第112話 危ないプレゼント
まったく分からない、なんで、どうやって此処アルバに移動したんだろう。
想い起して気がついたことがある、あの声だ。耳元に聞こえた囁き声は、あれは少年の声でなかったか?
少し意地悪そうに聞こえたあの声はいつぞや会った、あの銀の髪の少年に似ている気がする。
名前は…そうだ、ルチーフェロ君といったっけ。
あたしが言いにくそうだと「チェロ」でいいよって言ってくれた。
あのときの彼はとても優しそうだった、でも今日の声は、凄く冷たくてまるで嘲るようだった。
だけど、あのときのあれ以来、一度きりしか会っていないから、気のせいかもしれない…きっと彼じゃない、チェロ君は良い人だったもん。
ディオ兄はここがアルバだと分かると、窓の外を用心して眺め、魔獣の姿を確認するとしばし考え込んだ。
「アンジェ、ここの周りにいる敵の数わかるかな?」
「任せて、天井の隙間から探ってみるよ。意識を飛ばしていると力を使っちゃうから実際に見て確認しよう」
「ごめんね、気を付けてね」
フワッと浮いて隙間に入り込み、天井の間から這い出して屋根に出た。
夏にもうなっているのに、真冬みたい枯れた光景が広がっている。
夏になったバッソは命に満ちた濃い緑に覆われて、山々が蓄えた水が沁み出る川となり、あちらこちらに湧水を生み出している。
ここもかつては豊かな穀倉地帯だったらしいのだが…
バッソって綺麗な水の川があって、豊かな山々へ連なる水晶山があって、確かに耕作地は少ないけど、それは小麦に向いていないってことだけだ。
土地の利用を考えたら、フォルトナのような大きな消費都市があるのだから、飛躍するチャンスは有るのじゃないかしら。
そんなことを考えながらアルバの光景を見渡した。
枯れた木々と草、緑の植物がひとつも見当たらない。土地は魂が抜けたような灰色で、廃墟はありがちな茶か灰色だった。
茶色が無かったら、モノクロームの映画みたいだ、その中に申し訳程度に違う色を付けて、点々と動いているのは、どうやら魔獣らしい。
遠くにも、かつて人が住んでたであろう家がポツポツと点在している。
意識を広げてみたが、どうやら生きている人はいない。
それだけ確認すると、あたしは屋根の隙間から元の部屋に戻った。
「見えているだけで20匹くらいかな?蹴散らすくらいならあたしでもできそうだけど、強いの?」
「おまえ、相手は魔獣だぞ。俺だって死にそうになっているのに、あまり気楽に考えるなよ」
「あたしセリオンさんより強いから♪」
「くそぉぉぉ……」
悔しそうに顔を歪めたイケメン青年を見て自然と顔がにやつく。
何のためにセリオンさんにデコピンしていると思うのよ。いざというときのために、力加減とコントロールを鍛える為よ。(うそだけど)
加減せずに魔獣を撃ち抜くなら、神経を使わずにガンガンできるので、疲労は少なくできるかもしれない。
だけど、何かしっくりしない、魔獣も一応生きている筈なのに、なんでこう気配が少ないのかな?
まあ、今はまだ分からなくてもいいや、そのうち分かるだろう。
さて、場が和んだところで、どうやってアルバを脱出すればいいのか?
