第168話 スレイの誓い
パパは屋敷に帰ってから、セリオンさんとディオ兄を呼んであたし達と情報を共有した。
セリオンさんもディオ兄も、スレイさんが居なくなって動揺したが、マンゾーニ卿の部下になったと聞いて安心した。
旅立つ前に、スレイさんはパパ宛てに手紙を残していた。
自分が身元を詐称していた謝罪と、全て終わったらダリアさんとバッソに住むことを許して欲しいとあった。
そして、王弟派の元騎士の集団に育てられたと告白していた。
飢餓革命のときに、王弟の起こしたクーデターに加担した騎士たちは、ほとんどが騎士身分を剥奪された。
王弟は処刑されたのに、飢餓革命の原因になった前王と皇太子は、地方の城に退位のうえ軟禁で済んでいる。
領地と身分を失った旧騎士たちの恨みを買ったのが、クーデターを阻止したエルハナス家、パパのオルテンシア家と、王についていた貴族達だった。
「領地も身分も取り上げられた彼らは、元騎士の誇りを捨て犯罪者の集団に成り下がった。スレイ達は幸いにも染まらずに育ったという訳だ」
「でも、疑問もあるでちゅ。スレイしゃんのように手下として育てられた人がいるのに、ディオ兄のように身代金を要求されずに、売り飛ばされた子供がいる訳でちょ?」
「ディオは身体的特徴がある、それに、カラブリア卿の手下たちは手練ればかりだ。だから、危険を冒してまで身代金を請求するのは諦めたのだと思う」
「それに、ディオがリヒュート、俺はアバンツォと呼ばれていた。あいつは何て呼ばれていたのか聞いていますか?」
セリオンさんの言葉に、パパは手紙には書かれていないと顔を上げた。
「たぶん、マンゾーニ卿は、敵を壊滅させるために協力するなら、過去は問わないつもりだから、無理に聞き出そうとはしないだろう。
あくまで、敵の情報を入手して、潰せればいいのだから」
それに、と言ってパパはあたしに笑顔を向けた。
「アルディラの使者は、マンゾーニ卿の命令で組織された、潜入捜査班という事になったのだ。卿の指揮下で身分を保証された。
いつかバッソに帰って来られる。アンジェのお手柄だよ」
パパのでっかい手で頭を撫でられる。足元のわんこ神が、くりくりした目で見上げて尻尾を振っている。憑依しているせいで、撫でられている嬉しさを一緒に感じることができるのだ。
「アンジェのプリンのお陰で、ダリアのためにスレイはバッソに帰ることを約束したんだ。本当にお手柄だったな」
珍しくセリオンさんがあたしを褒めている。悪い物でも食べたのか?
「なんでちゅか?プリンは別に変にゃことなかったでちゅよ?ね、ディオ兄」
「そうかなあ、俺、食べたら涙がこみ上げてきたけど…」
「絶対、おまえの歌がなんかしている。間違いない!」
グイグイと来るセリオンさんに、思わずデコピンしてしまい、パパに叱られた。
夜になり就寝時間になった。
子供部屋で旅だったスレイさんのことを考え込んでいると、ダリアさんが様子を見に来た。
「お嬢様、お休みになれませんか?」
「あ、ダリアしゃん。ちょっとスレイしゃんのこと考えてまちた」
ダリアさんはベッドの脇に座ると、躊躇いがちに口を開いた。
「ダリアは先程まで不安でした。だけど、セリオンさんから話を聞いて安心出来ました。スレイはきっと帰って来るって信じて待ちます」
はい?セリオンさんが、そんな気の利いた話ができるのだろうか?普段、人に憎まれ口か、皮肉しか言わないのに…
あ…まさか、あたし限定で憎らしいこと言っているのか?!
