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いざ高き天国へ   作者: 薫風丸
第5章 うわさのハイランジア
182/288

第182話 幼児は波間に漂う

国でも指折りの規模を誇るシュトロム港、その賑やかな喧騒が届かぬ所に、地元の小舟漁師すら使わない古い小さな桟橋が在る。


乾いた鱗や外道の小魚の死骸がへばり付いた板敷きに、何の生き物がこんな跡をつけたのか分からないシミが点在している。


普段なら地元民が釣りに来る程度の桟橋に、小さな小舟が係留されている。

「そいつを乗せろ」

ボートの年長の男が、硬い樫の木のオールで殴られたアンジェを指さした。


首筋が赤く日に焼けた若い男は、桟橋に転がっていたアンジェの左腕を乱暴に掴んだ。

まるで、子供に捕まれた人形のように、彼女の体は男の手からぶら下がりボートに放り込まれた。


先に乗っていた年長の男は、すかさずオールを桟橋の木の柱にグイっと突いてボート出すと、若い男は気がせくとばかりに、アンジェの襟巻を外して投げ捨てた。


「やっぱりだ!こいつの襟巻の下から覗いていたんだ、金鎖が!しかも金の指輪とペンダントのオマケ付きだ!」


(馬鹿野郎!大声を出すな!)小声で年上の男がどやしつけた。

(す、すんません。つい、興奮しちまって)


緩やかに動き出した船上のふたりは、息を呑んで周りを注意深く見渡す。

大型船用の桟橋には人の姿は見えるが、こちらが何をしているのか、分からないほど遠い場所だ。どうやら声を聞きつける者はいない。

汚れた帆布を掛けられたアンジェは微動だにしない。


赤銅色に日に焼けた二人の男は、人目を避けてしばらく船を沖へと漕いでから獲物を検めた。

年長の男は、白い魔石を日の光にかざし、その輝きに口笛をヒューと吹いた。


「これは…宝石じゃない…。魔石じゃないか?こんな珍しい魔石は初めてだ。こりゃ大金になるぞ、大儲けだな」


「ふふ、ガキのくせに金鎖と金の指輪、おまけに魔石のペンダントですか」


若い方の男がオールを漕ぎながら不思議そうに聞いた。

「このガキの死体をなんで乗せてきたんで?」


年長の船乗りが鼻でせせら笑うように答えた。


「こいつの身なりを見ろ。貴族の子だぞ。桟橋に死体を転がしておいたら大騒ぎだ。ちょっと離れたところで海に放り込むんだよ。

そうすりゃ、親だって迷子になった挙句、うっかり落ちて溺死したと思うさ」


「なるほど、首飾りは波に揉まれて落ちたと思うわけだ」

「そういうこと」

「しかし、この着ている服も売ったら良い値になりそうなのに、残念だな」


「溺死人が身ぐるみ剥がれていたら、殺されたとバレちまうぞ。欲をかけば墓穴を掘ることになる、気をつけろ」


「へいへい、さすがボス、今まで捕まらなかっただけある。でもなんで?

子供は殺すより、人質にしたほうが金になるのに」


「確かに誘拐は大金になる。だけどな、それは仲間がいてこそなんだよ。

押し込み強盗をするより、身代金をせしめる方が難しい。


俺が昔いた組織は、狙った家の使用人のなかに仲間を送り込んでいた。

家の動きが分かるから、ほとんど失敗したことは無かったが…」


「失敗したことが有るんで?」

「そうじゃない。中には、はなから返すつもりが無かった子供もいたのさ。

濃紺色の髪とアイスブルーの目とか、特徴が有り過ぎて、頭目の目的が果たせなかった子供は売り飛ばされた」


ひと息置いて、彼は掌に収めた金鎖を眺め、しらけた顔で肩をすくめた。

「もともと頭目は、金は二の次だった。下っ端の俺には理解できなくて、おさらばしたけどな。金よりも復讐のほうが大事だとよ」


「そりゃ確かに理解できない。ハハハ」


話しをしながらも、若い男はなおも物欲しそうな視線で、ぼろ布の下から覗いているアンジェの高価な白い礼服を靴の先で持ち上げた。


男達はヴェトロ島に着岸するまえに、なんの躊躇もなくアンジェを冷たい水中に放り込んで去った。

彼女の体が波に揉まれて回転し、ザブリと空を向いた。

まだ息があったアンジェだったが、意識は戻っていなかった。


*     *      *      *


―暗い冷たい…ここは何処?寒いし、頭が割れるように痛い。


真っ暗な変な空間で、だんだん不安になっていると、わんこ神の姿が足元に座り込んで、落ち着けと言わんばかりに前足をかけた。

わんこ神がいてくれる。しゃがんで心強い味方と顔を合わせた。


仔犬特有の、すべすべした柔らかい毛並みが、白くほんわりと輝いている。

黒目がちな、可愛らしい瞳とつやつやの黒い鼻、目を縁取るびっしりと生えた短い白い睫毛、つくつくと黒く直線に伸びる髭と根元の短い毛も見える。


あれ?不思議なんで見えるの?ここは何も無くて真っ暗なんだよ?

わんこは何か言いたげだ、なのに、何も伝わってこない。

いつものような頭の中の声が聞こえない。


もどかし気に、甘えるようにキュンキュンと鳴いている。困惑のまま、わんこ神を落ち着かせようと撫でていると、いきなり誰かに彼を取り上げられた。


「今まで邪魔していたのが、こんな犬だなんて」


 それはチェロ君だった。初めて屋敷の庭で会って以来だ。本当はルチーフェロだけど、あたしが呼びにくいって言ったら、チェロで良いよって許してくれたんだ。

どうして、チェロ君がこんなところにいるの?


