第136話 ハイランジア男爵の憂鬱
フォルトナの町へと続く幹線道路のそばには深い草原がある。
町の住人が罠猟のため連れて来た猟犬が、獲物ではなく死体を見つけた。
草原の中に転がっていた男の顔を、フォルトナの画家が忠実に描いていた。
その似顔絵を持って、ガイルと共に当の画家が一緒にルトガーの執務室に報告に来ている。
ルトガーはこの変質的なほど細部にこだわる神経質な画家をかっていた。
彼は、宮廷画家を目指していたが、あまりに写実的に描きたがり、顔の染み、目元の小じわ、ニキビ跡にいたるまで包み隠さず絵の中に暴き出した。
描かれた貴族が怒り、画家として働けなくなったのをルトガーが拾ったのだ。
凝り性の画家は、絵は顔だけでなく、裂かれた腹の切り口や縛られた手足の跡までスケッチしている。
湧いてでたウジのスケッチまで、紙の端に描いてあったのには呆れてしまった。
しかし、おかげで死んだ男が生きたまま腹を裂かれ、蠅に集られたと判った。
腹を切った凶器は極薄のナイフ、刃を突き立てずにスッパリときれいに切れている。
若く痩せた小男の画家は、オドオドと目を合わせずに、両手の指を合わせて引っ切り無しに動かしている。
届けられた似顔絵をルトガーは眺めると顔を上げた。
「素晴らしい腕前だ。お陰で犯罪の捜査に大変役に立つ。有難う」
すると、画家はようやく誇らしげに顔をあげ、報酬をもらって喜んで帰って行った。
「とんでもない描写力だな。その場に居たかのように状態が判る」
執務室を訪れたマンゾーニ卿が感心して絵を眺めた。死体は彼を襲った鷲鼻の男に間違いなかった。
「わしを襲った賊だ。まさか死んでいたとは…」
右の頬が腫れあがって黒ずんで変色しているのは、アンジェが蹴った跡だ。
ガイルが実際に死体を確認したところ、男は縛り付けられて、臓器に少しの傷も無く、腹を裂かれたままゆっくり絶命したようだ。
「こういう殺し方をわしは何度も見たことがある。被害者が貴族や、その縁者のものだったので、直接出向いて見分することが多かった。
わしらは、捕まらないその犯人を「ヴィッシェリ」と呼んだ」
死んだ男の胸に、板に書かれたメッセージが置いてあった。
*世に悪名高きヴィッシェリと呼ばれた男、その名はオミチーダ。
ついに、その忌々しき悪運は尽き、アルディラの使者に生け捕られ命を奪われ、ここに腐り果てる*
「ヴィッシェリは生きたまま腹を切り裂いた。今回の犯人は手口を真似たようだが、切られた傷を見ると腕前はオミチーダより上だな。きっと、もっと長く苦しんだぞ」
「二代目ヴィッシェリというわけですか…」
ルトガーは、そう言うとガイルから手渡された板の文字を指さした。
「このアルディラというのは何でしょう?殺した奴の通り名でしょうか?」
「ルトガーさん、これはたぶん神代文字の古語だと思いますよ」
またかよと、首をすくめたルトガーに、マンゾーニ卿が教えてくれた。
「意味は黄泉の国だ。こいつを殺した奴らは随分芝居がかっている。仲間内の殺しとは思えない」
「ええ、誰かに知らしめたいと、そんな意図が見えるような気がしますね。殺した場所から、見つけられやすい幹線道路の傍に死体を移動したのですから」
ガイルの言葉にルトガーも同じ考えだった。
「そうだな、貴族殺しのヴィッシェリが殺されたなら、国中の話題になる。
この男の仲間に、次はおまえだと宣戦布告したかのようだ」
敵の敵は味方、そんな言葉が一同の頭に浮かんだが、短絡的に考えるのは危険だなと皆が同じように考えた。
「わしは暫らくはフォルトナの屋敷に滞在することにする。
今回の事件はわしを狙ったもの。迂闊に動けなくなった以上、息子が迎えを寄こすまでノンビリすることにした。
そういう訳で、ときどきバッソにも寄せて貰うことにするからよろしくな」
ルトガーは、彼の意図が曾孫のアンジェリーチェと孫のセルヴィーナにあると判り、苦笑するしかなかった。
* * * *
我が男爵家に家族が増えた。
つい最近になって存在を知った従妹のセルヴィーナだ。
そして彼女は、我が家の跡取り娘であるアンジェの実の母でもある。
アンジェの父親の悪行のために、ふたりは気の毒にも親子と名乗れなくなったが、彼女はそれまでの辛さを感じさせない程明るくなった。
