第154話 セリオンは赤面する
ペッシェ川の土手にある大きな桜の濃い緑の葉陰の下、セリオンさんとスレイさんが草の斜面にのんびりと座り、ペッシェ川で遊ぶあたし達、子供を眺めている。
フレッチャの馬体に、フェーデ君が手桶で水をかけ、ディオ兄がその薄い皮膚を柔らかな布で拭きあげる。
わんこ神は浅瀬に小魚を追い込むのに夢中だ。
『てい!』 *じゃぽん*
『てい!てい!てい!』 *じゃぽじゃぽじゃぽ*
わんこ神が魚影を見つけるたびに前足で押さえようとするが、空しく飛沫をあげるだけで捕まる気配はない。いくら粘っても全く捕まらなくて怒り出している。
『こらあぁ!うぬら、祟ってやるぞぉ!』
『やめて!ペッシェ川から魚が消える!』
そうは言っても眺めていれば、わんこ神が魚に翻弄される姿は、マヌケかわいいので癒される。
フレッチャがのんびりと鼻を鳴らしてたしなめた。
『あなたに捕まるほどペッシェ川の魚は鈍くないわよ』
わんこ神は悔しそうに、鼻先をじゃぼんと水に突っ込んだまま、川面を忙しく目を走らせた。
小さい川とはいえ、幼児ひとりで水の流れに逆らって立てないので、フレッチャにあたしの襟を噛んで支えて貰っている。
いままでポケットにいたヤモリンが、水音を気にして襟元へ上がってきた。
『嬢ちゃん、大丈夫でゲスか?』
『いざとなったら念力で何とかできるから。ヤモリンは怖くない?』
『あっしも大丈夫でゲス』
フレッチャの毛並みを撫でながらフェーデ君がディオ兄に尋ねた。
「なあなあ、セリオンさんは、売ればそこそこの領地を買えるほどの魔石を、全部バッソのために寄付してくれたんだって?」
「うん、父上とお義父さんが話していた」
町にとって大変な貢献だ。パパの話では、もし王都で献上品として収めたのなら、直ぐにでも領地をつけて下級爵位くらい与えられただろうと聞いた。
フェーデ君がヒューと口笛を吹いて驚き、ディオ兄はやっぱり欲が無い人なんだよねと微笑んだ。
「すげーなセリオンさん!太っ腹だな」
「セリオンさんは、恩人のお義父さんやガイルさんと、ずっと一緒にいたいと言ってた。だから、よそに領地を貰っても仕方ないと思っているのかも」
「そうだな、でも俺なら金で貰うかも!」
あの沢山の魔石のお陰で、バッソは劇的に改善されるかもしれない。
魔石として使い道が無かったのは、あたしの首に今かけられいる白い魔石と、カラブリア卿が預かった黒の魔石だけだった。
あれひとつでも、相当高額な代物だったようだ。
* * * *
セリオンとスレイは、子供達の様子に気を配りながら、お喋りを続けていた。
「カラブリア卿が酷く気にしていた。盗まれずに売っていたら、相当高い値が付いたのかもしれないのにって」
「あの黒い魔石は妙に不吉な雰囲気があって、無くなって清々したよ」
「欲が無いなあ。カラブリア卿が感心してたぞ」
「本気であの魔石を気味が悪く思っていたから…」
「黒くて得体のしれないものだしな…」
ふたりはしばらく沈黙して川の流れを見ていた。
「もう夏も終わりかぁ」
河原に飛んでいる数匹のトンボを、セリオンが目で追って言うと、急にスレイが思い出して尋ねた。
「セリオンはカラブリアで騎士になるんだよな?」
「ああ、思いがけなく受けることになった」
「良かったなあ。屋敷の使用人が騎士になるなんて男爵様も誇らしいだろう」
「スレイは断ったとダリアから聞いたけど本当なのか?」
スレイはバッソにいるが、あくまでカラブリアの使用人だ。
豊富な財力を持つカラブリア卿は、武と人柄を認めれば、金銭的負担の後押しをして有能な人物を騎士にさせることがあった。
なのに、その申し出をスレイは断っている。
「俺には合わないと思う。ただの使用人でいるほうが、気が楽だ。
おまえは、エルハナス家の養子にさせてもらってから騎士になるんだろう?」
「…うん、以前から、旦那様からオルテンシア家の養子にならないかと…それで…そういう形でなくて、オルテンシア家に入ることに」
「わざわざエルハナス家に入ってから?養子じゃない形?」
俯いたまま言葉を濁し、顔を赤らめてはにかんでいるセリオンを見て、スレイはピンと気がついた。
「ああ!そういうことか!そうか良かったなあ、セリオン」
スレイが晴れ晴れとした顔でセリオンの肩をぽんと叩いた。その笑顔に真底祝福してくれていると感じる。そのとき、妙な既視感を感じた。
子供のときに大事な友人だったリヒュート、人の気持ちを解すのが上手だった彼の面影が、スレイの顔に重なって見えた。
あの頃の記憶は遠くなったが、リヒュートの顔はぼんやり覚えている。
― こいつとすぐに仲良くなれたのは、リヒュートに似ているからだ。
