第33話 柿渋ができたよ!
「どうしましたルトガー?今日はミサの日ではありませんが」
ドットリーナ教会でいつものように、レナート神父がひとりで燭台の蝋燭の燃えカスをせっせと集め、燭台を磨き始めた時、唐突にルトガーが訪ねてきた。
不意を衝かれたレナート神父は驚いた。頭を掻いて礼拝堂に入って来た彼は土産の焼き芋を見せて、一緒に食いませんかと笑った。
「ちょっと神父さんと相談したいことがありまして、お時間頂けたら有難いのですが」
「なるほど、お聞きしましょう。どんなことですか?」
レナート神父は豪放磊落で名高いルトガーがいつになく神妙な顔でいるのが不思議に思いながら、お茶を淹れて焼き芋を切った皿を出し、話を促した。
それまで、にこやかにしていたルトガーはすっと笑顔を引いて、困ったような迷うような表情を浮かべていたが、思い切って口を開いた。
「これは内密でお願いします」
「ええ、神に誓います」
「エルハナス家、詳しくはカラブリアの隠居が、ディオの出自に覚えがあるみたいで…」
「それは本当ですか?」
「ええ、ディオが幸せになるのなら問題がないのです。ですがあのジジイ!
おっと、カラブリア卿はアンジェには興味がなく、ふたりを別れさせようとしているのです」
驚いたレナート神父に、ルトガーはクイージが聞いた事を伝えた。
ディオがゴミ捨て場を漁っていたという過去を消すため、アンジェはそばにいて欲しくないとカラブリア卿は考えていると。
「それはディオが可哀そうでしょう!可愛がっていますからね、町でも孤児の子供がひとりで赤子を育てている、感心な兄と評判ですよ」
そうでしょう、そうでしょうと目をつぶって腕組みしたルトガーが頷く。
そして、ずいっと前のめりになり、向かいに座るレナート神父の顔を真剣な面持ちで覗き込んた。
「俺は少し前に神のお告げを聞いたのです」
レナート神父は聞いた途端にギュッと胃が縮まったが、まさかと思いながら先を聞いた。
「ディオがアンジェを拾って俺のところに来た時なのですが…」
パッと心に思い浮かんだのは、無邪気で愛らしい正に天使のような…
見掛けだけは可愛い赤子…また…何かやったのですか?アンジェ…
いつも穏やかな神父だが、流石に落ち着かない気分で耳を傾けた。
「俺の頭の中で二人の成長を見守るように神がお告げをされまして…」
「!!!」
これは、あの子が絶対何かやったに違いないとレナート神父は頭が痛くなってきた。まったく、あの酔いどれ天使!
―アンジェは何しろ頭の良い赤ん坊なのだから、早いうちに物事を教えてやらねば、どんなトラブルに巻き込まれるかわからない。今度会ったらみっちりお説教をしてやらねばいけませんね!
あの子!まさか、こういうことをあっちこっちでやってないでしょうね?
小さく息を整えると改めてレナート神父はルトガーの様子を眺めた。
額の刃傷は18年前の飢餓革命のとき受けた名誉の負傷だ。
この男は愚直なほど真っすぐで、情にも厚い、慕う人間は数多い、味方に付けた方が良いだろうと神父は踏んだ。
―エルハナス家ならひどい真似はしないだろうが、アンジェの秘密もあるから用心に越したことはない…ここはルトガーに協力しますか…
「なるほど、わかりました。感心な子供のとその妹のために私も御助力致しましょう」
その後、ルトガーと神父は今後の事を遅くまで話し合った末にある結論に至った。
次の朝、王都に向け独り馬を走らせるルトガーがいた。
* * * *
渋柿の実をせっせと剥き干し柿を作る毎日、本当に数が多くて大変。
何しろ渋柿がこれでもかと鈴なりに実が付いてくるのだ。
ディオ兄が頑張っているけど追いつかない、夜遅くまで申し訳ない。
『ディオ兄、そこまで頑張らなくても良いよ。干し柿にするのは諦めて過熟したら柿酢を作ろうよ』
「間に合わなくなってからにしようよ。できる限り頑張るから」
うーん…頑張り屋さんめ!しかしあの4本の渋柿はなんであんなに実がザラザラになるのかな?
当たり年かな?貧乏性のディオ兄は勿体なくて保存食を作りたがる。大丈夫なの?…ただでさえ、働きまくっているのに…
そんな心配をしているとお客さんがやって来た。
「ディオ、いるか?」
「あ、セリオンさん。あれお客さん?」
「こんにちは、坊。料理人のクイージだ。覚えているか?」
先週、市場でルトガーさんに連れていかれたきりだったクイージさんだった。養子の話はそのあと聞いていないがどうなったのかな。
ディオ兄が住まわせてもらっている部屋では一通りの家具が入っている。
侯爵様が一番痛みの少ない部屋を、先ずは自分の部屋として使うようにと修繕を急がせて用意して下さったのだ。
あまりの好待遇でちょっと落ち着かないその部屋に、ふたりを通した。
お茶出すが早いか、セリオンさんが説明を始めた。
「侯爵様が、どうせ屋敷を使うようになったら、料理人が必要になる。それで引退するクイージさんをここで働いて貰うことにしたそうだ」
「よろしくな坊」
おお、ありがたい!今は柿が最盛期!お手伝い確保だ!!
ディオ兄の背中でニヤニヤしているとドン引きしているセリオンさんと眼が合ってしまった。
* * * *
9月から仕込んで、これのために買った温魔石を使って、あたしの力で無理やり熟成を進めて、ようやく出来上がった柿渋!!!
やった!できたよー!これで撥水や防水、防腐といろいろな薬剤として使えるのだよ!ディオ兄もカビが出ないよう毎日世話して頑張ったのよ。
出来上がった柿渋で、市場で買ったくたびれたお古の帽子とマント、エプロンを染めた。染めては日光にさらして乾かしを繰り返し、ヨレヨレの生地がしっかりするまで染めた。
綺麗な赤土色に染まった帽子とマント、エプロンを見てふたりで嬉しくてニヤニヤしてしまった。
試しに帽子に水をかけるとコロコロと水滴が玉になって落ちた。
「これ凄い、警邏兵や御者とか雨でも外で仕事する奴が欲しがるぞ!坊は天才じゃな!」
「クイージさん、大げさですよ。明日、市場の帰りにルトガーさんに渡してアルゼさんに見せて貰おうと思って」
「明日の朝、ルトガー殿ならわしも用がある、代わりに届けてやろう。晩飯は作っておくからな」
「ありがとうクイージさん」
* * * *
クイージがルトガーを訪ねて行くと、執務室のなかの客用テーブルにお茶道具が揃えてあった、彼が来るのは知らないはずだ。
そんな用意はしないだろうから、お客でもくるのだろうか。
―もしかしてアルゼ殿かな、最近やたら来ているらしいから。
「やあ、クイージどうした?」
「こんにちは、ルトガー殿。ディオ様がこれらを作りましてな。
それを発明登録したいそうです。あと、考えている物があるそうで紙を帰りに買って行ってあげようと思います。アルゼ様に連絡して頂けますか?」
「クイージ、今はディオと呼びなさいと言っておいたでしょ」
話しにいきなり割って入って来た声に驚くと、黒いお仕着せをきた美しい女が隣の部屋からそうっと出て来た。
「今日、アルゼはカラブリアに行ったから、あたしが登録の手続きをしておきましょう。あたしも小さな弟のためにひと肌脱がないとね」
カメリア・エルハナスはにっこりと微笑んで言った
ディオと同じ濃紺の艶やかな髪がなおさら美しく輝いて見えた。