第186話 わんこ神張り切る
わんこ神は島の中に、領民を虐げている者がいるのを感じた。
今は彼と同化して、漁師小屋から離れ、ひとりでひた走っているところだ。
暗くなって来た小道を全力で走る先に、倉庫らしき建物が見える。
先程、わんこ神の指示で漁師小屋を社とした。焼いた干し魚をお供えとして、セルヴィーナ叔母様の作ったわんこの縫いぐるみを御神体にした。
ロイス君は置いて来た。というか、神楽を舞った後、疲れ果てて座り込んでしまったのだ。
霊感がするどいロイス君が神楽を舞ってくれたお陰で(強制だけど)、島は完全にわんこ神の力が及ぶようになった。
「アンジェ、もう大丈夫じゃろ?わしが、お前の代わりに体の不調を全て受けてやるでのう。
領主殿のところに帰るまで、大人しくしておるが良い」
『あい、さっきは有難うでちゅ。アンジェの痛みを代わってくれて、わんこは苦しくなかったでちゅか?』
「わしは呪術の道具にされた祟り紳じゃぞ。痛み苦しみなぞ慣れておる。
それに、小さなおまえに、辛い思いをさせたくなかっただけじゃ」
うう、なんかしんみり来る。わんこ神がここまで優しい心を持っていたなんて、さすが子供を護る神だと豪語するだけはあるのね。
えらいな、見直したよ。あのままだと、あたしは死にかねなかったもん。
視界の端にチラリと二人組の悪党が目に入った。
『ところで、何であのふたりを縛り直したんでちゅか?』
わんこ神は、ロイス君に命じて、犯人の背骨を弓上にそるようにして、両手足に縛り付けた。
「ああ、海老ぞり姿勢で手と足を縛ったことか?本当はあの姿勢で吊るしてやりたかったがのう。
あの小屋にはしっかりした梁がなかったから諦めたのじゃ」
『どうするつもりだったのでちゅか?』
「吊るして己の体重で脱臼をおこしたら、面白かったんじゃがのう♪
まあ捻挫で今は我慢してやったのじゃ」
『どうして捻挫になるでちゅか?』
「あの窮屈な姿勢で、寒い小屋の冷たい土間で放置じゃぞ。そのうち緊張した腰の筋肉を冷やして捻挫するぞ♪ほれ、ギックリ腰というやつじゃ♪」
ひえーーー!魔女の一撃ってやつですか!前世のあたしは経験者!
マラソンランナーがゴールした瞬間にギックリ!
幼稚園児がギックリとか、意外と体力、年齢を問わないのだ。
オリンピックの鉄棒演技で着地した瞬間にギックリ!それでも金メダル取った内村航平選手は凄い根性。
あの痛さを、あいつらが味わうと思うと胸がすくよ!ワハハ♪
「ケケケ!わしが祟ったのじゃ、確実にギックリ来るぞー!」
『ウヒャヒャ!アンジェを殴った罰でちゅ。あの痛さ、たっぷり味わうでちゅよ~!』
傍からみたら、幼児一人でウケケケと笑って不気味に違いない。
『そういえば、なんでロイス君は動けなくなったにょ?わんこが治しちゃ駄目って言ったけど』
『ロイスは14歳、神楽を舞ったために、霊障で軽く祟られたのじゃ。
わしへの神楽舞は、もっと子供じゃないと危ないでのう。
カラブリアでもわしを祀ってくれることになったのじゃ。フェルディナンドが舞ったのじゃが、きっと寝込んでおるじゃろう。
霊障は治療の負担が大きい、それで、おまえに治させなかったのじゃ』
…手伝ってくれた人にまで霊障、当のわんこですら歯止めがないなんて…。
祟り神って酷いなあ…。あ!それより。
『ところで、アンジェがいるここは何処でちゅか?お部屋に丸いちゃぶ台と、お茶菓子の道具と、座布団があるでちゅが?』
「そこは精神の座敷牢じゃ。わしが祟り神のとき、乗り移った奴を閉じ込めた場所じゃよ。おまえはわしが憑いているから、発狂することは無いから安心しろ。
ちゃぶ台と茶菓子はサービスじゃ。
お前は頭の怪我を治したばかり、わしがお前の身体の管理をしながら悪党を一掃するから、後は、わしに任せてそこでゆっくりするが良い」
なるほど、わんこ神なりに気を使ってくれたのか。
…なんかさらっと不気味なこと言った気がするけど、気にするのは止めよう。
この子なりの優しさからやった事だ。