ただ、金髪だったリヒュートとまるで違って、スレイの髪は濃い茶色だ。
リヒュートが生きていたら、彼もセリオンの幸せを喜んでくれただろう。
川辺からギャーッと泣き声が聞こえて、セリオンは我に返り反射的に腰を上げた。
「わんこの馬鹿アアアア!」
仔犬の神がふざけて、アンジェの服の裾を噛んで浅瀬に引き倒したらしい。
彼女は水の流れに四つん這いで倒れて濡れネズミになっている。
ヤモリンはすばやくフレッチャの頭に避難していた。
ディオがずぶ濡れのアンジェを慌てて水から起こし、勢いよく水しぶきをあげて近寄ったセリオンが、ぎゃんぎゃんと泣いている彼女を抱き上げた。
「ひぐ~~えっえっ」
ハンカチでしゃくりを上げるアンジェの顔を拭いて優しく言った。
「そら、鼻をかめ。水が冷たかったろう。体が冷える前に帰ろう」
誰が見ても、セリオンの姿は、自分の子供をあやす父親のようで微笑ましいものに見えた。
だが、当のセリオンは一抹の不安を覚えてアンジェをあやしていた。
― 最近、出会った頃より、アンジェは子供らしい感情を出すことが多い。
それが良いのか、悪いのか、精神が不安定で落ち着かないようで心配だな。
* * * *
夕飯後の居間、ディオ兄に撫でられ、セルヴィーナ叔母様の膝に座って甘えん坊をしていると、パパが聞いて欲しいと軽い咳ばらいをした。
「まだ試供品を渡しただけだが、マルヴィカ卿は、渋柿製品を正式に取引したいそうだ。アンジェとディオのおかげでバッソの良い産業になった。
おまえ達が家の子になって、バッソがドンドン良い方に進んでいる。よく頑張ってくれて有難う。今日はふたりに知らせたいことがあるんだよ」
いきなり、叔母さんの膝からぎこちない緊張が伝わってきた。
彼女は両の掌をさすったり、襟元に触ったりして、なんだか落ち着かない。
「俺は騎士修行のために、8歳でカラブリア卿のところに修行に出された。
そこには、パパと6つ違いで、セルヴィーナの父である叔父のセリオンが騎士見習いとして修業していた。
叔父は優しくて、まだ子供で寂しかった俺を可愛がってくれた。
だから、従兄妹のセルヴィーナには幸せになって欲しいと思っている」
「パパにとって大叔父しゃんは、優しいお兄ちゃんみたいだったのでちゅね」
「ああ、セリオンのように心根の優しい人だった。だから…」
パパがセルヴィーナ叔母様のほうを見て言った。
「セリオンはエルハナスの養子になってから、オルテンシアに籍を移して、家を継いでもらうことになった」
「え?でもオルテンシアは叔母様が継承者でしょ?セリオンさんは義理の弟になるの?」
ディオ兄が不思議そうにしていると、叔母様の緊張が彼女の膝から、あたしのお尻へと伝わってきた。
あ、わかった!だから、最近セリオンさんがソワソワしてたのか。
ぴょんと膝から飛び降りて叔母様に向かいあう。
「セリオンしゃんが、セルヴィーナ叔母ちゃまと結婚するんでちゅね!」
興奮交じりにパパの顔を見上げると、彼は大きく頷いた。
「アンジェ達にとって従妹叔父になるというわけだ。セルヴィーナには、良かったら、セリオンを婿の候補にと言っておいたのだよ。
彼女が良い人だと言ってくれたので、セリオンを説得した。
まえから、あいつを義弟にしてオルテンシアを継がせたいと思っていたから、うまく縁が結べたようで俺も嬉しい」
おお!ディオ兄と同時に歓喜の声を上げた。
パパは本当にセリオンさんを可愛がっていたのだ。それをセリオンさんたら、パパの希望を知っているのにグズグズと。
「片思いを告白する前に、パパに結婚話を勧めさせるなんて、セリオンしゃんもだらしないでちゅね」
何気ないひと言は爆弾発言として落ちたらしい、一瞬、静まり返ったあとに一同が「え?」と聞き耳を立てた。
「セリオンしゃんは、叔母しゃまのそばに居たくて、いつも庭の茂みや物の陰に隠れてこっそり歌を聴いてたのでちゅよ。
まったくもう、好きな女性をこっそり見てるなんて、叔母ちゃまが怖がったらどうしたんでちょう。
男のくちぇに、セリオンしゃんは初心で奥手で敵わないでちゅ。
いつ告るのかとアンジェは心配だったでちゅ。そのうえ…」
バーン!と、ドアが行きよいよく開かれてセリオンさんが乗り込んで来た。
「俺はルトガーさんに言われる前に、彼女に告白したぞ!」
セリオンさんは、一気に自分に注がれた視線に瞠目して立ちすくんだ。
「ほら、こんな具合で、今も聞き耳を立てていたのでちゅよ」
うっ!と息を呑みこんで顔を真っ赤にしたセリオンさんは、あたしをがばっと抱えると失礼しますと部屋から飛び出した。
背後から、笑いをかみ殺して付いて来るディオ兄の足音と、パパの大笑いする声が廊下にやけに響いて聞こえた。