第148話 内緒の会議
朝食のあとお散歩していると、まだ誰も入ってない使用人用の家の前にセリオンさんがいる。
中から、セルヴィーナ叔母様とサリーナ先生の声が、漏れ聞こえている。
「セリオンしゃん?」
「よう?出かけるのか?」
「あい、先生と叔母ちゃまは、いつもここを使っているのでちゅか?」
「そうだ、セルヴィーナさんは貴族の男の前に出るのを嫌がるからな。だから、ここを離れの代わりにして客から遠ざけているんだ」
そう話しながら、セリオンさんは周りに気をつけながら、彼女の歌声が聴こえだすと、急にソワソワしだした。さり気なくしているつもりらしいが、歌声が良く聴こえる場所に足をそっと移動した。
目の前にあたしがいるのに、眼はせわしく動き、明らかに中の様子を気にしている。
― そういえば、叔母様は、セリオンさんなら平気みたいだ。
ワンワンワン!いきなり現れたわんこ神が足元で激しく吠えた。
『アンジェ!脱走した奴がついに出た!じっくりと見に行くぞ』
ひとしきりご機嫌で走り回った後、足にじゃれて甘噛みしてきた。
すべすべの毛並みの仔犬がキラキラした目で見上げている。右の前脚であたしの布靴の先を踏みしめ、舌を出したまま尾っぽをゆらゆらと動かしている。
わんこ神にとって、人の不幸は蜜の味…さすが、祟り紳。
仕方ないと、駆け出したあたしにダリアさんが続く。その背中にセリオンさんが声を掛けた。
「ダリア!あまり暴れさせるな!アンジェ気を付けろよ」
「わかっていますよー!」
「セリオンしゃん、頑張ってにぇー♪」
えっと言った後、訳が分からないという顔のセリオンさんに、ニヤっと笑って家の中を指さし、手でハートの形を作ってもう一度言った。
「頑張りぇー、セリオンしゃん!」
手を振って去っていく間に彼の顔が赤くなった。あたし達は笑いながら全速力で走った。
* * * *
午前中のうちに、カメリアとカラブリア卿が乗った馬車が屋敷に到着した。秘密裏に行われる会談のためである。
マルヴィカ卿は、リゾドラード王国で、ドットリーナ教が急激に力を増していることを報告しているのに、それに対する外務大臣の反応が鈍いのが気がかりだった。
ドットリーナ教の総本山のあるリゾドラード王国では、既に教会が認める聖騎士だけが、本当の騎士であると認識されるように教会で教えている。
もうリゾドラード国内では、王はドットリーナ教の暴走を止めることが出来なくなっている。
ドットリーナ教は一神教だ。他の神の存在を認めていないため、他の宗教の存在を全て否定している。よって異教徒は迫害の対象になってしまった。
「私の領地では、海の向こうから迫害を逃れてやって来る民がドンドン増えてきています。今まで逃げ出してきた教会庇護民を、教会の無い地域に保護していましたが、そこに異教徒までも逃げ込んでくるようになりました」
マルヴィカ領は以前からリゾドラードと民同士の交流がある。リゾドラードに親族がいる領民が多いので、それを頼って海を渡る人が後を絶たない。
「戦に出ない奴らに、戦に行けと好き勝手にされるようになる」
カラブリア卿が眉間に思いっきり皺を寄せて苦々しく言い放った。
「この国は建国に尽力してくれたリゾドラード王国に頭が上がらない。
こちらでもドットリーナ教は国教になっている。あちらが、教えに従うように強く言ってきたら、国王は応じてしまうかもしれない」
マンゾーニ卿がここだけの話だと念を押すと、王宮のなかでの隠された事実だったが、もう噂になっているからと前置きして打ち明けた。
「国王は人に流されやすい、彼は王妃の操り人形だ」
内務大臣である彼の言葉に一同はギョッとした。
「いくら何でも言いなりとは大げさでしょう?」
疑問を投げたのはルトガーだった。
飢餓革命の後、国を乱した当時の王と皇太子は責任と取らされて、玉座から退いた。混乱に乗じて簒奪を考えた王弟は塔に軟禁状態になっている。
ルトガーは、次男だった今の王が即位したときに、遠くで見かけただけだ。王がどんな人物かはよく知らない。
存在感の無い、印象の薄い人物だったとしか覚えていない。
「王は子供の頃から優柔不断だった。しかし、王位についてから自分の意見を言えるようになった。王に近いわしらは、妻を得たことで王としての責務に目覚めたのだろうと喜んだものだ。
しかし、そのうち、昨日まで賛成していたことを、次の日、急に意見を翻したことが有った。王はどうして掌を返したのか不思議に思ったが、そのうち分かった。王妃が反対したのだということを」
「あの、私は、幸いなことに、王都では王妃様と親しくお付き合いをさせて頂いておりますが…」
カメリアの話によると、以前から王妃は政治判断に介入していた。
王妃によると、王は難しい判断を迫られると、毎回、彼女のところに持ち帰り、どうすれば良いのか意見を聞いていたという。
