第161話 世渡り上手な甘えんぼう幼児
ママの従者がマンゾーニ家の御者から、卿が明日バッソに出掛けると聞きつけて、慌てて知らせてくれて助かった。
お手紙を貰ったらすぐに読みましょうと、ママにがっつり注意され、焦ってお返事を書き、送ってもらった。
内容はこちらの了解も得ずに、来訪するからパパに伝えてね、という内容だったので、お待ちしていますと記しておいた。
「恥をかかないように、手伝いのコックと一緒に、蜜蝋やらリネンやら食材やら持って来させるから、晩餐会にしましょう。
突然の訪問なのに晩餐会の用意をしておいたら、歓待の意を表せるもの。
アルゼも来ているから、顔つなぎをして貰えれば有難いわ」
ママの言葉にパパも賛成して、クイージさんに急いで明日の晩餐会の用意を頼むことにした。
「たった今、グリマルト公から手紙が着いて、セリオンが正式な貴族籍に入ったと連絡があった。
これで、来年の春はセルヴィーナと結婚式だ。マンゾーニ卿も御喜びに違いない、いきなり来るのは、そのことかもしれないな」
誰もが面会を望む国務大臣、お約束無しとはいえ無作法とは言えない権力者、パパは頑張ってお迎えするしかない。
「でも、あの方、これからもガンガン来るんじゃないかしら…」
「ありえる…子供大好きのマンゾーニ卿だからなぁ」
「しかも気難しい。粗相があったらハイランジア家の評判にかかわります」
額に手をやっているパパとママの言葉に、執事のランベルさんは、気が休まらないと胃の辺りをさすった。
屋敷の面子を守る重責でストレスを感じているようだ。
よし、ランベルさんのために、お客様の接待に尽力してあげよう。
お子ちゃま相手では誰でもガードが下がるものだ。そこを、純真無垢な激かわいさでスティールハート!
甘えん坊は今しか許されない幼児特権だ。 *ふんふん!*
大人になって下手に可愛い子ぶっていると、裏でどんな悪口を言われるか分からない。世渡りを間違えると社会的に抹殺されかねないもんね。
しかーし!あたしは、ぷりちーでラブリーな穢れ無き幼児!
いまだけしか使えない期間限定の甘えん坊攻撃で、着々と人脈を築き、万里の長城なみの人気の防御壁を築いてやる!!
ふ、ふっふっふ。沸々と腹の奥から自信に満ちた笑いが沸き起こる。
「ふ!これが処世術というものでちゅ!わっはっは!はにゃ?」
びよーんと、セリオンさんに両の頬っぺたを掴んで伸ばされている。
いつの間にか前面に、しゃがみ込んだセリオンさんと、ディオ兄に顔を覗かれていた。
セリオンさんの眼が妙に冷たい。
「はにゃうぉしゅりゅ!」 *何をする!*
「おまえ本当にアホだな…腹黒な野望が口に出ているぞ」
「アンジェはお利口だけど、もう少し気をつけないとね」
ナデナデとディオ兄に撫でられながら、セリオンさんに頬っぺたを伸ばされる。飴と鞭で忙しい。
ブニブニとホッペを伸ばすセリオンさんに、ディオ兄がいった。
「兄さん、もうアンジェを許してあげてよ」
「え?ディオ?今何て?」
「セリオンさん、あなたはもうエルハナス家の正式な一員です。ディオ様のお兄様になるのですから、間違いではありませんでしょう?」
セルヴィーナ叔母様が笑顔で、お人形を持って子供部屋の入口に立っている。
手にしているのは、カメリアママから誕生日にプレゼントされた綺麗な人形だ。もらった時とは違う服を着ている。
