第193話 狂乱の貴公子ふたたび
大東亜戦争時、日本陸軍は電信用に伝書鳩を育てていた。
彼らの鳩たちは優秀で、移動する車への伝書通達する「移動鳩」など、現在では再現できない高度な飛行ができた。
その伝書鳩を、この世界で最も熱心に育てているのがカラブリア卿である。
彼は苦労して目的地を往復できる伝書鳩の訓練に成功した。
昼夜問わずの放鳩訓練を重ねた優秀な鳩たちは、すっかり夜になっても、シュトロム港の警備事務所本部で指揮するカラブリア卿に報告を届けていた。
「報告します!アンジェ様は無事。坊ちゃまもセリオン様が合流して無事を確認しました」
「報告です!ヴェトロ島にアゼル様が警護兵を連れ、向かいました。
係留施設係が島の民兵と組んで、人身売買に手を染めていたそうです」
「伝令です!どうやら人身売買には貴族らしい者が絡んでいるようです」
アンジェが事件に巻き込まれたと知ると、カラブリア卿は全ての鳩を配置させて対応していた。鳩たちは夜間飛行で大忙しである。
「まったく、アンジェが危険だからと方々に伝令を飛ばし、人員を配置したおかげで、シュトロムに集まる悪党を大量に逮捕できるかもと思ったが。
貴族が絡んでいるのか…これはキッチリと証拠を掴まんと、根絶やしできそうもないな。街道も固めているが、上手くやってくれると良いが」
「また伝令です。ハイランジア卿が岬で崖から飛び降りて、アンジェ様の救出に成功したようです」
絶句したカラブリア卿は天井を見上げて言葉を投げた。
「あいつは子供のときから相変わらず…いつ迄バカをやるんだぁー?」
ブツブツと言いながら卿は、また報告の整理と指揮に没頭した。
* * * *
真っ暗な崖を飛び降りて来たパパ、服はボロボロなのに何で怪我が無いのか不思議だ。パパの肩に縫いぐるみが引っ付いている。
わんこが呟く。
『領主殿は、伝令役のセルヴィーナの縫いぐるみが一緒だから、わしらの場所が分かったのだな』
それじゃ、ここはオルテンシア教会の近くなのかな?
あたしを抱っこしたまま、パパは手のひらに乗せた小さな縫いぐるみを出した。縫いぐるみのワンコは尻尾を振っていたが、すぐにピクリとも動かなくなった。
「教会で祈っていたら、この子がアンジェからの知らせを教えてくれてね。
後をついて行ったら、岬の下に飛び降りたので、ついて来たんだ。
そうしたらやっぱりアンジェがいたという訳さ」
…凄いなパパ、躊躇いもせずに縫いぐるみの後に付いて来たのか。
すると、パパはポケットから一枚の栞をだした。押し花かと思ったらピンクの斑入りの葉っぱが貼ってある。
パパにあげた四つ葉のクローバーの御守りだ。
「アンジェの御守り、これが有るからパパはいつでも勇気凛々だよ」
縫いぐるみをあたしの手に握らせると、パパはギュッと抱きしめてくれた。
「あの親子の対面中で申し訳ないんですけど…俺たちはやっぱり処罰を受けるんでしょうか?」
恐る恐る船長が尋ねると、パパがギロリと睨んで恫喝した。
「はあ?俺の娘の誘拐に関与しておいてタダで済むと思ってるのかー?」
ひいっと、船上に集まっている人々の間から絶望的な悲鳴が上がった。
「パパ、アンジェは誘拐されたんじゃないでちゅよ」
「ほう?」
「港でボートのおじさんにオールで殴られて、気絶してる間に海に放り込まれたでちゅ。強盗殺人未遂に遭いまちた」
「何だと―!アンジェをオールでぶちのめした奴は、どこにいる?隠すと為にならんぞ!まとめてぶっ殺すー!」
ひえ!こんなに怒ったパパは初めて見たので、こちらもびっくり。
順を追って説明するんだった。余計に怒り出したパパを慌てて止めた。
「パパ、犯人の2人はこの船にいないでちゅよ。アンジェは犯人の顔を覚えてまちゅ。ロイス君によるとボートで逃げたらしいでちゅ」
そこで詳しい経緯を説明したのだが、親友のアルゼさんを利用して悪事を働いた上に、首飾りを奪うためにあたしが殺されそうになったと聞いて、パパは怒髪天をつく勢いだ。
甲板に正座させられている船員さんたちは、ビクビクと小さくなっている。
しかし、船首やぐらの上で、動物園のクマみたいに動きながら怒る、パパの興奮状態をみてコッソリ話し始めた。
(変わらねえなあ、狂乱の貴公子…)
(怒り狂ったときの暴れっぷりは、思い出しても寒気がするぜ)
(おっさんになって落ち着いたって聞いたんだが…)
(すぐに俺達を殴らないだけ人間が出来たんじゃねえか?)
