第171話 うわさは歌にのって
セリオンさんとディオ兄と久しぶりに連れだって、町のサングリア広場に来た。わんこもちょこまかと足元にまとわりついて付いて来る。
『なあなあ、旨そうな匂いがするぞ。なんか買ってくれ!』
食べ物の匂いに釣られて涎がダラダラ地面に垂れている。相変わらずイヌイヌしいわんこである。
仕方ないなあ。セリオンさんが財布を出す前に、抱えていたクマの縫いぐるみが着ているベストから、小銭の入った巾着を取り出す。
子供が店番をしている出店で、お芋のタルトを買って口元に差し出すとパクッと食らい付いた。
「食い意地の張った神様でちゅね」
「アンジェを護ってくれるなら安いもんでしょ」ディオ兄が笑った。
バッソの店や市場の屋台の飲食店は、最近たいへん活気が出ている。
それというのも、以前、みんなに出店指導したスイーツや料理の店が繁盛しているせいだ。安くて美味しい物をいろいろ売っている。
お祭りでもないのに、サングリア広場に吟遊詩人が来ていた。そういう人が来るのも、バッソに活気が出て来た証でもある。
吟遊詩人は4行詩の歌をうたい、よその土地の出来事や歴史を口伝する。
長い詩では4行1連で終わり、長い物だと何連も続く長編もあるそうだ。ちなみに、御先祖のハイランジア伝は100連を超すらしい…
くたびれた服装の吟遊詩人のお兄さんは、今日の宿代を御恵みをと叫んでから歌い出した。面白い出来事を曲に乗せて歌い、リュートを弾くと、人々が集まり曲の合間に拍手と楽しそうな笑い声が起こった。
吟遊詩人のお兄さんは、最後の曲に王都の最新スキャンダルを披露した。
艶な色香を身に纏い 金も心も食い潰す
そは美しき妖女なり 哀れ屋敷は朽ち果てる
広場で歌っていた曲の内容は、とある伯爵が亡くなった友人の娘というのを引き取り別邸に住まわせたが、これが実は元高級娼婦らしい。
ここでディオ兄から教育的配慮から耳をふさがれてしまった。ちぇー!
もう充分に耳年増ですから気にしなくて良いのに―!
でも大丈夫!念聴できますから♪
歌によると、白髪頭の老伯爵がいい年をして、この女に何もかも捧げんばかりに入れあげて、女に淑女として必要なあらゆる物を与えた。
そして、彼女が来た途端に奥方が謎の死を遂げ、彼女は後妻でもないのに勝手に贅沢三昧を始めた。
怒った息子が別邸に押しかけると、今度は息子が女に心を奪われてしまった。
なるほど、良くある話だわ。
『人間はどこでもいつの時代でも似たような話しばかりじゃのう』
『ほんとうね』
歌い終わった彼が差し出した帽子に見物人が金を投げ入れてくれた。
「それで、その伯爵の話は本当かい?」
「この話は、特別なツテで入手したんで。まだ王都でも、あまり噂になってないが確かな話しだよ。
さすがに名前は出せないとさ」
ちぇっ、と残念がって客たちは四散した。
セリオンさんが近づいて、小声で穴銀貨をちらりと見せて聞いた。
(その伯爵の名前を知っているんだろう?)
