第165話 アンジェのお願い
階段下の半地下にある護衛のための夜勤用の休憩所に、セリオンとスレイが食事を持ち込んで、喋っていた。
晩餐会の後だというのに、またもや食事を取るセリオンが、トマト煮込みのハンバーグの上に乗った、こんがり焼けたチーズに舌を焦がしそうになった。
「おまえ、マンゾーニ卿達がいらっしゃるのに、お相手しないで大丈夫なの?それに、もう食ったのに、よくそんな勢いで食えるな…」
「ああ?国の内務大臣のマンゾーニ卿夫妻が御同席だったんだぞ。
しかも、エルハナス侯爵のカメリア様とアルゼ様、サリーナ伯爵の御息女、マナーが気になって、せっかくの美味い物の味がわからなかった。
よって食い直し!それにルビーは…セルヴィーナさんは結婚式のドレスの相談。俺は式まで見ちゃいけないって、追い出されたから居なくて大丈夫」
セルヴィーナの名前を言い直したのを聞いて、スレイがしみじみと言う。
「本当に結婚できるんだな…良かったな」
「俺もちょっと信じられない」
スレイのグラスにりんご酒を注ぎながら、幸せそうな笑顔でセリオンが答える。その満ちた表情を目にしたスレイも、一瞬、微笑んだ後に探るように言った。
「内務大臣の孫娘と結婚するんだから、確かに夢みたいだな。なあ、セリオンは子供のとき、スリをやって旦那様に捕まる前、貴族殺しの組織にいたのだろう?」
セリオンの表情が硬くなった。
「うん…」
「その頃のこと、あまり覚えていないんだって?」
「うん、友達のリヒュートが、一緒に逃げようとして殺された、俺のために…思い出そうとしても、あいつに申し訳ないが、よく覚えていない。
すげえ泣いたってことを覚えているだけだよ…リヒュートのことを考えると、俺だけ幸せになって申し訳ない気がする」
ルトガーとガイル以外は、明かそうとはしなかった過去なのに、何故かスレイには、詳しく尋ねられても気おくれしない。
自分の心のなかでは、後悔が抱えきれなくて、本当は誰かに聞いて貰いたいと願っていたのかもしれない。
そんなセリオンの顔を覗き込んで、スレイが力強く言い聞かせた。
「いいか、いま、坊ちゃまが無事にいるのは、おまえが根気よく通って信頼させたからだろう?お嬢様だっておまえがいなかったら、今頃、孤児院にいたかもしれない。
俺は坊ちゃまの捜索に加わっていたから、おまえがふたりの面倒を見ていたってことを知っているぞ。
リヒュートなら、お前が幸せになって、心底喜んでいるに決まっているだろうが。
相応しい幸運を手に入れたと思って、胸を張ってオルテンシア家に婿入りしろ」
そういうと、スレイは明るく「頑張れよ」と言い添えて、ポンと肩を叩いた。
― 俺って、友人らしい友人は、リヒュートとこいつだけかもしれないな…
「そういえば、ダリアに告白したんだって?結婚するのか?」
明るい話題をふったつもりが、今度は、意外にもスレイの表情が陰った気がした。少し黙り込んでから、彼はようやく口を開いた。
「ほんとうは、胸にしまっておくつもりだった。先の事が見えなかったから。けれど、このあいだ、菓子を食べながらダリアと話していたら…どうしても伝えたいって気が抑えられなくなって…バッソで暮らせるかわからないのに」
「ちょっとまて、スレイ。その菓子ってプリンかな?」
「うん、そういう名前だったな」
何故かセリオンが明らかに動揺し、溜息をついたのをみて、スレイは不思議に思った。
セリオンは食事を掻っ込んで、それじゃあと、食器の乗った盆を持つと急いでスレイに別れて出て行った。
「アンジェの歌の威力は怖ろしいな…罪人の取り調べに使えるぞ…」
せかせかと歩いていたセリオンは、足をふと止めた。
スレイはさっき「先の事が見えない」と言っていた。スレイは護衛としての腕を見込まれている。給金も高い。
― それが、なんで先が見えないなんて言うのだろう?まさか、バッソの未来が心配なのかな?もしかして、カラブリア卿のお許しかな?
ディオが頼めば、カラブリア卿は、籍の移動を許してくれるだろう。それとも他に心配ごとでもあるのか、今度ゆっくり聞いてやろう。
* * * *
子供部屋に戻る前に、浮かない顔のダリアさんが出掛けるのを見かけた。
外出用の上着を羽織っている。もう暗くなるのに何処に行くのだろう?
