第15話 アルゼさんがお泊りに来ました
バッソの警邏兵というのはルトガーさんが考えた警備隊だ、町の要所に詰め所があり、そこからパトロールに出かけたり、犯罪の取り締まりをしている。
女性も採用されていて、あたしの感覚では「お巡りさん」だ。
そして、ディオ兄がやっていた掃除人も、なんと、この町の治安維持のためのシステムに組み込まれている。
ルトガーさんは役所や高級商店の前の掃除は、礼儀のある大人に仕事をさせている。そして、庶民的なところは子供、ちょっと治安の悪い所は腕に覚えのある人という具合に持ち場を考えている。
そして、その持ち場で何かあったとき、不審な人物や荷の出入りがあると、掃除人は警邏兵に報告する義務がある。
掃除人と警邏隊が情報を共有して、受け持ち地区の安全を守る。
子供にもまともな給金を貰えるようにできたのは、掃除とこの治安システムがセットであると雇い主の自覚があるお陰でもある。
セリオンさんによると、ルトガーさんがこの方法を考えてからバッソの治安はぐっと良くなったのだそうだ。
ガイルさんはその警備隊の隊長さんをしていて、若い人を教育して育て、王都や港湾都市カラブリア、フォルトナなどに一人前になった人達を送り出しているのだ。
バッソの人達はルトガーさん達に絶大な信頼を寄せている。
アルゼさんに出会っても、警邏兵の人達は知らんふりをしている、下手に注目されて危険な目に遭わせないように。
いつもと違うのはガイルさんが目立つくらいだ。
そんな街のなかをアルゼさんは羽を伸ばして歩いた。
「いや~、やっぱりバッソは良いなあ。僕はフォルトナよりもこちらのほうが庶民的でのんびりしていて好きだなあ」
アルゼさんがのんびりできるのは、ガイルさんや警邏兵の皆さんの努力の賜物です!と知っておいて下さいよ。
「本当に泊まるんですか?アルゼさん」
サシャさんに授乳をしてもらった帰り、あたし達はアルゼさんと一緒に、雑貨屋と、チーズ屋に寄った帰りだ。あたしの、夜飲むミルクと、ディオ兄の処には食器や鍋が不足しているので購入したのだ。
おかげで欲しかったフライパンやスープ用の鍋、皿とコップなど必要なものを買い揃えられた。
親切にも、アルゼさんはディオ兄の荷物を一緒に持ってくれた。
本当に御貴族様のイメージとはかけ離れて気さくな人だなあ。
「こんなに買って貰って申し訳ないです。だけど、アルゼさんは俺の手作りの食事で本当に良いのですか?」
「だからいいのさ。侯爵が、幽霊屋敷に一人で暮らす豪胆な子供の日常を覗いて来いと、面白がっていたからね。
いきなり押しかけて来たんだから、このくらいの物は買ってあげないと。
それより食材は調味料、小麦粉と牛乳とコッペパンしか買わなかったけどいいのかい?」
「はい、肉はポルトさんが、野菜はダミアンさんから頂いているので、充分ストックが有りますから」
セリオンさんが小さな冷魔石をプレゼントしてくれたので、小さな木箱の冷蔵庫ができた。小さい物は制御が容易く、起動用の魔法陣も安く済む、おかげですぐに買えたので生ものの保存が安心になった。
しかし、アルゼさんは自由人だ。いくらバッソが治安の良い町で、そこら中にルトガーさんの配下の人がいたとしても、侯爵様の弟なのにこれで良いのかと心配になる。
さすがに、お供の人はちゃんと隠れて付いてきているけどね。
家に戻る頃には昼になっていた、ディオ兄は、廃墟の前で、はさみ縛りで3本の太い木の棒で3脚を作ってから中に素材を置ける棚を作って、3脚の周りを囲むように厚手の木綿の布を張って、ティピ型の燻製器を組み立てた。
その横に椅子代わりの木箱を3つ置いてテーブルと椅子にした。
燻製器のその棚に、昨日貰った大きなソーセージと、ベーコン、チーズを置いて、桜の木のチップに火を点けた。
その様子をアルゼさんはとても面白がり、感心して眺めていた。
ロープの結びかた、燻製のやり方、これらは前世のあたしの知識だ。
念話だけでは物足りないので訓練したら、ディオ兄の頭にイメージをダイレクトに流せることが出来るようになったので、料理や生活に役に立つ知識はドンドン教えてあげたのだ。
ふ、前世でアウトドアブームにのったあたしって偉い!
