第57話 アンジェロ・クストーデ
今日は日曜、ここは礼拝の人達は既に帰った後の教会である。
あたしは、神父さんが赤ちゃん連れの信者さんに貸し出している、籠の中に収まっている。
セリオンさんは朝から何だか機嫌が悪い、八つ当たりはしないけど、怪しい独り言ばかり呟いている。
「今日は何だかセリオンさんがおかしいね?顔も赤いし熱かな?」
『病気にしては元気があり過ぎるかな?それにしても、変な言葉を…うん?』
「くっそー!あいつどうやって俺の寝床へ!」とか…
「幾ら綺麗でも男は嫌だ」とか…うん?何ですと?
「あの優男!あんなこと!…俺に…しやがって」
ちょっと!その「…」は何ですかぁー-!!
おお!脳内イメージ下さい!!!あれ?見えない…
ええい!口惜しい!相手の嫌がるものは覗けないんだったー!!
面白そうなのに!ちくせう!!
「おい…」
はい?いつの間にか、セリオンさんがアップで見つめていた。
「今、俺の意識を探ろうとしたろう…」
知らんぷりして横を向いたら、セリオンさんの手でほっぺを掴まれ、ぐりんと顔を戻された。
「俺は今日機嫌が悪い、気を付けろよ」
今日は冷え込みが激しいですねー、なんか寒くなって来たよ…
よし、話題を変えよう!
『セリオンさん、もしかして綺麗な男の人に屋敷で夜這いかけられた?』
途端に、彼の顔が見る見るうちに赤面した。おお!当たりなのか?
『男前だもんねえ、狙う人もいるかもとは思っていたけど、まさか男とは』
「ち、違うわい!頬にキスされただけだ!」
『何だ、それだけか…何処のネンネよ。まったくもう』
俺は嫌だったんだと、真っ赤になってセリオンさんが言い訳している。
こら!恥かしまぎれにあたしの頬っぺた、グリグリするな!!
「それより誰にそんなことされたの?」
ディオ兄の冷静な声に、はっとしたセリオンさんはやっと事情を吐いた。
「お前らが言っていた、アンジェロ・クストーデ!昨日の深夜、俺の寝ているところに出たんだよ。祝福を与えてやるとか言ってさ」
セリオンさんは、まだ頬の赤みも引かぬまま、またその時のことを思い出したか、不機嫌そうに口を引き結んだ。
ディオ兄と顔を見合わせて驚いた。彼には、最近、あたし達はまったく接触が無いのだ。
ディオ兄のときは毎日のようにやって来たのに、あたしが来た途端に彼の来訪は無くなって、あたしも会ったのは一度きりだ。
『何でセリオンさんのところに?それにどうやって真夜中に?』
「わからんが、俺は頭がはっきりしているのに、全く抗えなかったことだ。
あいつ只の神学生じゃないぞ。と言うより、あいつなんだか影が薄いよな?」
ディオ兄が彼との出会いを思い出しながら話した。
「俺も疑問に思っていたんだ。あの人いつも真っ暗な夜しか来ないし、なんだか普通の人と違って、そこには居ないような…幻と話しているみたいな…」
ディオ兄まで変な事をいう、やめて怖がりだって知っているでしょう?
『こ、怖いこと言わないでよ。何言うのよ、ふたり共…』
「だって、ここさあ、飢餓革命のとき神学生達が殺された屋敷だろう?それはもう酷い殺され方でさあ、やっぱり幽霊…痛っ!ぐはっ!!」
それ以上、聞きたくなくてセリオンさんの額に強烈なデコピンしまくって黙らせてしまった。
あ、白目をむいている……いや!あたしを怖がらせる君が悪い!
「アンジェったら、やりすぎ。セリオンさんしっかりして!」
知らないもーん!意地悪した人が悪いんだもーん!