「お嬢様のプリンのお陰で、スレイが心からバッソで暮らしたいって言ってくれたんだって、分かりましたから」
「うーん、アンジェはプリンのせいか分かんないでちゅけど。
ところで、スレイしゃんに、晴れ着のシャツを縫って、餞別の荷物の中に入れてあげたんでちょ?きっと、喜んでいまちゅよ」
庶民は、新しい服など滅多に着られない。金回りの良い人たちのお古が売りに出されるのを買うか、家族の女性が縫ってくれるしかない。
だから、未婚の若い女性が独身の男に服を縫ってあげるのは、家族か恋人、婚約者ということだ。
「はい、それに縫ってあげたのはシャツだけじゃないです。旅行用の特製の胴巻きも縫いました。
スレイが道中無事なように、お嬢様の御守りと一緒に」
旅行中は危険も多い、そのため、スリ対策で財布を腹に巻く人が多い。
ダリアさんはスレイさんが心配で、御守り入りで作りたいというので、あたしも新たなクローバーの御守りを念入りに踊って作成した。
「アンジェ、ダリアしゃんとスレイしゃんのために、心を込めて歌って踊ったでちゅ!以前あげたのよりきっと強力でちゅよ」
ダリアさんは涙を零しながら、有難うございますと言うと、あたしを抱きしめてから、おやすみなさいと去っていった。
辺りに、静寂が訪れた。
遠くで秋の虫の声が聞こえてくる。
壁をつたって降りてきたヤモリンが、枕元に寝転がっているわんこ神のふわふわしたおなかの毛にポーンと乗った。
『涼しすぎる夜には、ちび丸さんの毛は温かくて気持ち良いでゲスね』
毛並みを気持ちが良いと褒められて、わんこ神は誇らしげに「フンフン」と鼻息を荒くした。それを横目で見ながら、ヤモリンの小っちゃな頭をそっと撫でる。
『ヤモリン、もうすぐ冬眠?』
『そうでゲス。お名残り惜しいでゲスが、冬の間はお別れでゲス。結局、嫁さん候補には、フラれまくって今年もひとりでゲス、うう』
『温魔石で室温を上げれば冬眠しないで済むの?』
『馬鹿を言うでない。それでは、自然の摂理に反する。ヤモリンの餌が無いし、彼の体に良いわけ無いではないか』
それも、そうだ。ヤモリンに何かあったら申し訳ない。
「う、アンジェ浅はかでちた」
もう秋なんだ、もうすぐアッカ隊長もやって来るだろう。
お話ができるヤモリンと馬のフレッチャ、そしてアッカ隊長とその仲間。
彼らが越冬に来れば、なんで彼らがお話できるのか分かるかもしれない。
* * * *
王都に向かったスレイ達はマンゾーニ卿とその息子バルビーノと面会するためにとある宿にいた。
卿はアンジェリーチェから3人のことを頼まれた後、エルハナス家の護衛を伴って急ぎ王都のタウンハウスに戻っていた。
王との面会の約束を取り付けてから、息子のバルビーノと新しい捜査機関を立ち上げる相談をすませると、数日後に到着したスレイ達を待っていたのだった。
「やれやれ、まさか本当にあの子がお前たちを説得できるとは、想っていなかったぞ。アルディラの使者を、内務大臣傘下になると誓わせるから、免責を与えてくれと泣いて頼んだときには、それは無理だろうと思ったのじゃが」
アンジェは、以前からアルディラの使者がマンゾーニ卿の部下だったということにすれば、捜査は水面下で進んでいたと、内務大臣としての面子を保てると進言した。
「お嬢様が?てっきり男爵様と思っておりました」
スレイとネモ、アレグロの3人は意外そうな声を上げた。
「男爵もわしも、おまえ達の正体は知らなかったし、アンジェから説明があるまで、遍歴職人が、犯人の潜伏先になっているとは思いもしなかった」
組合は国から特別な権利を与えられている。目先の金のために、その特権を手放す馬鹿な組合があるとは思わなかったわい」
組合内に自浄作用が無いと国に判断されれば、自治権は取り上げられるからだ。それは組合自体の消滅を意味する。
「アンジェはな、スレイ。お前が島の人間では無いと知ると、遍歴職人のカラクリを見抜いた。お前の戸籍は金を出して買ったんだろう?
