第36話 本人不在で話は進む
修繕中の屋敷の2階、ディオの部屋では、様子を見に来たセリオンと、ディオがアンジェを胡坐の上に寝かせて話をしていた。
同居を始めたクイージは外出している。
困り顔のディオが、腕の中でリラックスして眠っているアンジェの顔を見ながら、ベランダで吊るし柿を眺めているセリオンに、思っていることを吐き出していた。
「俺、気が引けるよ。アンジェが教えてくれたり、考えたりしたものを俺の手柄にしてしまって…俺の発明になっちゃって…」
「それで良いんだよ。アンジェは赤ん坊だ。バレたらどんな騒ぎになるか、確実に取り上げられるぞ」
「うう、それは絶対に嫌だな、アンジェと別れたくないし…」
セリオンはベランダに吊るされた渋柿をちょいちょいと指でつついてから、そこらに干された野菜や肉を見回した。
本当に子供だというのによくぞこんなに保存食を加工しているものだ。
市場で仕事をしてアンジェを世話して…町の皆が感心するのも当たり前だ。
セリオンは振り返ると,尚もアンジェの身の危険を教えた。
「それだけじゃない。アンジェが発明しているなんて知れたら、いろんな奴が自分の娘だと名乗り出てくる。以前、飢餓革命の後に貴族の子供が攫われた事件がいくつも有ったんだ。
攫われた自分の娘だと貴族が言ったら、孤児のお前は太刀打ちできない、二度と会えないだろうな」
セリオンがそう言うとディオはやっと納得したようだった。
元来、人の好い彼は、アンジェが受ける筈の賞賛を自分に向けられて、居心地が悪くて仕方なかったのだ。
「俺は今までアンジェを守ると言っても、そういう事まで考えた事なかった。セリオンさんに話して良かったよ」
セリオンはちょっと躊躇ったが自分が聞いたことを思い切って伝えた。
「エルハナス家がお前を貴族籍に入れたいらしい。だけど、アンジェも一緒にとは考えていないようだ」
ディオはギョッとして顔を上げた、そして本当に困惑した声で答えた。
「それは嫌だよ!アンジェと今の暮らしが楽しいもの、貴族になんてなる気はないよ」
泣き虫の傾向があるディオはもう気持ちが高ぶって来たのか、眼が既にうるんで見える。
セリオンは、落ち着かせるように彼の肩を撫でさすって言った。
「なあ、アンジェが妹として一緒に暮らせるなら貴族になるのもかまわないか?今までと同じでバッソで一緒でさ、どうだ?」
目を丸くしていたディオだったが、当然だとコクコクと頷き、静かにセリオンの眼を見つめてからチラリとアンジェの寝顔に目を移し、細く柔らかな金の髪を指櫛で梳いて言った。
「アンジェを守れるのなら貴族だろうと何だろうとかまわないよ」
「それが聞きたかったんだ。ルトガーさんは本気でお前達の将来を考えてくれている。お前はあの人を信用して委ねていい、そうすれば俺もお前達と一緒にいてやれる」
「でも、俺が貴族の仲間になるなんて想像できない、きっと嘘だと思うよ?」
「ふふ、でもな、俺はお前がそうなってくれたら嬉しいぞ」
「どうして?」
「俺はバッソに来て12歳ときからルトガーさん達の世話になっている。
他の町にいたからわかるけど、バッソは決して豊かな町ではないけど、治安も良くて住んでいる人たちも穏やかだ。俺はここにずっといたい」
「俺もバッソに来てよかったと思ってるよ。俺もここにいたいよ!」
「ああ、だからこそ、ディオが貴族になって町を守ってくれたらと思う。酷い領主の治める町は気の毒だぜ、しかも農奴になると逃げられないし自由はない。
俺はこのバッソのために、お前に貴族になって欲しい」
「俺、本当にそんなことできるのかな?」
「できるさ、お前なら。アンジェと一緒に頑張れよ!」
「そうか!アンジェが一緒なら大丈夫だね。それにセリオンさんも!」
「ああ、俺は兄貴分だからな、きっとそうするよ」
セリオンの言葉は自分の願いを口にしたに過ぎなかった。
―バッソにいるなら、お前達を見守れる。ごめんなディオ、だけど、すぐ傍というわけにはいかないよ。