広がっているテーブルクロスの上で食事をしながら、作戦会議である。
3人そろえば文殊の知恵という事で、先ずは3人で食事をとりエネルギー充填をしておくことにしたのである。お腹空いているとろくな考えが出ないものね。
「はい、アンジェ、お口をあーんして」
ディオ兄は、セリオンさんの食器と、ダミアンさんがくれた携帯カマドで、サンドイッチの一部をパン粥にしてくれた。
あたしが離乳食のことを伝えたためディオ兄はよく知っている。
昔は離乳食の概念が無かったため、多くの乳幼児が消化不良を起こして死亡することが多くあった。
あたしなら大丈夫そうだけど、ディオ兄が慎重だからね。
「セリオンさんは普段どうやって戦っていたの?」
「いつもは離れたところで、吹き矢でまず狙う、そして動けないところを…」
セリオンさんの戦い方はいうなれば、安全なところから薬で痺れさせて、あるいは眠らせてから止めを刺す…ゲリラ戦。こうやって聞くと結構卑怯だな、セリオンさん。
*むしゃむしゃむしゃ*
「美味いな、これ」
セリオンさんが食べているのはベーコンと炒り卵のサンドイッチだ。
「クイージさんが作ってくれたサンドイッチは具が一杯で美味しいね」
『パンにマヨネーズと種辛子を塗っておいて、ちょっぴり牛乳入れた溶き卵を、バターひいたフライパンに柔らかな炒り卵をオムレツ風に焼き上げ、薄切りしたチーズを乗せる。
そして、ベーコンとレタスを挟んで、酢漬けのキュウリと玉ねぎのスライスを入れてマヨネーズをして貰ったの、黒コショウが効いているでしょ?』
久々のまともな食料を口にしたとセリオンさんは、喜んでパクついた。
外にいる魔獣がわんさかいるのに、ここでは緊張感の欠片も無い、のんびりとした日常の会話をしているのが不思議でもある。
*ゴクゴク* *もぐもぐ*
「とにかく、美味い食い物のおかげで生き返ったぜ。しかし呆れた、武器迄あるとは思わなかったな」
セリオンさんは口の中に食べ残りの欠片を押し込むと、投げナイフを手に取り感触を確かめた。
「丁度いい重さだ、握りも良い手触りでとても馴染む。これをくれたのはガイルさんかい?」
「いや、スレイさん。使いやすいのをわざわざ買ってきてくれたんだって」
スレイさんが選んだと聞いて彼は本当に驚いていたようだった。
彼とは特に親しいわけでは無く、どちらかと言うとセリオンさんは幼馴染の通い従僕トバイアスさんと仲が良い。
かたや、スレイさんは誰とでも仲良くなるので、色々な人と付き合いがある。
だから、浅い付き合いの彼が、ピッタリのナイフをセリオンさんのために選んでくれたことに驚いていたのだ。
「良いにゃいふね」
「言っておくがこれはナイフじゃないぞ」
「違うにょ?」
「ナイフの定義は、片刃。そして生活のための道具。
これは両刃、だからこれは短剣と呼べ。これは人を攻撃するための道具だ。こういう物を持っている奴には決して気を抜くなよ」
セリオンさんは真剣な顔で壁に刺さった短剣を引き抜いた。
なるほど、あたしは前世で登山用にフランスのナイフメーカー、オピネルを使っていた、料理をするのに丁度いいサイズで重宝していた。
確かに、生活道具で使うなら両刃じゃ危ない!
セリオンさんはさらに、ここから脱出するために必要な物を整理していた。
ガイルさんはセリオンさん愛用の痺れ薬。レナート神父は傷薬と包帯だった。
パパは路銀が無くなったら困るだろうとお金を入れた巾着を置いた。
アイリスさんは火打石とローソクだ…
フェーデ君の両親が胡桃のクッキーを沢山袋に入れておいてくれた、これは非常食にできる。
「これ…何だ?皮のケースの中に…ナイフじゃない?誰のだろう?」
「ああ、それはメガイラさんの愛用のマタギ刀、柄の部分が空洞になっているのが特徴だって」
マタギ刀、この世界にもあったのか!鉈のように枝を払ったり、細い薪をわったりできるが、注目は柄の部分!
この空洞の部分にピッタリの長さの枝を差し込むと、あら不思議!
なんと槍に早変わり!戦える!クマと戦える!
マタギさん達は銃が使えないとき、熊の襲撃にはこれで対抗するのだ!