それで、御尋ね者たちも金で戸籍を買って、遍歴職人の組合に潜り込んだと気がついた」
「確かに、俺の戸籍は島の老夫婦に頼んだのです。島を出た子供夫婦に孫がいたが、領地の籍に入れて無かったと申請してもらいました。
戸籍作成時に謝礼をし、黙っている礼に仕送りをしています」
一緒にいる息子のバルビーノの驚いた様子は、マンゾーニ卿の目に入らずに、卿はアンジェが考えた通りだと分かり興奮気味に話を続けた。
「アンジェは小さい組合組織で戸籍を売っていると睨んだ。会員が少ない組合は、敬遠されて余計に人が集まらなくなる。
それでアンジェが推理したのが、こうだ!
とある弱小組合は、死んだ組合員の戸籍を密かに売って、遺族に死亡見舞金を払う代わりに、死んだことを黙ってもらうことにした。
遍歴職人はどうせ里には帰って来ずに一生を終わる。遺族も周りに戸籍を売ったことを隠蔽しやすい。
人頭税をはじめ、全ての税金は組合を通じて収めるのでバレはしない。
組合は、新たな人員を確保、毎月の組合費が入る。犯人達が形だけの職人で構わない。他の組合員が仕事を得るだけだ。」
黙って聞いたマンゾーニ家の次期当主、バルビーノはひとり舌を巻いた。
― ハイランジアの血統とはいえ、子供の頭でここまで考えを巡らせることができるものだろうか。
軽犯罪の遍歴職人から話を聞いただけで、そこまで見抜いてしまうなんて、父上が興奮して話すわけだ。
そんな子供が、我が一族の一員だと世間に誇れないとは!なんたる無念!
マンゾーニ卿は3人にマーガレットが彫りこまれたバッジを渡した。
マンゾーニ家の意匠の花、マーガレット、これをバッジで持つものは、マンゾーニ卿の配下で働いていることを示している。
「アンジェを将来、国を支える重要な要職に就いて欲しいと、わしは願っておる。だが、あの子はバッソ以外に興味がないらしい。
今回の件で、おまえ達が裏切ったり、逃亡したら、代わりに保証人として罰を受けると、あの子は言った。正直わしはそれでも良い。
そうすれば、アンジェを迎えることが出来るかもしれないからな」
マンゾーニ卿の口の端が、くいっと楽しそうに上がった。それを見たスレイの眉根は自然と力がこもった。
「それは、まさかアンジェリーチェ様を男爵様から引き離し、閣下の養子になさる気ですか?」
「正解!それが、アンジェの罰ということだ。わしはそっちが良い!我が家に貴重な人材を確保できるからな、ワハハ」
家族思いのマンゾーニ卿が本気で言っているとは思えないが、苦笑いを浮かべたスレイが即座に誓いを立てた。
「閣下、アルディラの使者はヴェンディカトーレを殲滅するまで、あなたの下でお仕えします。今までも、あなたの指揮下で奴らを追い詰めたということにします。
しかし、奴らを一掃した、その後は解放して頂きます。
私達はバッソの領民ですので、アンジェリーチェ様にお仕えしとう御座います」
「そうそう、バッソは食い物美味いもんね。俺、明日帰りたいくらい」
「俺達は仕事を済ませたら帰ると、アンジェリーチェ様に約束したんです。
小さな子供の約束を破ったら可哀そうですからね」
相手が内務大臣だというのに、臆することなく話すアレグロとネモは、既にバッソに帰ることを胸に決めているようだった。
「閣下、バッソに戻るその日まで、私共を存分にお使いください」
ダリアが縫ってくれた晴れ着の左胸に右手をそっと添えて、必ずバッソに帰ると心に誓いながらスレイは頭を下げた。ふたりも後に習った。
アルディラの使者は、この日より内務大臣の直轄する組織となった。
ブクマ、評価有難うございます。地味な作品ですが、なんとか2年目を迎えられそうです。
ラストまで頑張りますので、よろしくお願いします。<(_ _)>