第14話 我が町バッソ
この王国プロビデンサの町であるバッソは旧王都の外にある、かつて中級市民の町だった。
18年前に起こった飢餓革命に荒れた王都は、現在のエルラドに遷都が行われたため今では副都市のフォルトナと名を変えた。
旧王城はそれでも以前の威厳を保っており、手直しをへて現在は侯爵家の居城になっている。
以前の旧王都は、3mの高さのレンガと泥土の城壁に囲まれており中には王家に近い貴族が住み、そして上級市民が多く暮らしていた。
その王都の城壁の外側には環状の土塁で囲まれていた中級、下層市民街が形成されていた。
プロビデンサ王国のアルバ川以東にあった農村地帯では、領主の農民に対する人心支配権、土地支配権が強く残っていた。
小麦の大量収穫の後、国は人口増加が興り小麦が売れた。
そして、隣国で収穫前の大雨で不作になるとまた小麦が高値で売れた。
それを見て穀倉地帯アルバの前領主は、市場向けの農産物生産に乗り出し、農民の土地を強権でもって追い出したのだった。
この政策はまんまとアルバの領主の懐を潤した。
そして、これを真似る地方領主が次々に現れた。
アルバ領主が直営地を急拡大させた結果、大多数の農民が農村の拠り所を奪われ追い出され、食い扶持を失った農民が大挙、王都を目指し押し寄せた。
地元に残った農民は、土地を持てない農業労働者と呼ばれる農奴に身を落とすしかなかった。
職がなく故郷をなくした人たちが王都を徘徊するようになると、王都の金持ちは怯えて門戸を固く締め、華やかな通りはどんどん荒れ果てた。
困り果てた国は乞食・浮浪児禁止法を出した。
定職を持たず都に溢れる物乞いや貧民を更生の名のもとに、王都から遠い強制労働の施設に放り込むという内容だった。
この法の下に、貧民の逮捕者は厚生施設に送られ、王都の物乞いが激減した。
しかし、プロビデンサ王国を蝕む弊害はそれだけでは無かった、連作障害による不作が起こると大量の餓死者が出たのである。
餓死者が特にひどかったアルバの怒れる民衆は、領主の館を襲撃して、領主とその家族を広場に引きずり出して石礫で打ち殺した後、館の高貴なる間(貴族の生活する2階もしくは3階の居住スペース)から死体を腐り落ちるまで吊るして晒した。
アルバの民の怒りはそこで終わらず、次は領主を野放しにした王族に向けられ、王都へと行進する途中の町を襲い打ち壊し、触発されて蜂起した厚生施設の貧民と食えなくなった他領地の農民を飲み込んで膨れ上がった。
王は雪崩れ込んできた民衆を王都の市門を閉めさせて流入を阻止した。
塀を乗り越え、門を打ち壊して中に入ろうとした暴徒は中の騎士団によって阻止された。が、この混乱に乗じた王座の簒奪を考えた王弟まで現れると、王都の中は大混乱に陥った。
彼は国内の不穏な空気を読んで私兵を蓄えて機会を窺っていたのだった。
各地の民衆を蜂起させたのは実は彼だったと言われている。
―今なら、愚王を討つという大義によって民衆の心を掴み王座に就ける。
王都の中の革命の表舞台から締め出され、中に入れず怒った暴徒の怒りは王都を取り囲む副都心に向けられたのだ。
怒りの矛先となったバッソは無防備にそれを受けるしかなかった。
しかし、援軍が到着すると飢餓革命は失敗に終わり、王都は打ち捨てられ、そして、バッソは忘れられたままだ。
アルバは、飢えた領民の怒りか、前領主の呪いか、作物と家禽は育たず井戸の水が枯れ、川も干上がった。
アルバは神に見捨てられた誰も住めない不毛の土地になったのである。
* * * *
セリオンの住処はかつての大通りの外れにあった、飢餓革命前の頃は、人が行き交っていた大通りだった。
今では寂れているが、ここはセリオンの思い出の場所だ。
石造りの3階建ての最下層の階には、半地下の狭いワンルーム型の住居が4つある。