座った座布団の下の畳の縁を指でなぞると、本物の感触としか思えない再現力に驚いた。イグサの匂いまでする。
「完全に憑依するとな、精神を操れるから、そのくらいの五感は再現できるのじゃ。お前は、吐いて胃が空っぽじゃ。腹が空いている筈だが、感じないじゃろ?」
『確かに、そういえばそうでちゅね』
わんこが、あたしに完全憑依すると、こういうふうになるのか。
しかし、お笑いのコントに出て来る和室の部屋みたいだな。
憑依したわんこ神の行動は、目の前に浮かぶ大画面のスクリーンに映り、確認できる。
しようがない、ちゃぶ台にあった味噌味の煎餅をかじりながら観戦するしかないか。
*ぼりぼり*
懐かしい味…美味しいなあ。乾燥青ネギが載せてあるのが嬉しい。こっちでは味わえないから、たまに憑依されるのもいいかも♪
お魚の漢字模様の湯飲みに緑茶を淹れる。
*ずずず~*
あたし好みのしっかりした渋味の浅蒸し茶が美味い。
あれ?このちゃぶ台の上のわんこの縫いぐるみは何かな?
「その縫いぐるみは、わしの気分を表わしておる。おまえ、ひとりだと寂しいじゃろ?それをわしだと思って見物していろ」
なるほど、それにしてもわんこの気遣いが緑茶みたいに沁みるななあ…。
祟り紳でも、やっぱりこの子は可愛いな。
こちらでしみじみとくつろいでいると、わんこが張り切りだした。
『この島、悪党が結構おるぞ。領主殿のためにも退治してやるぞー!』
おお、すでにやる気満々。わんこ神は敵意のある人たちを感知している。
頑張ってね、今回はわんこにお任せだわ。
うずうずと興奮が伝わって来る。ちゃぶ台の縫いぐるみが尻尾を振りだした。
すると、馬車襲撃のときと同じような唄が、部屋から響きだした。
あのときは、唄のあと大暴れしたっけ。
…あんまり酷いことはしないでね。
すると縫いぐるみがプイッと横を向いた。
ちょっと、嫌な予感がしてきた…。
* * * *
レンガ造りのガラス工場の倉庫、見張りがひとり立っていた。
「退屈で堪んねえや…。早いとこ交代してくれないかな…何だ?あれ?」
すっかり暗くなっている。海から上がって来る小道から、何かがやって来る。
ほんのりと白い影が、暗い夜道を滑るようにこちらに向かって来る。
見張りは不気味に感じ、息を呑んで剣を構えた。
不気味な子供の声がハッキリと、頭の中で響き始めた。
悪行見逃す人の世をば そんなものぞと思うなら♪
六道外れし外道ども 道を糺して進ぜましょう♪
か弱きものに成り代わり 恨み晴らしておくれなら♪
畜生道に生まれども 塞の神でも拝みましょう♪
「なんだこの歌は?島の子供はみんな集めた筈、まだ子供がいたのか?」
唄が終わると、暗がりからようやく姿が現れた。小さな子供が楽しそうに踊りながらそばにやって来る。
「おい!そこのガキ、ちょっとこっちに来い!」
腰の剣をチラつかせる。それだけで、子供は怯えて言いなりになる。
筈だった…。
「こんばんは~♪アンジェを呼んだでちゅか?」
ニコニコしていて緊張感がない、妙に肝の据わった幼児だ。
幼児の眼の前で、抜いた剣を突き出した見張りは怒鳴った。
「どっから逃げた?さっさと中で他のガキどもと一緒にいろ!」
子供だと、ほんの少しの間、見張りは気を抜いてしまった。
「先ずは貴様を血祭りじゃ」
アンジェの姿がふわりと浮かび、小さな足が男の前歯を叩き折った。
* * * *
あたしの姿をしたわんこ神は、倒れていた見張りを、両の足首を抱えるとぶんぶんと回してポーンと草原に放り出した。
田舎のお爺ちゃんが河原で蛇を見つけたとき、尻尾を掴んで振り回したあげく、放り投げたっけ…。
「うひょひょひょ、やっぱりお前の体は馴染みが良いのう」
『わんこ!幼児がジャイアントスイングなんて不自然でちゅよ。あんまりアンジェの姿で、変な乱暴しないでにぇ…』
……………………………………。
…静寂が続いた…。
こら!なんで返事をしない!もの凄く不安になっちゃうだろうが!!!
