第41話 撥水エプロンとデッキブラシ
その日の朝は特に寒かった、今年の冬は厳しいかもしれない。
そんな寒さを跳ねのけるように、ディオ兄とあたしは張り切りまくっている。
アルゼさんが試作品を置いて行ってくれたので、マリラさんについにプレゼントすることができる!
「早く洗濯場に行こう、喜んでもらえると良いけど」
『きっと喜んでくれるよ。ディオ兄デッキブラシも持って行くでしょ?』
「もちろんだよ」
いつもの洗濯場には、もういつもの洗濯おばさん達が集まっていた。
早朝の冷たい水も何のそのとばかりに、町のうわさ話をしながら陽気に笑いさざめき、洗濯をこなしている。
本当によく働くおばちゃん達だわ。
「お早うございます、皆さん」
「あら、ディオ、お早う。久しぶりね」と、マリラさんが言うと、みな口々にお早うと笑顔で返した。
「マリラさん、アンジェの背負い紐もらったお礼の品を持って来ました。これはデッキブラシという名前です。
この後、床掃除に行ったらいつものブラシの代わりにこれを使って下さい。
床に這わずに立ったまま掃除できますよ。それからこっちは撥水エプロン。水をはじくから洗濯のとき濡れないから」
洗濯のときに水が掛っても弾く、と聞いて、他のおばちゃん達が耳をそばだてて反応している。マリラさんに差し出したものを皆が凝視している。
マリラさんは屈んだ体を「どっこいしょ」と膝を庇うようにおこして伸ばした。腰をトントンと叩いてから嬉しそうにデッキブラシを受け取った。
「まあ!凄いじゃない。嬉しいわ、本当に考えてくれたのね。ちょっと試していいかしら?」
ディオ兄がどうぞと言うと、マリラさんはブラシの部分を手で触ってから、デッキブラシの柄を持って、洗濯場の濡れた石床を少し掃除してみる。
*ゴシゴシゴシゴシ*
すると、すぐに顔を上げて明るい声でディオ兄に言った。
「これは良いかも!嬉しいわディオありがとう!あ、それにエプロンもあったわね。これも使っていいの?」
「はい、どちらも使って感想を聞かせて下さい。今度、商品化するそうなので試してもらいたいのです」
「マリラ、エプロン使ってみなさいよ。水をはじくなんて見てみたいわ」
「あたしも興味ある!見せて、見せて」
「そうね、試してみましょうか」
マリラさんが洗濯をしてみると、身に付けた撥水エプロンに水がいくら跳ねてもコロコロと水の玉になって落ちただけで、エプロンに浸みなかった。
その様子を目にしたおばさん達は「まあ!」と、声をあげると一気にヒートアップした。
「何それ!いいわね。マリラ良いものもらったわねー!」
「これ幾らで売るの?これなら冬に水が服を濡らしてしまうことが無くなるでしょ。冷たさで寒い思いをしなくていいわ!」
「どこで売るの?あたしその何とかブラシっていうのも欲しいわ」
ザワザワと落ち着かなくなったおばちゃん達にディオ兄がちょっと困り顔になった。
「あの、売るのはアルフォーゼ・エルハナス様がなさるので、値段はまだ分からないです」
まあ!と言うとおばちゃん達はがっかりしてしまった。
それが侯爵様の弟だと皆知っているからだ。
「御貴族様が作ったものじゃ、あたし達には手が届かないわね」
ひとりが、がっかりして言うとディオ兄が慌てて否定した。
「いえ、エプロンは皆さんの分だけならを持ってきて頂ければ、俺が防水加工しますから。4日か、5日はかかりますが。
デッキブラシのほうはちょっとお金がかかるけど、それでも商品化されたら1000スー位になるかと思います」
「あら、思ったよりは安いわね」
「いやいや!それよりエプロン持ってくればディオが加工してくれるって本当なの?お金は?」
「ああ、それなら要りません。試作品を作りたいので」
無料でこの場にいる人だけにしてあげますよ、というと、どよめきが起こった。
「エプロンは古いくたびれた物で良いですよ。染めるとハリのある生地になりますから。穴や切れがあるのは不味いですけど」
洗濯済みなら新品でなくていいと聞き、おばちゃん達は余計に喜んだ。
「すぐにとって来るから待ってね!」