「アンジェが、汚すのが怖くて抱っこできないと聞いて、違う服を作って着せてみたの。これで、お人形と一緒に遊べるでしょう?」
渡してくれたお人形は、精巧な作りで、前世なら200万くらいで取引されている骨董品のフランス人形そっくりである。
その金額が頭にあったので、人形で遊ぶなんて勿体なくて部屋に飾っていた。
こわごわと抱いているあたしを見て、叔母様がまたいった。
「大事にし過ぎて遊んで貰えないのは、お人形にとって可愛そうよ」
ハッとして腕のなかのお人形を眺めた。
セルヴィーナ叔母様が作ってくれた服は、可愛い白のエプロンをしたドレス姿。
ドレスの共布で仕上げたボンネット型の帽子を、顎でリボンに結んでいる。
手にはしっかり白い手袋までしている。
― お人形に汚れが付きにくいように、わざわざ作ってくれたのか。
貰って嬉しかったのに、ただ眺めていただけでは、確かに、プレゼントしてくれたカメリアママに申し訳ない。
「有難うごじゃいまちゅ。アンジェ、お人形と遊びまちゅ」
セリオンさんが人形の服に触り、叔母様の細かい裁縫の出来に感心している。
「人形か、女の子らしい遊びで丁度良い。おまえの場合、少しは女に見えるように努力した方が良いから…はがっ!!」
ひさびさにデコピンショットをセリオンさんにお見舞いした。
セリオンさんの赤くなった額を、叔母様が心配そうに撫でている。
ディオ兄に「メッ!」と怒られた。
翌日の午後の早くに、マンゾーニ卿御夫妻がお見えになった。
この間帰ったばっかりだよね?という使用人さん達の静かな疑問が屋敷内に充満しているが、空気が読めない老夫婦は満面の笑みを湛えている。
セルヴィーナ叔母様が、お二人に抱きしめられている。そして、叔母様を守るように立っていたセリオンさんと、夫妻はとても友好的に挨拶を交わした。
良かった、セリオンさんは気にいられているようだ。
そして、パパとディオ兄に挨拶をすると、あたしに、元気だったかと温かい声をかけてくれた。
「いらっちゃいまちぇ。マンゾーニ卿ご夫婦におかれては、御機嫌麗しゅうごじゃいまちゅ。本日のお越し、真に光栄に存知まちゅ」
ペコリと頭を下げて挨拶をする。
「そんな、堅苦しいことを言わなくてもいいの。こんにちは、お婆ちゃん、とかで良いのよ」
マンゾーニ夫人は、わざわざ腰をかがめ、頬っぺを撫でて包むように言った。
その声はちょっぴり寂し気に聞こえた。
「そうじゃぞ、子供は大人に甘えれば良いのじゃ。お爺ちゃんと思って甘えるが良いぞ」
*ウキウキウキ*
マンゾーニ卿は謎の好々爺パワーを放っている。甘えろって上から目線で言われたのは初めてだ。
しかし、お子ちゃまのあたしとしては、甘えん坊接待は大歓迎です。
「お爺ちゃーん、お婆ちゃーん♪」
これぞ幼児特権の成り上がり社交術じゃ!
ふと、視線を感じて振り返ると、メガイラさんに慰められながら、クイージさんが柱の陰で泣いている。何だろう?あとで様子を見に行こうかな。
「ところで、アンジェは、昨日、男爵に叱られるようなことをしたらしいな。どんなおいたをしたんじゃ?」
「な、なんで御存知なんでしゅか?」
ふたりともニコニコしているだけで、情報源を明かさない。
嫌な予感がして屋敷内の意識を探ってみると、卿の馬丁の青年が通いのおばちゃん達と話をしている。
「それでは、お礼の品を」と青年がクリームパンを渡す。
「アンジェちゃんの情報なら任せて頂戴♪」
身内にスパイがいる!
