第164話 ダリアの疑問
『痛いよー!痛いよー!痛いよー!』
ベッドで顔を埋めて、わんこ神がキュンキュンと鳴いている。
廊下の暗がりにいたお人形を、子供部屋に連れ帰ったとたんに、わんこ神が頭に大きなたんこぶをこしらえて飛び出て来たのだ。
そっと、触ってみると白い毛並み越しに、頭皮も裂けて血が出ている。
「今治しちゃいまちゅから、我慢してにぇ。痛いの痛いの飛んで行きぇー!」
手をかざして集中する。ほわんと浮かんだ青い光が徐々に薄く消えると、わんこ神から痛みが消えて安堵の声を出た。
『ふう、お前の能力は本当に助かるのう。いやあ、アンジェ偉いぞ』
『口先だけの御礼はいいから、これは何なのか説明しなさい』
わんこに指さした先に有るのは、ママから貰ったいかにもお値段が張りそうなお人形。可哀そうに、頭がザクロのようにパックリ割れている。
犯人はどう考えても、この子しかいない!
『わしじゃないもーん!カメリアが、やったんだもーん!』
素早くベッドの下に走り込んでわんこ神が吠えた。
『ちょいと、その人形の体を借りて出かけたら、カメリアに見つかって頭を割られたのじゃ。こんな可愛い人形の頭をメイスで叩き割るなんて、あやつは鬼じゃ!』
そんな恰好でウロウロしたらホラーだろうが…
は!まさか、そのお人形の姿でお肉あさってないよね?(汗)
わんこに尋ねたら、しばしの静寂の後にベッドのさらに奥へと、後ずさりしてお尻を向けた。やっぱり、やったんかい!
頭を割られた可哀そうなお人形を抱き上げる。無残に木地が剥きだした痛々しい額と、青く澄んだガラスの瞳を、見つめるうちに涙が溢れてきた。
えっくえっくと嗚咽が漏れだすと、ベッドから這い出してきたわんこ神が心配そうに足元にすり寄って来た。
『す、すまんアンジェ…わしが悪かった』
「うう、もういいでちゅ。わんこが無事で良かったでちゅ」
抱き上げたわんこ神が、涙の伝う頬をぺろぺろと舐めてきた。仕方ない、この子はまだ小さい子犬…はっ!ちょっと待て!
さっき、餌をねだる為に子犬の姿をしているとか言わなかった???
思い出したら涙が引っ込んだ。
ドアがノックする音が聞こえて、セルヴィーナ叔母様とママが入ってきた。
「アンジェはやっぱり泣いていたのね。そのお人形、実はママが壊してしまったの。御免なさいね」
気落ちしているカメリアママの肩に、セルヴィーナ叔母様がそっと手を添えた。そして、おずおずと、遠慮がちに茶色の縫いぐるみをみせた。
「…これは、わたしもバッソのために何かできないかと、考えて作っていた縫いぐるみなの。これをアンジェにもあげたいと思って。
素敵なお人形の代わりには、ならないかもしれないけど…」
叔母様から受け取ったのは、タオル地で作った茶色の可愛いクマちゃんだ。
部分ごとに、立体的になるように縫い合わされていて、前世の縫いぐるみと遜色ない出来だ。
「ほわぁ!クマちゃん!きゃわいー!」
リ〇ちゃんより、某動物ファミリーのほうが好きだったので大歓迎!
