第125話 初めてのお誕生日
強盗に奪われた筈だった螺鈿細工の鍵付きの文箱、それはディオ兄の母、デルフィーナさんの形見でもあった。
既に無くなった家の、身分を表す彼女の印章指輪、そして数々の装飾具の入った袋、そして日記だった。
高価な装身具が無事だったのは、彼女が鍵をネックレスにしていたお陰で、箱は開けられなかったのだろう。
カラブリア卿は日記だけを手元に残し、ほかはディオ兄に譲ってくれた。
水晶山から既に戻っていたセリオンさんが、箱を売りに来た男が、フォルトナの市門の警備に引っ掛からなかったと聞いて首を傾げた。
あたし達がハイランジア城にお邪魔している間、セリオンさんが水晶山で採取してきたクロモジの枝を、今日はディオ兄とフェーデ君は洗って干しておいた。
セリオンさんがそれを束ねて抱えるとディオ兄を振り返っていった。
「それで?その箱を売りにきた奴はわからなかったのか?」
「うん、父上の話だと、住所はカラブリアの村だけど廃村になっていたって。
市門で見せた許可書の記録のなかに、買い取りで見せた許可書と同じ人物がなかった。
たぶん偽造だろうって」
「偽造書か…やはり個人でなく仲間で動いている奴だろうな」
セリオンさんは、それ以上は言わずにディオ兄の顔を覗き見た。
箱を売りに来た若い男は、ディオ兄のお母さんを殺した一味かもしれない。
それを考えて言葉を控えたのだろう。
無表情になった彼の肩を、フェーデ君が心配して手を乗せると、ディオ兄の顔が柔らんだ。
クロモジの枝をフェーデ君のお父さん、エルムさんがいる作業場に持ち込んだ。
とって来た枝は洗い、汚れや虫がついていないかチェックしたら干して、歯ブラシと同じか、ちょっと長い位の長さにカット。
枝の先を1・5センチ程にトントンと叩く、それだけ。
良く叩くと枝の先がボサボサとした繊維の束になる。
クロモジの爽やかな匂いの枝を歯ブラシの代わりにするのだ!
実際に江戸時代は猫柳の枝を歯ブラシにしたし、アフリカの一部の地域では違う植物の枝だが同じ使い方をしている。
「両端を叩いて、片方を荒磨き用、片方をうんと細かく叩いて仕上げ磨き用と
使い分けできるようにするでちゅ」
ディオ兄とフェーデ君がエルムさんと一緒に作ってみた。
さほど力は使わないようだが、わりと繊細な加減が必要と分かった。
「お嬢様、これは地味にコツが必要ですね。下手に強く叩くと繊維が切れてしまいますね」
「同感でちゅ、エルムしゃんは他の人を雇うまで、見本になる商品の作成をお願いちまちゅ」
「おお、父ちゃん頑張って」
「エルムさんに、こんな単純な仕事をやってもらうのは申し訳ないけど、お願いします」
「バッソの仕事が増やせるお手伝いなら喜んでします。お任せ下さい」
エルムさんにこんな仕事をさせるのは勿体ない、見本を作って貰った後は、ガイルさんの斡旋で人を雇うつもり。
器用なエルムさんはすぐに見本になる品を作ってくれた。
「アンジェ、歯が生えそろってないから、セリオンさん試しちぇ。
歯茎や歯の隙間を掃除するつもりで最後に口をすすいでね、どうじょ」
よし、そういうとセリオンさんが細かい方を口の中に入れて試した。
しばらく、いろいろ探るようにケバだった部分を歯に当ててから、やっと口から出して感想を言った。
「これ結構いいかも、ちょっと食事の後に使ってみたいな。貰っていいか?」
「もちろんでちゅ、あと、自分で噛んでケバを調節してもいいでちゅよ」
エルムさんにお願いして、しばらくは歯ブラシの生産を頑張ってもらうことにした。
江戸時代は専門の職人がいたようだが、慣れればお年寄りや子育て主婦にもできるだろう。
始めはこちらで検品してフロリス商店に卸し、買取りしてもらう。
うまくいけば、ガイルさんの喜ぶ小商いがまた増やせる。
夜、子供部屋でお休みの時間、ディオ兄がお母さんの形見のアクセサリーをベッドに広げて言った。
「このアクセサリーは、みんな誕生日にアンジェにあげるからね。きっと似合うよ」
ニコニコ顔でディオ兄がそういったが、あたしとしては、エルハナス家の物を貰う訳にはいかない。
だって、ディオ兄と結婚するとは思えないし、セリオンさんを従者にして魔石ハンターのほうが面白そうだからね。
『ディオ兄、あたしこんな高価なもの貰う訳には…』
*ぎんっ!!!* ディオ兄の眼つきが尋常でない!
「ひえ!」
「貰ってね♡」 にこにこ
「え?」
*ぎんぎんぎんっ!!!*
ひいいいいぃぃ!
脂汗を浮かべてコクコクと頷くと、ようやくいつもの美少年のディオ兄に戻ってくれた。
最近、ディオ兄の性格が変わってきた気がして、心配である。
* * * *
フォルトナのハイランジア城、カメリア・エルハナスは息子の帰宅の知らせに驚いていた。
「なんでフェルディナンド帰ってきたの?あなた学校は?」
肩をすくめたフェルディナンドは、力なく笑って訳を話した。
「叔父様が、「おじい様が倒れた」何て言うから…噂になっているよ。
学園長に、「この間のずる休みは、気にしないで帰りなさい」なんて言われたら王都に居づらいでしょう?
