第155話 バッソの魔石の利用法
先日、サリーナ先生に能力がバレた話を、診療所の手伝いに行ったときに神父さんに相談してみた。ダリアさんとメガイラさんは洗濯に行っているので、神父さんと二人きりだ。
背もたれの無い椅子に座って、御行儀悪く足をプラプラと揺らしながら、話した後は黙り込んだ。他のひとに話すくらいなら、パパに真っ先に話すべきだとわかるけど、気味悪がられることが怖い。
「私もアルゼさんより、ルトガーに前世のことを打ち明けて欲しいですね。
彼は養父であり、血が繋がっています。
アンジェの全ての責任を負うべき立場の人ですから」
それを言われると肩身が狭い。前にも謝ったことがあるのに、まだ秘密があったと呆れられるかもしれない。
「…アンジェ、パパに嫌われるのが怖いでちゅ」
「大丈夫だよ、アンジェ。ハイランジアの家系は何でもありだ。自分は天使だと言い張った御先祖だっていたんだ。
空さえ飛ばないでいてくれたら平気だよ。アハハハ」
いきなり響いたパパの笑い声に、椅子から転げ落ちそうになるほど驚いてしまった。バランスを崩した体を、迫ってきた靴音と共にすばやく大きな手が受け取ると、荒々しい額に走る刀傷と穏やかな双眸が目に飛び込んだ。
「アンジェがどんな因果を背負っていても、それはパパも一緒に背負うべきものだ。ひとりで悩んじゃいけないよ。優しい子は親の気に入られようと振舞うと聞いたけど、アンジェもそうなんだね。」
今しがた、あたしが座っていた椅子に座り、膝の上に座らせてくれると、パパは自分の子供のころをちょっとだけ話した。
「俺は子供のときは悪ガキで、厳しい爺さんを怒らす事ばかりしていていた。だから、そのせいで騎士修行に出されたと思って寂しかったよ。
それが、親のいない俺を早く一人前にしたい、爺さんなりの優しさだと知るのはだいぶ後のことだった。
良い子も悪い子も、親と心の行き違いが生れると、ドンドン誤解や悩みが生まれて難しくなるんだ。
パパはそんな苦しい時間をアンジェに持って欲しくないな。
だから、ひとりで思いあぐねるときは、たとえパパにも難しい問題であっても話しておくれ。アンジェがどんな前世を持っていても、パパは味方だからね」
「あい」、こくりと頷くと大きな手で頭を撫でられた。パパは本当に優しい。
「パパ、神父さんに聞いたでちゅか?」
白い仔犬の姿をしたわんこ神が、いつの間にか、パパの足元で耳の付け根をガシガシと後足で掻いて、向き直っていった。
『わしが話した。社を作って貰った領主殿を無視するわけにはいかん。お前は本当にガキじゃのう』
「にゃんでよう!」
ぷうっと頬っぺたを膨らまして抗議の意を唱える。
『さっさと親に話せば解決することを、グズグズと悩む。そこがガキだと言うておる。子供でいられる時間は短い、悩むなんぞ時間がもったいないぞ』
「そうですよ、まあ、私やルトガーの年になると、18歳なんてまだ子供ですからね。ハハ」
神父さんの言葉に身が固まる。…18歳…これだけは永遠に黙っておこう…
* * * *
「申し訳ありません。お嬢様に余計なことをお願いして悩ませてしました。
父からの手紙を読むに、自分の考えが足らず猛省しております」
深々と頭を下げたサリーナ女史にルトガーが慌てた。
「マンゾーニ卿が父に宛てた手紙で、私の御屋敷での仕事を大層お褒めになり、おかげで喜んだ父から頻繁に手紙が来るようになりました」
「それは良かった、確か御父様のサリーナ伯は外務大臣の下で、外交官のお世話をしているとか」
「ええ、実は今日の手紙が少々気になりまして」
リゾドラートの新任の外交官から、ハイランジア家の跡継ぎについていろいろ聞かれ、ドットリーナ教の本部から、バッソに接触が無かったか知らないかと尋ねられた。
サリーナ伯は、将来が楽しみな跡継ぎだと聞いているとだけ話し、こちらの耳に入れておいたほうが良いと判断して知らせてくれた。
あちらの王室は、ドットリーナ教の政治力の拡大に手をやいている。民衆には、いまだに建国の王であるハイランジア家は根強い人気がある。
サリーナ伯はハイランジアのために注意をしてくれたのだ。
「なるほど、俺も王都で政争の具にされないように気をつけよう。サリーナ伯には、貴方の良い仕事ぶりと一緒に、ご注意に感謝する手紙を書いておきます」
サリーナ女史は礼を言って部屋に下がった。
その頃、王都エルラドでの繁華街の一角、酔った男達の集まる酒場で楽器を演奏し、滑稽なはやり歌を歌う吟遊詩人がいた。
新聞の無い時代、彼らのような芸人は、他所の土地の貴重なニュースを聞かせてくれる。
歌い終わって拍手が起こる。吟遊詩人がテーブルをまわると、差し出した帽子に皆が小銭を投げ入れた。
そのうちのひとりが銀貨を入れた。気前の良い客に礼をいうと、他の町の噂を聞いたことが無いかと聞いた。
「バッソという領地を知っているか?ハイランジア家の噂を聞いたことは?
