第146話 スレイさんのうわさ
従者のスレイは、マルヴィカ領民のシェルビー達の家族と、マルヴィカ卿の代理レブロスを面談させるために町を案内した。バッソに住み続けるか、元のカルバ村に戻るか希望を聞くためだった。
全滅したと思っていた村人の数十人が、騎士団に無事に保護されたと知り、父親とバッソで産まれた赤子を抱いた母親は、とても喜びカルバ村に戻りたいと話した。
― 教会の目から匿ってくれた村人のため、是非、村の復興を手伝いたい。
そう言った両親の後ろで、泣きそうな顔をしたシェルビーがとても寂しそうで、スレイには気がかりだった。
* * * *
「シェルビーちゃんが?」
「ええ、そうです。見るからに、しおれてしまって可哀そうでした」
スレイさんは、レブロスさんを案内してその様子を見ていた。
リゾドラードの教会支配地から逃れて来た彼女の家族は、教会の目の届かない以前の村に戻りたがっている。
バッソのレナート神父も、教団の中央から逃げて身を隠した人だから、バッソなら安心だと思うのだが。よほど、ドットリーナ教を恐れているのだろう。仕方ないのかもしれない。
いつもはニコニコしているスレイさんが、真剣な顔をして頼んだ。
「お嬢様、あの子は熱心です。俺が護衛の才能が有ると言ったら、女性警邏兵に頼んで、一緒に訓練を受けさせて貰っています。教会学校で教えている読み書きも頑張って覚えています。ですから…」
教会の活動を助けるのは貴族の常だ。ハイランジア家では神父さんを手伝うために、スレイさんを教会学校に派遣して子供に字を教えている。
貴族の屋敷では、自分の領地の領民を雇うのが普通だ。自領の民なら家族や親戚がいるので、身元がはっきりしているので安心だからだ。
彼はシェルビーちゃんのために、あたしに口添えを頼むつもりだったのだろう。
「シェルビーちゃんなら、パパに雇うようお願い済みでちゅ。護衛の才能があるバッソの領民は貴重でちゅから」
え?とスレイさんが驚きの声を上げた。
「マルヴィカ卿が、カルバ村をバッソの領地として譲渡したいと申し出てくれたのでちゅ。そうなれば、親が同じバッソの領民でちゅから、屋敷で雇うのに何の障害もありまちぇん」
バッソとマルヴィカの境界は深い山のせいで曖昧だ。カルバ村は、一応マルヴィカの領地になっているが、かなり奥地になるので目が届きにくい。
今回の大蛇事件から、バッソへの近道が見つかったので、マルヴィカ卿がカルバ村と周りの共有林を、バッソの領地にするように勧めてくれたのだ。
あちらとしては、領地にはしていたが余りにも奥地の為、充分な管理が出来ないので、もしバッソが領地にしてくれたら有難いらしい。
パパの話では、魔石のお礼も兼ねているのだろうとの事だ。
現在、マンゾーニ卿がフォルトナに滞在中だ。領地変更は速やかに処理できるだろうとパパは言っていた。
それを聞くと、スレイさんは心底よかったと顔に出して微笑んだ。
優しい笑顔だ、彼が怒鳴ったり、乱暴な振る舞いをするのを想像することさえできない。
彼は子供にはとくに優しい。教会学校でも子供達にとても懐かれている。
きっと、家でも面倒見の良いお兄ちゃんなんだろうねと、ダリアさんに話すと、彼女はキョトンとした顔でやんわり否定した。
「スレイですか?フォルトナの沖合にある島の出身ですが、家族は祖父母だけですよ。忙しい彼が、爺ちゃんたちに仕送りしたいからって、それで、頼まれてダリアが送金したことがあるので確かです」
あらま、てっきり大家族の長男だろうと思っていたよ。意外だった、それじゃ、小さい子の扱いが上手いのは、近所か奉公先で覚えたのだろうか?人当たりが良いのも、子供に懐かれるのも才能の一部だ。羨ましいな。
就寝時間、子供部屋にはディオ兄とセリオンさんがいる。
部屋の灯りは既に手燭台だけになって、薄暗いなかの何時ものお喋りタイムだ。
すうっと、涼しい風が窓から入って来て、薄いカーテンがふわりと揺れた。
お風呂上がりの背中が乾いて気持ちいい。
さっきまで、セルヴィーナ叔母さんがいたが、ダリアさんにお風呂に誘われお休みの挨拶をして行ってしまった。
最近になって、パパからセルヴィーナさんでは、よそよそしいので「叔母様」と呼ぶように言われた。まだ凄く若いのに「叔母さん」とは何だか申し訳ない。確か年齢は、セリオンさんより、ひとつ上の筈だ。
そういえば、セリオンさんがエルハナスの人になって、騎士身分になったらどうなるのだろうか。騎士叙任式はカラブリアで11月にするとパパが言っていた。ディオ兄は、セリオンさんが家族になってとても喜んでいる。
あたしも…それにしても、ゴミ捨て場から凄い出世だわ。夢みたいだし、まるで生き急いでいるような慌ただしい日々だったわ。
こういう幸せの後に何か不幸が…いやいや!変なこと考えるのはよそう!
