第117話 アンジェ参上でちゅ!
「母さん!来てくれた!天使様だ!助けてもらえるよ」
安堵のあまり泣き出した少女は興奮を抑えきれずに言った。
少女が待ち望んだ相手、この洞窟に逃げ込んだときお告げがあったのだ。
その声は言った、『信じて待ちなさい、彼女が助けてくれる』
その励ましがあったからこそ、助けが来ると信じ恐怖に堪えられた。
―あれはお告げだった、間違いないわ。
そして今、もう一度、頭の中にお告げの言葉が響いた。
主の御心により天使を遣わせり そは地に縛られしものを解き放たん
不可解な言葉だ、だが天使が助けてくれるという事だと分かる。
天使と聞いて、好奇心に負けた少女は危険を忘れて横穴の外をそっと窺ってみた。それはあまりに小さな存在だった。
彼女が目にしたのは、仁王立ちで腰に両手をおいてふんぞり返った、威張りん坊のポーズで化け物の前に立ちはだかるアンジェの姿だった。
彼女はふんすと深く鼻から息を抜くと化け物を見上げて宣言した。
「こりゃ!悪いやちゅは、お仕置きでちゅ!!!」
教会の絵で見るような小さく可愛らしい天使だった。
* * * *
おじさん達を振り切って飛ぶことができたので、苦労せずに辿りつけた。
悲鳴が聞こえた場所は、入り口よりもずっと先で下った場所だった。
小学校のプールがすっぽり入る程の広さで湿っぽくひんやりした空間。
そこには水の滴る音と、ガラガラと岩の崩す耳障りな反響の正体がいた。
壁に体を叩きつけて暴れていたのは大蛇だ。
生臭い匂いの息を深く吐き出すと、鎌首を持ち上げ新たな獲物の気配を感じて向きを変えようとしている。
とんでもない大きさだ、大きく開いた口は人間を楽に飲み込めるだろう。
日本昔話のようなでっかい四斗樽のような腹まわりをしている。
また蛇かい!全くもう蛇嫌いなのにやめて頂戴ってば、よっ!
ズズズズズと、化け物が方向転換するために地面を這う音と、地面に溜まった砂礫や岩が跳ね上がりカラカラと洞窟内に響き渡った。
薄い布靴の指先に小さな石がコツンとぶつかった。
チロチロと赤い舌を忙しく動かした大蛇が、鎌首を向けて飛び掛かる瞬間の額を狙って撃った。
ゴン!!!鈍い音と共に大蛇はどさりと体を倒した。
よっしゃ、思い切りの念力を込めたデコピンショットが額にヒット!
思ったより弱っちいわね、情けないやつめ。
「ふう、倒せたでちゅ…」
遅れてやって来たおじさん達が大蛇の死体にギョッとおののいた。
「こ、こいつはもしかして…村を襲った奴じゃないのか…」
「お、おい、レイラ!シェルビー何処にいる!!!」
「父ちゃん!母ちゃんも無事だよ」
声を聞いた髭のおじさんが声のする岩壁に駆け寄った。
「レイラ、お腹の子は大丈夫か?シェルビーよく頑張ったな」
身重の母親とシェルビーという少女が狭い入り口の横穴からおずおずと現れ、髭のおじさんに縋って泣いていた。
3人を眺めていたら小さいおじさんが、曲がった通路の先に灯りが近づいて来るのを指さして、あたしに言った。
「嬢ちゃんの父ちゃんも来たみたいだよ」
小さいおじさん、セリオンさんが怒るよ…
家族が再会し無事を喜んでいる所に、手持ち燭台をかざしたディオ兄の声が響いた。
「あ、セリオンさん!アンジェがいるよ」
「こら!アンジェ何やって…わ!何だ、これは!!」
セリオンさんが足元に転がる大蛇の死体に驚いて声をあげた。
ディオ兄とセリオンさんは、小屋から居なくなったあたしを探して、洞窟の入り口の薄明りに誘われて入って来たのだ。
「あ、あんた魔石狩りをするくらい強いんだろう?その大蛇の首を落としてとどめをさしてくれ。こいつは俺たちの村を滅ぼした奴なんだ」
髭のおじさんの話によると、村の人が少しずつ消えた事件があった。
始めは、領地の税金が納められない夜逃げだと思われていた。
しかし、余りに多くの人がいなくなって、領主に代表を送って報告しようとしたが、帰って来ないばかりか、その間も人はドンドン消えていった。
そして、怖ろしくなった村人は村を捨てて逃げた。
逃げる途中も人は消えて残ったのは彼らだけになったのだという。
「その犯人がこいつだったと言う訳か」
そう言うと、セリオンさんは剣を振るって大蛇の首に突き立て、切り離しに掛かった。
ゴロリと首が落ちる前に、蛇の身体がビクンと痙攣するが、セリオンさんは気にせずにそのまま切り落とした。
「や、やっと死んだかな」
おっかなびっくりのおじさん達の後ろに隠れていた奥さんが、やっと安心できたのか何度も涙ながらにお礼を言った。
「有難う、あんた達のおかげで女房子供が助かった」
髭のおじさんが礼を言うと、セリオンさんが問いただした。
「ところで、さっき俺が魔石狩りをすると知っていたよな?さては追いはぎをするために見張ったのか?」
おじさん達は肩を跳ね上げて反応したが、セリオンさんは身重の奥さん達に眼を移すと、「まあ良いや」と投げやりに言って、それ以上は追及しなかった。
「こんなに大きいのにただの蛇なんだね。魔獣じゃないのか…」
あたしの手をひいていたディオ兄が呟いた。
すると、涙を拭ったシェルビーと呼ばれた少女が、助かって気が大きくなったのか、蛇の頭につかつかと近寄って蹴飛ばそうと足を上げた。
ぞわり、何か嫌な予感が背筋に走った、蛇の眼と視線があった。
こいつの眼はさっきからこっちを見ていたかしら?
