第145話 家名を継ぐ者達
先程まで、滞在中のマルヴィカ卿とレブロスさん、カラブリア卿を交えて会合をしていた筈だが、何の話をしていたのだろうか。
そこにパパがカラブリア卿とセリオンさんを連れて、あたし達のいる子供部屋に入って来た。
「ディオ、アンジェ喜べ、セリオンがハイランジアの騎士になるぞ」
「本当でちゅか?」
「ディオ達が、あの赤紫の魔石を手放してくれたお陰で、セリオンの騎士の証明に利用できた。アルバの魔石は大っぴらに見せられないからな」
「いいなあセリオンさん、カッコいい!」
フェーデ君が羨望の声を上げ、ディオ兄がセリオンさんに駆け寄った。
「騎士になってくれるって本当なの?」
キラキラした目で、ディオ兄が袖を掴んで見上げると、セリオンさんは小声で、もごもごと答えた。
「ルトガーさんとカラブリア卿から、子供達を守るために騎士になれと言われれば断れなくてさ」
ちょっと照れくさそうな彼を取り囲んで、ディオ兄とフェーデ君が盛り上がっている。
「旦那様、セリオンさんは平民でしょ?騎士になると、どうなるの?」
「平民は、たとえ貴族に無慈悲な暴力にさらされても、抵抗はできない。
だが騎士は違う、出自がなんでも騎士の誇りを守るために反撃できる」
おお!と、フェーデ君が興奮の声を上げた。
「ようするに、身分の高い奴が喧嘩売ってきて先に手を出したら、受けて立っていいってことですよね。ボコボコに返り討ちにできると!」
「う、まあそんなことかな…」
「最高!喧嘩上等なんてアンジェちゃんが喜びそうだ、なあディオ?」
「アンジェが喜ぶなら騎士になろうかな…」
ちょっと!早まるな少年たち!動機が変だろうが!騎士になるのって凄いお金が掛かると聞いたわよ。
確か、騎士が乗る軍馬は、一頭でも現代の個人用飛行機と同じ価値で、それが二頭は必要だった筈。騎士装備は、農民が一生働いても手に入らない位だ。それに、騎士になったら騎士従者とかいうひとを雇わなければ面子が保てないのでは?
頭を忙しく動かしていたら、パパが何故いきなり、セリオンさんを騎士にする話が出たのか教えてくれた。
「今までは、領主や騎士同士の裁量で与えられる身分だった騎士だが、もうこれからは、そうはいかないかもしれないのだよ。リゾドラート王国を動かす程の力をつけたドットリーナ教が、騎士の認可も教会のものにしたんだ」
「そうなると、もう教会に逆らうものは騎士にはなれないかもしれない。
それで、セリオンを説得して、すぐにでも騎士にしてしまえと、そういう話になった」
パパ達は、さっきまでマルヴィカ卿達と、話していた会談の内容をはなしてくれた。話は、マルヴィカの領内で村を襲った大蛇についてから始まった。
* * * *
「それでは、このふたつの赤紫の魔石が大蛇の胴と頭から出たのですか。
傷も内包物もない素晴らしい一級品ですね。この色と大きさ、透明度、こんな見事な魔石は初めて見ました」
魔石のグレードは、その魔獣の強さと希少性に等しい。ルトガーがその赤紫の魔石をひとつ、彼の前に押し出した。
「そのひとつを差し上げます。どうか御受け取り下さい、マルヴィカ卿」
いきなり譲渡の話を聞いて、伯爵は驚きのあまり、魔石を見つめて前のめりだった体を後ろに引き起こした。そして、自分がそんなに物欲しげに見えたのだろうかと、慌てて申し出を断った。
「恩義を受けたのはこちらです、何故ですか?御顔つなぎに手土産を持参しましたが、そのお返しだとしたら、あんなものでは見合わないでしょう」
わけが分からないと、マルヴィカ卿はぶるぶると首を振った。
「レブロス殿には既に御話しましたが、うちの従者のセリオンという者を騎士にしたいと思っております。しかし、昨今の風潮で、身分の無いものが騎士に成るのは難しいし、戦の無い今は、武功を証明するのも大変です」
「伯父上、あの大蛇のせいで、領民が喰われ被害甚大だったのに、我が騎士団がいくら追いかけまわしても仕留められなかったのです。
それを、セリオン殿が退治したそうですから、充分な武功でしょう?」
マルヴィカ卿は、そうでしたとポンと手を叩いてから頭を掻いた。
「もちろん、レブロスに聞いております。なるほど、あの魔獣なら騎士に相応しい。武功の証明を口添えするならお安い御用ですよ」
伯爵は魔石を静かに押し戻そうとしたが、ルトガーが尚も彼に受け取ってほしいと押し返した。大蛇から領地を助けて貰ったのに、何故これを受け取らねばならないのか伯爵は面食らった。
「大蛇の魔獣を倒したのはセリオンと、そちらのレブロス殿です。ふたりで分けるのが当然でしょう?カラブリア卿の息子のディオが目撃者です」
「あ…」と、ふたりはルトガーの欲することがようやく分かった。
ルトガーは、騎士身分のあるレブロスを巻き込むことで、セリオンの武功を揺るぎないものにしようとしたのだった。
本来、騎士になるには騎士身分にある者がその武功の証人として立つ、ルトガーはその伝統を守りたかった。
ルトガーの心中を酌んだマルヴィカ卿は、ようやく魔石を受け取ることに納得した。手のひらに乗せた魔石の貴重さを確かめると、ほーっと息を吐いた。伯爵としては、こんなことくらいでお返しができるなら、御安い御用である。
