第114話 森番小屋にて
泣き疲れて眠りこんだアンジェを抱きすくめて、クスリと微笑んだセリオンは、横にいたディオに話しかけた。
「やれやれ、やっと寝たか。アンジェの泣き虫は手が焼ける。なあディオ?」
笑って振り返ったセリオンはディオの顔を見てギョッとした。
作り笑顔で眼が座っている、明らかに不機嫌だ、いやそれ以上だ。
それに、見えない黒いオーラを纏っている、何だか身の危険を感じる。
「ディ…ディオ?どうした?」
セリオンが怖気る程の威圧する気配を漂わせ、顔だけ笑顔を作っているディオが見上げた。
「やっぱり俺が抱っこするよ」
*にこりんぱっ*
「お、おう」
セリオンは、眠っているアンジェを起こさないように彼に渡した。
ディオはそっと彼女を抱きしめて頬擦りするとセリオンに顔を向けた。
「セリオンさん」
「うん?」
「アンジェは俺のお嫁さんになるんだからね…」
*キロリ*
ディオの眼差しは、有無を言わさぬ無言の圧力だった。
「と、当然だ、11月のふたりの婚約式は俺も待ち遠しくてたまらん」
「だよね、俺も楽しみなんだ♪」
とたんに上機嫌になったディオをみてようやくセリオンは胸を撫でおろした。
―ディオの奴、苦労した割には良い子に育っていると思ったのに、変なところで危ない奴と化している気がする…行く末が心配だ…
これは気を付けるように注意しないと…
日はまだ高い、明るいうちに今日の目的地に急ぐことにした。
3人は猟師小屋の脇から山へと伸びる細い道に入り、尾根をジグザグに切りながら登った後、広い峠にでた。
そこには、かつて森番が使っていた貧相な山小屋があった。
「さあ、着いた。今夜はここで泊まるぞ。アンジェ、ほら起きろ」
「う~ん」
眠い目をこすって辺りを見回すと小さな丸太小屋だった。窓は貧しい家にありがちな鎧戸だけの粗末な作りなので、窓を閉めれば真っ暗になってしまうだろう。
中は人の住まない山小屋なのに屋根や壁、床が所々補修されているのが目立つ。
セリオンさんが近くの谷で水を汲み、ディオ兄はリュックの荷物から食事の用意のための道具を出した。
屋内では煮炊きをする場所が無いが、近くに石積みの焚火あとがある、セリオンさんがそこで焚火を熾した。
「よく薪があったねえ」
ディオ兄がパチンと爆ぜて飛んで来た火の粉を手で払いながら、焚火の薪を足して言った。
「ここは魔獣狩りに来る奴らがこっそり使っている避難小屋だ。ここを使わせてもらった後は、後から来る奴のために掃除や修理をしたり、薪を割ったり、使える物を置いておくのが礼儀なんだ。
そうやって誰のものでもない小屋を維持している」
話しを聞きながら周りを見回していたディオ兄が、傍の草地をじっと見つめたかと思うといきなりセリオンさんに言った。
「セリオンさん、アルバに行ってから全然体を洗ってないでしょ?
暗くならないうちに体洗ったら?かなり匂うよ」
「え?そうか?」
狼狽えたセリオンさんが自分の腕や肩に鼻を押し付けてクンクンと嗅いだ後に、ううっと呻いた。
やっと自分でも気がついたようだ。
「アンジェはマナーで黙ってまちた。セリオンしゃん、くちゃかったでちゅ」
途端に、セリオンさんはリュックから布を一枚引っ掴むと慌てて、そこにある谷川で沐浴してくると言って降りて行った。
残されたあたし達は小屋の前にいたが、ディオ兄が即座に二股になった枝を取ると麻袋を持ってそばの草地に入った。
「美味しそうなものを見つけたからアンジェ楽しみにしてね。ちょっと危ないから小屋の中で待っていて」
止めようと思ったが、彼は草地で屈むとすぐにニコニコして袋に何かを入れて戻って来た。
ディオ兄はなんだかやけに楽しそう、なんでだろう?