『やあ、アンジェ。逢いたかったよ、アルバ以来だね』

アルバ?ああ、なんで思い出せなかったのだろう。そういえば、帰るときに確かに会った。


ふふんと鼻で笑った彼は、やり投げのように助走をつけて、首根っこを掴んでいたわんこ神を、真っ暗な闇の中に遠く放り投げた。

「あああ!!何ちゅるの!」

(キャーーーン)

仔犬の小さな悲鳴が遠のいて消えた。


たったいま起こったことが怖くて信じられない。指先の血が引いて、心臓がドキドキして背筋が寒くなった。


チェロ君は、こちらに向き直るとニタニタ笑っていた。

彼は親切な子だった。なのに、この豹変ぶりはなんなの。


「わんこ!どこでちゅか?怪我してないでちゅか!」

半泣きで駆け出そうとしたらチェロ君に行く手を阻まれた。


「さあ、一緒に行こう、アンジェ。力を解放してあげる。二人で天国への足掛かり、金の柱を空に立てよう」


何を言いたいの?チェロ君は…今日の彼は…邪悪な顔をしている。

絶対に従ってはいけない、とても嫌な予感がする。

彼があたしの肩に伸ばした手を、勇気を出してピシリと払いのけた。


「アンジェは行きまちゅん。無理でちゅ」


言葉に出した途端、辺りに緊張感が走った。

チェロ君の顔が醜く歪む。それと同時に、彼のまわりの空間が、熱を孕み黒い炎となって揺らめきながら広がり始めた。


「君は従わなきゃならないんだ!共に同じ道を進むべきなんだ。だって君は僕の妹なんだから!」


間違いなく怒りに触れた。でも、それはあたしも同じことだ。

わんこ神をあんなふうに投げられて、黙っているわけにはいかない。

だって、あのこはあたしの友達なんだから!


「アンジェのお友達を虐める人には、絶対ついて行きまちぇん!それにアンジェのお兄ちゃんは、ディオ兄とフェルディナンド兄様だけでちゅ!」


ぐあ~んと耳の中に妙な音が響く。

怒りで震えている彼の姿が、見る見る間に大きくなり、覆いかぶさるほど真っ黒な狼のような魔獣になった。


「いまいましい奴がいないから、迎えに来てやったのに!我儘は許さない!

僕と一緒に来るんだ!!」


振りかざした大爪を慌ててかわす。あんなものを喰らったら、人の体は確実に引き裂かれる。てか、死ぬ!!

「逃げるなー!!!」

「嫌でちゅーーーー!」


逃げ回っていると、何もなかった漆黒の頭上から、銀の雫が千々に降れまいり、ふるふるんと揺れる虹の光を含んだシャボンの玉になった。


思わず足をとめて見入る。すると、そこに小さな影が見えたと思うと、玉がパシャリと弾けて仲良しの友達、ヤモリンが飛び出て来た。

彼はその場でせわしく動き回り叫んだ。


『嬢ちゃん!こっちでゲス!早く、早く!急がないと本当に死んじまうでゲスよ!!』

『ヤモリン!どうちてここへ?』


わちゃわちゃと足踏みをしたヤモリンが、チョロチョロと先導して走り出した。

『生き返るでゲスよ!嬢ちゃんはまだ死んじゃいけないでゲス!!』


訳がわからぬも、今が尋常ならぬ事態なのだと解った。ルチーフェロ君に追いかけられつつ、ヤモリンに先導されて闇を走りぬけたら、冷たい海水のなかで目が覚めた。

がぼがぼと口と鼻から水が入ってきて、慌てて吐き出して足を動かした。


「ぶほ!!!なに何処ここ?!」


目を見開くと、少し離れた先には島が見えている。そして、傍に誰もいない。

ヤモリンもわんこも、チェロ君もいない。どうやら夢か何か見ていたらしい。

こんなに着こんでいて、よく浮いていたものだ。とにかく、あの島に上陸しなくては、このままでは死にかねない。


「頑張って泳ぐでちゅー!」

自分を鼓舞するように気合いを入れて泳ぎだした。


 天の上からその様子を見ているふたりがいた。

「アンジェロ、私はあなたに、地上と関わっていけないと言ったのに…」

「ええ、でも、わたしは地上ではなく、天使と関わっているだけです」


アンジェロ・クストーデがそう言って微笑むと、神様も肩をすくめて、仕方ないですねえと、力なく笑った。


 片や、王都の屋敷の一室で、ルチーフェロがギリギリと歯噛みをして悔しがっていた。

「誰だ?僕の邪魔をしたのは!あのアンジェロの魔石が無くなって、死にかけているから、もう少しでアンジェが手に入ったのに!」


イライラとするその様子を、黙って眺めていたヴォルテス伯爵未亡人となった、ヴェーネレことリリアが興醒めして吐き捨てた。


「男爵家ごときのちびっ子に何ができるの。それより、あたしは大物を釣り上げる所なんだから、もっと真剣に、あたしのやることに力を注いでよ!」


 美しいだけの、その女に、ルチーフェロは心のなかで舌打ちをした。

この女はすっかり勘違いをしている。そのうち捨て駒になるのに、自分が主人になった気分でいるのだろう。


「そうだね、リリア。君はもっと輝かないといけない」

―せいぜい、今のうちに「我が世」を味わっていれば良い。おまえは所詮、アルバの墓石になる女だ。

そのときは、嫌でもアンジェに手伝ってもらうからね。


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