第159話 アンジェ怒られる
フォルトナの警邏兵事務所に連行されていたスレイは、一日留置されてから無事に釈放された。
執事のランベルの提出した日誌によって、盗品が持ち込まれた日は、ディオ達と一日中バッソに居たと身の証がたったためだ。
「まったく、災難だったな、スレイ。マンゾーニ卿の手紙は俺が先に帰って、アンジェに渡しておく。ダリアとおまえは、今日は休むといい」
ルトガーと執事のランベルは、馬に乗って先に帰ったため、スレイ達は来たときの馬車に乗って帰ることになった。
やっと帰れると、御者席にほっとした表情で乗ったスレイの横に、ダリアがさっさと一緒に座った。
スレイが留置されている間、ダリアは心配しどうしだったため、安心したことで帰り道はしゃべりっぱなしになってしまった。
「まったく、スレイが盗品を売った疑いをかけられるなんて。
スレイは平凡な顔立ちだちだから、同じような背丈、髪と目の色ってだけで似ているって思われちゃうのよ。
身長も微妙に、背が高いのか普通かハッキリしないし、顔も垂れ目がちの、他はいたって特徴のない平均的な顔…でも、優しそうなのは良いと思うわ」
延々と続くスレイ評に、当の本人は安堵の笑みを浮かべ、ダリアのいつまでも続くおしゃべりを心地よさそうに聞いている。
そのうち、ダリアは昨日の骨董屋の店のオヤジの言葉が、ふと胸によみがえって急に押し黙った。
ああ、この男だと思う ―
スレイが似ているので、疑いをかけられたのだろうが、妙に店のオヤジの自信ありげな言葉が耳に引っ掛かった。
いや、スレイが強盗の仲間の筈がない、自分の胸に浮かんだ疑問を打ち消して、ダリアは努めて明るく話した。
「スレイは出世する気がないの?騎士は断ったし、執事になる気もないって言ってたし、将来どうしたいの?」
急になんだよと、スレイはしばらく口ごもったが、やがて揚々と答えた。
「俺は多くは望んでない。今日が平安で、明日はもっと良くなる、それを信じることができる毎日。
そんな生活がしたい、それだけがあれば良い。できれば…ひとりでなくて家族ができたら嬉しいけど…」
最後に言った言葉は、だんだん小さくなり、馬車の車輪が回る音で、ダリアには聞えなかった。
「そういえば、セリオンさんも無欲だったけど、結果的には、素敵な結婚ができて、しかも、お二人共、幸せそうなのがとっても素敵だわ。
セルヴィーナ様のことを聞きつけて、結婚の申し込みが何件もあったのよ。
セリオンさんを、エルハナス家の養子にしておいてもらっておいて、本当に良かったと、旦那様が仰っていたわ」
「なんでだい?ああ、エルハナス家の名前を聞けば引き下がったのか?」
「そうなのよ。セルヴィーナ様の相手が、もと使用人だと聞いて、ごり押しで縁組できるかもって阿呆がわらわら出たですって」
明るく話すダリアの横で、スレイの横顔が急に不機嫌に凍りついた。
一瞬にして、彼から怒りが溢れだしたのを、ダリアにはっきりと伝わり、首筋にひやりとする程の怖さを感じさせた。
スレイの手綱の手が、固い拳となり忌々し気な言葉を吐き捨てた。
「貴族気取りの畜生ども、みんなくたばれば良いんだ」
いつものスレイらしからぬ言葉に、ダリアは何か気に障ることを話したのかと戸惑った。
「ごめんなさい、スレイもセルヴィーナ様を好きだとは思わなかったわ」
ダリアの見当違いな謝罪をスレイが慌てて否定した。
「違う違う!セリオンの結婚を俺は喜んでるから!ごめん、子供のときの嫌なことを思い出したんだ。ダリアごめんな」
ダリアはようやくホッとして、話題を変え、出会った頃の話を始めた。
スレイが奉公にあがったのは16歳のころ、偶然の巡り合わせだった。
港でパーシバルの酒癖の悪い部下と乱闘になり、ひとりで数人を瞬時に倒したことで、パーシバルの目に留まって護衛に取り立てられたのが始まりだった。
「スレイは暫らく故郷に帰ってないでしょ?お爺さんたち心配してない?」
「うん、そろそろ帰ろうかと思っている」
「呼び寄せたら?」
「え?」
「お爺さんたちをバッソに呼べば、安心じゃない?あたしみたいにバッソに移籍すればいいのよ。
スレイは、坊ちゃまのお気に入りなんだから、旦那様なら家族用の家を用意して下さるわ」
ああ、そうだねとスレイは微笑んだ。そして、心で溜息をついた。
― ここも、そろそろ潮時かな。もう踏ん切りをつけないと。
やらなきゃいけない、全部、残らず終わらせないといけない。
横に座るダリアから菓子のような甘い匂いが漂ってくる。ついつい視界に入れてしまう、そんな彼女と別れるのは本当につらいが仕方ないとスレイは諦めた。