「お名前つけなきゃ!有難うごじゃいまちゅ!」
フカフカするクマちゃんを、ぎゅうっと抱きしめて、ピョンピョン跳ねて喜ぶとわんこ神も一緒に跳ねだした。ママと叔母様はホッとしていた。
* * * *
晩餐会の支度で慌ただしい調理場に、ダリアは給仕に駆り出されている。
今晩のメイン料理のハンバーグのトマト煮込みは、お客様全員に好評で、年を取って歯の悪いマンゾーニ夫妻にはとくに喜んでもらえた。
デザートの新作クリームパンも出し終えたし、晩餐会は無事に終わった。
客用の部屋は準備万端だし、あとは、使用人たちの食事が済めば、今日の仕事は大方片付いたといえる。
使用人の食堂では、クレアの母親がフォルトナの若いコックと一緒に、賄いを作って出していた。
夕食は簡単に盛り付けてあるが、晩餐会のメニューとほぼ同じものが出るとあって、他所の従者も大喜びだ。
― お嬢様が考えたメニューは美味しいのよね。何でもできて、さすがハイランジア!…ああ、お仕えできて本当に嬉しい。
ハイランジア・ネーラの一族に伝わる、生まれ変わりによる天使の再来のお話は、絶対にアンジェリーチェ様のことで間違いないわ。
手伝いに来た食堂の入り口で、フェーデに出会った。手には丸めてリボンで縛った書類束を持っている。食堂から漂うハンバーグの匂いに、いかにも空腹を刺激されたという顔をしている。
「うー、腹減った…」
「あらフェーデ、まだいたの?」
「うん、アンジェちゃんから頼まれた書類を貰ってくるのに、意外に時間かかってさ。やっぱり明日にすればよかった。悪いけど、アンジェちゃんに直接渡してくれる?
晩餐会のせいで、母さんが遅番で飯が作れないから、食堂で分けてもらって晩飯にするので、早く家に帰りたいんだよ」
「まあ、それじゃ、皆がお腹を空かせて、あなたを待っているのね。わかった、預かっておくわね」
調理場の奥からフェーデの母親のクレアが、夕飯を詰めたバスケットを渡すと、彼はその場にいた人たちに挨拶をして帰って行った。
フェーデが食堂から出て行くと、日雇いの使用人達が夕飯を次々に食べに来た。
ダリアは落ち着かない気分でスレイの姿を探した。
彼に想いを打ち明けられた後、ダリアは自然と彼の姿を目で追うようになっている。
― ついこの間まで、良い友達だと思っていたのに。打ちあけられてから、急に意識するようになっちゃったわ。
スレイったら、泣きながら告白するほど、想っていてくれたなんて…
そのときを思い出し、紅潮した顔を人に見られないよう、俯いたままアンジェのいる子供部屋に急いだ。
* * * *
ダリアさんが町の事務所の書類を子供部屋に届けてくれた。パパに相談するまえに、自分である程度、考えをまとめておきたかったから早く届いて有難かった。フェーデ君ありがとう。
「ふーむ、遍歴職人さんたちは、出身地はバラバラでちゅね。当たり前だけど…おや、カラブリアの人もいまちゅね。コルペーボレ島でちゅか」
ダリアさんが、おや?と耳を疑った顔をした。
そして、書類を覗き込んで「あら偶然」、と呟いてから、食堂が忙しいのを思い出して慌てて戻って行った。
「アンジェ、何を調べているの?」
「組合を作る前に、遍歴職人さんたちの書類を参考にみているのでちゅ。
ディオ兄はアルゼしゃんのお手伝いはもういいのでちゅか?」
ディオ兄が何か言う前に、アルゼさんが慌ただしく子供部屋にやって来て、彼の腕を掴んでニヤリと笑った。
「逃げようたって、そうはいかないぞ。僕は王都に帰ったら、君たちの発明品を全部、登録申請しなきゃならない。全ての説明を書きだすまで逃がさないよ。おや?アンジェちゃん。ひさしぶりだね」
お、アルゼさんだ。そういえば、まだ軽い挨拶しかしてなかった。この人の努力が無ければ、バッソの特産品が王都で大量注文を受けることは難しかっただろう。ここは丁寧に御礼を言っておこう。
「アルゼしゃん、ハイランジア家として、お忙しいなかの御足労と御厚意に感謝いたちまちゅて、御礼申し上げまちゅ。
これからも、バッソの発展のため努力いたちまちゅので、変わらぬ御愛顧をおねがい致ちまちゅ」
*ぺこり*
深々と日頃のバッソ発展のお手つだいの御礼をお伝えした。
顔を上げると、アルゼさんが宇宙人を見つけたような顔をしている。
しまった、あまりにも社交辞令だったかな?