写し出された自分、わんこを通して見る自分が非常に悪い顔をしている。
夜道、こんな子に会ったらビビるくらい凶悪な顔がニヤリと笑った。
「ウヒャヒャヒャ!久々に暴れるじょー!うおー!」
あたしの口を借りて雄たけびをあげるの、やめてんかぁー!
コッソリと広い倉庫の内部に入る。ほの暗い倉庫の隅に木箱が積み上がっていて、その向こうから、ランタンの灯りに照らされ男達の影が浮んでいる。
積まれた木箱の蓋をずらすと、中にガラス製品が乾いたシロツメクサに埋もれて収まっていた。
てっぺんの木箱の上から覗くと、テーブルを挟んで4人の男がカード遊びに興じているのが見えた。
「また俺の勝ち!」
「くっそー!」
「なんでお前だけ…今度は勝つぞ!」
そこに、可愛い子供の声、積みあげていた木箱の上から大声の御挨拶が響いた。
「悪党の皆ちゃん、こんばんはー!!」
呆気にとられている4人の男の前に、幼児が勢いよくテーブルの上に降り立った。
*ごん!ゴキン!ごん!がん!*
手にはガラス製の分厚い深皿、それって、ミステリーとかで犯人が人を殴り殺す凶器の灰皿にしか見えませんけどー!
『ち!この倉庫に敵はこれしかいないのか』
『ちょっと!わんこ!なんで大声だしてんにょー!』
『仲間を呼んでもらおうと思ったのじゃ。一網打尽にするほうが楽じゃろう?こんな奴らさっさと倒して、領主殿にお肉を供えてもらうのじゃ♪
領主殿は若いとき、ふたつ名で呼ばれるほどブイブイ鳴らしたからのう。
わしも張り切って暴れて褒めてもらうぞー!』
やめろー!見た目はあたしじゃないのー!
ぶうぶう文句を言っても無視された…。
でっかいタンコブを作って、伸びてしまった男たちの後ろの床板に、地下室があるのか木の板に取っ手が付いている。
『この地下に子供が軟禁されているようじゃが…』
わんこは今、カラブリアと、この島々の領地にお祀りしてもらって、力がみなぎっているらしい。鼻息が荒いのが怖い。
『わんこ、子供の前で殺人はやめてにぇ…』
『心配するな。お前の姿でそんなことはせんよ』
見あげると、2階はロフトになっていて、下が見下ろせる吹き抜けの状態だ。そこの木箱は小さい物ばかり置いてある。
小さなガラス製品の木箱だろう。人が隠れそうなスペースは無い。
「やっぱりじゃ、子供たちの気配がするぞ」
『降りてみまちょうか。この島で事件が起きているなら調べないと』
床の金具を持ち上げて木戸蓋をあげると、下からひんやりと湿った空気が漂って来た。
ランタンをあげてゆっくりと階段を降りて行くと、粗雑な作りの地下室の隅に何人もの子供と若い女性が数人、身を寄せて震えていた。
お読み頂き有難うございます!
時間を見つけて頑張って更新しますので、よろしくお願いします。('◇')ゞ