(もちろんです。他には内密に願いしますよ、旦那)
吟遊詩人はセリオンさんの服装を吟味してから、帽子を差し出してウインクした。黙ってセリオンさんは穴銀貨を入れた。
「ヴォルテス伯爵、王の親戚筋です。これから王宮は引っ搔き回されると思いますよ」
「なんで王宮に関係あるんだ?それに、ただの妾だろう?いくら元高級娼婦でも、王宮に出せる程の品格はないだろう」
信じられない話しでしょうが、と前置きして彼は言った。
「その女ってのは、どこで拾ったのか知れないが、恐ろしく賢い。ほんの2カ月足らず、凄まじい勢いで、ダンスもマナーも歴史もあらゆる教養を身に付けたそうです。」
「信じられないな、本当か?」
「この話は、伯爵家の古い侍女から仕入れたんです。
あの知識と教養の習得の早さは、人間技じゃないと怯えていました。
悪魔が味方でもしていない限り無理だって。それに、主人と息子、どっちも女に競うように媚びて、まるで別人になってしまったそうです。
当の侍女は気味悪がって関わるのが怖ろしいと、年齢を理由に暇乞いをしたので、他の領地に移ると言ってました」
「その伯爵の妾の名前は分かるか?」
「えっと、確かヴェーネレです。それが、妙な事にね、名前は伯爵が付けたらしいんですよ。過去の名前を言わずに転がり込んだようで」
「自分の名前を言わない?妙な女だな」
ここで黙って聞いていられなくなって念話で話に参加した。
『ねえ、それってなんか悪いことして逃げている人だってことかな?』
『アンジェもそう思うよね。俺もそうだと思うよ。自分の名前が言えないなんて、以前の俺やセリオンさんじゃあるまいし』
『おまえら聞いていたのか…まあいいが…。この話は旦那様に報告だな。
グリマルト公爵が御存知かどうか分からないが、たまたま仕入れた話でも、一応お耳に入れた方が良いだろう』
『そういえば、父上の屋敷の犯人、彼女も名前を変えているのかも』
「なあ、その女の特徴は分かるか?髪の色とか目の色とか背が高いとか」
セリオンさんが質問すると、吟遊詩人さんはうーんと首を捻って答えた。
「とにかく色っぽい女だそうで…あ!そうだ、色白で闇のように艶やかな黒髪で、それがまた妖しくて悪魔のようだったって言ってました」
どうやらカラブリア卿の屋敷の殺人犯とは違うようだ。彼女は金髪だと聞いている。
『父上は躍起になっているけど、そう簡単には見つからないか…』
セリオンさんは、吟遊詩人さんに追加の小銭をあげると、教会へと早足で立ち去ろうとした。
「ねえ、旦那、何かネタになりそうな面白い話は、バッソに無いですか?」
「残念だが何もないな。平凡な町なんだよ」
そういうと、セリオンさんはドンドンとあたし達を連れて、吟遊詩人から遠ざけた。
「セリオンさん?」
ディオ兄が前かがみでセリオンさんの顔を見上げた。
「ああいうのは出来るだけ目立たない方が良いんだ。ハイランジアの血筋だからって油断するなよ。ドットリーナ教に不信思われたらことだ」
「うん、わかった。それじゃ教会の手伝いに行こうか、兄さん」
「…ディオ…」
今日はメガイラさんと神父さんの診療所のお手伝いをしなきゃ。
パパに頼んで子供達の健康診断をしてもらった結果、いろいろと問題点が見つかった。
この世界、産まれた子が成人するまえに死亡する率は45パーセント。それで思いついて先月から始めたお昼の給食。
「みんにゃー!給食でちゅよー!」
一目散に集まってくる子供たちに、手伝いのおばちゃんとメガイラさんが整列させて、給食が載ったお盆をドンドン配っていく。
今日はベーコンと具だくさんの野菜スープと、バッソ特産のナマズフライのタルタルチーズサンド、ブルーベリーソースをいれたヨーグルトドリンク。
成長期に充分な栄養が無いと、知能体力ともに悪影響がある。それまでは、家に戻って昼食だったので、食べられない子供も多かったらしい。