マリラさん以外の5人のおばさん達は、直ぐに家に戻ってエプロンを持ってくると家に戻った。
その場に残されたのはあたしとディオ兄とマリラさんだけになり、マリラさんが心配して言った。
「ディオ、弟様の関わっているものを、勝手にこんなことしてお叱りを受けないのかい?今なら皆、加工してもらえなくても諦めがつくわよ」
「大丈夫、俺が考えたものなので。アルフォーゼ様は商品化のパートナーで、お許しも頂いていますから」
『本当はアンジェなんだけどね、ふふ』
『ふたりで考えたものだよ。ウフフ』
侯爵様の弟が仕事のパートナーと聞いて驚いたマリラさんの顔、なかなか面白かったです。目を大きく見開いてあんぐり口を開けていた。
* * * *
サルバトーレは自領のカラブリアでイライラと毎日を過ごしていた。
フォルトナにいる娘のカメリアは伝書鳩を送ってから様子がおかしい。
返事の催促をしているのに手紙の返事は関係ない話ばかりだ。
そこで、息子のアルゼをこちらに呼び寄せて事実を明らかにしておいた。
隠し子などと言うものは、やはり娘には相談しにくい、息子に限る。
サルバトーレは数週間前のアルゼとの話を回想していた。
* * * *
「お前には弟がいる」と、生き別れになる前の我が子、オルフェウスの肖像画を見せた。
2歳になった息子オルフェウスとその母デルフィーナ・バスキア、サルバトーレの3人の肖像画を見たアルゼは溜息をついた。
絵の中の子供はどうみても小さくなったディオだった。
「やはりですか…どうりであの子は、父上の子供のときの肖像画に似ているわけですね。しかし、よりによってバスキア家の…」
「わしとて問題があると分かっていた。いや!そんなことは、今はどうでもいい!オルフェウスが強盗に連れ去られたのが6年前、バッソでお前が見た子供はいくつだ?」
「本人は7歳だろうと言っています」
「7歳だろう?どういうことだ?自分の年齢がわからないのか?」
「はい、酷い大人に囲まれて育ったようで…バッソに来る前は厳しい環境にいたせいか、見た目はもっと小さい子供に見えます。しかし、とても賢くて良い子ですよ」
成長のための栄養が足りていなかったのだろう、というアルゼの見解を聞いて、サルバトーレは悄然とした。
世間体など放り出して国中を駆けずり回って息子を探したかったが、彼に染み付いた貴族として立場がそれを許しはしなかった。
6年の月日は、彼の心の底に後悔という棘を植え付けて責め苛んだ。
―すまない、すまないデルフィーナ…
「アルゼ、今、その子が確かに私の子なのか、バッソに来る前の足取りなどを確かめている。私と同じ髪の色とデルフィーナの眼の色、両方とも滅多にいない色なのに、その子はその両方を備えていた。
間違いなく私の子の筈だが、一応な…今まで何度も期待を裏切られたからな。それまでは、お前がその子を気にかけてやってくれ。くれぐれも頼むぞ」
アルゼは少し迷ってから父に問うた。
頭に浮かぶ可愛らしい赤ん坊の行く末をどうしても聞きたかったのである。
「妹の赤ん坊、可愛がっているアンジェちゃんと一緒に引き取るのですか?」
「それはない、町のゴミ捨て場から拾った子供ではな…オルフェウスがゴミ捨て場でゴミを漁っていたなど、世間に知られる分けにはいかん。
過去は捨ててもらわねば。出会って日も無いのだ。子供の事だ、すぐ忘れるだろう」
アルゼは黙って聞いていたが、その顔には、どうにもやるせない表情を浮かべているのを父のサルバトーレは気にも留めていなかった。
彼の息子の母、愛妾であったデルフィーナ・バスキアは、あまり外には知られたくない素性であり、捜索を大っぴらに出来ない事情があった。
そのせいで息子オルフェウスの行方を捜すのに時間が掛ってしまったのだ。
それがやっと報われる、この日までどんなに辛かったか。
―これでやっとデルフィーナの墓に報告ができる。あの子がカラブリアに戻って来たら一緒に墓参りに行こう。
そして、どんなに彼女に愛されていたか教えてやろう。
今までの空白の時間を埋めるために、片時も離れずに穏やかに過ごして、彼の成長を見守ろう。
今は無きデルフィーナのためにも…