叔父様が嘘ついて、王室の仕事を休んだってバレちゃうじゃないですか」
カメリアは頭を抱えてうめきながら呟いた。
「アルゼ…もう少し言い訳を考えて欲しかったわ…」
「母上、実は他にも報告しなくてはいけない事がありまして」
「何?アルゼの嘘で何か起こったの?」
「いえ、僕とマンゾーニ家がちょっと関わりができまして、一応、お耳に入れておこうと…」
詳しい話を聞いたカメリアは、来年の夫の小冠授与式まで王都に行かずに、面倒はさけて領地に居ようと考えた。
フェルディナンドは、結局アンジェの誕生日まで数日滞在してから、カラブリア卿の容体が落ち着いたと言って帰ることにした。
* * * *
ハイランジア城であたしのお誕生日が開かれ、その誕生会にわざわざお兄様が戻ってきてくれて驚いた。城内の玄関ホールに降りて来たお兄様があたしを迎えてくれた。
「やあ、アンジェ」
お兄様があたしを抱きしめると、ディオ兄の顔がこわばった。
ディオ兄の頭には、第一印象が最悪だったせいか、どうもお兄様の事を良く思っていないような気がする。静かに睨んでいる、困ったもんですなあ。
* * * *
*ゾクッ*
気配を感じ取ったハイランジア城の近衛騎士たちが、その様子を見ていた。
「なあ、気のせいかデスティーノ様の眼つきが、ひとりかふたりやって(殺して)、闇に葬ったような目をしているのだが、気のせいかな…」
「偶然だな…俺もそう思う…今にもや(殺)りそうな殺気の目だ…」
「さすが、カメリア様の弟様だ…まだ子供なのに、あの気配、大物になるぞ」
何の大物だ!と護衛のセリオンは心のなかで突っ込んだ。
* * * *
ハイランジア城に出張し、張り切っていたクイージさんが御馳走を作り、ダリアさんが誕生日のために新しい服を縫ってくれた。
今日の主人公らしく、フリフリのフリルとレースとリボン。
これでもかの可愛さ爆盛り服… 絶対に、服に負ける自信がある。
「おお、アンジェ可愛いなあ」
パパは常にあたしの御ひいきである、絶対に貶さない。
パパからのプレゼントは赤い漆塗に小さな真珠がついた髪飾り、凄くきれいだ。
「ふお、綺麗でちゅ」
「その漆塗りはマルヴィカ領の特産品なんだよ。カラブリアに行ったときに見つけたんだ。アンジェがもう少し大きくなったらつけてくれ」
「パパ、ありがとう、大ちゅき」
頭をナデナデされた、うん、甘えん坊接待ありがとう。
「アンジェ良く似合うね。可愛い」
ディオ兄は、あたしから微塵の欠点をも見出さない。
プレゼントに、お母さんの形見のアクセサリーと、好みを押さえた絵本をもらった。
「ディオ兄ありがとう、うれちいでちゅ」
「本当に天使がいるならアンジェ様のようでしょうね」
「じゃな!」
メガイラさんとクイージさんの言葉に続くように、うんうんと他の人びとが頷く、そして使用人の皆からの大きな花束を貰った。
いや、天使だなんて、そこまでいくと木っ端ずかしいから、うへへ。
そこに、眉間に皺を寄せたセリオンさんが、あたしの顔を覗き込んでひと言。
「フリルの中に埋もれてる。これなら、どんなブスでも可愛いと言える。
顔がほとんど見えないから、どれだけ顔の造作が散漫でも、己に嘘をつかずに可愛いと心から断言できる…あうっ!」
デコピンショットー!! 喧嘩売っているなら買うぞー!
ごらあああぁぁ!
相変わらずセリオンさんは本心しか言わない。この人がいる限りあたしの心に慢心は生まれまい。くそー!
ダリアさんが部屋の隅にセリオンさんを連れて行って、微笑みながらお腹に軽く一発こぶしを叩きこんでいた。
「それじゃ、ママからプレゼントよ」
カメリアママは王都で評判の着せ替え人形をプレゼントしてくれた。
アルゼさんのお嫁さんの実家で買ったそうだ。
おお、これ前世だったら値打ちものだよ。ガラス玉の眼がすごくリアル。
きれいなドレスを着た、とても可愛いフランス人形だ。
あ、こっちにフランスはないか…
すぐに手を伸ばしてお人形を受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。
「ママ、可愛いお人形ありがとう。大事にしまちゅ」
「うふふ、気に入ったなら良かったわ。
それから、セリオンから手に入れた魔石の中から、装身具になりそうなものが有ったら選んで欲しいと頼まれていたの。
それで、これなら大丈夫と思ってペンダントにしたのよ」
カメリアママが渡してくれたのは白銀の魔石のペンダントだった。
「これはセリオンがアンジェのために手に入れたアクセサリーよ」
きれいだ…本当にきれいな白い魔石だ。真珠のような白だが、あれよりもっと輝いている。まるでこれ自体が発光しているように見える。
「ママ、セリオンしゃん有難う、凄く気に入ったでちゅ。アンジェの宝物にするでちゅ」
そのとき、お礼を言われたセリオンさんの面喰った顔が忘れられない。
彼は本当に狼狽えて混乱して見えたのだ。
「こんな物見たことも無い。本当に革袋に入っていたのか?」
後で、そう聞き、あたしとディオ兄は目を丸くした。