「ボイルしても良かったけど、風味が落ちたソーセージだったので、燻製してみたんですけど、アルゼさんのお口に合うかどうか…」
作ったのはホットドックだ、コッペパンに辛子を塗ってキャベツと玉ねぎの酢漬け挟み込み、燻製したウインナーを乗せた。
上にかけたのは、ディオ兄に作ってもらったケチャップもどきの味を調えたトマトピューレのソースだ。
アルゼさんはどれどれと、ホットドックにかぶりついた。
ガブリと口に入ったパンのなか、ソーセージは香ばしい桜チップの香りと共にパキッとした食感とジュワッとした熱い脂が口の中に広がった。
モグモグと目を閉じて租借し終わると、アルゼさんが感心した。
。
「うん、これは良い香りでうまいな。一緒に挟んでいる酢漬け野菜もうまい」
「こちらはタンポポ茶です、今日買って頂いたカップでどうぞ」
「タンポポの茶?初めて聞いたけど、あんな野草でお茶を作れるの?」
おずおずと口にしたお茶を飲んでアルゼさんがびっくりして目を開いた。
「意外だねえ!あの雑草のタンポポのお茶がこんなに美味しいとは思わなかったよ」
実は、ちょっぴり、玄米を炒ったものが入っている、これを入れるとどんな野草茶も大概旨くなるのよ。
まあ、ストレートでも美味しいけどね、コーヒーの代用にできることでは有名なタンポポ茶ですから。
にこりと笑ったディオ兄が気をよくして次のホットドックを勧めた。
「それ食べたら、こっちは燻製チーズのカリカリベーコンドックです」
「おお、それも旨そうだね」
アルゼさんはディオ兄のおもてなしをお腹一杯味わった。
満足してくれたのをみて安心したディオ兄が、さっきから気になっている事を口にした。
「あの、お供の方は?こっちに帰ってから見かけませんけど?良かったらお食事用意できますよ?」
「あー、そうだった。忘れていたよ、ちょっと呼んで来るね。アハハ!」
忘れてたんかーい!!!
しばらくすると、お庭がちょっと騒がしくなって、アハハと笑うアルゼさんの声と、それに続いて「ごめーん」「お前な~この薄情者~」とか言うお供の人の笑い声が聞こえて来た。ずいぶん親しそうだな。
あたし達に対するアルゼさんのあの態度を見るに、きっと従者の人達ともいい関係を築いているのだろう。こういう身分制度のある社会では上にいる人物によって幸、不幸が決まるようなものだからね。
「ディオ君、紹介するよ。僕の学友だったジョナスだ。今は僕の従者と護衛を兼ねている。以前会っているね」
やって来たのは、以前ルトガーさんの執務室で会った人だった。
ペコリと頭を下げてディオ兄が挨拶するとこげ茶色の短髪のひとが答えた。
「やあ、お昼を頂いたら俺のことは気にしなくていいからね。気にかけてくれてありがとう、坊や」
* * * *
昼食後は廃墟になっていた屋敷の中を詳しく調べるお手伝いをすることになった。
アルゼさんは庭を案内して井戸の水を汲み上げて確認した後、近くにあるレンガを積み上げて作った竈をみて感心していた。
ジョナスさんは近くで警戒をしている。
そのうち廃墟から遠い元馬屋と思しき建物から異様な匂いに気がついた。
「何だいこの匂いは?臭いな」
「すいません、青柿をつぶして熟成させています。その匂いなんです」
「何を作るためなの?」
「柿渋と言って、染料や防水剤になる物です」
「!何だいそれ?詳しく聞かせてくれたまえ!」
アルゼさんが喰いついて来た、これは開発費が得られそうな予感がする!
