第198話 アンジェの組合
お兄様は先程別れた後、マルヴィカ卿達と乗馬に行ったようだ。
事件の関係者が全て捕まり、後は取り調べが終わるだけだなあ、そんなことを考えていると、厨房につながる廊下で、あたし達はクイージさんに声を掛けられた。
「おお、犬神さま」
クイージさんはしゃがんで手を合わせ、お座りして尻尾を振っているわんこ神を拝んだ。
『爺は信心深いのう』
いつも遭うと拝んでくれるので、神威が高まるとわんこは喜んでいる。
「あら、お嬢様。セルヴィーナ様とセリオンさんですよ」
セリオンさんの腕から、手を放したセルヴィーナ叔母様が、屈んで手を広げてくれている。
遠慮なく抱きついてクンクンと呼吸していると、とても気分が落ち着くから好きだ。
「クイージさん。明日のプリンはよろしくな」
「勿論じゃ。しかし、あんなに多い数を作らにゃならんとは。ここの屋敷の冷蔵室が大きくて助かったわい。
それじゃ昼前には全て注文の数を作っておくからな」
クイージさんが去ると、セリオンさんがニヤリと笑って、あたしの前に立った。
「アンジェ、明日、おまえの歌をやってくれ」
え~、前やったときは、しこたま怒ったくせに~。
口を尖らせてぶうぶう言っていると、敵は宥めすかせてきた。
「まあ、そういうなよ。アンジェの才能が最大に活かせる方法が見つかったんだ。人の役に立つんだから頑張れよ。ルトガーさんも喜ぶぞ」
むう、パパが喜んでくれるなら、張り切って歌うしかない。
「ルビー、伴奏はよろしく」
「ええ、お任せ下さい。アンジェ、一緒に頑張りましょうね」
「あい!」
『なあ、セリオンは船に乗っているとき、セルヴィーナさんと呼んでいたのに、いつからルビーと呼ぶくらい仲良くなったんじゃ?』
「うう!」
「あれ?セリオンさんは、どちらも呼んでいるよ」
「そうでちゅね。アンジェも両方の呼び方で聞いてまちゅよ」
『その理由は、わしが思うに…』
「「「ほう!」」」
ダリアさんとディオ兄と、3人で思わず喰いついちゃったよ。
*ドキドキドキ*
『手を握れるようになってからじゃー!』
おお、なるほどそういえば、セリオンさんは人が見ていないと思って、セルヴィーナ叔母様の手を握っているときがよくある。
「じゃあ、手を握った後は「ルビー」なんでちゅね」
俺の彼女―!って感じで「ルビー」だったのか。
セルヴィーナ叔母様が恥かしそうに、赤く染まった両頬に手を当てている。
ディオ兄がひそひそと耳うちをした。
「手を握ったくらいで態度が変わっちゃうなんて。セリオンさんって結構奥手なんだねえ。意外だねえ」
「性格はひねてまちゅが、色恋は素直でうぶでちゅね」
「おまえらガキのくせに何をしゃべっているー!」
真っ赤な顔のセリオンさんが、狼狽えていると、ダリアさんが、何を今さらと不思議そうに言った。
「あら、セリオンさんは騎士叙勲式に合わせて、入籍したはずですよ。ダリアはそう聞いていましたよ。
エルハナス家の実子届、セリオンさんの騎士紋章、セルヴィーナ様との結婚によるオルテンシアの婿入り、どれも紋章の変更が必要になって来ます。
これらをいちいち紋章院にやってもらうのは、手続きが複雑になってグリマルト卿に悪いという事で、一度の紋章手続きで済ませるため、一緒に登録したと聞いています」
「それじゃ、セリオンさんは、セルヴィーナ叔母様と既に結婚したことになっているの?」
「そういうことです」
「そ、それじゃ、俺たちはもう夫婦なのか?」
セリオンさんの顔が、真っ赤になったと思ったら、微妙に口元がにやけてきている。いつもはニヒルなのに、てれてれと…。
「セリオンさんも男だったのにぇ…」
「なに言ってるのアンジェ?」
ディオ兄はお子ちゃまなので、意味がよく分からないようだ。
「セリオンさんのせいで、お子様の教育に悪いです」
ダリアさんが、男の業を背負ったセリオンさんを、冷ややかな眼で見ている。
「そんな不埒なことを考えたのなら、親としてお仕置きせねばならんな」
いつの間にか、ぬうっと現れたカラブリア卿のアイアンクローが、セリオンさんの顔をがっちり捉えた。
「いだだだだ」
*ギリギリギリ*
カラブリア卿の指が、セリオンさんの顔を覆ってめり込んでいく。
「カラブリア卿は俺より少々背が低いが、手は俺より大きい。俺も子供のときはよくあれでお仕置きされたもんだ」
パパが後ろから現れて、懐かしそうにいった。ママもニコニコして一緒に立っている。
「で、でも父上が、セリオンさんの騎士の反撃を受けちゃう!」
「それは出来ん。何故ならわしはセリオンの父親だからだ」
騎士の反撃は赤の他人の敵のみ!身内は対象外だ。
いくら先にやられたとしても、へたに親や女性に反撃なんかしたら、騎士道どころか世間から非難される。
「オホホ、そういうこと、私も姉だからセリオンは反撃できないのよ」
カメリアママが楽しそうに笑った。何か企んで…い…る。
手に鞭を持ってるー!!!