むしろ、バッソからの借りがさらに大きくなった
「確かに、レブロスはその場にいて彼の勇敢な働きを目撃しました。
セリオン殿は真に騎士に相応しい若者です。我が領内における、その素晴らしい武勇を、私の名においてお墨付きを致しましょう」
マルヴィカ卿は右手を差し出してルトガーと固く握手した。
* * * *
会談の内容は、つまり、セリオンさんを騎士にするための相談だったのだ。
「なるほど、そういう話だったのでちゅか」
それだけじゃないぞ、とカラブリア卿がずいっと、ディオ兄の前に来ると両肩に手に置いて楽しそうにいった。
「セリオンはエルハナスの養子にすることにした。ディオ、おまえの兄だ」
ディオ兄の目が大きく見開き、えっと声を漏らすとぎくしゃくと固まった。
パパが、セリオンさんの肩をポンと叩いて背中を押すと、彼は場違いな場所に出て来たように恥かしそうにしている。
「ルトガーから、オルテンシアの養子にしたいと聞いたが、平民からの養子入りは中々覚悟がいる。嫌味な奴が多い世界だ、侯爵家のエルハナスのほうが、そういう奴らを黙らせられる。
それに、預かった貴重な魔石を盗まれるという大失態をしたからな、セリオンには、このくらいの罪滅ぼしをしてもよかろう」
それまで、何も言えなくなっていたディオ兄が、「ありがとう!父上」と叫び、嬉しさでセリオンさんに飛びついて、クシャクシャの笑顔になった。
フェーデ君も快哉の声をあげた。
「おめでとう!セリオンさん」
「おめでとうでちゅ!凄いでちゅ!でも、セリオンさんが騎士になれるなら、アンジェも確実に騎士に成れるでちゅね。アンジェのほうが強いでちゅから」
ふんすと鼻息荒く、腰に手を置いて言うと、冷ややかな目をしたセリオンさんに、頬っぺたムニムニの刑にされた。
*むにょ~ん* あたしは柴ワンコか!
* * * *
広いお庭の片隅では、セルヴィーナがベンチに座って小さな竪琴の音程を確かめている。彼女の耳は確かで、音階は正確に聞き取れ、小鳥の歌でも音符に表すことができる。いわゆる、絶対音感の持ち主だ。
その様子を、セリオンは横に立ち、時々、周囲に神経を巡らせながら見ている。彼女が調弦を終えると顔を上げセリオンに微笑んだ。
「母から、父は物静かで優しい人だった、と聞いていました。ルトガーさんが貴方に父の名を付けたのは、きっと似ていると思ったのでしょうね」
どうやらルトガーから話を聞いて、セリオンの名前を与えられた経緯を、彼女は知っているらしい。過去の自分を知られた恥ずかしさのあまり、つい、ぶっきらぼうに答える。
「旦那様はそこまで考えていなかったと思います。適当につけたんでしょう」
「ルトガーさんは、私の父を、兄と慕う大好きな叔父だったと仰っていました。そんな名前を、適当な相手に付けないと思いますよ。
あの子が産まれる前に、天使を意味する名前、男の子ならアンジェロ、女の子ならアンジェラと決めておりました。
それが、ここで、アンジェリーチェと名付けられたと聞き、運命を感じました。
初乳を与えただけで引き離された私の天使、貴方とディオ様がいたから彼女は生き残れたのでしょう。貴方がディオ様に味方してくれたお陰で、あの子はここにいるのです。有難うございます、セリオンさん」
セルヴィーナの感謝をこめた微笑を、彼は慌てて視線を逸らした。その後の会話をどう続けたらいいのか迷っている間に、心地良い歌声が辺りに響いた。
導かれよ、善きひとの魂よ
しばし我が終の愛と共に この石の棺に眠らんことを
生と死によって 絆を断たれし魂よ
愛によって甦り 光り輝く天の宙 旅の果てたる楽園に
誰よりも安らかに眠り 誰よりも心満つる祝福を受けんことを
我天を仰ぎみて 神に乞い願わん
彼女がポロンポロンと静かに琴をつま弾き歌い終わると、一心に歌声に耳を傾けていたセリオンが尋ねた。
「いまのは、お弔いの歌ですか?」
「ええ、母は父の遺体には会えず、修道院からも出ることが出来なかったため、父を弔う曲を作りました。
オルテンシアの霊廟の入り口に刻まれているという、ハイランジアの創始者の詩だから、父はよく諳んじていたそうです」
「それでは、セルヴィーナさんは、11月に初めてのお墓参りができますね。カラブリアでアンジェとディオの婚約式が行われますから」
「ええ、どちらも楽しみにしております」
そう言ったあと、彼女は琴を膝に置いたまま指を動かさなかった。
もっと歌って欲しい―とセリオンは思う。だが、そんな言葉は口にできない。傍らにいて、聴いていたいのだが、どうにも照れが出てしまって言えない。
うずうずと、もどかしく、落ち着かない気分でいると、彼女が穏やかな声で言ってくれた。
「それでは、お耳汚しですがもう一曲…」
その言葉に、セリオンの胸がぎゅっとなった。そして、精一杯、恥ずかしさを押し隠して思い切って告げた。
「もっと聴かせてください。俺は貴女の歌が好きです」
いつも伏し目がちなセルヴィーナが、驚いたように顔を上げた。そして、恥かし気に微笑んだ。
つい、口に出した言葉が、自分自身の耳に捉えたとき、セリオンはようやく気がついた。
近頃、自分の胸にうずく落ち着かない気分は高揚感だ。
― 俺が好きなのは、彼女の、歌声だけじゃないんだ…