「グリマルト公爵から殺されているかもしれないと聞き、泣き暮らしていました。その子が生きていて、叔母の立場とはいえ、一緒に暮らせる。
私にはこれ以上の喜びは有りません。公爵と御爺様のマンゾーニ卿、そして
旦那様に御礼を申し上げます」
「セルヴィーナ、俺は従兄、ルトガーと呼んでくれ。
外に出るときはアンジェと一緒に、護衛もいる安心して暮らしてくれ」
それ以来、彼女は喜んで乳母の仕事をしている。アンジェを目の中に入れても痛くない程の可愛がりようだ。
もう少し落ち着いたら音楽の家庭教師としても頑張って貰うつもりだ。
しかし、あれだけの美人だ。
また変な男に目をつけられないように、彼女が外に出るときは常にセリオンが付くようにしてもらった。
腕が立つし、あれだけ見目の良い男が一緒に居れば虫よけにピッタリだ。
これで、良い相手ができればオルテンシア家も安泰だが、それは、彼女の好きなようにしてもらう。
それより、最近アンジェの様子が変だ。天衣無縫で伸び伸び育っているのは良いことだと思う。
しかし、両手を床についてしゃがむと後ろ足で頭を掻いている。
まるで犬みたいだ…たまに四つ足で走ったりするし…
そんな、妙なアンジェを眺めるセルヴィーナが楽しそうだ。
「アンジェは、すばしっこいうえに体が柔らかいのね。とても健康的♪」
確かに柔らかいな、さすが、身体能力が優れる我がハイランジアの血筋だ。
それと、寝ている姿が最近変だ。大の字で寝ているなら分かるのだが。
しかし、彼女はひざ、肘、手首を曲げて眠っている。
「まあ、アンジェは変わった寝相でも良く眠れるのね。可愛いわ」
セルヴィーナは娘が可愛くて仕方がないようだ。まあ、分かる。
俺もアンジェが可愛い。でも、変な寝姿だよな?
トイレは落ちると大変なのでメガイラがいつもついているが、彼女からの報告だと、たまに、片足をあげようとするので直しているという。
そのときは寝ぼけているのだろうと深く考えなかったが、まるで犬みたいだな…でも片足を上げるのはオスだぞ?
「まあ、アンジェは器用なのね」
いや、それはさすがに問題だろう…
セルヴィーナの子供への愛は不動のようだ。
どうも彼女はアンジェがどんな変な事をしても、微笑ましく見ている。
悶々と考えてもしょうがない。まだ小さいのだ、子供らしく元気に育ってくれれば良い。どうせ小さな男爵家、王都に出ることはあまりない。
でも、ちょっと心配だな…
* * * *
ここ数日のアンジェの奇行を不思議に思ったディオは、友人フェーデと共に食料貯蔵庫に潜んでいた。
暫らくして、アンジェがやって来た。魔石冷蔵庫のドアを開けて、でっかいベーコンを取ると素早く抱えて外に出た。
厩のそばの静かな場所で、アンジェはベーコンを地面に置くと、コロリと横になる。
すると、小さな白い仔犬が姿を現して、アンジェの横でガツガツとベーコンを食べ始めた。
「あわわ!こいつ今、アンジェちゃんの体から出てきたぞ」
フェーデのあげた声に気づき、顔を上げた仔犬が思念で答えた。
『なんじゃ、子供らか。これを喰うたら遊んでやるぞ。ちいと待っておれ』
頭の中でしゃべった仔犬に、フェーデは動揺したが、ディオには想像がついていた。
「やっぱり、アンジェの奇行はわんこ神のせいだったのか」
「ディオの言うとおりだったな。どうりでアンジェちゃんが変な行動を…」
ディオ達の動揺を無視して仔犬は一心不乱に餌を食べている。
*ハグハグ*
仔犬の神は尻尾をフリフリして、美味いベーコンにありつけたお陰で上機嫌になっているらしい。
初めてディオが見たときより、毛皮の艶がのってピカピカし、仔犬らしいポッテリしたお腹が益々健康的に膨らんでいる。
『アンジェは巫女として使役することにした。憑依するのにぴったりの器だからのう。うん?こら何をしておる?』
ディオがすかさずアンジェを抱き起こして、白い魔石のペンダントを首に掛けた。すると、彼女はパッチリと眼を開けた。
あれ?あたし何やっていたのかしら?気が付いたらディオ兄に抱っこされている。
『嬢ちゃん、目が覚めたでゲスか?』
あれ?ヤモリン?あたし今日はボンボンを口にしてないのに、どうして話せるのかな?