「オホホ、セリオ~ン。騎士は女性に品行方正な紳士として接すべし。
来年の春に正式に結婚式を挙げるのだから、まだまだ煩悩垂れ流しちゃだめよ。
次はこの姉の教育的指導を受けなさい」
そういうとママは手にしていた鞭をセリオンさんに向けた。
*ピシィィィーーーン*
「ひえええええぇぇ」
その後、セリオンさんは、子供の前でヘラヘラと鼻の下を伸ばしたという事で、騎士道に反するとパパにガッツリ怒られていた。
* * * *
船長は戸惑っていた。
捕らえられた牢から取り調べ室に呼ばれて、何故か今まで味わったことが無い美味い「プリン」とかいうものを食べさせられた。
聞けば今回捕まった犯罪者に全て振舞われたらしい。
食べていると、取り調べにセリオンという男がやって来た。
彼がオルテンシア家の婿だと、後から聞いた。
もう逃げも隠れもするつもりは無いので、質問には正直に話した。いや、何と言うか話さずにはいられなかったのだ。
心の底から、みんな話してしまいたくなったのが不思議だ。
牢に戻ると、仲間はみな同じように、プリンを食べてから取り調べを受けたらしい。
いったい何で美味い物を食わせてくれたのか、訳が分からないが、死ぬ前の情けと思えば納得がいく。
ハイランジア家の跡取り娘を殺そうとした男が船員だったのだ。
あのふたりは港で死体になって見つかった。どうやら殺し合いをしたらしいが、自分達も同じような奴らだと思われても仕方がない。
船長の自分が縛り首になるのは覚悟の上だが、部下の船員たちが心配だ。
もはや死の覚悟は出来ていた…なのに。
再度、取調室につれて行かれたら、なんと、ちんまりとした子供がいた。
すぐに自分を倒したハイランジア家の子供だと判った。
なにせ、子供たちの後ろには、あの狂乱の貴公子こと、ベルトガーザ・ハイランジアが奥に座っていたからだ。
それに、もうひとり紺色の髪の男の子がいる。こちらの方は、看守が噂していた「鬼畜童子」こと、エルハナス家の末子だろう。
いったい何の用だろうと、心のなかで悩みながらも勧められた椅子に座った。
「俺はハイランジア卿だ。君はギデオンというそうだな。目の前の女の子は俺の娘、もうひとりの男の子は、我が家の婿になる予定のデスティーノだ」
「お義父さんたら違うでしょ。俺のアンジェの婿は、予定じゃなくて決定でしょ?そうだよね、アンジェ」
ちっこい女の子の目が一瞬泳いだが、「ふぁい…」と意味深な笑顔で応えている。どうやら貴族にありがちな家同士の結婚らしい。
船長がそんなことを考えていると、アンジェが話の本題を話した。
「船長しゃん、バッソの領民になってアンジェの子分になってくだちゃい」
「へ?」
「アンジェは新しい遍歴職人の組合を作りたいのでちゅ。船長さんと御仲間には、是非ともその第一号になってもらいたいのでちゅ」
勝負する前に子分になるって言ったでしょ?と言うと、船長さんはハッとした。どうやらすっかり忘れていたらしい。
「船にいた人たちは人買いに関わってないと判りまちた。だから、船長さんたちの罪は軽いので、アンジェが身柄を預かることを許ちてもらえたのでちゅ」
「あ、あのときの約束で、俺らの命を助けて下さるってことですか?」
「アンジェはもう船長の親分でちゅ。正直者の子分の命は守りまちゅよ」