マイナス思考なんて、あたしに似合わない。
今夜のお喋りは、シェルビーちゃんの話から、スレイさんのことが話題になった。彼は、診療所を抱えているレナート神父の代わりに、教会学校を定期的に教えに行っている。
スレイさんの学校での教え方は丁寧で、勉強の苦手な子でも根気よく教えるから評判がすこぶる良い。
「俺はスレイさんが好きだな、優しいもん」
「シェルビーちゃんも、一時は怖がっていたけど、すぐに打ち解けて懐いてましゅよね。アンジェも良い人だと思いまちゅ」
「うーん、あいつは確かに好人物だ。けれど、敵の場合は、スレイのように、実力を隠す奴が一番怖いからな。おまえ達は、ああいう腕を隠しているようなタイプは気をつけろよ」
セリオンさんは、彼が戦闘での実力を隠している気がするという。
「なんで隠す必要があるのでちゅか?」
「敵に実力がバレてたら、動きを読まれて不利だから?」
「そういうのも、あるかもしれないけど、もっとピリピリした…」
一緒にいるときに、妙な緊張感を感じるときがある、と彼は思い出すように言った。
「以前、地下倉庫の在庫を調べに行ったスレイを、俺は手伝ってやろうと思ってさ。黙ってあいつの背後から近づいたら、いきなり、左手でシャツの胸ぐらを掴み、勢いよく壁に押さえつけられた。
右手のナイフは俺の腹を狙ってた」
「え!その後はどうなったの?」
「不用心に黙って近寄るなって怒鳴られたよ。あんなに真剣に怒ったスレイの顔を始めてみたし、こいつでも怒ることがあるのかと意外に思ったな」
あのときは、ちょっと油断し過ぎたとセリオンさんは笑った。
男爵屋敷の周りは警邏兵が目を光らせている。スレイさんは、それでも気を抜かずに神経を張り詰めているのだろうか?
出会った頃、セリオンさんは彼を胡散臭げに見ていたが、最近は昔からの友人みたいに、打ち解けて付き合っている。人懐こいスレイさんは、いつも無表情のセリオンさんの心まで和らげたようだ。
「セリオンさんが言うように、スレイさんて腕が立つんだね」
「ああ、でも不思議な感じがしたな。あのとき、以前にもこんな事が有った気がすると思った。結局、思い出せなかったけど」
セリオンさんは、子供のときの記憶がいくつか抜け落ちている。辛い体験があったのかもしれない。だけど、それにまつわる、大事なことまで忘れているようで、歯痒くて気になるのだという。
翌朝、差し込む日差しが眩しくて無理やり起こされた。ヤモリンを厩に連れて行って良かった。ここの二階は日当たりが良すぎるから、瞼の無い彼には辛いだろう。
「ダリアさん、ディオ兄は?」
「フェーデと一緒に、ダミアンさんの小屋のそばで釣りすると、スレイのお供で出掛けましたよ。朝は魚の餌の食いが良いそうです。クイージさんにサンドイッチを頼んでいたので、お昼過ぎまでお戻りにならないかもしれませんわね」
あ、そうか、昨日言ってたね。
ベッドから降りると、わんこ神がコロコロと周りにまとわりついて来た。
ほわほわした柔らかい毛に覆われたお尻を、あたしの足の甲に乗せ、肉球をぽてぽてと脚に叩いて訴えた。
『なあなあ、近頃だれにも祟っておらんのだが?誰か揉め事をしてくれんかのう?わし、暇で面白くないのじゃ。おまえ、誰かに喧嘩でも売らんか?』
するか!馬鹿もん!あたしはヤンキーの喧嘩屋か!まったくもう、可愛いからって、甘い顔するとこれだから油断できないわ。
ガウガウと文句を言っているわんこ神を庭に放り出すため、小脇に抱えて玄関を出た。
しかし、相手は元祟り紳である。御機嫌を損ねないようにちゃんとフォローしておかないと、こちらの身が危ない。
『後で、シェルビーちゃんを誘って一緒に遊びに行こう。厩の社にポルトさんが供えたお肉があるから食べていて』
お肉と聞いた途端に、わんこ神は一目散に走って行ってしまった。
「相変わらず、食い気に弱いわんこですね。扱いが簡単です」
ダリアさんが呆れている。わんこ神は、ご飯と遊び相手の子供がいれば、祟り紳には戻りそうもないな。
その後姿を見送っていたら、警邏兵と一緒に帯剣した騎士が現れた。
「あら、どなたかいらしたようですね」
でっかい籠を持った従者を引き連れた、上品な老夫妻が歩いて来る。
裏門の道の向こうに、この間の賊襲撃とは違う小さな馬車もみえる。
マンゾーニ卿夫妻だ、ニコニコと手を振って近づいて来る。こんなに朝早く、どうしたんだろう。