* * * *
鍛冶屋はバッソの中心部とは外れたペッシェ川のそば、息を切らせたガイルさんが警邏兵さん達と一緒に駆けつけて来た。
組合宿の人達は手短に、組合の落ち度を説明して詫びると、さっさと帰ってしまった。後に残った、しょぼくれた元組合員の3人は、バッソでの処分を覚悟し、ガイルさんの取り調べを受けるため連れて行かれる。
「取り調べの前に、杖は渡してくれ」
ガイルさんの言葉に、大男のおじさんは、杖を取り上げられるのを恐れて、両手で抱きこむように掴んでいる。
わんこ神の力を貸してもらおうかと、迷っていたら遍路職人のネモさんが彼の後ろに近づいて小声で言った。
(信じて俺に預けろ、でないと刑が重くなる)
ぎくりとした彼は黙って杖をネモさんに渡した。
「杖は遍路職人の証ですから、これは俺が預かっておきます」
ガイルさんは納得して、そのまま彼らを連れて行った。
警邏兵が出払ってしまうと、ネモさんは杖の柄と握りの部分がずれるのを確認した。
「やっぱりか…」
「仕込み杖でちゅか?」
「わ!お嬢様」
ネモさんが理解しがたい目で見おろしている。幼児が杖のなかの刀(?)を見抜いたんだから、そりゃびっくりするわ。
わんこ神が教えてくれなければ、あたしも気がつかなかったけどね。
「あんたも人がいいな。襲いに来た奴らだってのに」
親方の話に、ディオ兄と戻ってきたフェーデ君たちが首を捻った。
「どういう意味ですか?」
ネモさんが、ディオ兄と合流した子供達にも分かるように説明してくれた。
「戦争でもない限り、武器を持って、どうどうと歩けるのは貴族と騎士だけなんですよ。平民はナイフ以上の武器は持てません。
それに、すぐに取り出せる状態で所持すれば重罪です」
「それって、危険な街道でも剣とか持てないの?」
「物騒なところで、襲われると分かっているのに?」
「平民だけ身を守る武器が持てないなんて不公平じゃん」
「だから、あいつは、こんなもんを作ったんだろう。街道は盗賊だらけ、遍歴職人にとって国の法よりも恐ろしいからな」
親方の言葉に、フェーデ君をはじめ子供達がざわつく。この子達は、将来もっと身分制度の歪みを、体験することになるのだと思うと切ない。
「平民が決まりを守らねば死罪もあるのです。もし、あの杖が武器だと判れば、それを見落とした組合だけでなく、領主様も巻き込まれる恐れがありました」
なるほど、ネモさんは喧嘩を売って来た人達なのにずいぶんと心が広い。
おかげで、バッソも騒ぎを大きくされないで済んだ。
親方がいった。
「リュックをしょって、四つの結び目のある包を杖にくくりつけ、それを担いで歩くのが遍歴職人の伝統的な旅の姿です。
国は平民の武器の所持を禁止していますが、杖なら御咎めがありませんからね。大っぴらに合法的に持てる武器なんですよ」
「刀身が隠してあった事例が国に報告されたら、杖も禁止になりかねない。ネモさん、よく気がついてくれました。
あの人達の杖は、全てバッソで没収するように、お義父さんに伝えます」
ディオ兄はネモさんから杖を受け取り、残りの杖もフェーデ君が屋根から回収してくれた。
「ネモしゃん、ありがとうでしゅ。パパに報告しておきまちゅ」
彼が口を開く前に、突如湧いた難しい顔のパパに抱き上げられてしまった。
「大体の事はガイルから聞いた。ネモ君、子供達が世話になったな。親方、あとは警邏兵が応対するので、子供を連れて帰らせて貰うぞ」
パパはそう言うと、警邏兵さんたちに後の指揮を任せて、家に戻った。
そして、戻るなり、しっかりお説教喰らってしまった。
いつもどおり、叱るのはセリオンさんの仕事だ。
「お前がいきなり殴ったから、あの人たちは貴族と諍いをしたことになったんだ。組合から追放された彼らは、もう受け入れてくれるところが無い。これからは、立場を考えて行動するんだぞ」
「アンジェのせいでちゅね…」
「そういうことになる、反省しろ」
うう、と思わず声がでる。パパが静かに言葉を継いだ。
「アンジェは彼らの罪を重くした責任がある、動くまえによく考えなさい。
それから…犬神様もアンジェに憑いている以上、同罪ですから、しばらく御供え物の肉を半分に減らしますよ」
今まで居ないふりをしていたわんこ神が、パパの足に縋りつく。
『そんなあぁー!御領主様!どうかお許しをー!』
恥も外聞もなく、パパの靴にすがりついて謝罪するわんこ神に、こんな仔犬に憑依されているなんてと、我ながら情けなくなった。