そこの領主の話は何か耳にしたことは?」
別段うわさになるようなことは聞いていないと言うと、客は黙って出て行った。
外に出た客は町の喧騒から逃れると、住宅街の大きな教会に入った。
暗い礼拝堂の中、蝋燭が灯る祭壇の前にすでに数人が集まっている。
「何か情報は得られましたか?」
先に来ていた全員が首を振った。
「やはり教皇が言うように、ハイランジア家は少しも噂にもなっていない。
故国リゾドラードの王室に戻りでもしないかぎり、影響力はないでしょう」
彼らはドットリーナ教団本部から来た教皇直属の配下の者たちだった。
話題は変わり、しばらく話し込んだ後、彼らは解散した。
一方、店に残った吟遊詩人は考え込んでいた。
― もしかして、新興貴族のハイランジア家のというのは、注目されている貴族なのか。それならバッソという領地に行ってみても良いかもしれないな。
* * * *
今回の授業は「セリオンさんの魔石を使って町の発展を考えてみよう」というテーマで、考えたことを遠慮なく発表するブレインストーミング。
あたしとしては、屋敷のようなお湯がたっぷり使えるお風呂を町の人にも使って欲しい。というわけで、銭湯を提案したい。
「普通のお風呂は蒸し風呂しかないでちゅが、うちみたいにお湯たっぷりの
お風呂を体験して欲しいでちゅ」
「バッソに銭湯ですか。なるほど、セリオンさんの魔石は純度が高いので、ひとつでも熱源として充分です。余熱が出来るくらいですよ」
「それじゃ、洗濯場の近くに作ろうよ。公用の洗濯場にお湯で煮沸殺菌できる設備を作れば伝染病の防止もできる。
冬の洗濯も辛くなくなるし、熱源を利用して乾燥場もできるかも」
ディオ兄の考えにフェーデ君も賛同していた。
「おお、きっと洗濯場のおばちゃん達が喜んでくれるぞ」
「なるほど、魔法陣の設定を考えてみますが、場所の広さや使用規模が分かれば細かい設定ができますから、旦那様に提案してみてはいかがでしょうか?」
「企画書を提出すればパパも分かり易いでちゅね」
「相変わらずお嬢様は鋭いですわね…」
今まで、魔法陣というのは、もっと不思議な物だと思っていたが、コンピューターのプログラムのような物らしい。
先生は温魔石でナマズ養殖の水温と、柿渋の発酵温度を管理する魔法陣を作ってくれた。今年の秋は芋焼酎の試験生産も始まるので、魔石の利用も増えることだろう。
そういえば、温度を管理する魔石があるのは分かっているが、他にはどんな使い方をするのだろう?
「先生、熱関係に青と赤の魔石を使うのは分かるのでちゅが、他にはどんなふうに使うんでちゅか?」
「水力、火力の代わりですね。フォルトナには大きな河があるのであらゆる製造に使えます。バッソにもペッシェ川、他にも小川もありますが、そのまま動力に使うには小さい水流です。
しかし、魔石が有れば、動力を強化できます。
温魔石のほうが扱いは難しく、最近、ようやくふいごを使わなくても、鍛冶の火力をあげることができるようになったばかりです」
動力の発見が少ない時代、水は貴重な動力源だった。水流のそばの都市近郊は発展していった。
飲料、粉ひき、搾油機、木挽き所、皮なめし、鍛冶、布を生産するための縮絨機など。水力は重要な動力だ。
「俺も父さんが失職した後、町で拾ったボロキレを製紙工場によく売りに行っていたよ」
「フェーデもボロキレ集めをしてたの?俺も売りに行ってた」
「え?紙は要らない布から作るんでちゅか?」
「あら、お嬢様でも知らないことがあるのですね。先ずは、古布の繊維を解してから水力で動かしている打解機で叩くのです…」
先生の説明では、まずは古布を細かく裁断して粉状になるまで叩いて潰す。
水がちょろちょろと流れ込む石製の水槽の中にいれ、捏ねて固まり状になるとまた水をくわえられて溶かされる。
あとはよく目にする紙漉きの工程となるのか、なるほど。
こちらは紙の生産が古布に頼っているため高いのかしら?
「そうでもないですよ、お嬢様。紙が安く使われるのを恐れて、羊皮紙組合が税をかけさせたからですよ。紙税というのです」
なんと!そんなもん内務大臣に嘆願して即刻撤廃だ!
和紙の製造のおかげで、庶民が気軽に本を読めた江戸府民は、100パーセント近い識字率だった。
バッソの領民が面白い本を読めるように頑張るぞ。
よし、今度フォルトナのマンゾーニ家の別邸に、クリームパンを持って嘆願してこよう♪