第163話 わんこ神とお人形
わんこ神はパパに叱られた後、お肉半分の罰を与えられて飢えていた。
スレイさんが厩で燻製肉を食べていたら、意地汚いわんこ神が物欲しそうにしていたので、分けてやったそうだ。
すると、この子は大喜びでガツガツ平らげると、足元に纏わりついてお代わりのおねだりをしていたという訳だ。
「甘えた声で燻製肉をねだってくるので、つい。お嬢様の可愛がっている犬に、勝手に餌をやらないように聞いていたのに、申し訳ありません」
「それで、こんなに懐いているのでちゅね。スレイさんのおやつを横取りしてちゅいまちぇん」
「いえいえ、俺も犬は好きですから」
この食い意地の汚いわんこめ!お?あたしの視線に気がついて上目遣いに見ている。あとでこってり注意を…こら!目を逸らすな!
まだ、スレイさんの足にしがみ付いているわんこ神を引きはがした。
『くそー!スレイはまだ燻製肉を持っていたのにー!もう一押しで残りをおねだりできたのにー!』
*ガウガウガウ*
見かけだけは可愛いからみんな騙される…
なおもスレイさんの燻製肉を狙って、暴れまくるわんこ神をフェーデ君が取り押さえた。
「スレイしゃん、フレッチャと遊んで良いでちゅか?」
「いいですよ。フェーデ、俺は菜園のゴミ捨て場に行くから、お嬢様をしっかりお守りしろよ」
「アンジェちゃんなら、街道の盗賊団をひとりで殲滅できる…イテテテ」
余計なことを言って、フェーデ君の頬っぺたが伸ばされた。
パッと手を離すとスレイさんは笑いながら、フェーデ君の肩にぽんと手を置き、よろしくなと言って、汚れた寝藁を乗せた手押し車を押して去った。
その後姿が消えると、フェーデ君がそっと言った。
「なあ、アンジェちゃん、この間の鍛冶のネモさん。なんか雰囲気がスレイさんに似ていないかい?」
フレッチャがフェーデ君の肩に撫でるように鼻面を乗せた。
『あたしも似ていると思うわ。それに、馬車屋の背の低い男の子も』
「フレッチャもでちゅか?」
「え?アンジェちゃん何の話?」
「あ、ごめんでちゅ。いまフレッチャが、フェーデ君の話を聞いて、馬車屋のアレグロしゃんも似ているって、いったんでちゅ」
ああ、そうかと、フェーデ君はフレッチャの瞳を見つめながら、鼻面を愛し気に撫でた。彼は動物が好きで、特にこのフレッチャが好きだ。
「いいなあ、アンジェちゃん。俺は話が聞けるのは、わんこ神だけだもん。俺もフレッチャと話せたらなあ」
『こりゃ、フェーデ!わしの話を聞けるだけでも有難いと思え』
「あはは、ごめん」
白い魔石を手に入れてから、お酒入りのボンボンがなくてもフレッチャ達と話ができるようになったが、何故か他の馬とは全く話ができない。
色々試したが、犬もわんこ神の他とは通じないし、他の動物にも試したが、意思が通じる動物はいまだに見つからない。
ヤモリンとマガモのアッカ隊長たちとは念話が通じるのに、いったい何が違うのか未だに違いがわからない。
ときどき気のせいかなと思う程度なら、聞こえることもあるのだけど、それ以上のことはちっともないのだ。
『あたしは、何故なのか分かる気がする』
『フレッチャ?』
『たぶん、楽園の民だと思うわ。人間がまだ神の作りし楽園に住んでいたとき、人間と仲が良かった動物よ』
『でも、フレッチャ以外の馬は話が通じないね』
『あたしも、そこはよく分からないのよ。でも、もしかして、鴨たちなら知っているかもしれないわ』
『アッカ隊長たち?』
『そうよ、だって彼だけでなく、群れ全部がアンジェと話ができるでしょう?』
『あ!そういえば、変だよね』
『ええ、だから、あなたの疑問はアッカ隊長が知っているかもしれないじゃない?ところで、またフェーデが暇そうよ』
「ああ、ごめんちゃい、フェーデ君。ちゃんと訳すでちゅ」
「へへ、やっと俺も話に参加できるか」
寂しん坊のフレッチャは、他の馬達とかなりの情報を仕入れていた。
おかげでパパの役に立ちそうな貴重な話も聞けた。
『アンジェ』
「あい?なんでちゅか?」
『あの小柄な少年とスレイは、昨日今日の知り合いではないと思うの。
きっと、その鍛冶職人も。何のために他人を装っているのか、分からないけど、気をつけてね』
『スレイは、わしに燻製肉を供えたのだからな。良い奴に決まっておろう。バッソに害を成なす奴ではない』
わんこ神の声だけは直接聞こえるフェーデ君が笑った。
「こんなに分かり易い神様なら、信仰を疑う人間はいなくなるのに。俺はわんこ神なら信じる、確かにスレイさんが悪人とは思えない」
「フェーデ君はドットリーナ教の神様を信じていにゃい?」
「ああ、ドットリーナ教の教える全知全能の神がいるなら、平民だからって理由で、酷い目にあう不公平がある筈が無いもの。
もしも、悪魔が実際現れて、願うことを何でも叶えるって言ったら、神様を捨てて飛びついちゃう奴がいても俺は理解できる」
神様がいるなら、なぜ善人が苦しむような理不尽なことが見過ごされるのか、その答えを求める為に哲学が生れたって、前世の学校の先生が言っていた。
