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いざ高き天国へ   作者: 薫風丸
第4章  活気ある町へ
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第143話 黒の誘惑

 マルヴィカ領から来たレブロスさんがバッソに来た翌日、警邏兵が水晶山で彼とはぐれた二人の供を無事に連れて戻った。

跡継ぎが無事にバッソに着いていたと知り、彼らは心底安堵した。


 同じ日に、カラブリア卿から伝書鳩が飛んで来た。

マルヴィカ卿がカラブリア領のシュトロム港に船で着いたので、カラブリア卿と一緒にこちらに来ると書いてあった。


しかし、その最後に「セリオンどうか許してくれ」という謎の一文が記してあった。一体何があったのか、パパも首を捻っている。


 レブロスさんは気さくな人で、あたし達がいつも夕食はパパと一緒にするというのを知って、同席を許してくれた。

食後のお茶を飲みながら、ディオ兄があたしの誕生日にもらった漆の櫛の話をしだした。


「マルヴィカ領の漆細工はとても美しいですね。アンジェの誕生日にお義父さんが送ってくれたのですが、あまりに綺麗なので感心しました」


大人顔向けの落ち着いた口調で話すディオ兄に、レブロスさんはちょっとびっくりしながらも答えてくれた。


「それは嬉しいですね。漆細工はマルヴィカの誇る特産です。しかし、大量に作れないのが困りものです。うちの領地で取れるのは山漆なので、大きく育たないため生漆の量が少なく、注文が来ても対応できずに断ることが多いのです」


それは聞いたことがある、山漆は、質は良いけど大木にならないから、本漆の木と違って採取できる量が少ない。

あれ?でも江戸時代とかは柿渋使って、漆器の出荷量を上げていた気がするなぁ?うちの柿渋の取引先を開拓できるかもしれないわね。


「パパ、レブロスしゃんに、うちの柿渋をご覧になってもらうのはどうでちょう?きっと、漆の使用量を抑える加工のお手伝いができると思いまちゅ」


パパとレブロスさんは目を丸くして聞き返した。

「アンジェ、そんなことが出来るのかい?」

「…さすがハイランジアの御息女…本当に一歳児とは思えない…」


しまった、大人みたいに話しちゃった。最近まわりの人も慣れたから、こっちのガードも甘くなりがちだ。気を付けなきゃ。まあ、レブロスさんは大丈夫だろう。


「レブロスしゃん、超上級品は無理かもしれないけど、それ以下の商品の生産性を上げるなら可能でちゅ」

「是非!是非に教えて下さい!」


 マルヴィカ領の次期跡継ぎであるレブロスさんは大喜びで話を聞いてくれた。


*    *      *      *


 カラブリア卿はバッソの賊の騒ぎの後、船でやって来るマルヴィカ卿の迎えも兼ねてセリオンの黒い魔石を持って領地に戻っていた。


フォルトナの宝石商人の見立てだけでは心許ない。自領の商人の方が目の肥えていると言い張り、鑑定のためにカラブリアの屋敷に持ち帰ったのだ。

セリオンは売ることに何故か気が進まないようだったが、鑑定だけならと託してくれた。


― ルトガーの話には聞いていたが、セリオンは立身出世も金も興味がないらしい。わしの護衛のパーシバルを一撃で倒したくらいなのに、騎士になりたいとも思っていないなんて。無欲過ぎる若者も困りものだ。