念で視界を広げると、屋敷の外の警邏兵さんが辻馬車を呼んでくれて、彼女が乗り込むのが見えた。念視したまま追跡していると、ガイルさんに挨拶して拘置所に入った。
ガイルさんのところなら安全だろう、帰りもちゃんと送ってくれる筈だ。
ディオ兄は今、アルゼさんに捕まっている。当分戻って来そうもない。
ママとセルヴィーナ叔母様は、マンゾーニ夫人と来年の春の結婚式について話し合っている。
パパは確か執務室にいる筈だ。さっきガイルさんが今日の報告を持ってきていたから。マンゾーニ卿はセリオンさんといるだろう。
書類を読んでから気になる事があった。遍歴職人のひとりがスレイさんと同じ出身地だ。
このことで、パパに性急に相談したいことが出来たのだ。今なら二人で話せる。と、思ったのに…マンゾーニ卿がいらっしゃるとは。
「何じゃ?アンジェはお眠じゃないのか?」
執務室に入ると、優しい笑顔でふたりに迎えられてしまった。
あう、ど、どうしよう。早く話しておきたいのに…急がないと事態が動くかもしれないのに…
パパはあたしが抱えている書類に気がついた。
「アンジェ、その書類はどうしたの?」
「あう、ガイルさんのところから、フェーデ君に持って来てもらいまちた」
「それで、パパと何を話すつもりだったのじゃ?」
マンゾーニ卿に問われても、これから話すことは内務大臣の彼には、まだ知られたくない。
というか、パパに相談してから、パパに、マンゾーニ卿を説得して欲しかったのだ。
この問題は出来れば大きくしたくないし、幼児の話で内務大臣が動くとは思えない。
戸口でモジモジと困っていたら、パパがさっと近づいて来て、抱きあげてくれた。
「マンゾーニ卿、アンジェは深刻な話があるようです。隣に客間があるので移動しましょう」
「うむ」
奥にある少し狭い客間は、パパは滅多に使わない。入ったのは初めてだ。
ふたりは小さなテーブルを挟んで、革張りの椅子に隣あって座り、パパは膝にあたしを座らせると書類を広げた。
マンゾーニ卿がそれを眺める。
「なんじゃ、遍歴職人の身元書類か。アンジェは組合を新しく作りたいと言っていたが、そのために取り寄せたのか?」
「…あい…それだけでないでちゅ」
頭を撫でながら、膝の上のあたしの様子を見ていたパパの、優しい声が頭の上から降ってきた。
「アンジェ、マンゾーニ卿夫妻はアンジェの味方だ。だから、パパやママ達と同じように頼っていい人だと考えて欲しい」
言いにくいが仕方ない、勇気を出して話そう。
「飢餓革命の後、処分を不服とした人達が、悪いことをちていまちゅよね?」
「そうだ、ディオのように誘拐された子供は何人もいる。帰って来ない子も多い。誘拐だけでなく、押し込み強盗、殺人もしている組織だ」
パパの声が自然と語気を強めている。マンゾーニ卿も腹立たし気だ。
「本当に頭に来ることに、どうしてだか奴らは捕まらない。
自分達をヴェンディカトーレと名乗っているようだとしか判っておらん」
「マンゾーニ卿を襲った犯人は、殺されたと聞きまちた」
「フォルトナのそばで死んでいた男は、アルディラの使者という奴に殺されたらしいが、そいつらの事はもっと謎だな」
パパはあたしの能力を信じて平然と説明するが、幼児にこんな話をしていいのかと、マンゾーニ卿は段々と戸惑ってきている。あたしは自然と下を向いた。
「これ、アンジェ、子供とする話題ではないぞ。何が言いたい?」
「その組織を追っている人達を、アルディラの使者を、敵の敵は味方、そういうふうに考えてくれまちぇんか?」
パパとマンゾーニ卿に緊張が走ったのが空気でわかった。
あたしはパパの膝で、体がくの字に曲がって顔を上げられない。ふたりの強い視線が注がれているのが、うなじから耳の後ろにちくちくと伝わってくる。
頭ごなしに却下されないか反応が怖い。
「アンジェ、どういうことだ?怒らないから聞かせてくれ」
「マンゾーニ卿、どうかお願いでちゅ。捕まえないでくだちゃい。良い人たちなんでちゅ…ディオ兄のことも、あの人がいたから…」
握りしめた手指が白くなる。う、ちょっと緊張して泣けてきた。
もうだめ、唇がぷるぷるする、涙がつらつらと頬を伝わって来る。
「泣かないで詳しく話しなさい、アンジェ。子供の手に余ることはパパに話してくれる約束だろう?」
いや!そんな事言っても子供の涙は止まるものではないのです。
しかし、ここは泣くのをこらえて顔を上げた。
「アンジェは、アルディラの使者が誰か知っていまちゅ。
そして、ヴェンディカトーレが何故捕まらなかったのかも。アルディラの使者は、罪人の追跡方法を知っているのでちゅ。
アルディラの使者は、攫われた子供の救済もしているのでちゅ。関係ない無実のひとを巻き込まない限り、彼らの行動に免責を与えて下ちゃい!」
言うだけ言いきったら、もう涙と鼻水は止まらなくなった。
止まらない涙越しで見る周りの世界は、ゆらゆらと心もとない。
耳にはパパとマンゾーニ卿の優し気な声が聞こえるが、何を言っているのか、泣きじゃくる自分の嗚咽で全然わからない。
力いっぱい涙を流すと、いつのまにやら、パパに抱っこされたまま夢の国に直行した。
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