家としての体裁が整ったら、俺もディオなんて呼べなくなるし」
「そんなあ」
ディオ兄が情けない声をあげると、セリオンさんは頭を撫でて問うた。
「ディオは男爵家の子供になったら俺と兄弟の縁を切るのか?」
ぶんぶん頭を振ってディオ兄が否定すると、笑顔でまた撫でた。
「アンジェもお前も、身分は違うが俺の妹と弟だ。このバッソで生きる限り、俺たちは一緒にいられる。
ルトガーさんを助けてハイランジア家の名を挙げてくれよ」
「うん、わかった…」
今にも泣きそうな顔でこくりとディオ兄が頷いてセリオンさんに抱きついた。
セリオンさんは元気を出せよと笑ってあたし達を抱きしめた。
そうか…本格的に男爵家としてスタートしたら、クイージさんとセリオンさんが、同じ食卓に同席することはもう無いのかもしれない、と思うとちょっと寂しいな。
そうして慌てふためく中で何とか試食会の準備が終わった。
まだ飾りの無い食堂には以前カラブリア卿の侍女のダリアさんが脳天頭突きをしたマホガニー製の長テーブルが据えられた。
これをひっくり返したってどんな怪力なのよ。
もしかして、彼女の額で頭突き喰らったら粉砕骨折しちゃうのでは…
…ダリア…恐ろしい子…
「今夜は試食会にお集まり頂き有難うございます。同じ魚でいろいろ作りましたので、お味の感想は正直にお話しください」
ディオ兄がペコリと頭を下げたとき、カラブリア卿の戸惑った顔が印象的だった。
息子の姿を眼で追って、声を掛けたいけど掛けられなくて溜息をつく姿は、どこぞの乙女のようでこっちが歯がゆくて堪らない。
御貴族様では面食らうビッフェ形式の試食会が始まった。
クイージさんは、ディオ兄の作ったものを皆に食べて欲しいからと、やり方に囚われない方式に賛成してくれた。
クイージさんとメガイラさんが、お客さんの料理を取り分ける手伝いをしてメニューの説明をしている。
本日のメニューは白身魚のフライのタルタルソースがけ、白身魚と根野菜の甘酢あんかけ、白身魚バーガー、白身魚とキノコのパイ包み焼き、白身魚の団子と野菜のシチューという白身魚づくし!!
口直しの酢漬け野菜と干し柿も出した、パンはかってに食べて下さい!
デザートは焼き芋を裏ごししたクリーム状の物を、ミニタルトの上にこんもり乗せて卵黄を塗って焼いた物。
同じタルト生地の上に、スポンジケーキの欠片と、ヨーグルトを布に入れて一日がかりで水分を抜いたクリームの上に、芋クリームをモンブラン風に絞り出したケーキの2種類作った。
ヨーグルトは水分を抜いてしまうと酸っぱみが抜けて、濃厚で固めの生クリームのようになるのだ。
あたしは、生前、これが好きでよく食べたのよ。
抜いた水分もハチミツを入れて飲料として美味しく飲んでいた。
メニューが少し偏っているが、今日はバッソのために、この魚を知ってもらうためだから勘弁してもらおう。
好きな物を好きなだけ取って席に戻って食べると聞いて、カラブリア卿の人達は少々驚いたが、ディオ兄が考えたと言ったら問題なく受け入れてくれた。
カラブリア卿の存在を、始めは気にしていた御付きの人達も、いつしかどの料理を皿に取るか迷いに迷っている。
「ディオ、そのすまん…」カラブリア卿がディオ兄のそばに来ていた。
「カラブリア卿?どうしたのですか?」
カラブリア卿の肩がシュンと下がると、パーシバルさんが慰めるような視線を投げた。
察しの良いディオ兄は自分の失敗にすぐ気がついた。
「すいません父上と言わなきゃいけないのに、失礼しました」
そう言うとカラブリア卿はたちまち機嫌が直り、明るい笑顔になった。
「今日は大勢で直前に来てすまなかった。男爵家はまだ十分な使用人がいないというが頭になかったのだ」
「いえ、一般の人でも嫌がるナマズの試食会に、父上が参加して頂けるなんて嬉しいです」
「ナマズ?」
「はい、ナマズです。耕作地が少なく地産食料が少ないバッソにたくさんいるのに、誰も食べていなかったので、工夫して食べられるように考えたのです」
「………」
うあー、これは魚の試食会がナマズとは知らなかったのね。
卿の笑顔がひくついているよ、どういう魚か知っているのか。
その様子を見ていたパーシバルさんは慌てふためき、スレイさんに問うた。
「おい!スレイ!お前、試食会は川魚と言ったよな?」
「はい、パーシバルさん、川魚です」
「ナマズなんて聞いて無いぞ!カラブリア卿にあんな魚を召し上がらせる気か!」
「ああ、そうナマズ。名前忘れたので川魚とお伝えしたんです。俺、島育ちで淡水魚は全然知らなかったから」
「………」
アハハと頭を掻いているスレイさんの言葉に、我が子の作ったナマズ料理の前で絶句して動かない主人を見てパーシバルさんは頭を抱えた。
卿は手に取った皿の料理をプルプルと震える手で見つめている。
―戦時中、わしは好奇心から、飢えた下民が煮たナマズを食うのを見て、銅貨をやって一切れ分けてもらい食った。
口に入れた途端、すぐに吐き出した、二度と食うまいと誓うほどの泥臭さと、あの独特の臭さ!口の中で感じた気味の悪い皮のぬめり!
吐き出しただけでは無く、胃液迄上がって来た!これは…あのときと同じ…ナマズだというのか!?!
どうにも逃げ場のない状況に追い込まれたカラブリア卿の額に冷や汗が浮いている。
不味いなあ、ディオ兄が食料自給率の低いバッソのために考えたナマズ料理、貴族の貴方にとってはゲテモノでしょうね。
うーん、頑張って父親として根性を出してディオ兄の信頼を勝ち取って下さい。
申し訳ありませんが、次の土曜日に更新が遅れます。
すいません( ;∀;)