机の上に広げたビロード上の黒い魔石を眺めつつ、カラブリア卿は頬杖をついて考えた。


 その頃、雇われた若い新人メイドのリリアは、わざと屋敷の表玄関から入り込んだにも関わらず、幸運なことに叱られずに案内をしてもらえた。


大きな屋敷の下級メイドとして入った彼女は、家人や上級使用人のいない使用門から入り使用人玄関から訪問するべきだった。

しかし、彼女は自分の美貌が武器になる事をよく理解していて、メイドのまま大人しく雇われる気は無かった。


― 下働きのメイドなんかで終わるものですか。ここで主人に取り入って成り上がってやるわ。


若い従者が案内してくれた表玄関から入ると、リリアは、その豪華な屋敷の作りに圧倒されてしまった。

ホールの床は色違いの大理石がモザイクに敷き詰められ、磨き上げられてピカピカだ。

屋敷を飾る調度品は知識が無くても高価な品と分かる。


 メイド志望の彼女を、若い男の使用人が表玄関から請われるまま通したと知ると、メイド頭のランベル夫人は小さく眉をひそめた。


 彼女の夫はバッソのハイランジア家で執事をしている。

もしも夫が取り仕切っていたなら、こんな無作法を許さなかっただろう。

ランベル夫人はどうどうと横について歩く新人の若い娘をチラリと見た。


 彼女の顔立ちは、猫のようにパッチリとつり上がった眼、艶のある金色の髪を綺麗なうなじの上でまとめて結い上げている。

人の目をくぎ付けにするのは、美しい顔だけではなかった。

細い腰に不釣り合いなほど豊かな胸は、すれ違う男達を振りかえさせた。


― なかなかに美しい娘ね、若い従僕が甘い顔をするわけだわ。男の使用人と間違いが無いように目を光らせないと。


 ランベル夫人は、この若い娘を主人に引き合わせるために、カラブリア卿の執務室を訪れるところだった。


大きな屋敷では、上級使用人と違って、下級メイドらは雇い主の目に触れないように、仕事をしないといけない。

今日の面談が終われば家人とはもう会うことは滅多にない。


 ノックの音に、入室の許可をしたカラブリア卿は、ようやく眺めていた黒い宝石を薄灰色のビロード布に置いて彼女らを見た。

ランベル夫人が主人に新人を紹介している最中に、リリアは卿の机に広げてあるビロードの上に在る物に目が釘付けになった。


「まあ、素敵!なんて美しい宝石なんでしょう!」


若いメイドが思わいがけない大声を出した。ランベル夫人がその無礼に目を剥いて、彼女の手をピシッと強く叩いた。


「申し訳ありません。この者は雇い入れたばかりで、私の躾が成っておらず無礼を致しました。これ!お詫びしなさい!」


リリアは叩かれた手を包むように掴んだまま、不満そうに頭を下げた。

そうしながらも彼女は、机の上の魔石に目を奪われたままだった。


若く美しいメイドの姿を目にしたカラブリア卿は、昔は浮名を流していた若い頃の悪い癖がちょいと出た。


「仕方ないことだ。女性は皆美しいものが好きだからな。こっちに来てよく見ると良い。

目の保養になるし、なにより上級メイドになりたいなら、こういった物の目利きも必要だからな」


カラブリア卿が若い美人を眺めてすっかり鼻の下を伸ばしているのを見て、ランベル夫人が主人の態度にため息交じりにたしなめた。

「まったくもう、旦那様は。カメリア様に言いつけますよ」


 その宝石は、澄んだ透明な漆黒に虹色の星雲が煌めき輝いている。

カラブリア卿が彼女の目の前に、それをつまんで見せると、窓からの日の光を受けていっそう美しく光りを放った。

彼女は黒い魔石が放つ怪しい輝きから目を離さずに心を奪われたままだった。


 数日が過ぎ、リリアの下級メイドとしての毎日が始まった。床を磨いていても初めて来た日に見た、あの宝石が頭から離れない。


―なんて美しかったのだろう。あの宝石は値段がどれだけつくか計れないとカラブリア卿は言っていた。


もしも、あの宝石を手に入れられたら…惨めに這いつくばって床を磨くなんてことしなくて良いのに!


