第189話 犬だけに、わんこ神は鬼畜!
明るく賑やかだった雇われ民兵の詰め所は、吹き飛んで一気に闇に染まった。鼻先に焦げた匂いが漂ってくる。
大混乱の人々のゲホゲホと咳込む声と悲鳴、怒鳴り声が聞こえる。どうやら派手な割に威力は無かったようだ。
あちらこちらに吹き飛んだ瓦礫の下から火がチロチロと舌を出していた。
見るも無残な詰め所の中から命からがらに、人がよろよろと這い出て来た。
林の中に隠れて、わんこ神と同化したまま様子を観察中。爆風で外に追い出された人たちはかなり殺気だっている。
ちゃぶ台の上の、尻尾を振るミニわんこを掌に乗せて、頭を指で撫でながら、のんびりと画面を眺めている。
こうやって、高みの見物をするのも楽で良いな。
『ひい、ふう、みい…9人おるな。ひとりは話に聞いた徴税官じゃな』
『できれば一ヶ所に閉じ込めたままのほうが良かったでちゅね』
『もちろんそのつもりじゃ。ところで、もう体調は戻ったじゃろ?』
『あい、元気になったでちゅ』
『よっし!それじゃあ、もう体を返すかのう』
何の前触れもなく、いきなり座敷牢に入れられて戸惑ったが、身体をもう返してくれるのか、良かった。
てっきり、何か企んでいるんじゃないかと疑ってしまったことを反省。
『それじゃバトンタッチするまえに、もう一仕事。アンジェ、準備体操でもして見ていよ』
『?』
不思議に思いながらもぼんやり眺めていると、わんこは盛大に手を振って、ピョンピョン跳ねながら大声で叫んだ。
「おーい!マヌケどもー!今のは、アンジェの仕業だじょー!悔しかったらこっちゃこいー!」
血走った目の民兵さんたちが、怒りでいっせいに睨んで来た。なんでわざわざ挑発すんのよ?
そもそも何であたしの姿で言わせるか!?
『なっ!なななっ!なに言わせるでちゅかぁーーーー!!』
言ったとたんに、夜風がすうっと冷たく吹き抜ける現実に引き戻された。
ゾワゾワと耳の後から冷気が這い上ってくる。
怒りに燃えるボロボロの男達が、狼狽するあたしに向かって走って来る。
「このガキ何をしやがったーーー!」
「ぶっ殺すーーー!」
「おらー!逃げんなよ!そこのちびー!」
どひーーー!こっちに来る!一目散に踵を返してすっ飛んだ。
いきり立った民兵たちは、剣やナイフを振りかざして迫って来る。
刃物とか、マジに幼児に向けるもんじゃないでしょうがー!
憎らしいことに、足元をちょこまか走っているわんこが楽しそうだ。
『さっきの倉庫に行くぞ。あそこに奴らを集めて閉じ込めるのじゃ!』
それならそうと先にあたしに言ってよー!
必死になって逃げる行く手を、誰かが、迎え撃つが如く夜道に現れた。
『お嬢さまー!仔犬さまー!』
あれは?ロイス君だ!
いきなりロイス君が傍に来てビックリした。走って来たのか、息も荒く胸を押さえて整えている。
彼は、あたしにちょっと微笑んだ後に、真顔になって、『聞いて下さい。あの二人が…』
「話は後でちゅー!逃げるでちゅ!!」
その場駆け足で彼に訴えた。
『…あの、なんで走っているのですか?…』
「こらああああぁぁ!てめえも仲間かあぁぁぁ!!!」
怒り狂った男達が剣を振りあげ、罵声を上げて迫って来る姿が目に入り、すぐにロイス君にも事情が呑みこめた。
『のんびりするな!全力で倉庫に行けー!』
『『ひいいいいぃぃー!!』』
祟られた後だったロイス君は、もつれそうな脚で走り出した。
『ほれほれ♪死ぬ気で走れ♪』
スキップしながらわんこが笑い。先にさっさと行ってしまった。
こやつ鬼か!可愛いなんて思ったあたしが馬鹿だったー!
ロイス君が不気味な念話を送ってきた。
『神さまは、僕に、あの男達に殴られても耐える試練を与えられたのでしょうか?』
君はこの状況で、どこのお花畑に行ってるの!
どんな苦行をすればそんな発想ができる?しなくて良い苦労はするな!
特に子供は!そんな苦労は大人になすりつけろ!