船長さんはグスンと鼻を鳴らすとひたすら頭を下げて感謝した。
「アンジェが優しくて良かったね、船長さん」
その後は、あたしはわいわいと船長と相談しながらマンゾーニ卿に渡すための書類を作った。
* * * *
職人組合の名前は起源説に基づいて名前が付けられている。
創設者にアンジェリーチェ・ハイランジア。
その組合代表代理人はバッソ領民、ギデオン船長。
職人組合名は「アンジェのお友達たち」
「な、なんで内務大臣が直々に新設の組合の届を受けるんですか?」
船長とその部下たちは、元内務大臣のマンゾーニ卿を前にして狼狽えていた。バッソのハイランジア卿の預かりとなった彼らは牢から出され、簡素だが清潔な宿に軟禁となっていた。
アンジェから、職人組合結成の申請受付の人が、来るからと言われていたが、まさか元内務大臣が直々に宿にやって来るとは
「今の内務大臣は、わしの息子だ。わしは広域犯罪捜査部の長官」
いや、そういう細かいことじゃないんですけど!と船員たちは心のなかで突っ込んだ。
「あのそこじゃなくて、こんな出来立てのちっぽけな組合を、なんで元内務大臣が創設届の受理なんてしてくれるんです?」
「ばっぁかもーーーん!!わしが後見人を引き受けたアンジェリーチェ・ハイランジアが設立する組合申請だぞー!
このマルチェロ・マンゾーニが関わるのが筋だろうがー!」
いや、ますます分かんねえよ!子供の後見人というだけで組合つくるか!と船員たちは心のなかで叫んだ。
彼らにマンゾーニ卿の真意が読めない。
― ふふふ、この組合をどんどん大きくして、アンジェに、お爺ちゃん素敵と感謝されるぞ!
マンゾーニ卿は何が楽しいのか鼻歌混じりに書類を確認していた。
「お前たちの出す書類は…と、組合名は…はあ?「アンジェのお友達」だと?こら、おまえら貴族の跡継ぎを、他所もんに呼び捨ての愛称で呼ばせる気か?
仮にもお前たちはアンジェに命を助けて貰って、組合の創立をするんだろうが。領主のエルハナス家が裁判をしていたら、とっくに首チョンパだぞ!
感謝を込めてアンジェリーチェ様と書かんか!はあ?アンジェが書いた?
それでも気を利かして書かなきゃ駄目だろうが。」
めんどくさいジジイに捕まったと、船員たちは心のなかで呟いた。
と同時に、これだけの重要人物が気に掛けるアンジェという子供の存在に、自分達が関わった巡り合わせの不思議を感じた。
「お前たちはそれに恥じぬよう品行に気を付けるように!もしも、アンジェの名を貶めることをしたら…わかっておるな?」
そこまで言うと、マンゾーニ卿は自分の首に手を当てて、スパッと首を切る仕草をした。
そして、「わしはいつでも目を光らせているぞ」と彼らにクサビを打った。
船員たちは、背中に冷たいものが走り、生唾を吞み込んだ。
「それじゃあ、わしが良い組合名を考えてやろう♪う~ん、何にしようかな♪」
マンゾーニ卿は実に楽しそうにいうと、あれこれ思案しだし申請書の組合名を勝手に書き換えてしまった。
マンゾーニ卿は満足そうに、カッカと笑って部下を呼ぶと、直ぐに王都の息子のところに届けるようにと書類を持たせた。
そして、真っ先に受付処理をしてやれと伝えろと差し出した。
かくして、バッソ領民のための組合。「アンジェリーチェ様の下僕」が結成されたのだった。