「フフ、セリオンさんのお仕置きに丁度いいもの見つけたよ」
はて?お仕置き?ああ、アルバなんかに行って心配掛けたからだね。
それにしてもどうやってお仕置きするのかな?
腰布一枚になって戻ったセリオンさんは、洗濯した服を持って、焚火の前にロープを張って乾かした。
のどかな森のなかだ、のんびりしているがやっぱり此処でも魔獣は出る。
森にいる魔獣は熊みたいなもので運が悪くなければ、危険は少ない。
前世の登山者でも、熊より猪のほうが危険だという人もいるくらいだ。
魔獣は熊よりも強いけど、倒すとたまにとんでもなく高価な魔石を出す。
それで一攫千金を夢見る人は後を絶たない。
* * * *
山の斜面の小高い岩場の陰から男がふたり、息を潜めて隠れていた。
背の高い髭だらけの30絡みの男は、腰のベルトに国の兵士に支給される軍用短剣のポロックを吊るしている。
初対面の相手を威嚇しようと箔をつけるために闇市で買った軍の横流し品だ。
もうひとりは、おっとりとした顔つきの小柄な男で、同郷の彼の弟分だ。
ふたりは隣の領地からやって来た追い剝ぎで、アンジェ達を観察している最中だった。
「やっぱり獲物が通ったぞ、この森は、昔はよく使った街道なんだ。しかし、子供連れの若い父親じゃ金は期待できそうもないか…」
「でも兄貴、本当に親子かな?男の子が大きすぎるし似てないぜ?それに子供の身なりが小ぎれいじゃないか?」
「それは、あの若造が年増に騙されて、子供押し付けられて逃げられたからだろう。だからふたりは似てないのさ」
「なるほど、兄貴はやっぱり読みがするどい」
髭面が鼻を鳴らして悦に入ると岩陰をこっそり離れながら言った。
「よっしゃ、近くに移動して隙をみて財布を頂くとしよう」
* * * *
小屋には、ここを使う人が持って来た鍋があった、セリオンさんも魔獣狩りをするのでよく使うそうだ。
日が陰ってくると夏でも山の中の夜は冷える、薪をくべておいて良かった。
「セリオンさん、そんな恰好じゃ風邪をひくから小屋のなかで掃除でもしていてよ。戸口から近いし、ひとりで御飯の用意できるから、アンジェと一緒に小屋の中にいて」
「そうか、すまないな。じゃあ中の蜘蛛の巣を払っておくよ。アンジェ、目視でいいから危険がないか注意していてくれ」
「あい」
今日は力を使い過ぎて念視のような繊細な技が使えない、でもデコピンならまだ撃てるので、ディオ兄の用心棒だ。
ディオ兄、夕飯の支度張り切っているなあ。
ダミアンさんの干し野菜のスープと通いのおばちゃんが供えたパンを出した。
はて?ポルトさんがお供えしたチーズとベーコンを何故か出さずに、夕飯の用意をしている。まさか、スープとパンだけで食べるの?
セリオンさんが掃除を終わらせてディオ兄のところに寄って来た。
「やっと掃除が終わった。なあ、ディオ、夕飯は何を?うう!!」
ちょっと離れた所にヨロヨロと座りこんだセリオンさんは、妙なことに、物凄く暗い顔をしている、というか落ち込んでいる。
いや、これは死刑場に赴く死刑囚みたいな打ちひしがれた顔だ、一体何があったの??
反対にディオ兄はやけに御機嫌だなあ、鼻歌を歌っている。
ちょこちょこ歩いてディオ兄の料理しているものをちらっと覗いた。
へ?…ちょっと待って…これって…ひいっ、体が硬直した!
「あ、アンジェ。さっき蛇を掴まえたんだ。美味しいからミンチにして焼くことにするよ♪こうやって小骨が多い肉でもナイフで」
*トントントントン*
包丁に叩かれて、この世の終わりに乱れ踊る蛇肉!
『『うああああああぁぁぁ』』
口を押えて声を殺したまま、セリオンさんとあたしの心の声がシンクロした。
ささっと、セリオンさんがやってきて、あたしを掴まえると物陰にはいり、こそこそ声で話した。
(ど、どうする、アンジェ。どうにかしないと、あれが夕飯になるぞ…)
ひいぃ!あんなものを…あ!閃いた!