手燭台の灯りで裏階段を上がった廊下を照らしながら、仕事を終えた彼女は自分の物にできたらと夢想した。

あわよくば、貴族の愛人に収まって暮らせたらと思っていたが、それよりも、あの宝石を自分の物にしたいという欲望が強くわいた。


一番奥の突き当りにあるのが彼女の暮らす屋根裏部屋だ。

下級使用人は常に裏口、裏階段を使い、男なら同僚と半地下か厩舎、階段裏で眠る。


女なら屋根裏部屋の相部屋だ。上級使用人にならない限り個室は与えられないのが普通だ。だが、さすが豊かな領地の侯爵家、下級メイドにも小さいが個室が与えられた。


大きな屋敷の下級メイドとして入った彼女は、もうあの表玄関から二度と入ることは無いだろう。

彼女が期待するほどここの屋敷は甘くはなかった。


 自室に戻りベッドサイドテーブルに手燭台を置き、ほっと肩の力を抜いてベッドに腰を下ろした瞬間、悲鳴と共に腰を浮かした。

「きゃあ!」


壁際の暗がりから銀の髪の少年が無言で佇んでいる。彼が一歩前に出ると、彼の金色に光る眼に射すくめる。その眼差しに目を合わせた瞬間、リリアの心は絡め捕らえられた。


身動きができない彼女の鼻先に、彼が掌を開けると、喉から手が出るほど欲しかった黒い宝石が現れた。


*コンコン*

「リリア?大丈夫?いま悲鳴が聞こえたけど」

となりの部屋にいたメイドが心配して壁越しに声を掛けて来た。


「ごめんなさい、虫がいただけなの。おやすみなさい」

「なんだぁ、もう虫くらいで騒がないでよ。おやすみ」

ベッドで、壁に耳を付けて様子を窺っていた隣の部屋のメイドは、小さく舌打ちして壁から背を向けた。


 銀髪の少年がにっこり微笑んでリリアに宝石を握らせた。

「さあ、この宝石は君の物、これを持って僕と一緒に王都に行こうよ」


彼女は憧れの宝石を右の拳に強く握りこむと、興奮する胸に抱きこむように当てて少年の顔を見た。


「安心おしよ。誰にも見つからないし、誰にも邪魔されない」

リリアは得体の知れない少年の存在よりも、宝石を自分の手に握りしめた喜びで疑いも恐怖も頭には浮かばなかった。


「あなたの名前は?」

「神代言語ではルチーフェロ、スペルはこう書くんだよ」


彼は自分の人先し指の腹に、親指の爪を滑らせるとぷっくりと血が湧き出た。彼は粗末な机にあるペンの先に血を付けると、彼女の大事な便箋に名前を書き始めた。

まだ子供のくせに、人を魅惑する空気をまとっている美貌の少年に彼女は何故か抗えなかった。


 Lucifero  ルチーフェロ


「知ってる?古代は今より母音が多かったから話す速度が遅かった。今だと、そんなノロい話し方はしない。だから、最後の母音表記が無くなったからこう発音するんだよ」


Lucifer   ルシフェル

言い終わると彼はリリアの手を取り刃のような爪で指先を切った。

「ひっ!」

「さあ、その血で僕の名前の下に君の名前を書いてね」


リリアが自分の名前を震える手で書き込むと、彼は素早く紙を取り上げた。

「うふふ、契約成立」

彼がそういうと、宝石を手にしていたリリアが、急に頭髪に異常を感じて髪をいじり始めた。

「何だか頭がむずむずするわ」


かゆみに耐えかねて彼女がかきむしると、結い上げていた髪が解けた。

リリアは指先に巻き付いた髪の色を見て悲鳴を上げた。

彼女の髪が金色からだんだんと艶めいた黒へと変化していく。


「何よこれ?どうしてなの?」

「契約の印だよ。その代わりに君の願うものが全て手に入る」


*ドンドンドン*

壁の向こうから怒ったメイドが騒がしいと言う代わりに壁を叩いた。


「僕がお隣さんに謝ってあげる。リリアは荷物をまとめて。王都に行くよ」

「王都へ?」

「そう、王都へ。君は華やかな上流階級の世界に生きたいのだろう?」


驚きと嬉しさで顔を綻ばせたリリアに、ルシフェルは軽くウインクすると隣の部屋のドアノブに手を掛けた。


― アンジェリーチェにはアンジェロ・クストーデが干渉している。もっと仲良くしたかったけど、あいつのせいでたいしたことができない。それなら、金の柱を天から降ろす別の方法を考えないとね。


 翌朝、カラブリア卿の執務室から黒い魔石と現金が盗まれ、下級メイドが自室で喉を切られた死体で見つかった。そして、その隣の部屋のリリアが姿を消した。


ルシフェル、アンジェの前世でも同じ、反逆天使であるサタンを意味する名だ。


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