第134話 喧騒の後で
あらかたの賊は倒れたまんまで動かない、もう雨もあがっている。
ガイルさんと警邏兵さんが捕縛を粛々と進め、馬車の騎士さんたちは倒れて動けなくなっている賊を集めている。
こちらの味方に怪我人は出ているが、なんとか死人は出ていないようだ。
わんこ神はさんざん暴れた後、倒す相手がいなくなると、やっと満足したようで、眠くなったと言ったあと静かになった。
「賊も死人は出ていないようだ。わしを狙ったと分かったので、自白させるために騎士も手加減したからな。それにしても…ほぼお前が倒してしまうとは」
泥だらけのお爺さんにいきなり抱き上げられて、じっくり観察されてしまった。
さぞかし不思議だろう、一歳児が大人を殴って失神させているのだから。
この後始末、パパはどうするかな?胃に穴が開かなきゃいいけど…
「誘拐しちゃだめでちゅよ?」
「どこでそんな言葉を覚えてくるんだ…」
アンジェ、と聞きなれたセリオンさんの言葉が響いた。
捕り物の熱気が冷めやらぬ場に、馬のいななきと共に親しい声に振り返ると、鞍も付けずにセリオンさんがフレッチャに跨っている。
「セリオンしゃん?どうしてこんなところに?」
「フレッチャに連れてこられたんだ。おまえずぶ濡れじゃないか」
彼は馬上から降り、無礼を承知でしげしげとお爺さんを観察した。
セリオンさんが剣の柄頭にあるイルカの意匠を彼にみせた。
そして、手を出してあたしをこちらに渡すように彼に促した。
「これはカラブリア卿から身の証として預かった剣です。俺はハイランジア家の従者でセリオンと言います。
お嬢様を保護して頂いたようで有難うございました。
よく存じない初対面の方の手に、ハイランジア卿の跡取りであるお嬢様を預けるわけにはいきませんので、お渡しください」
苦笑したお爺さんは、セリオンさんに名前を明かした。
「わしはマンゾーニ公爵というものだ」
「公爵閣下、お嬢様のお相手をして頂き有難うございました」
セリオンさんは、態度を崩さずに両手を差し出している。
なんだか残念そうな顔をしているお爺さんからようやく解放されて、セリオンさんの手に抱っこされた。
泥だらけになった顔をハンカチで拭いてもらった。
「これじゃ風邪をひくな。俺のシャツのほうが渇いているから着るか」
セリオンさんが片手でシャツを脱ぎだそうとすると、ガイルさんが渇いたタオルを渡してくれた。
「セリオンこれを使え。マンゾーニ卿、ろくに御挨拶をせず失礼を致しました。バッソの警備責任者のガイルークスです。
こんな事件に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
「いやいや、賊はわしを狙っていた。こちらの領地を巻き込んだのはわしだ。
ハイランジア卿に御会いしたらお詫びしたい」
それに、と言ってあたしの頭を遠慮がちに撫でてマンゾーニ卿は微笑んだ。
「この規格外の子がいなかったら、おそらくわしは死んでいただろう。その感謝も是非お伝えせねばならない」
マンゾーニ卿の話を聞いて、あたしが何かしでかしたと感知したセリオンさんが、「おまえ、今日は何をやったんだ」という目で静かに睨んで来た。
いや、今回の場合、わんこ神のせいであって、あたしのせいでは断じて無い!
そんな、やれやれって顔するんじゃない!
「失礼ですが、マンゾーニ卿は明日ハイランジア城にいらっしゃると聞いておりましたが?」
ガイルさんは不思議そうな顔をしている。
「フォルトナにかつてのタウンハウスがまだ残っているので、そこに泊まるつもりで早めに出て来たのだ。城には明日窺うつもりだった」
パパとディオ兄達が出掛けたのは明日この人と会うためだったのか。
しかし、御用事はなんだったのだろうか?
「この子は雨に打たれていた、寒いのではないか?良かったら家の妻と一緒に馬車に乗っていなさい」
「セリオン、そうしてもらえ、後のことは俺たちがしよう。アンジェが風邪をひいたらルトガーさんが心配する」
頷くセリオンさんが声をかけた。
「おい、ヤモリンはどこだ?馬車の御婦人方が見たら騒ぐから、お前は俺と一緒に来い」
すると、言葉が分かるかのようにヤモリンが彼の手にぴょんと乗った。
ヤモリンがまた賢くなっている気がする。
マンゾーニ卿にお礼を述べると、セリオンさんはあたしをタオルでガシガシと拭いて、馬車のドア叩いて開けた。
中にいた女性達はびくりと身をすくませた。
しかし、賊らしからぬセリオンさんの姿と、その腕に抱えられたあたしを見て、安心したようで顔から恐怖が抜けたようだ。
セリオンさんが何か言う前に、マンゾーニ卿が後ろからひょいと顔をだして言った。
「彼はハイランジア家の従者でセリオンだ。彼が抱いているのは、ハイランジア卿の娘のアンジェリーチェ嬢だ。この子を一緒においてくれ」
「お邪魔ですが、お嬢様を暫らく置いて下さい」
すると、怯えて顔を手で覆っていた桃色の金の髪の若い女性が顔を上げた。
その彼女のからの視線に気付いたセリオンさんも注視している。
― あの髪の色、それじゃあこの女性がアンジェの…セルヴィーナさんか。
「セリオンしゃん、アンジェ泥だらけでちゅ。馬車を汚しちゃうから、外でいいでしゅよ」
