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いざ高き天国へ   作者: 薫風丸
第2章 動き出した運命
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第49話  孤高の少年

 いやだ!いやだ!アンジェと別れたくない!

 いやだ!いやだ!ディオ兄と別れたくない!


 ディオ兄の声が頭に響く、あたしの声もディオ兄の頭に響いているのがわかる。ふたりの心がシンクロしていく。


無意識の激情にかられて、どうにもできない力が発動してしまった…

感情の波はうねりになって、その場にいる人の精神に入り込んだ。


*      *       *       *


 無垢な赤子と子供の泣き声が辺り一帯に響きわたる。


その声を耳にした大人達はディオの思念で脳内を浸食された。ディオの体験、ディオの感じた全ての感覚で彼の追体験をしている。


―なんだ?わしは何処にいる?


 グリマルト公爵は呆然と辺りを見渡した。薄汚い部屋だった、すえた匂いまでしてくる、薄暗くて湿っぽく不潔で彼には耐えがたい空間だった。


「おい!起きろガキ共!仕事だぞ!」


部屋に入ってきた男は部屋の隅で薄い毛布にくるまれていた子供を足で蹴って起こした。這い出て来たのは2人の子供だった。


―おや、この子は…ディオ、いやオルフェウスか?


立ち上がった年上の子供とディオは頭を小突かれ、また追い立てる親方に尻を蹴飛ばされた。

グリマルト公爵は愕然とした、いつのまにか知らない場所でディオと一緒にいたのである。


―子供をこんな時間から働かせる気か?


 煙突掃除の一番忙しい時間はまだ暖炉に火を入れない夜明けまえだ。


冷たい空気が鼻から肺に入る。手足の指先が凍えて感覚が鈍い。膝が震えるのは冬の冷え込みのせいだけではないだろう。


暗く傾斜のある屋根の上で吹きすさぶ寒風に耐え、おぼつかない足取りで移動すると、はしごに取りついている親方から罵声が飛ぶ。


冬の時間は真っ暗で屋根から煙突に降りるのは大変危険があった、それでも普通の家ならまだ良かった。


大きな貴族の屋敷など、贅沢に薪を使う屋敷などは、まだ冷え切らない煙突に入ると着ている服が発火するので、裸にされて煙突に押し込められる。


素肌で熱のひいていない煙突に入れられて火傷をしない筈が無い。


そのため、直接煙突に触れて火傷をした年長の子供に、親方は皮膚を強くするという名目で塩水をすり込み、火であぶった。


泣きながら見ているディオの前で、年長の子供は歯を食いしばって痛みをこらえた。


―やめんか!その子には消毒と軟膏が必要だ!馬鹿もん!冷やせ!


目の前で行われる行為をグリマルトは歯噛みをしてただ見ているしかない。


これは治療ではなく、もう拷問と同じ行為だ。彼の膝は肉が落ちて、膝のさらが見えていたのである。


―煙突掃除の子供とはこんなに酷い扱いをされているのか…


グリマルト公爵はあたりがまた変わったので驚いた。

薄汚い半地下の部屋でディオは床を磨いている。


「明日からお前ひとりだ。しっかり稼げ」帰って来た親方は彼にそう言った。


彼がドサリと下ろしたぼろ布に包んだ中身は、年長の子供だった。

もうひとりいた煙突掃除の子供が火傷で死んだのだ。


酷い親方になると、仕事がはかどらずにグズグズしている子供は下から火を焚きつける虐待までしていた。そのまま子供が死ぬこともよくあった。


―なんだ、これは!わしの国ではこんなことがまかり通っていたのか?!


全身が真っ黒な煤で覆われた年長の子供の死体を見てディオは震えた。


このままいたら死んでしまう!

身の軽いディオは真っ暗な冬の闇に紛れて、民家の屋根伝いに逃げた。


―よし!良く逃げた!そのような奴の言うことなど聞く必要はない!


声をあげたのは父親と名乗り出たサルバトーレだった。


『お腹が空いた 飢えで眩暈(めまい)がする だるくて力が出ない』


親方からは逃げられたが、腹を空かせて行き倒れているところを役人に捕まって孤児院に入れられた。


国の給付金目当ての孤児院では、人数さえ増えれば子供の環境には興味が無い。小さなディオはイラつく大きな子の虐めの対象になってしまった。


―このガキども!わしの息子に何をする!!!


彼は隠しておいたパンをもってついに逃げだした。頼る人はいない、助けてくれる人もいない。信じられる人さえいない。


助けて欲しくても、街にたとえ人が通り過ぎても、誰も道端に眠る彼を気に掛ける人はいなかった。

彼はぼろきれのような服で町を歩いて疎まれた。


―ああ、なんと痛ましい


ただ歩いているだけで、棒で追われる。何か口に入れたいと探していると何かを口に突っ込んだ。

飢えを紛らわせるために小石をしゃぶり出したのだ。


―何ということだ、わしが探している間こんな目に合っていたとは!


