第52話 消せない傷跡
エルハナス家の人達は、上流階級の人達が7分の愛想の良さと3分の冷淡さを持って人付き合いをするのに対して、彼らはまるで逆、7分の冷淡さに3分の愛想の良さという具合で、ある意味本音の人達だった。
中でもカメリアと父親のサルバトーレは、その凛とした武人の佇まいで近寄りがたい雰囲気を醸し出し、ふたりそろって社交嫌いだった。
特にカメリアは、社交界では「幾ら美しくてもあれと釣り合う男がいるだろうか」と、噂された女傑で通っていたので、血統だけは一流だが爵位の無いルトガーと結婚した時には、驚きをもって語られた。
その女傑で名高いカメリア・エルハナス侯爵がディオを弟と呼び、満面の笑みで皆を持て成した。
晩餐会としては少し早い時間に、カメリアの身内だけで行われた。
ルトガー、アルゼ、ディオ、カラブリア卿とわざわざ出向いてくれたグリマルト公爵がテーブルにつき、アンジェは乳母がつけられて、クイージとセリオンと共に一緒に別室にいた。
セリオン達はこの後、客の従者用の食堂に通されることになっている。
心配が尽きないセリオンは、行儀が悪いと分っているが、ジッとしていられず室内をうろうろと落ち着かない様子で歩き回った。
『なあ、あれだけ派手なものを見て何で誰も言わないのかな?俺は、はっきりディオの過去のイメージを見たんだが…俺たち以外は見て無かったのか?』
『不思議だよねえ…暴走したんだからレナート神父のときみたいに、みんな見たと思うんだけど…でも下手に聞けないし』
『まあ、見てないのならラッキーだが、とにかく、お前はしばらく大人しくしろよ。お前ら貴族になったんだからな』
「だ~い」わかってるわーい!
クイージさんが猫のフカフカ人形を持って来て見せた。
*キャッキャッキャッ*
両の手足をパタパタと動かして、喜んでいることをアピールする。
「クイージさん本当に赤ちゃんをあやすのがお上手ですね」
乳母の人があたしをあやすクイージさんに感心している。
「嬢はお利口だからな、わしでも全然泣いたことがない。手のかからない大人しい子じゃよ」
「あーい」*ニコパ* 愛嬌は売るほどありますよ!
「さあ、じいじと絵本を読もうか?」
「じーじ、あーい」
再び買ってもらった絵本を見て大喜びしているあたしを、セリオンさん以外は微笑ましく見ていた。
「ジジイ転がし…」
窓の外に向かって、ボソッと呟いたセリオンさんのオデコにデコピンしてやった。
そういえば、晩餐会は身内だけだから心配ないと聞いたけど、ディオ兄大丈夫かな?
* * * *
晩餐会ではひとりに付きひとりの従僕が付き、両脇の席にはアルゼとルトガーが座ってディオに教えてくれた。
本来、晩餐会に子供が同席するなどないため、皆、多少のマナー違反はディオがしたところで見咎める筈もなかったが、ディオはなかなか上手にふたりのテーブルマナーを真似ていた。
向かい側には父親のカラブリア卿が座り、複雑な胸のうちを隠して無表情に食事をした。隣には紋章院長官のグリマルト公爵が座った。
公爵は向かい側のディオを見て不思議な感覚に包まれていた。
何か、とても心を動かすような光景を見た気がするのに、何を見たのかを覚えていない。
まるで、夢を見ていたが朝になってすっかり記憶にない、そんな気分だった。
彼がしっかり覚えているのは、ただ、小さな子供に共感してその願いを叶えてやりたいと思った事だけだ。
その場にいた全員が見た集団催眠のような出来事は、誰の記憶にも残らず、誰の口からも疑問が出ずに見過ごされた。
ディオは担当の従僕のさり気ない助けで、マナーで迷うことも恥をかくことも無く、つつがなく食事を楽しんで終わりを迎えた。
食堂から客間に移動すると、ディオの父親であるカラブリア卿がディオに静かに近寄って来た。
「少し話がしたい、一緒に来てくれ」
ディオはルトガーを振りかえって見ると、彼が頷いているので付いて行くことにした。
難しい顔で見送るルトガーにカメリアとグリマルト公爵が声を掛けた。
「大丈夫よ、閣下がディオの味方をしてくれたのだから、もう覆らないわ」
「さよう、ハイランジア卿。どうか彼の令息をしっかり育ててくれ。そうでないと、あいつのことだからまた揉めるぞ」
「閣下、このたびは有難うございました。もちろん息子として立派に育てます」
「それなんだが、その息子の過去をバッソでどうにかできんかな?」
「はい?どういう事でしょうか?」
ハイランジア城のベランダに出ると、外は夜の帳が下りる頃あいだった。
眼下の城下町にはフォルトナの家々に暖かな明かりが灯り始めた。
客間の灯りが漏れてほんのり照らすベランダで、父親のカラブリア卿が口を開いた。
「お前は本当にわしの子供だ。なのに、何故戻って一緒に暮らさない?」
「申し訳ありませんが、俺はもう戻れないのです。過去を無かったことなど俺にはできないです」
「それは…探すのが遅れ悪かったと思っているのだ。だからこそ、戻って欲しい。今までの苦労は忘れてカラブリアで静かに暮らせないか?