蛇の眼が嘲るようにわらっている。
冷たい汗が背筋を伝わってきて鼓動が早まる。
半開きの口の中で、力なく垂れていた筈の赤い舌が持ち上がった。
その刹那、あたしはディオ兄の手をはらい、少女に向かって体当たりをした。
「ぐは!」
あたしの身体をお腹に受け止めた少女は盛大に尻もちをついた。
口を開けて空中を跳躍した大蛇の頭が彼女のいた場所を通過して転がった。
砂礫の地面で蛇の頭が跳ねて向き直り、かっと眼を開け叫んだ。
ぎぇぇぇぇぇぇ!
声と共に、切り離されていた胴体が生き返りうねうねと動き始めた。
「うわ、まだ生きている!」
あたしは腰を抜かしている少女からぴょんと離れて身構えた。
デコピンは効果なかったのか、連打でもしてみようか?
「う、さっきの不気味な叫び声!」
「そうか、さっきの声は獣じゃなくてこいつだったのか!」
セリオンさんの言葉に、おじさんふたりは密かに違います!と小さく即答する声が聞こえて来たが、気のせいかしら?
それよりこの蛇、あたしの最大念力のデコピンショットを受けて失神だけ。
小さいとはいえ、魔獣ですら死んだのに…
それに、セリオンさんが首を落としたというのに、まだ元気!
何とかしたいけど決め手がない、セリオンさんの2本持ちの短剣では、ここまで大きな化け物の動きを阻止するのは難しい。
「おじしゃん、みんにゃで避難してくだちゃい」
「そうだな!あんた達、子供と奥さん達を外に連れ出してくれ!」
「ええ?あたいは天使様と一緒に残り…ちょっと父ちゃん!」
おじさん達が慌てて避難すると、ディオ兄が弾弓で目つぶしの唐辛子を仕込んだ弾を大蛇の頭に当てた。
目つぶしを喰らった大蛇は無茶苦茶に暴れるが、幸いあたし達には当たらない。
本当の蛇みたいに数分したら成仏してくれたら良いのだが、こいつは別物のようだ。
ディオ兄が涼しい顔で、のたうち回っている蛇の胴体を眺めている。こんな危険な状況でも余裕があるのが不思議だよ…
「これも食べられるよね。切り身が大きいから、骨がいっさい入らない。アンジェでも身を良く解したら食べられるね♪」
ちょっと待って、まさか…本気じゃないよね…(汗)
*ニコニコニコ*
ひええぇぇ!絶対に跡形も無くこの蛇を滅ぼしてやりたい!(泣)
『アンジェ…何とかしろ!人喰った蛇なんて冗談じゃないぞ!』
セリオンさんの顔が真っ青だ。いくら可愛い弟分でも、ただの蛇以上のものなんてこれ以上無理である。
ディオ兄は飢餓を経験したせいか、食に関しての神経が尋常じゃない。
セリオンさんがたとえ抗議しても、にこやかに調理しそう。
あたしだって絶対食べたく無いわい!
跡形も無く…デコピンみたいな力じゃ無理…
ああ、こんなときに火力を使った念力が使えれば良いのに…
前世の伝説の古代兵器、ああいうのが在ったら効果あるかも。
あまりに強力な兵器のために製造方法が秘匿されたため、未だに再現できないと言われる謎の超古代兵器。
……ギリシャの火とか……
* * * *
アンジェがいる山の遥か上空にアンジェロ・クストーデがいた。
夜空に薄ぼんやりと光を放ち、真っ白な翼を動かすことなく宙に静止している。
彼の前にはもうひとりがいた。彼と同じ琥珀色の瞳と長い銀の髪、だが、彼とのあきらかな違いは、牙と角が生えていて仄かに光を纏っていることだ。
その後ろ姿を畏れ多く眺めていたアンジェロが彼に話しかけた。
「主よ、本当にあの嬰児に任せて良いのですか?」
疑問を投げかけたアンジェロの言葉に、神は笑顔で頷いてアンジェの姿を見ていた。
「審判の日は彼女次第だ、私は彼女に託した」
まだ1歳に満たぬアンジェに人の未来を選ばせなければならない異常な事態に、アンジェロは胸苦しく洞窟内を眺めているうちに考えた。
「主よ、ならば、あの子に清めの炎を授けて宜しいですか」
驚いた神が振り返って彼の顔を凝視した。