こっちの世界の神様も同じ疑問を持たれている。何の迷いもなく、信仰を続けることは難しい。
「俺はわんこ神さまだけは信じているからね」
『フェーデ、おまえ良い子じゃのう。お供えのお肉を貰ってやるぞ!』
「本当にわんこ神さまだな…」
フレッチャの顔を抱きしめて御礼を言ってから、お休み中のヤモリンに、そおっとバイバイを言い、フェーデ君が逃げようと暴れるわんこ神を、がっちり抱え込んで子供部屋に連行した。
「アンジェちゃん、俺は、フレッチャが教えてくれた情報を確かめるために、ガイルさんの警邏兵事務所でアレグロさん達の身元を確認しておくね」
「あい、アンジェはパパに報告してお願いしときまちゅ」
「そうか、うん、それが良い。それじゃあね」
「あい、気をつけてにぇ」
フェーデ君が出て行き、子供部屋には、わんこ神と二人きりになった。
絨毯の上でコロコロ転がって、肉が食べたいと悔しがっている様は、白い柴犬の仔犬が、ひとり遊びでじゃれているようにしか見えない。
『あんたって子は…本性隠して可愛い子ぶっちゃってもう…』
ガバッと顔を上げたわんこ神が叫んだ。
『可愛い子犬だから餌を貰えるんだぞ!なんのために、こんな格好していると思ってるんだ!馬鹿垂れー!』
『ちょっと待て!今何て言ったの!あんたもしかして、その姿は偽り?子犬じゃないの?世をたばかる仮の姿か!』
『あう!』
「こら、正体あらわちぇ!」
わんこ神に飛び掛かる前に彼の姿がフッと消えた。慌ててまわりを見回したが、あのふわふわとした白い仔犬の姿が全く見えなくなってしまった。
何処に行った?慌てたあたしは、ドアを開けて廊下へ探しにでた。
* * * *
誰もいなくなった子供部屋、アンジェのために飾られた綺麗な小物や、可愛らしい動物の小さな置物、美しい絵本。
なかでも目を引くのが、職人が持てる最高の技術を注いたであろう、愛らしい顔立ちの人形だった。
目の代わりに嵌まった青いガラス玉は、細孔まで描き込まれている。
それを縁取る長いまつ毛が瞬いた。
『ふふ、やっと行ったか。この人形に憑けば、アンジェの体を乗っ取らずとも、食料貯蔵庫のドアを開けて肉を喰えるぞ!もっと早くに気が付けば良かった。さあお肉が食べ放題じゃ!ワハハ』
わんこ神は、人形の首、指や脚をコキコキと動かし、満足して部屋から出ようとした。
「アンジェー!ママ遊びに来ちゃった♡」
そこにカメリアが勢いよく部屋に入って来て、わんこ神をドアで跳ね飛ばした。
慣れない人形に入っていたため、普段は避けられるのに、思いっきりテーブルの足にガシャリと叩きつけられた。
『イテテテ』
「まあ!大変、アンジェのお人形が、何でこんなところに?」
カメリアは急いで人形を拾いあげると、乱れた髪や服装を直してやった。
「あら、可哀そうに、御免なさいね」
すると、手の中の人形がいきなり口をカクンと開いて怒鳴った。
『ごめんで済むか!馬鹿者!痛かったではないか!』
カメリアが掴んでいた両手から、人形は身をくねらせて下に滑り落ちると、廊下を走り去った。
理解不能の事態に、呆然としていたカメリアが頭を抱えていると、ディオが戻ってきた。
「あれ?姉上、アンジェはいませんでしたか?」
「ああ、ディオ。私、変なものを見て…疲れたのかしら、ちょっと部屋で休むわ」
「そうですか、お大事に。いま、ダリアさんを呼びますね」
「いいのよ、ひとりで行ける」
ディオと別れたカメリアは、割り当てられた客室には行かず、下に降りて行った。
わんこ神は自由を手に入れた。普段の自分の肉球の手と違い、この人形の手は労作だ。なかなか良く出来ている。木製の指がコキリコキリと音を出しながら、器用に動くのを見て興奮した。
やっと、ひとりでここに入れるぞ!ドアを前に小躍りした。
『ふっふっふ。お待ちどうさまでした!食料貯蔵庫のお供え肉ども、わしに喰われて成仏せい!わしの胃袋から来世に送り出して進ぜよう!ワハハ』
石とモルタルで作った半地下の大きな食料貯蔵庫は、高性能の魔石と魔法陣がセットされているお陰で、夏も大活躍をした。おかげで中にはタップリと肉が保管されている。
わんこ神はワクワクしながらドアノブに手を掛ける。そして、貯蔵庫から大好物の熟成肉の塊を見つけだし素早く口に咥えた。
『どこかでゆっくり食べようっと♪』
肉を咥えたまま数歩歩いたところで、射すくめる視線に気がついた。
上を向くと仁王立ちで睨み据えるカメリアが、憤怒の形相で立ちはだかっていた。
手に持っているのは打撃用の武器のメイス、ギリギリと音がでそうに固く握りしめ、わんこ神を見下ろして貴婦人の仮面をかなぐり捨てて叫んだ。
「やっぱり化け物だったのね!あんなに、はっきりした幻なんて、有るわけないわ。アンジェに危害を及ぼす前にぶっ潰す!」
ひい!と、わんこ神が心のなかで叫んだ瞬間、憑いたばかりで動きなれない人形の頭に、カメリアがメイスを打ちおろした。