「い、1歳児だったよね?ついこの間まで、いかにも赤ちゃんだったのに、成長が早すぎない?」
あう!やっちまった…
激しく動揺するアルゼさんに、いつのまにかやって来た、サリーナ先生が彼の肩をポンと叩いた。
「アルゼさん、ハイランジア家の身体能力が抜きんでているのは御存知でしょう?だから、アンジェリーチェ様は成長が早いのよ」
「ああ、そういえば」
「そうですよ、兄上!俺が毎日アンジェに英才教育した賜物ですよ」
「おお、そうか、なるほどディオが教育したからか。凄いぞ、我が弟!」
サリーナ先生が、さあ書類を早く書き上げましょうと、アルゼさんを追い立てながら、振り返って小さくウインクした。
『先生が来てくれて助かったね』
フォローしてくれたふたりに、手を合わせた。
危なかった、周りで疑問に思う人がいないから油断しちゃったな。マンゾーニ卿夫妻は、あたしが不自然な子供とは、おくびにも出さないし。
町の人達だって、自然な反応だし…
バッソは、あたしにとって護られた空間なのかもしれない。そう思っていると、首に下げていた白い魔石のペンダントが、呼吸をするかのように薄く輝いているように見えた。驚いて手に取ったときには光が消えていた。
* * * *
使用人たちの大半が食事を終えた頃、従業員用の食堂でダミアンが遅れてやって来た。彼は農作業で汚れた身体で食堂に入るのは申し訳ないと、風呂で汚れを落としてから食事をとるので、いつも遅くになりがちだ。
「お疲れさま、ダミアンさん。お向かいの席、良いかしら?」
「あ、ダリアさん。どうぞ、どうぞ。やっと食堂の仕事が終わったんだね」
食事中、畑の耕作具合が話題になった。現在、受刑者が畑に駆り出されているため、畑は劇的に開墾が進んでいる。中には家族を呼び寄せた者もいて、このまま、バッソで働かせて欲しいと願っている者も多い。
「旦那様の御情けのある判決で、こちらも大助かりだよ。
人手があるから、収穫後の畑を3回も鋤おこしができた畑もあるんだ。
お陰で、来年は収穫量が増えるだろうな」
「良かったですねえ。畑は大変だもの。スレイが手伝っていた頃、久々にやると、きついとぼやいていたわ」
何気ない彼女の言葉に、ダミアンが怪訝な表情を浮かべた。そして、それは間違いだろうと言った。
「手伝って貰ったとき、あまり畑仕事は知らない様子だったよ。馬の扱いに慣れているのに、馬を使って鋤を起こすのだって手間どってたし」
きっと、聞き間違いだよと、ダミアンは何の気なしに否定して、パン切れで皿のソースをきれいに拭って、口に放り込んだ。
農作業の経験がない?そんな筈ないわよ。スレイは自分の家は農家だとハッキリ言ったもの。
― 俺の村では畑が痩せていて、海辺に打ち寄せられた海藻を、塩を落として肥料にするために鋤こむんだ。
俺の住んでいた爺ちゃんたちの家は、砂浜から遠かったから、何度も往復して拾いに行くのが大変だったよ。
スレイはそう言った。「小さな寒村では先の見込みがないから、爺ちゃんと婆ちゃんが島を出るように勧めてくれた」
痩せた畑で食べて行くのが大変だから、そう彼は言ったのだ。
そうだわ、遍歴職人の書類、拘置所にいる3人のひとりが、スレイの故郷と同じコルペーボレ島だった。小さな島だから、もしかしてスレイの家のことを知っているかもしれない。
妙な不安を抱いたダリアは、疑問を確かめずにはいられなかった。