前世で、サバイバルにも対応できますムードの登山家が持っているのを見たことがある、山登りをする人の中では結構知られた一品なのだ。
「…何だこれ?なんでアンジェのオムツや服なんだ?」
「ああ、それは執事のランベルさん。「アンジェの兄貴分の仕事忘れて何やっている、さっさと帰って来い」という意味だってさ」
「………」
みんな本当に自由に選んでお供えしているようだ。
完全に影膳の意味と遠ざかっているが、みんなの好意のプレゼントだ、有難く使わせて頂こう。
他にトバイアスさんやダミアンさん、ポルトさんなど、男爵屋敷の皆が気にかけてくれているのをセリオンさんは初めて自覚したようだ。
セリオンさんは口の中に食べ残りの欠片を押し込むと、短剣のセットを手に取り、胡坐をかいたまま壁にそのうちの一本を投げた。
スカン!と、実に気持ちの良い音をして短剣は壁に深く突き刺さった。
ディオ兄も興味津々で小さな弓をみている。
「ねえ、セリオンさん、もしもの時のためにこの武器使っていいかな?」
ディオ兄が手に取ったのはトバイアスさんが持って来た弾弓だ。
弓のようだが弓じゃないという独特の武器である、「西遊記」や「封神演義」でお馴染みの顕聖二郎真君が三尖刀と共に神技を使う武器なのである。
「フェーデ達が兄弟でトバイアスさんのアドバイスで面白い弾を作ってくれたんだ。俺にはこれを使わせて」
「うん、良いだろう。外に出た時武器は持っていた方が安心だ。しかし、いつここを出るかな…今何時だろう…」
「アンジェ、わかりゅ。お日様は1時間で15度動くでしゅ」
「ほう」
「凄いねアンジェ物知りだねえ」
「あい、さっきのお日様の位置から言うちょ、11時くらいかにゃ」
夏の日照時間は確か14時間だ、冬は10時間ほど、まだ真夏ではないけどだいぶ日が長くなった。
セリオンさんからの情報で、大した距離ではないと分かったが、何せ子供連れだ。それにここが安心とは限らない、さっさとアルバを脱出した方が良い気がする。
「それじゃあ、バッソに帰ろうきゃ」
「アンジェ、明日の朝一番の方が良くは無いか?まあルトガーさん達が心配するから早く帰りたいだろうけど」
黙って聞いていたディオ兄が自分の武器になった弾弓をいじり始めた。
セリオンさんは、狭い部屋の中で暗殺に使うような危険な武器を、もて遊ぶディオ兄らしからぬ態度に眉をひそめた。
「おい、ディオここではやめろ」
そう言った途端、ディオ兄が弾弓に鉄の弾丸を当てて、弦を引き絞ってセリオンさんを見つめている。
ディオ兄は何だか不敵な笑みを浮かべている。
「ディオ?おい何を…?」
息を整えて鉄球を革に当てたまま静止しているディオ兄をセリオンさんは信じられない気持ちで見つめた。
―ディオが自分を的にする筈は無い、筈が無い…しかし、ここはアルバだ…
もしかして、この呪われた地がディオの意識を狂わせたとしたら…
「動いちゃだめだよ、動いたら仕留められないから…」
*ビュン!*
肉に当たった鈍い音が聞こえた、壊れた壁の隙間からドサリと蜷局を巻いた奴が落ちて来た。
ドタンドタンとのたうって、うねうねと見えない獲物に巻き付こうとするように、丸々と太った大蛇が鉄球を撃たれてもがき苦しみながらテーブルクロスの傍に寄って来た。
魔獣の顔はカタツムリに似ていた、頭には角のようなものが生え、断末魔に開いた口は細かな小さなギザギザの歯が数えきれないほど見えた。
*ピシィィーッ*
魔獣なんかにテーブルクロスの品を壊されたくなかったので、あたしがデコピンを発動すると、蛇はざあっと音をたてて水色の魔石に変化した。
透明な水色の魔石を拾いあげたディオ兄は、ニッコリするとセリオンさんの手のひらにそれを乗せると言った。
「俺達も結構戦力になるでしょう?セリオンさん」
セリオンさんは全身の力が抜けたようだった。