やがて、セリオンさんがディオ兄の護身のための訓練を、教会の敷地でやり始めたため、レナート神父さんの体に袈裟懸けにした布の中に拘束されてしまった。
そしてお説教である、最近あたしがやらかした様々な件について怒られてしまった。
神父さんは、教会の神像や、聖書を乗せて読むための書台であるレクターンを、せっせと掃除しながらお説教している。
そんなに忙しいならお説教はやめましょうよ…
「悪い子ですねえ…むやみに大人をからかってはいけませんよ」
『どうせ、親だって捨てたくらいの悪い子ですよー』
ブイブイと、何処の子ブタですかとばかりに、ブー垂れていたあたしを神父さんは笑って頭を撫でた。
「それなんですがね、私は若いときにそれは貧しい村の教会で布教していました。そこで、捨て子のほうがまだましだと思うことがたくさんありました」
袈裟懸けの布の狭い視界に神父さんの優しい緑の眼が覗き込んで言った。
「アンジェは覚えているのでしょう?王都にいた芸人の一座をしていた家族が捨てたことを、生まれてからしばらくは育てられたこと」
『うん、覚えてます、目が覚めたらバッソの東のゴミ捨て場だった。そしてディオ兄が拾ってくれたこと覚えてますよ』
「君の親は捨てたけど、わざわざバッソのゴミ捨て場に捨てに来たのですよ。バッソはね、浮浪児への偏見がない。ルトガーが頑張っているからね。
子供に早く自立できるように寮を作って読み書きを教え、仕事の斡旋をしている。孤児院とは別の自立のための支援をしているのです。
フォルトナもカラブリアも今ではルトガーのやり方を取り入れて、孤児院の他にバッソ流の孤児の支援施設を作っています」
神父さんはひと呼吸すると、あたしの小さな手をそっと握り、また言葉を続けた。
「私はね、君の親は君を育てなかったけど、生きていて欲しいとは思っていたのだろうと思いますよ」
『直接殺す度胸がなかったからじゃないですか?ほっとけば死ぬし』
投げやりな口調で脳内談義の相手をしていると、レナート神父はあたしのほっぺをモニュモニュと撫でてなおも言った。
「アンジェいいですか、捨て子より子殺しの方が罪に問われる可能性が低いのですよ。
私は若いときにそれは貧しい村の教会で布教していました。
そういった貧村ではね、育てる予定のない子供は、生まれてすぐに口減らしをされていました。
泣き声をあげる暇もなく、顔に濡れた布を被せられるのです。親は生まれても死産だったととぼけていればいいのです。
あるいは、寝ている間に子供が布団で窒息死したとかね。
だけど捨て子はそうはいかない、子棄ての親は見つかったら死罪ですから。
飢餓革命の起こる前に出された乞食・浮浪児禁止法というのは今もある法律ですが、その法律の下、生まれたての赤子を町の路地に捨てた母親が縛り首になったのを見たことが有ります。
バッソは治安を守るために警邏兵の巡回や掃除人などを通しての報告が多い。捨て子が居たらすぐに発見される。
親はそういうことを知っていてバッソを選んだと思いますよ」
生きていてと願ったのか、運命に任せたのか、そんなことをグルグルと頭の中で巡らせているあたしの心持を知ってか知らずか、なおもレナート神父は続けた。
「全部セリオンから聞いたよ、君には前世の記憶があるそうだね」
うわー!セリオンさん、そこまで話したのか!
「君はその記憶がじゃまして、大人には甘えにくいのでしょうね。セリオンが心配していましたよ」
セリオンさんが?彼からは怒られることはあるけど、心配されると言うことはあまりないので意外だった。
「他の赤子と違って夜泣きを一切しなかったのは、ディオの眠りを妨げないよう我慢していたのでしょう?」
当たりです、ディオ兄は小さいし、働きすぎだし、勉強し過ぎの真面目過ぎなのだ。
子供の成長に睡眠は非常に重要なので、起こすのは不憫だったから夜中はお腹が空いても我慢していた。
それに、赤ちゃんのせいか泣き出すと、なかなか自分でも泣くのを止められない。
お腹が空いて泣きたくなってきてもグッと堪えていたのだ。
トイレだけは洗濯物が増えるので、悪いが素直にお願いしている。
「アンジェ、君も子供なんですよ。記憶があっても君は赤子、それを自覚しなさい。
前世があったとしても背伸びする必要などないのです。
新しい人生を楽しんで生き直してください。私達おとなは君達を助けるためにいるのです。
もっと甘えて、私達に手伝いをさせて下さいね」
そう言うと、神父さんは温かい胸に包み込むように抱きしめた。
抱きしめる指先が小さくリズムを取って、あたしの背中に伝わる。
小さく、低く、落ち着いた声で賛美歌のような歌を口ずさんだ。
いざ高き天国へ 真に青なるその先へ
太陽の東月の西 探し求めしその果てに
天の梯子に 登りつきて 我ら教えを求め賜わん
なんでそこは「救い」でなくて「教え」なのかな?
宗教では、神様にお願いしっぱなしの人間なんだから、救ってくれと頼むのが、本来の賛美歌らしいと思うのだが。
こうしてみると、人間って神様からしてみれば、随分とまあ勝手なことを言うと思っているかもしれないね。
神様の都合も考えないで、お返しは出来ないのに頼むのだから。
無報酬でただ働きなのに、お願いされてばかりじゃ、聞き入れてもらえないのは当然なのかもしれない。
そんな疑問をうつらうつらして想いながら、ストンと眠りに落ちた。
―待っているよ
夢の中で、忘れたくない誰かに声を掛けられた気がする
―会いに行きます 必ず
そう答えたあたしは、夢と現の境界で理由も分からずに泣いていた。
神父さんが優しい声で子守歌を歌いながら涙を拭ってくれた。




