第22話 酔いどれ天使
息せききって教会に走りこんだセリオンは、台所から何事かと急いで出て来たレナート神父に、乱れた息を整える暇もなく訴えていた。
「レナートさん、夜分すいません。アンジェがラム酒漬けの果物を飲み込みまして、それで」
アンジェと聞いて、神父もあの可愛い赤子の様子を思い出した。
菫色の清らかな瞳、ふわりと額にかかる金色の緩やかな巻き髪、真珠のような白い肌、桜色の小さな唇、きっと天使というものがいるならきっとこんな子供であろうと皆が思う、そんな愛らしい赤ん坊だった。
「吐き戻してないのですか?喉につかえてない?」
「ええ、完全に飲み込んでいます。でも物がアルコールの強いラムですから」
「そうですね、心配だ。で?今どこに?」
「俺の後にディオが抱いて連れてきます、俺はその前にレナートさんの所在を確かめておこうと思いまして先に来ました」
セリオンは、ディオが来ていないか確認するため急ぎ足で教会を出ると、レナート神父もそれに続いて暗い中庭に出てきた。
そこへ、間が悪いことにディオが荒い息で庭に駆け込んできて、セリオンを見つけると大声で言った。
「セリオンさん!大変だ!アンジェが逃げちゃって…」
ディオは、やっちまったなという渋面を作っているセリオンの隣に、不思議そうな顔をしたレナート神父を見ると凍り付いた。
「アンジェが逃げたとはどういうことですか?ディオ?」
薄い月明かりの中、わけがわからぬレナート神父がディオにずいっと近づいて、彼の肩に優しく手を置くと、その瞳を覗き込みように聞いた。
ディオはその直視に耐えられずに思わず彼の視線を外してしまった。
「うあ、いえ、逃げたじゃなくて…その、にげぇーって吐いちゃって」
「それで?そのアンジェはどこに?」
「お、俺、アンジェが良くなったし、揺らしたら気分が悪くなると思って家に寝かせてきました」
―ほっ、何とか誤魔化した!
僅かに安堵の色を浮かべたセリオンの顔が目に入ったレナート神父は怪しんだ。
目を泳がせてしどろもどろに答えたディオに代わって、今度はセリオンが急いで口を挟む。
「それじゃあ、落ち着いたようなので、アンジェが心配なので帰ります」
神父が、「ちょっと」と、声を掛ける前にセリオンがさっさとディオの手をぐいと取って敷地の外に出ようとすると、そんなふたりの努力をぶち壊す、天からの浮遊物が降ってきた。
びゅーーーーん!という勢いでセリオンの脳天にぶつかって来たのはへべれけに酔った赤ん坊、アンジェだった。
*ゴン!*
「痛ってえええぇーーーー!!!」
眼から火が出たセリオンが頭を抱えてうずくまった。
アンジェはぶつかった勢いでバラの木に産着が引っ掛かり、フヨフヨと浮かんだままジタバタしていた。
よく見るとでっかい鳥を抱えている。
「ばっぶーー!だーーい!!」
『このやさぐれ渡り鳥!喧嘩、売るなら買うよー!あたしにぶつかって来たうえに、突っつこうなんて!鴨鍋にしてやるからねー!』
「ガア!ガアア!ガア!」
『もうしない!しませんから勘弁してー!ええい!離さんかこの悪魔!』
空中に浮かんだまま悪態をついている赤子とヘッドロックをされて、ギャアギャアともがいて、何とかつついて逃げようとしている鴨を、目を丸くしたレナート神父が見つめる。
『悪魔だとー!この鴨!鴨鍋決定よー!』
酔っぱらって感情に任せ、鴨にわめいる声は、その場にいた人間と教会の屋根に降りた仲間の鴨にまで聞こえた。
「「「「ガアガアガア!」」」」
『アッカ隊長が鴨鍋にされる!』
『うわーん!神様助けて!』
神父がガアガアと教会の屋根に降り立って騒ぐ鴨の群れを見上げると、目を丸くして呆気にとられた。
そのとき、バラの棘に産着が千切れ、アンジェが鴨と一緒に高く浮かぶ前にレナート神父が素早く捕まえると、抱えこんだアンジェと鴨を脇に抑え込み、ふたりを振り返って尋ねた。
「何ですか?これは?アンジェですよね?」
「終わった…ディオすまん」
観念したセリオンが天を仰いでポツリと呟くと、ディオが堪えきれずにシクシクと泣き出した。
教会の敷地にある神父の住居である小さな家の台所の隅で、プルプル震えている鴨と、行く手を阻むように手を広げて、相変わらずそれを睨んでいるアンジェは柱に紐で括りつけられている。
そして、相も変わらずフヨフヨと浮かびながら酔いは醒めていない。
最初は信じられないという顔でいたレナート神父だったが、浮かんでいるアンジェを暫く眺めるとふたりに向き直り改めて聞いた。
「二人とも教えて下さい、アンジェはどういう子ですか?」
意外に落ち着いたレナート神父の言葉に二人は覚悟を決めて話し始めた。
ただの捨て子のはずのアンジェが不思議な力があること、そして三人で兄弟として秘密を守って生きていこうと誓い合ったことを説明した。
「なるほどそうですか…」
レナート神父はセリオンの眼を見ると静かに言った。
「セリオン、心配しなくていい。君は2人を連れて逃げることを考えているだろう?しなくていい。今から私も君たちの秘密を守ると誓うよ。
だが、そのためにひとつ頼みたいことがある。救って欲しい夫婦がいるんだ、どうかアンジェのその力を貸してくれ」
「アンジェの力ですか…?」
セリオンは用心深く、レナート神父の真意をさぐるように聞いた。
もしも、神父が騒げば縛り上げてアンジェとディオを連れて逃げる気だった。
ドットリーナの宗教裁判に掛けられて、もしも悪魔、魔女の類と言われたら確実にアンジェは火刑だ、ディオだって一緒に裁かれるに違いない。
子供だからと、指締めのさらし刑で済むことはないだろう、悪魔を育てていたとなったら椅子に括りつけられて池の中に沈められる。
そのまま沈んで溺れ死ねば無罪、生きていれば男魔女。疑いを掛けられただけで死罪決定!
そんな目には合わせない、どんなことをしてもふたりを守る、セリオンは決意を秘めて平静を装って話を聞いた。
その間、セリオンとレナート神父が話すのをディオは黙って聞いていた。
…アンジェを守るためなら何でもするけど、救って欲しい夫婦?何か嫌な予感がするなあ…
ディオの胸には一抹の不安がよぎった。