そのひと部屋は、子供時代のセリオンが仲間と共に暮らしていた住居だ。
いつか上の階に住めるようになりたいと願い、湿っぽい半地下の上にある窓から、行き交う人の足を見上げて暮らしていたものだ。
住んでいる3階のベランダで、椅子に座ったセリオンは町を眺め、夜風に吹かれ伸びてきた深緑の前髪を煩そうにかきあげながらディオのことを思っていた。
去年の秋、出会って彼の名を聞いたとき、胃から苦い液が上がってきた。
―リヒュートだって?あいつらだ!あいつらは売りに出す子供に同じ名前を付けている。
人の尊厳とともに名前すら奪う、あの、人買いのやり方だ。
俺と一緒に逃げた子がリヒュートと名付けられていた。
死んだその子の名前を再び聞いたとき、自分だけ生きている寂しさと申し訳なさを感じて、あの孤児を気に掛けることにしたのだ。
飢餓革命のときに悲劇があった館は幽霊が出るので有名な場所だった。
浮浪児が住み着いたと聞き確認に行き、出会ったのがディオだった。
人を見ると怯える様子が痛々しかった、追い回すのはかえって良くないと思い、食べ物を土産に地道に通って説得することにした。
だんだん心を開いてくれた頃、彼は人から貰ったという本を読んでいた。
眺めているだけと思って見ていたら、まさか読んでいたとは。
飢えた浮浪児とは信じがたかった。
読めない字を質問されてもわからなかったので、ルトガー親分に引き合わせたら掃除の仕事をもらえて、彼はバッソで生きる糧を得た。
浮浪児だったのに、ディオは字を読める上に計算もできるようだった。
どうやら神学校の生徒と仲良くなって、教えてもらっていたらしい。
ここらに神学校は無いから、旧王都の市内の学生なのだろう。
だが、ディオの言うような白い制服の神学生はいなかった。
ディオとアンジェ…心に受け入れた新しい家族、この先の人生で自分にとってその存在は重石となるか弾みとなるか、どっちにしても俺ひとりで生きるより面白いことになりそうだ。
「もうひとりじゃない…か…」
誰に言うでもなく吐いた彼の言葉は寝静まった近所に意外なほど響いた。
慌てたセリオンは周りを見渡し誰もいないのを確かめると、ホッとして寝床に入った。
* * * *
今日は10月の第一日曜日だ、日曜日は広場に市が立つことは禁止されているので、ディオ兄はゆっくり家の掃除をしたり、保存食糧を作ったりして過ごすつもりだ。
最近ではあたしの首がすわっているので、3か月は過ぎたのではないかと洗濯場のおばちゃん達が話していた。そうするとあたしの誕生日は7月の初めくらいらしい。まあケースバイケースであるらしいが。
「7月かあ、アンジェにぴったりのお祭りがあるから、その日を誕生日にしようね。天使降臨祭っていう花を一杯町に飾る御祭り。子供は背中に羽を付けて花飾りを頭にかぶって白い服を着て行進するんだよ。アンジェにぴったりだよね」
ディオ兄の愛情は日々加速しており、この先はシスコンを患うのではないかと心配になる。いや、今は嬉しいけどね、赤ちゃんだしね。
本格的に秋になったせいか朝は寒く感じるようになった。
渋柿の実も赤くなってきた。
『最近、朝が冷えるようになったね、ディオ兄風邪ひかないようにね』
「そうだね、冬に備えて新しい毛布も欲しいね。アンジェのお陰で美味しい干し野菜が作れるようになったから、新しい鍋を買わないと」
最近、お庭の井戸からたくさん綺麗な水が湧くので、小物の洗濯は家でできるようになった。大物以外は洗濯場まで行かなくて良いから、かなりディオ兄の負担が減った。
そのうち洗濯用のタライを買えれば全部家でできるようになるだろう。
彼が楽に過ごせるようにドンドン事が進んでいるのは嬉しいが、何だか誰かがコッソリ護ってくれているようで不思議だ。
今日は良く晴れた気持ちの良い日だ。