皆で来客用の居間に移動すると、パパが遍歴職人さん達との経緯を説明した。内務大臣であるマンゾーニ卿は興味を引かれたようだ。
現在、遍歴職人さん達が処分を待っていると聞くと、卿が質問してきた。
「それで、アンジェとしてはどう考える?そいつらは乱暴だったが、アンジェにも非がある。将来の領主としてどう裁定するか、考えたか?」
もちろん考えている。裁くだけなら簡単だ。
問題は、あの人たちの食い扶持をあたしが奪ったことなのだ。
「3人の今後については、セリオンから提案がありました。セルヴィーナの領土になった村は規模が小さく鍛冶が居ないので、ひとりはそこに行かせます。
そして、マルヴィカ領から譲渡された山村も、大蛇の犠牲者になって不在ですから。残りのひとりはバッソに残そうと思います」
パパは刑期中の彼らの行動を見て、場所を割り振るつもりだと明かした。
バッソの鍛冶職人の親方も、親方試験をパスしたのに、行く宛が無かったところを、パパがフォルトナの組合を通じて勧誘したのだ。
もう既に白髪が目立っていた彼は、喜んでバッソに来た。
若いうちは、町をえり好みしがちだ。そのうち組合に収める会費が払えなくなって、職人の道が断たれ、乞食になる人も多くいると聞く。
「アンジェ、組合のことを考えまちた。なんで遍歴ちないといけないのか。
ちゅまり、同じ町に職人が何人もいると仕事の取り合いになるから、取りあえず、出て行ってもらうためでちょ?」
セリオンさんが頷いた。
「良い町には皆が住みたがる。職人を分散させるための手段だ」
ディオ兄が首をかしげて疑問を投げかけた。
「長い遍歴のせいで、職人さんの高度な技術が鈍ったり、研鑽を重ねる時間が無くなりますよね。それって国にとっても良くないでしょう?遍歴職人の組合の仕組みをいま一度考えた方が良いのでは?
まあ、組合の独立性が失われかねないと反発が出るでしょうけど」
「でちゅね、でも組合にも見習うべき仕組みがありまちゅ。その、良いところを活かしたバッソ独自の組合を、アンジェは試験的に作ってみたいでちゅ」
ざわりと、大人達から驚く声が広がった。
真剣に聞いてくれていたマンゾーニ卿は、膝に置いていた両手を広げて、呆れたように言った。
「まったく、アンジェもディオも子供とは思えん!おまえ達ふたりとも、大きくなったら内務大臣の直属機関に入って国のために働け」
「駄目です、バッソでやることが一杯ありますから」
「バッソなら好きなことが出来まちゅから」
言下のお断りに、がっかりしているマンゾーニ卿を夫人が優しく慰めている。「まあ、先のことだ」、下を向いていた彼が気を取り直して、顔を上げた。
「わしは国王に謁見して、手ずから正式な辞職願を出さねばならん。そして、息子に内務大臣としての全権を委ねるべく、就任式のために王都へ行く。
そのとき、グリマルト公爵に、セルヴィーナとセリオンが結婚することを報告する」
セリオンさんと叔母様が、幸せそうに顔を見交わしている。
テーブルの下で、セリオンさんが叔母様の手を握っているのを、バッチリ見たので後でからかってやろう。
「僕らみたいに婚約式をしないんですか?」
パパが上機嫌で説明してくれた。
「家同士の格式ばったものなら必要だが、もう結婚することは本決まりだから必要ない。
今回、マンゾーニ卿がこちらに来て、エルハナスの養子のセリオンを気にいり、婿入りの話がトントン拍子に進んだということになっている」
「セリオンさんは、ぶっきらぼうなところがあるから、アンジェから婿養子の心得を説かねばにゃらないでちゅね」
「まだ1歳児なのに、なんて耳年増なんだ…」
マンゾーニ夫妻が、ルトガーパパにジロリと冷たい視線を送ると、パパは慌てて首を振った。
「か、カメリアでしょう…わたしはそういうことは話しませんから…」
ママはこの後の晩餐会でやって来るのに、パパは無事でいられるだろうか?