セリオンの励ましに、やっと安心したディオだったが急に何か思い出して、萎れてしまった。
そんなときは、小さい身体がいっそう小さく見える。
大人びて見えることもある彼だが、俯いているさまはやっぱり子供なのだとセリオンは眺めた。
「俺、今まで体が小さいからガイルさん達がやっている剣の稽古は受けて来なかった」
ディオはルトガーが世話をしている孤児の中で一番体が小さい。
この小さな体で王都の孤児院ではひどい虐めにあったし、自分ではどうにも解決できないコンプレックスの原因だった。
その体のため、年齢の下の子にまで剣の稽古で負けていた、そのせいでますます剣の稽古から逃げていた。ルトガーも子供にいっさい無理強いはしていなかったので、稽古を受ける、受けないは本人の自由としていた。
「俺は弱いし剣の稽古は嫌いだし、争いごとも嫌だ。だけど、この間うちに来たかもしれない盗人のことで考えた。
俺もアンジェを守るために身を守る術を覚えないといけないなって」
それまで黙って聞いていたセリオンは、「ほう」と、驚いた顔をしてディオの顔を見つめて言った。
「そうか、ディオがそう思うなら俺が教えてやっても良いぞ。身を守るだけなら何も剣じゃなくてもいいだろう」
その言葉に項垂れていたディオの顔が跳ね上がった。
どういうことかと揺らぎながらも、期待でいっぱいの眼でセリオンを見つめている。
「俺も身体が細くてガイルさんに鍛えられたとき、剣を諦めて両手持ちの短剣にしたんだ。
他にも隠し持っている武器もあるけど、それでいいなら教えてやるよ。ただし、人からは卑怯もの呼ばわりされるかもしれないぞ?」
「いいよ!俺は騎士なんてならないもん!卑怯上等だよ!」
「よっし!決まりだな、じゃあ、明日にはお前が使えそうなナイフをもってこよう」
「はい!よろしく師匠!」
「アハハ!じゃあ、また晩飯食いに来させてくれよ」
その後も、アンジェの眠っている間に、セリオンとディオは熱心にこれからの事を話続けていた。
暫くするとクイージが屋敷に帰ってきた、皆から夕飯の誘いを受けたがセリオンはそれを断って急いで街に戻った。
町の中央にある、もっとも繁栄している賑やかな商店地区の裏通りに入ると、通いなれた間口の狭い石造りの4階建ての建物へ向かった。
2階の執務室に行くとルトガーは留守で、ガイルがソファーに座って本を読んでいた。
セリオンが開け放たれたドアをノックして入ると、彼は角ばった顔をハッとあげてセリオンを待っていたかのように、跳ねるように立ち上がった。
「おお、お帰りセリオン。ディオにそれとなく伝えたか?」
「はい、ガイルさん。アンジェと一緒にバッソで暮らせるなら貴族になっても構わないそうです」
ガイルはほっとした面持ちで微笑んで見せた。
「それは良かった、ディオの知らないところでドンドン話が進んでいくから、大丈夫かなと思っていたが、何しろカラブリア卿にバレたら大変だからな」
「ねえ、ガイルさん、バッソに住むのなら、今までどおりあいつらと会えますかね?」
「当たり前だろ、バッソにそのまま住むんだから」
「いや、そうじゃなくて、俺みたいな元スリと付き合いがあったら、ハイランジア男爵にディオが叱られないかなと」
「!!!」
ガイルは急にクルリと背中をむけると、どういうわけか身をかがめて震え出した。
「ガイルさん?」
「う、すまん。大丈夫だ!それどころか、男爵は首尾よくディオを息子に出来たら、是非お前にディオの護衛を頼みたいと言っていたぞ」
「本当ですか?良かった、ディオも喜びます!」
うんうんと頷くガイルが笑いをかみ殺しているのを、有頂天になっているセリオンは気がつかなかった。
―そうだった、ルトガーさんは、バッソではレナート神父以外、領民のだれにも正体を明かしていなかったんだ。
ガイルは、真相を知ったらセリオンが驚くだろうなと、ディオとアンジェがハイランジア家の子供になることを楽しみに待とうと思った。