 堪りかねて、荷馬車に潜り込んで王都を出た。


毎日毎日、何度も見つかってそのたびに殴られたり、追い払われたりした末にフォルトナの近くのバッソという町についた。


―なんと不憫な…


幽霊屋敷と噂される廃墟に雨露を(しの)ぎ、飢えに耐えかねて町のゴミ捨て場を漁った、それが続くと思っていた頃だった。


骨だと思って(かじ)っていたら木切れだったが、そのまましゃぶっていたら、見ず知らずの若い男がディオに弁当を恵んでくれた。


―ああ、良かった。恵んでもらえて。


直接渡されたわけでは無い、しかし、ゴミ捨て場で「弁当を捨てるぞー!」などと叫ぶ人間はいないだろう。


ディオは有難く弁当を食べた、久しぶりのまともな食料に涙が溢れた。廃墟の部屋で嗚咽と一緒にパンを飲み下した。


父親のサルバトーレは手を出しても触れられない我が子に涙した。


やがて廃墟に若い男がやって来て、声を掛け食料を置いていった。


―ああ、こやつはセリオンと言ったな、ルトガーの手の者か。


セリオンが根気よく通ってきてくれて、ようやくディオが持っていた大人への猜疑心(さいぎしん)が薄くなった。


―オルフェの顔つきから段々警戒心が和らいでいったのがわかるわい。


ルトガーに引き合わされ、掃除の仕事を貰った。掃除をしに行った商店の辺りに、幸せそうな家族が見かけた。


掃除を始める時間に父さんが仕事で出掛け、ディオよりも小さな男の子と母さんが見送りに出て、それを父さんが抱きしめてから仕事に行くのだ。


それを、彼は羨ましくて眺めていた。

その日の落ちる頃には帰って来るというのに、抱きしめて送り出す家族、帰った時にも同じことをしているのだろう。


ドアを開ければ、お帰りなさいと手を広げて迎えてくれるのだ、毎日毎日。

なんで自分が独りなのか恨めしい思いもした。


―オルフェ、お前にもそういう家族がいるのだぞ


そんなことをディオが考えて仕事を終えると、ルトガーが真面目に働いた彼を褒めて頭を撫でてくれた。


手を伸ばされたとき、殴られるのかと思ったディオが首をすくめると、ルトガーが可哀そうに、と呟いて、ゆっくりと撫でた。


初めて掃除の仕事をした、その日、生れて初めて給金を貰い、セリオンに連れていかれて御馳走にありついた。


寮を嫌がったディオを、皆は無理強いせず、ルトガー達は辛抱強く見守ってくれた。


イメージの中に迷い込み、ディオの追想を見せられている全ての人々が、ディオは居心地の良い町で幸せそうだと感じた。


 ディオはバッソの小さな教会でときどきお祈りに出かけていた。

祈る前に、ふと、「でもやっぱり家族って羨ましいな」と呟いた。


神様、俺に家族をくださいと小さい声で祈った。いつしか、教会に来るたび、夜ひとりで寝るたびに祈った。


 そして、ディオは妹を拾った、彼は大喜びした。

アンジェに出会ってから彼は次々に幸運に恵まれてきた。


バッソに来る前、あの頃を思い出すと今の自分はなんて恵まれたのだろう。

この町にきたから、優しい人たちに出会ったから、そして背中で自分を応援してくれる妹が出来たから。


―ゴミ捨て場で拾った赤子がそんなに大事なほど寂しかったのか?


傍らにいる息子には何も聞こえていない、彼は小さな妹を背負って仕事にでかけ、手伝いで分けてもらった肉や野菜を有難く食べる。


朝の洗濯場、裏町、居酒屋、教会、食堂、いろいろな大人がディオに声をかける、妹をひとりで育てていると評判になり、おむつや産着を分けてもらえた。


―ここの大人だけは優しくもらえたのか…それでここがいいのか…


『妹ができたんだ、もう怖いとか苦しいとかで逃げちゃいけないんだ。俺はアンジェを守って行かなきゃいけない。

バッソで出会った大人達は俺の味方だ、俺はここにずっと暮らしたい!』


ディオの心の声が聞こえてくると、その場にいた大人達の意識が戻った。


屋根の上から赤子と子供の泣き声が続いている。

すすり泣きと共に、ディオのすがりつくような懇願の声が聞こえてきた。


「お願いです…妹と バッソに いさせて…」


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