回復しているようだが、ロイス君の動きは危なっかしい。
このままでは捕まってしまうので、彼の手を掴んで引っ張りながら走った。
どういう訳か、上手くスピードがのり倉庫に辿り着けた。
そのとき、霊感の鋭いロイスは、アンジェの背中をみて妙なことに気がつき、他の者には見えない物が目に飛び込んで来た。
先行する彼女の足元が浮いている。
そして、彼女の背中には、銀白の小さな羽が生えていた。
― 天使童子?天より遣わされた子供の天使…。
ロイスの目に映ったアンジェの後姿は、オルテンシアの教会に在った壁画の天使を彷彿させるものだった。
天に召される子供の天使の絵姿。
* * * *
思いっきり走って、倉庫に雪崩れ込むと、積み上がったガラス製品の入った木箱が威圧的に、あたし達を迎えた。
わんこ神は興奮して走り回っている。
ロフトに上がる階段はさっき商品の木箱で塞いである。
『ロイス君、上のロフトによじ登って悪者から避難してくだちゃい』
『は、はい』
ドアの前に重い木箱を置いて時間稼ぎをし、急いで一緒にロフトによじ登った。
『アンジェ、一発当てれば、呪いが掛かって相手は動けなくなる。
奴ら剣を所持しているから、物が多いここは動きにくいじゃろう。
ロフト下の狭いところに追い込んで戦え』
あくまで、この、ぷりちーで、らぶりーで、可愛さ大爆発の幼児に、むくつけき男達を相手に闘えと…。
『当然じゃろ。相撲とて本来、神に奉納するための神事。
廻し姿で戦うのは、体のどこにも凶器を隠していないことを神に明かすため。
わしも相撲は大好きじゃが、この世界には無いからのう。
神楽舞も有難いが、わしはそもそも荒事が大好物じゃから、張り切って暴れて奉納してくれ♪』
「わんこは、さっきは凶器使ったでしゅよ。それって御神事では駄目でちょ」
『お前は幼児なのでハンデじゃ』
『お、おふたり、もう来てますよ!』
ドカンドカンとドアを蹴破ろうとする音が響いた。
そして、ついにドアは蹴破られて、重い木箱が弾け飛び、怒涛の勢いで怒れる9人の男達が雪崩れ込んできた。
『ロイスは邪魔にならないよう上におれ。上に登ってくる奴がいたら、その辺のガラス商品を投げつけてやれ』
『は!はい!承りました!』
『そりゃアンジェ頑張れ♪』
木箱の上でわんこがピョンピョン跳ねている。
まったくもー!仕方ない…やるか…。
積み上がった木箱の上から、登って来そうなひとりに声を掛けた。
「おーい!おじちゃん!」
上を向いたその顔面に、ポンと飛んで体重を乗せた両足がめり込んだ。
さっと飛びのくと、鼻梁からピュンと血がほとばしり、声も無く彼は倒れた。
やばい、結構ひどい怪我になるかも。
「うわー!何てことするんだ、このガキ!」
怒りの矛先が、あたし一点に集まった。
床に降りてしまった背の低いあたしは、木箱の存在で見通しが利かなくなってハンデとなり、武器の攻撃を躱すのに苦労してしまった。
ロイス君が投げる援護射撃があるが、どうにも旗色が悪い。
『じれったいのう。一ヶ所に集めろというのに、ちょいと見本を見せてやるぞ』
そういうと、わんこ神がまた体を勝手に乗っ取り、座敷牢に戻された。
ちゃぶ台の上にいた筈の白い小さな縫いぐるみが、尻尾を振って狂喜し畳部屋のなかを走り回っている。
わんこは、ぽんぽんと上に駆け上がる。そして、ロフトの片隅にある壊れた商品が入ったゴミ箱を手にした。
下からよじ登ろうとしている面々が口々に叫んでいる。
「このガキ!もう容赦しないぞ!」
「絶対とっ捕まえてやる!」
「ぶっ殺す!覚悟しろーーー!」
ニヤリと笑う自分の顔を眺めて、これはもう嫌な予感しかしなかった。
わんこ神はロフトの手すりから、ジャンプして倉庫を支える梁に降り立った。
意味の分からない行動に、男達は次の行動を見極めようとしている。
「そーら!口を開けてアホ面を下げていると、喉を切り、口が裂け、目が潰れるかもしれんぞ!」
*ガチャガチャ*
高い倉庫の梁の上で、わんこ神が抱えている樽に気がつき、彼らの顔色が見る見る間に青くなった。
中には壊れたガラス製品、いやガラス片。
ロフトに登ろうとしていた男達が、いっせいに木箱から飛び降りた。
「うわー!奥に入れ!」
下から見上げていた男たちも、我先に悲鳴交じりで狭いロフト下の隙間へと走り込んだ。
身を隠しきれない誰かが叫ぶ。
「そ、そこの箱の蓋をかぶれー!」
*ガチャン!カシャーン!ザラザラ…カチャーン*
男達が息を殺して身を縮め陰に隠れている間、わんこ神がぶちまけたガラスの破片が降り注ぐ。
ザクッ!でっかい欠片が木の床に刺さった。
「ち!うまいこと避けたか。キャハハ」
カランと音を立てて空き樽を下の階に投げ捨てると、ロフトから安心した男達の大きな溜息と呆れ声が起こった。
「まったく何しやがる、このチビ悪魔!」
顔を出してきた男達の頭を、わんこが凶器の灰皿を振りかざし、リズミカルに殴って残らず倒してしまった。
呪い付きなので、殴られた人たちは、数日は動けないだろう。
『凶器使いまくっているじゃないでちゅか…』
『武器持ち相手なら良いのじゃ♪』
やっと一息ついたら、わんこがちょっと困った顔をした。
『しかし、わし、焦って屋敷の居間で全員に姿を現してしまった。あとで記憶を何人か消しておかないと不味いのう』
『え?わんこ皆のまえで喋ったでちゅか?バレバレでちゅか?』
『喋るどころか、わし、ディオの親父に、伏して拝めとか言って噛みついちゃったのじゃ。
あとで、祟りを使って記憶を消しておけば良いか。
ちょっと後遺症が残るかもしれんがやむを得ずじゃ』
『こ、後遺症って?』
『うむ、意欲や気力が無くなって、人によっては別人の生きる屍…』
ロボトミー手術かーい!そんなもん絶対に駄目でしょうが!
『人格そのものを変えてしまうんですか!犬神さまの御業ってやっぱり凄いですね!
僕は今日から仔犬さまの信者です!』
いやいやいや!こんなろくでもない事を考える奴を崇めるなー!