そこで、バッソの子供たちの健康を願って、美味しい給食を提供することにしたのだ。
これ始めてから子供たちの出席率がぐんと上がった。
もっと小さい子供も預かって欲しいと要望もあり、託児所もこれから作る予定になっている
学校は神父さんと屋敷の人が手伝って運営しているが、そろそろ人を雇ったほうが良さそうだ。
バッソが発展するために、子供たちの教育は欠かせない。子供が健やかに生きられる社会であって欲しい。
「ほう、バッソでは子供たちに給食というものが振舞われるのか…」
振りかえると、さっきの吟遊詩人さんが窓から覗き込んでいた。
「見学は受け付けてないでしゅよ」
いやあ、アハハと頭をかくと吟遊詩人さんは窓から離れた。
吟遊詩人、ならば、あの人も遍歴職人だから組合に加入しているのか。
スレイさんはどうしているかな。
探している敵が全て同じ組合にいることは無いだろう。リスクが高すぎる。
スレイさんはディオ兄のために、自分が疑われるかもしれない危険を冒して、遺品を返してくれた。なんで敵は売らずに盗んだ品を手元に残したのかしら、証拠の品だから危険があると思うのだけど。
給食が終わった子供たちが、わんこ神と一緒にお庭で遊んでいる。
わんこ神は大好きな子供たちと走り回って満足そうだ。
「アンジェ、空を見て」
ディオ兄の声に空を見上げると、飛来するカモが目に入った。
子供たちの歓声にもひるまずに、教会の庭を目がけてバサバサと降りて来る。小さな羽毛がふわふわと目の前に浮かぶ。
するとカモは、その場にいた神父さんの胸に飛び込み、手の中にすっぽりと収まり、訴えるような目をしてプルプルと震えている。
「ど、どうしたんでしょうか、このこは?」
腕の中に収まった思ってもいなかった来客に、神父さんが動揺していると、何人かの大人たちが教会の庭に走り込んで来た。
「あ!神父さん、その鴨、俺らが捕まえようとしてたんです」
そばに控えて、成り行きを見ていたセリオンさんが、入って来た大人たちを大きく手を広げて制止した。
「ペッシェ川近辺と教会では、鴨の捕獲禁止令が出ているのを忘れたか。領民が禁を犯せばバッソ追放もある。他所の領民の場合なら禁固刑だ。今回は見逃すので、気を付けてくれ」
大人たちはちょっと残念そうだが納得して解散してくれた。
逃げ惑ったのか、羽がかなり乱れたカモは、まだ怖いのか震えたままで、神父さんの腕から降りようとしない。
神父さんは、そんなカモの頭をそっと撫でながら首をひねった。
「ところで、御触れではマガモって言ってませんでしたか?このこはカルガモですが」
アッカ隊長たちが他のカモに話したのかもしれない。どうやら他のカモもここに来れば安全だと思ったのだろう。
「おお!バッソではカモを保護しているのですか?そりゃまた何で?」
教会の木陰から声を上げたのは、さきほどの吟遊詩人さんだ。
子供たちがわらわらと彼の前に集まって口々に教えた。
「あのね、ペッシェ川でカモたちがバッソのお兄さんを助けたんだよ」
「冬の川に落ちたんだって」
「凍えて死にそうになったのよ!」
「カモが集まって体を温めてくれたんだよー!」
「男爵様のところのダミアンさんなの!」
「おかげで助かったからって、男爵様がカモを捕っちゃ駄目って!」
子供たちから良いネタを聞かせてもらったと、吟遊詩人さんは喜んで教会から出て行った。
「変な尾ひれをつけて歌わないだろうな…心配だ」
「ダミアンさんの話で、アンジェは関係ないことになっているし、大丈夫でしょ」
「そうでちゅよ。心温まるおとぎ話でちゅ」
『カモの人助けだけで、人の興味を充分ひく歌ができるじゃろう』
吟遊詩人は全国を行脚する。行った先の町から様々な噂を拾いあげて、よその土地で歌にして披露している。
受けが良いように作り直すうちに、とんでもない伝説に仕上がることもある。
やがて海の向こうにまで、アンジェリーチェ・ハイランジアの名が届くようになるのは時間の問題であった。