アンジェと離れたくないのは分った。会いに行くのは許すから、わしを許してくれ」
「違うんです、責めているわけではありません」
そう言うとディオは上半身に着ていたシャツを脱いで、下着を首元まで捲って背中をあらわにした。
背中には痛々しい火傷の跡がいくつもついていた。
「俺が煙突掃除をしていたことは消せない事実です。ゴミを漁って生きていたように。
そして、アンジェと一緒にいる楽しい生活が今あるのは、それに耐えた俺への、神様がくれた御褒美なんだと思っています」
12月の乾いた寒風がディオの背中をそろりと撫でて去って行く。
暮れなずむ空気の中に白く浮かぶ、その背中は小さく貧弱だったが、彼の声には力強い芯が通っていた。
カラブリア卿は一瞬頬を引きつらせたが、その痛々しい背中を見つめてしばし瞑目してから、大きく息を吐いた。
「わかった、お前のことはハイランジア卿に頼むとしよう。だが、わしが真の父だということは心に留めておけ。
そして、気持ちが落ち着いたらどうかお前の母の墓参りをしてくれ」
「有難うございます。きっと伺います」
早く服を着ろとせかされて、ディオは剥き出した背中をシャツの中に収めた。
鮮やかな笑顔で振り返った息子にカラブリア卿は未練に止めを刺され、やっと自分の心に折り合いをつけた。
そして、思わず近寄り片膝をついて、ディオの身体を抱き寄せると耳元で言った。
「リゾドラードとプロビデンサ、お前が養子になるハイランジア家はふたつの王室の始祖にあたる誇りある家系だ。
今はしがない男爵家だがお前はハイランジア家のために力を尽くせ。父は陰ながら見守るぞ」
ディオは少し躊躇ったが、彼の「父」という言葉に勇気を出して、彼の背中にそっと腕を回して「はい」と応えた。
カラブリア卿の腕が一層強くディオを抱き寄せた。
暫くして、ディオが失礼しますと一礼してアンジェが待つ居間に去っていくと、カラブリア卿は暗がりに潜んでいたパーシバルを呼んだ。
「オルフェの傍に誰か付けねばならない、後でベルトガーザにも忠告しておくが、息子を攫った頭がまだ捕まっておらぬ。
また狙われるやもしれん。あのアンジェという赤子も危険だろう、気は抜けないぞ」
「そうですね、バッソも独自の警護をしていますが、それらが、全て腕が立つものではありませんし」
「賃金はこちらで持つ、貧乏男爵では警備を充分にするための余力はなかろう」
「しかし、あまり口出しすると、ルトガー様やカメリア様の御機嫌を損ねませんか?」
「それはお前が考えてくれ」
「はっ、畏まりました」パーシバルはやれやれと心の中で溜息を吐いた。
カラブリア卿が室内に戻ると、ディオは既にアンジェの処に行って姿が見えなかった。
自分の気持ちの半分も伝えることもなく、あの赤子に負けてしまったなと改めてがっかりした。
その気落ちしているところに、友人のグリマルト公爵が彼を呼びかけた。
「サルバトーレ、今、ハイランジア卿と話したのだがな」
いかにも機嫌の悪いといった顔を隠しもせずにカラブリア卿は振り返った。
その先にはグリマルト公爵だけでなく、娘のカメリアと共に元婿のルトガーが一緒にいた。
「なんでルトガーが一緒にいる?」
口を尖らせたルトガーが売り言葉を買い言葉で返した。
「俺は閣下の御要望を拝聴するためにいるのです、貴方には関係ない」
「はあ?貴様はたかだか男爵のくせに態度がでかすぎるぞ」
「今の侯爵はカメリアだろう、あんたは無爵でしょうが」
互いにバチバチに火花をとばしている様を見て、グリマルト公爵が心配になってカメリアに囁いた。
「大丈夫か?なんだか仲が悪そうだが?」
「ああ見えて父はルトガーを気に入っていますの。それはルトガーも、大丈夫ですわ、オホホ」
「そ、そうか?それじゃあ…」
パンパンと手を打つと公爵はふたりに割ってはいった。
「さあさあ、ふたり共、子供の未来に関わる話だ。ちゃんと聞いてくれ」
「お父様はディオに堂々と会いたいのでしょう?ねえ、ルトガー、実の親子なのだから、そこを考えてあげて欲しいの」
「うーん、俺としてはディオがアンジェと一緒にバッソで暮らせれば何の問題も無い。ディオだってそう言っているし」
「さよう、わしなら紋章院の記録はどうにでもできる。今のうちに口裏を合わせておこう。サルバトーレもそれで良いな?!」
カラブリア卿は気落ちしていたが、父親としてディオに会えると聞いて頷いた。