「いいのよ、お嬢ちゃん。そんなこと気にしないで、一緒に居て頂戴」
小太りで上品なお婆さんが慌てて引き留め、ふたりの侍女さんもコクコクと頷いて、ここにいるようにと暗にすすめた。
ただひとり若い女の人だけが口を押え、大きな目であたしを凝視して震えている。
「それじゃ泥だらけの服、脱いじゃいまちゅね」
泥をつけては申し訳ないので脱ごうとした途端、きゅうっと若い女の人に抱きしめられてしまった。
何が起こったか分からず、おたおたしているあたしをよそに、彼女はポロポロと涙を零して、「よく無事で…良かった…」そういった。
「アンジェ、お邪魔させてもらえ、後のことは俺らに任せろ。
セルヴィーナ様、迎えが来るまでアンジェお嬢様をよろしくお願いします」
彼女の様子を見ていたセリオンさんは、何だか優しそうな声音で言い残すと、サッとドアを閉めて外の喧騒に戻っていった。
「あにょ、泥が付いちゃうでしゅよ?アンジェ汚いでちゅよ」
「いいのです、そんなことはいいのです…うう…」
セルヴィーナと呼ばれた彼女は震える声で、そのまま抱きついたまま涙を零していた。
よく無事で、良かった、そう何度も小さく呟いていた彼女は、もう離さないとばかりに、あたしの体に腕を巻きつけて抱きしめて放してくれなかった。
嗚咽交じりに泣いている彼女に、放してくださいとは言い難く、彼女の服に泥が移るのを申し訳なく思った。
可哀そうに、よっぽど賊に襲われたのが怖かったのだろう。
やっと味方が来てくれた安心からか、小太りなお婆さんと侍女らしき二人もすすり泣いている。
やがて、お婆さんも抱きつき、「セルヴィーナ、良かったわね」と、さめざめと泣いてしまい、あたしは、どうしていいのか途方にくれてしまった。
そのうち、暴れ疲れたせいか強烈な眠気が襲ってきて、前後不覚の眠りに落ちた。
* * * *
ルトガーが慌ててやって来たのと同じころ、スレイがメガイラとダリアを乗せて賊のいる現場に馬車で到着した。
皆がアンジェの無事を喜んでいるそのとき、スレイだけは少し先の、別の場所に注意を払って見ていた。
その藪には若い男が潜んでいて、動けなくなっているもうひとりの男を草で覆って隠しており、彼もスレイの姿を捉えていた。
スレイと藪の中にいた男は視線を合わせて、手話のような指のサインで言葉を交わした。
『隠れ家に運べ』
『了解』
すると、相手は藪の中に同化するように姿を消した。
「ねえ、スレイ。旦那様があたし達を一旦乗せて帰って、荷馬車で戻って来いって。
泥んこの賊を乗せるのに普通の馬車では勿体ないから」
「わかった、ダリアすぐに帰ろう。メガイラさんも乗ってくれ」
スレイはそう言うと、周りに自分に注目している人間がいない事を確かめた。
― やれやれ、あいつを周りに知られずに確保できて良かった。
スレイは顔に出さずに胸を撫でおろした。
* * * *
無事に泥穴から抜け出したマンゾーニ卿の馬車は、バッソの町に入り男爵屋敷に泊まることになった。
女性たちは一足先に屋敷に迎えられたが、ルトガーとガイル、マンゾーニ卿だけは着替えもせずに賊を連れてバッソの牢屋に直行した。
男性警邏兵の詰め所である建物、その下にある地下牢の階段を下りながら、マンゾーニ卿が今日の騒ぎを振り返りルトガーに礼を言った。
「感謝する男爵、わしは君の娘のアンジェリーチェに救われた。今まで、ハイランジア家の豪傑達の昔話はただのおとぎ話だと思っていた。
だが、この一件で本当だったと証明された。
彼女はきっとハイランジアの血を誰より濃く受け付いたのだろう。
まったくハイランジアの血統とは、とんでもないものだな」
「あの、マンゾーニ卿、面食らったと思いますが、アンジェは成長が早すぎるだけで、決して特別な子ではありません」
ルトガーの言葉から、彼の不安を感じ取ったマンゾーニ卿は、言葉を継いで語った。
「事情は全てわかっている、だが口にはすまい。君には孫のセルヴィーナのことだけをお願いすると言っておこう。
わしはこの国の内務大臣だ。こういう縁ができた以上、何か困ったことが起きたら相談してくれ」
「有難い御言葉に感謝致します」
地下牢にひとまず賊を振り分けて、落ち着いてから取り調べをすることになったが、マンゾーニ卿が賊の顔を見るうちに気に掛かる事を言った。
「おかしいな、ひとりいない…やっぱりいない」
「どうしました?いないとは、誰がです?」
「賊の中に、わしを見て、「宿敵マルチェロ・マンゾーニ」と言った奴がいたのだ。泥の中で取っ組み合った、鷲鼻のあの顔は忘れようが無い。
あいつを締め上げれば誰の指金か判ると思ったのだが、ここにいない」
ルトガーがいった。
「フォルトナからの道を馬で来ましたが、あっちなら馬車は通れなくても人なら通れますが、不審な人物とはすれ違いませんでした。
カラブリアか王都の方面に逃げたのでしょうか?」
「あいつは動けなくなっていた、逃げられたとは考えにくい」
ガイルが不思議に思い、意識のある賊から仲間の数を聞き出してまわった。
賊はほとんど、カラブリアや王都のエルラドで雇われた、傭兵崩れの日雇い仕事を探す立ちん坊だった。
しかし、彼らに声を掛け、まとめあげて襲撃させた筈の首謀者の男だけが、騒ぎのなかで消えていた。