小さい男の子の背中でへらりと笑う赤ん坊、誰か気が付いたら結構不気味だったと思う。うん、気をつけよう。
「えっと、お庭の渋柿を青いうちに収穫して切ったりして潰して、カビに気を付けてじっくりと熟成させるとできます。
防水性は寝かせる期間が少ないと落ちるようです。布や木に塗って乾かして、それを何度か繰り返すと防水や撥水効果が期待できる製品になるんです」
「凄いな!それは」
柿渋は本来、作るのに3年から1年かかる。即席で作る方法もあるが、前世の道具はないので半ばあきらめていたのだが、あたしが念を使って、圧力をかけ、温度管理をしっかりして発酵させると一週間でできてしまった。
出来上がったものは撥水性のあるエプロンを作ってみようと思っている。
あたしが来た時が遅かったので、青柿があまり手に入らなかった。
そのため柿渋をあまり仕込めなかったが仕方ない、来年に期待だ。
在庫が沢山はないので大量に製品化できる程の量はできていないのが残念だが、サンプルとしては十分な量になるだろうから良いとしよう。
今年作ったものが充分に役立つものになったら、来年はもっと作れるだろう。
「先ずは何を作るつもりなのかな?」
「先ずは、お世話になった人たちに防水エプロンを、それに雨の日に使えるように帽子やマントとか。
でも、先ずは試してみないと」
「なるほど、じゃあ布とか欲しいかな?」
「作っている時間が無いので、できたものが楽で良いですね」
「なるほど、必要なものや手伝いが必要ならルトガーに伝えてくれ」
お庭をいろいろ見て回ったアルゼさんは、ディオ兄の干し肉や干し野菜の貯蔵庫を見て感心していた。
ひとしきり見て回ると、それじゃあ中を見せてもらうかなと言った。
『ディオ兄は全部の部屋に入ったことあるの?』
『ううん、鍵がかかっている部屋もあったし、瓦礫で塞がれている部屋もあったから、俺じゃ動かせそうもなかったしね』
なるほど、ディオ兄も知らない部屋がやっぱりあるんだ。
「この屋敷はね、飢餓革命で先代王と共に責任を問われて廃爵された貴族の持ち物だったんだ。
だが、革命のとき、貸し出していて、寮になっているのを知らなかった民衆が襲ったんだ。若く才能のある人が7,8人死んだよ。」
7人か、8人?アルゼさんのその言葉に少々違和感があったが、あたしはそのまま気に留めなかった。
「そういう訳で、それ以来ここに幽霊が出ると噂になっているわけだよ。
今日は鍵を預かって来たから開かずの間も点検しないとね」
嫌だあああ、そんなの嫌だあああ、あたしそういうの苦手なのよー!
『アンジェ、怖がっているの?』
『うう、今夜離れないで寝てね、絶対だよ。離れちゃいやだよ!』
背中越しの必死のお願いに苦笑するディオ兄はポンポンとあたしのお尻を軽く叩いて、あやすように大丈夫だよとこちらを見て言った。
「毎日いる俺たちが幽霊なんて見てないから、そうそう出るもんじゃないよ。他の人達は何かと見間違えたんだと思うよ」
ディオ兄の呑気な励ましはあたしには全く響かなった。
まったく、幽霊を見たいとか心霊スポット巡りする人の気が知れないよ!
鍵で閉まっていた部屋は多くは無かった。
1階にあった部屋は、鍵はしてあったが、窓から侵入した暴徒がすでに荒らした後で、何もなかった。
あとは2階のこの左側のひと間だけだ、ここだけ扉の雰囲気が違う、木目が美しい一枚板に細かい唐草模様の装飾が入っている。
アルゼさんがドアノブに鍵を差し込んで開錠すると、厚いドアがゆっくり開いた。何にも出ませんように!