王妃は誰かに自分の有能さを知って欲しかったのだろう、カメリアにうっかり口を滑らせたのだ。王妃が喋り過ぎたと顔に出したとき、すかさず、彼女は妃殿下の心配を打ち消すように言った。
「難しい判断を、王妃様が御相談頂けるなんて、王様は貴女の賢さを本当に分かっていらっしゃるのですね。女の意見など、と馬鹿にする殿方の多い中、私達の王は、真に器の大きな方でいらっしゃると誇りに思いますわ」
そうやって場を切り抜けたことがあると、その場の皆に語った。どうやら、王妃は新婚時代から王の相談を受けていたらしい。
やれやれと、内務大臣であるマンゾーニ卿が腕を組んだ。
「幸い彼女は聡明だ。だが、潔癖なところが有ってな。このたびのスキフォーソ家の廃爵と縁坐の判断は、彼女が王に進言したものだ。
わしがいくら何でも、子や孫に至るまで貴族になれないなんて暴論だと申し上げたのに、王は聞き入れて下さらなかった」
今では、王は常に王妃の意見で政治判断していると、近しい家臣は知っている。もしも、祖国リゾドラードの方針を彼女が勧めたら、王は迷いなく受けるかもしれない。
「借入金もかなりの額だ。あちらは食料生産の豊かな大国だが、こちらは国境紛争や内乱が続いて国庫に響いた。何か無理強いをされても、独立国なのに強く言い返せない事情がある」
「最近あちらから、宗教がらみでマルヴィカに逃げ込んでくる領民が増えてきています。教会によって思想の自由が奪われているらしいのです。そんな教えを、こちらの国にも押し付けてくるかもしれないと思うとぞっとします」
マルヴィカ卿の憂いをカメリアが宥めるように言った。
「でも王妃は、信仰はありますが、宗教の教えをそのまま政治に取り込むような愚かな人ではありませんわ。畏れながら、わたしは、お友達と呼んで頂き、長いお付き合いを賜っております。ですから、自信を持ってそんな心配はありませんと断言できます」
カメリアがそう言うと、カラブリア卿がそうだなといった。
「グリマルト公爵の話でも、いっそ彼女が王だったら安心なのにと聞いたことがあります。これも、ここだけの話ですがな」
一同の口元が少し緩んだ。
あくまで、わしの考えだが、そう前置きすると、マンゾーニ卿がまた不安を煽るようなことを口にした。
「外務大臣は既に、ドットリーナに垂らし込まれているかもしれない。国教をもっと強く全面に出して国の威厳を知らしめるべきだ、と延々と意見された」
マンゾーニ卿は、職務を超えた彼の言葉に、腹を立てすぐに反対した。
「その話、信憑性があるかもしれない、わしも聞きましたぞ」
カラブリア卿が伝え聞いたグリマルト公爵の話では、以前から、外務大臣の領地に教会関係者が訪ねてくるようになった。
領地経営が上手く行かずに大きな借金があった筈なのに、妙に最近は羽振りが良くなっている。
「領地持ちの貴族なら国の役職は全て無報酬、なのに領地が上手く行ってないのに、金があるのは解せないのですからな」
「夫人も派手な買い物をして密かに話題になっていますわね」
「新調した6頭立て馬車の飾りたてた様子を見せたいわい。あれなら車体だけで4トンになっている。金の出所は教団だろうな」
マンゾーニ卿がいらだった口ぶりで、王都エルラドで自慢げに馬車を走らせる外務大臣の様子を語ると、マルヴィカ卿が心配げに彼を見やった。
「外務大臣を足掛かりに、政治内部に入り込もうとしているのかもしれませんね。まさか、この間のマンゾーニ卿の襲撃事件…」
「いや、あの事件は関係ないと思います。資金力が無くて、マンゾーニ卿を襲うのに、結果、素人ばかり集めたようですから。
ですが有りえることです。用心するに越したことは無いでしょう」
ルトガーの所見では、襲撃は何らかの怨みが絡んでいると見ている。外務大臣を買収する程、襲撃に資金があるなら、もっと腕の立つ人間を雇っていることだろう。
しかし、万が一にそなえて、一応カメリアと連携してマンゾーニ卿のタウンハウスの警護を増やしている。
大国リゾドラードが、今や、宗教によって揺らぎ始めている。
ドットリーナ教の教えに従い、教会に自分の全ての財産を寄進する代わりに、衣食住を与えられ、何も考える必要のない楽に生きる暮らしを得る民が続出している。
その教えに疑問を抱いた民は、危険を冒して海を渡り、プロビデンサに逃げ込んできている。
神の威光の前に、王の存在が薄れていく。
ドットリーナ教の布教の勢いは、やがて海の向こうからプロビデンサ王国を呑み込むかもしれない。
会談の最後にカメリアが思案顔で言った。
「王妃は妻であり、王の懐刀でいらっしゃる。そして、政と民を導くことには公正な方です。
先程の話題で王妃がリゾドラードの政策に追従するのではないかと皆さん、ご心配でしたが、私が恐れるのは王が彼女を遠ざける事です」
カメリアは、王妃からの手紙のやり取りをしていて彼女の近況を知っている。
「最近、おふたりの仲が冷えてきている気がするのです」
その場の皆がカメリアの言葉に嫌な予感がした。