(もう関わらないよう、わざわざリゾドラード王国在住の船長に弟子入りして、一人前になったのに、こんな所で遭うなんて…)
(しかし、子供を殴って海に放り込むような悪党なら、きっとあいつらじゃないか?)
(ちげえねえ!くそ!あの悪党ども俺達を巻き込みやがって!)
肩車をされたままパパの顔を覗き込むように伝えた。
「パパ、この人たちに聞きたいことが有るので降ろちてくだちゃい」
「大丈夫かい?アンジェを虐めたら、パパがどついてあげるから、すぐに言うんだよ」
― 大男を手刀でダウンさせる子供を誰が虐めるんだ!
いま、さり気なく心の声が聞こえた気がする。
「船長しゃん、さっき聞きまちたけど、随分と新しい索具が多いでちゅね。
なのに、この船は古いし、外洋向けじゃありまちぇん。
決して安くはない滑車付きの索具を付けてまで、この船で来たのは何故でちゅか?」
「え?ああ、実は、あれは俺達の物じゃないです。
船だけは、親方が引退して、安く譲り受けた俺らの船ですが。
あの索具は借金取りに外洋に出ろと無理強いされて、船員が少なくても操作できるよう、無理矢理つけられたんです」
仲間の船乗りたちが、船長の言葉を補足するように口々に訴えた。
「船長は流行り病になった俺たちのために借金したんです」
「借金の相手が嫌な野郎で、船を差し押さえられちまって」
「とんでもない利息をふっかけやがった!」
「それで、こんな仕事を無理やり押し付けられる羽目に」
「ようするに黒幕がいるってことでちゅね」
「はい、リゾドラードの港で指示されました。
そのとき、何とか断ろうと、近いとはいえ外洋に出るなら、索具を新しくてもやはり人員が足りないと言ったんです。
そうしたら、3人も連れて来たんで、もう出航するしかなくなって」
なるほど、女性達を売り飛ばそうとした奴らが、目立たない船に目をつけて、借金で脅して犯罪に引き込んだのか。
しかし、リゾドラード王国からとなると、かなり大掛かりな犯罪組織になるかもしれない。
「それじゃ、アンジェを襲った2人は、船長さん達の仲間じゃないということでちゅね」
「お、お嬢様の仰る通りです。女を殴るなんて勝手をしたので、この仕事の後は解雇したいくらいで…」
「むう、それでは、そいつらを逃がさんようにしないと。
こら、お前ら!取り調べが終わるまで逃げたら命は無いからな!」
「そんな元気ないですよ…」
すっかり逃げる気も失せている船長たちは、トホホと情けない声を出して肩を落とした。
船長は壊れかけた船を悲しそうに眺めてからパパに伝えた。
「それより、この船は浸水が始まってます。小さい子供がここにいては危険ですよ」
「確かにそうだな。俺はアンジェを連れて登れるが、おまえ達は無理か…」
心配そうな船長と思案するパパの後ろから、暗い海にライトが見えた。
あれ?この時代にライトって在ったのかな?
『アンジェ、あれは先程のレンズとかいう物じゃないか?』
わんこが言うとおりだ。さっきのフレネル・レンズの灯りに違いない。
その灯りはどんどん近くなって、大声で呼びかける声も聞こえて来た。
「おーい!アンジェちゃーん!無事かぁー!」
やはりアルゼさんだ!レンズをつけたランタンでこちらを照らしながら、警備兵さん達と一緒に大きめの船で近づいて来る。
「無事でちゅよー!」
パパに肩車してもらって、大きく手を振って返事をした。
* * * *
昔、ハイランジアの子孫で、手のつけられない暴れん坊の悪ガキがいた。
その子供は、家の方針で他家に預けられると益々荒れて、大人相手に喧嘩を吹っ掛けて勝利する、とんでもない天下御免の悪童となった。
そのうち、誰がつけたか、子供のくせにふたつ名が付くほど有名になった。
やがて青年になった彼は、子供の頃から思いを寄せていた令嬢が婚約することになり、またもや荒れて喧嘩に明け暮れるようになった。
相手が何人いようとお構いなしの、激しく狂った暴れっぷりは、巷の噂になった。
そんな彼も弱者は相手にせず、普段の振る舞いは紳士的であったので、街の女達から憧れの目で見られていた。
やがて彼は、顔立ちの美しさと、狂暴なほどの戦い方と、孤高の気品を併せ持つ“狂乱の貴公子”と呼ばれる様になる。
若きベルトガーザ・ハイランジアの青年時代のふたつ名である。
その彼も、まさか自分の娘となったアンジェリーチェが、自分と同じふたつ名を献上されることになるとは、夢にも思っていなかっただろう。
ブクマ有難うございます、励みになります。