「ちょっとディオ兄にお話ししゅるでしゅ」
セリオンさんはやっと救いの道を見つけたとばかりに喜んだ。
『が、頑張れよアンジェ』
ちょこちょこと傍に行くとディオ兄に聞いてみた。
「ディオ兄、アンジェじゃけ離乳ちょくでちゅよにぇ?」
意訳 アンジェだけ、離乳食ですよね?
緊張のあまり噛み噛みである。
「うん、もちろんアンジェはパン粥だよ。これはセリオンさんと俺の分」
そうそう!小骨が多すぎて幾ら叩いても離乳食代わりには断じてならない。
よっしゃやったー!あたしだけは食べずに済んだ。
へらっと笑って後ろを振り返ると、物陰のセリオンさんが引きつっていた。
「それはとても残念でしゅ」
よっし!あたしだけ助かったわ。
(この裏切り者―!)
陰に隠れているセリオンさんが、口の形で、そう非難しているのがわかった。
セリオンさんには悪いがディオ兄とじっくり味わって頂戴、うん残念。
とっても残念、ウヘヘヘ。
にへら、にへらと、心から大いなる安堵の笑みを浮かべた。
「アンジェがもう少し大きくなったら絶対一緒に食べようね」
*ニコニコニコ*
「………」
…藪蛇だった…どうやら社交辞令という物はディオ兄には通じないらしい。
なんてこった…
どん底に沈んでいるセリオンさんを無視して、お食事のお手伝いをしようとしたら、ディオ兄に慌てて静止された。
よく見ると、まな板代わりの板の横には蛇の頭が転がっている。
「アンジェ、蛇は死んでいても暫くは危険だから気を付けて」
そういうとディオ兄は首のところを摘まんでポイっと遠くに放り投げた。
蛇の頭はガサリと離れた茂みに落ちた。
* * * *
山の斜面から、ふたりの追いはぎが足音を忍ばせ、アンジェ達の傍の藪に隠れたその時、何かが飛んで来たと思うと、髭面に噛みついた。
!!! □✕△◆☆〇✕――――!!!
ディオが投げた蛇の頭は、隠れていた髭面の耳たぶにぶら下っていた。
ビックリした彼は必死に口を押えて悲鳴を押さえて堪えた。
(わ!わわわ!何だこりゃ!取ってくれ!)
仄暗い藪で、兄貴分に噛みついているのが蛇の頭と確認すると、小声で落ち着くように言った。
(よく悲鳴を出さなかったなあ。さすが兄貴だ、今取るよ)
髭面の右の耳たぶに噛みついている蛇の顎に小枝を差し込んでこじると、蛇はぽろりと地面に落ちた。
(ひいぃぃ…何てものを食いやがるんだ…)
暗い地べたに這いつくばりじっくり見ると、蛇はどうやら毒の無いシマヘビ、ふたりは胸を撫でおろした。
(まったく忌々しい、なんでこんな物を食うのか気が知れないよ)
弟分が小声でそういうと、這いつくばったまま茂みに向かって蛇の頭を中指で弾いた。
あ、馬鹿!反対側にいた髭面が止めるまもなく、弟分が弾いた蛇の頭は空を飛び髭面の鼻にまた噛みついた。
「ぎぃええええええぇぇぇぇぇー!!!」
ギョッとしたディオはすぐに驚いているアンジェを抱き上げていると、逃れられない夕飯の覚悟を決めて、小屋の中で寝床の用意をしていたセリオンが出て来た。
「せ、セリオンさん今の声なんだろう?」
「おっかないでしゅ…」
「夜のほうが、獣の鳴き声が聞こえるからな。獣だろう」
夜の森に慣れたセリオンが気にするふうも無く言い、怯えるディオとアンジェの頭を撫でてやった。
その頃藪の中では、(駄目だよ、兄貴大声出しちゃ…)
(くっそー!いてえぇ)
蛇は頭を落としても、数分くらいは刺激があると何度か噛みつこうと反応する。執念深いと言われるだけあって、いろいろな意味でさすが蛇!