ディオ兄がお庭で洗濯物を広げて干していると、眼鏡をかけた深い水色の髪を後ろに束ねた上品な男の人がやってきた。
「おはよう、坊や。精が出るね」
「お早うございます、もしかして、この前ルトガーさんの執務室で会った方ですか?」
「そう、正解だ。僕はあいつの友人でね。アルゼと呼んでくれるかな」
「ああ、この間は有難うございました。あの吸い飲みで、アンジェもお腹空いていても我慢しなくて済みました。本当にありがとうございます」
「あ~い」
有難うございます~ *にこにこ*
「ふふ、愛想が良い子だね、可愛い」
「はい、可愛い妹です」
「ねえ、君はここで幽霊を見た事はない?ここはね幽霊のせいで誰も寄り付かなかったんだよ」
おお、いきなり聞いて来たよ。
噂の幽霊、ここにあたし達が住んでいると知ると、町の人がいつも興味深げに聞いてくる。
ディオ兄はまたかと戸惑うが、真っ直ぐに質問を返した。
「あの、俺はここに断りもなく住み着いてますけど、もし幽霊が出なくなったら、ここを出なきゃならないでしょうか?」
「問題ないよ、もともと、廃墟でだれも寄り付かなかったのだから。君はここで怖くないのかい?住んでいるのに脅かすようで悪いが、ここに幽霊がでるのは有名になっていてね。そのせいで積極的に手直しもしないで、そのまま忘れられていたのだよ」
「俺は見た事ないし、怖い思いもしたこともないですね」
「そうか、それなら良い」
アルゼさんはふと庭の隅の井戸に目をやった。
何気なく近づくと、そこには水桶が置いてあり、綺麗な水がはいっていた。
「君、この水はこの井戸から汲んだの?」
「はい、枯れていると思ったのに最近みたらきれいな水が湧いていたので、最近は飲み水にも使っています」
「変だなあ、ここは随分前に枯れてしまったはずなのに…」
『ディオ兄、アルゼさんて、やっぱり地主さんと近い関係者じゃないのかしら』
ディオ兄は、あたしにだけ伝わるように小さく頷いた。
まあいいかと呟いたアルゼさんはやっと話の本題を持ち出して、地主さんの意向を話してくれた。
「じゃあ、率直にいうかな。今日、僕は地主からここの現在の様子の確認を頼まれたんだよ。そして地主から君に通達がある」
ディオ兄はやはり追い出されるのかと肩を落としたら、アルゼさんはその様子を見て、いたずらっぽく笑って言った。
「君をこの屋敷の管理人に任命したいそうだ」
ディオ兄は呆気に取られて暫く声が出なかった。
ディオ兄!口が開けっ放しだよ!帰って来てー!
はっと意識を戻した彼は慌ててどういうことかと質問した。
「実はね、ここは侯爵様の私有地でね。飢餓革命鎮圧の褒美の一部として貰ったのだが、特に思い入れもないから、幽霊騒ぎに乗って放置したんだ。
だけど、君のことを聞いてね、それなら馬の遠乗り基地に使うかと思いついたそうだ。それで、君の了解を得ようと思ってね」
「俺の方が勝手に住み着いてしまって、お叱りを受ける立場なのに。本当に有難い御話しなのですが、勤まるでしょうか?」
「いつも使う訳じゃないから。気楽に構えてよ。
以前にも城壁内では馬の管理に金が掛るから、ここに乗馬用の基点を置こうかと話が有ったが、皆が反対して頓挫したんだ。
侯爵様の配下には沢山の騎士がいるのだけど、幽霊騒ぎで嫌がる奴が多くてね。君はそういう奴らに丁度いい口実になるんだよ。
子供がひとりで住んでいるのに、ここに泊まるのが嫌だなんて弱音を言うなんて騎士に有るまじき軟弱野郎だろう?
それに、そういうのをたまに一人で泊まらせるのも面白いから、ハハハ」
あたし達は何となく名も知らない侯爵様の人間像がちょっぴり分かった気がしたのだった。
「そしてね、地主の侯爵様というのが有名な女傑侯爵、カメリア・エルハナス、僕の姉なんだよね」
ディオ兄は再び固まったまま動かなくなってしまった。