『嬢ちゃん、そのペンダントは御守りだって、フレッチャさんから聞いたでゲしょ?嬢ちゃんが泥んこになってペンダントを外したから、ちび丸さんに体を乗っ取られたんでゲスよ』
何ですとー!なんというわんこだ。やっぱり祟り紳だわね!
憤慨していると、ディオ兄がわんこ神を叱りつけた。
「可愛いアンジェに勝手に乗り移り好き放題、これ以上の無礼をするなら社を壊すよ。ダリアさんお願い!」
「はい!坊ちゃま」
厩の陰に隠れていたダリアさんが社を抱えて姿を現した。
今までの奇行が犬神のせいだと判り、頭にきたダリアさんが小さな社を足元に置くと片膝をついて拳を乗せて言った。
「あたしの拳は薪も割れるほどですから、ワンコがお嬢様を虐めるなら粉砕しちゃいますよ!」
*ギシギシ*
『ああ、それは御無体な!社が無くなったら、また根なし草の浮かれ神に戻ってしまう』
小さな犬神は足元に縋りついて必死に止めようとしている。
犬が揉み手しているのを初めてみたぞ。
「それだけじゃないぞ。この猫をみろ!」
フェーデ君が木の籠をわんこ神の前に置いた。
「ふしゃぁぁぁぁぁー!!!」
中には、箱に入れられて毛を逆立てて怒り狂う、町一番の喧嘩早い野良猫が牙を剥いて怒っている。
喧嘩ざんまいで欠けた片耳が過去の激しい戦歴を物語る。
猫はわんこ神を見つけると、低く低く腹の底から唸り声を響かせ始めた。
「ううううううううううううう」
『ひいいいぃー!』
「こいつはバッソ最強のドラ猫だ。犬にだって飛び掛かる気性の荒さで有名なんだぞ。捕まえるのは苦労したぜ」
フェーデ君の顔や腕には、ひどい引っ掻き傷があり血が滲んでいる。傷だらけの肌が実に痛々しい。
ディオ兄があたしを抱えたままわんこ神の傍に近寄っていった。
「おまえは猫嫌いだろう。猫好きだったアンジェが急に猫を避けるから気がついたのさ」
『お許しを、今後お嬢様に憑くときはお許しを伺いますからー!』
*くう~ん、くう~ん*
仔犬の神が、お腹を上に出して必死に服従のポーズをしている。
「それじゃあ、アンジェに犬みたなことを二度とさせるな。でないと、次はこの猫をけしかけるぞ」
『しません、しません』
わんこ神がフルフルと怯えているのを見て、少々気の毒にも思えて来た。
「ディオ兄、ゆるちてあげて。アンジェも今回は助けてもらいまちたから」
「うーん、アンジェがそう言うなら…」
「でも、ディオはよくアンジェちゃんが操られているって気がついたな」
「それはアンジェと一緒に居るとき、俺はアンジェの一挙手一投足まで観察しているからね。
どんな小さなことも、聞き逃したり見逃したりしないように。毎日アンジェの成長日記も記録しているよ、うふふ」
フェーデ君がドン引きしている…
あたしもディオ兄が、だんだん危ない人に成長していくようで怖い。