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いざ高き天国へ   作者: 薫風丸
第4章  活気ある町へ
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第110話 孤立無援

 セリオンの左腕はもう動かすことは出来なくなっていた。

左上腕のジグジグとした痛みと喉の渇きを忘れたくて、胸のポケットにいれたアンジェがくれたお守りを右手で取り出した。


四つ葉のクローバー、兄のフェルディナンドにあげた後、危険な仕事が多いと聞いて、セリオンにもくれたのだ。


厚地の紙に貼り付けたクローバーは珍しいことにピンク色の()が入っている。

綺麗な葉だ、こんなクローバーは見たことが無い。


空腹に負けて、塩をして干した燻製肉を食べたせいで、ますます渇きが酷くなった。


「…アンジェ助けてくれ…」

カラカラの口から思わず泣き言が出て、セリオンは後ろの壁に頭をゴンと当てて自分を嘲った。


―情けねえ、あんな小さな妹に頼りたいなんて…俺も救いようのない馬鹿だよな。何でもありのあいつなら、何とかできそうだから、つい口に出ちまった。

俺も往生際が悪いぜ…


屋根の隙間から見上げた空は、不毛の地でもやはり夜空は美しかった。

この星空では明日も雨は降らない、乾きで命の危険が増すだろう。


―気持ちの整理をした方がいいな…左腕は腐りかけてもう動かない…


 セリオンは心の中で、忘れがたい出会いを想い起して目を閉じた。

世話になったルトガー、ガイル、バッソの人々。

もう会えないかと思うと胸が切なかったが、出会えた幸せを想い起し、思い出に浸り心を落ち着かせた。


*      *       *       *


 バッソの男爵屋敷では家庭教師のセリーナ先生の授業が終わったところだ。


セリーナ先生はスレイさんの案内で、町の見物がてら二輪馬車でセリオンさんが良く行く古道具屋の店主に会いに行った。

ディオ兄はナマズの池の世話をフェーデ君にお願いした。


「それじゃあ、俺はナマズ池を見に行ってくるよ。

最近雇ったおっさん、あの人にナマズが旨い食料になることを知ってもらって、養殖業に精出してもらわなきゃな」


「フェーデ、クイージさんに話しておいたから、白身魚サンドをおじさんに差し入れしてあげて、家族の分も有りますよって。それで、池のナマズが産卵しているのを見たか聞いておいて」


「おお!きっと食ったらおっさんの家族も喜ぶぜ。それじゃあな」


フェーデ君を見送ったあとに、ディオ兄が心配そうに呟いた。

「もう8日になる、セリオンさん何かあったのかな…」

「1日遅くなっただけでちょ?」


「いや、いつもなら1週間と言えば、それより短く、5日か6日で帰ってきたんだよ。だから今回は気になって仕方ないんだ…」


 そういうとディオ兄は顔を曇らせた。行き先も言わずに旅に出たセリオンさんが心配で、嫌な想像をしてしまい、夜も寝付けなくなってしまったという。


 それはいかん!最近ディオ兄は仔馬に乗る訓練が始まったのだ、寝不足で落ちて首の骨でも折ったら死んでしまう!!!


 どうしたらディオ兄の心が安らぐか…たとえ気休めでもセリオンさんの無事を祈って何か出来たらディオ兄も安心できるかもしれない。


おお!良いものを思いついたぞ!


「影膳?それはどういうものなの?」

「ようするにぃ、セリオンしゃんがご飯をちゃんと食べられるよう祈るにょ」


消息や行方が知れない人が、無事に食事をして過ごせるように願って、その人の分の食事を用意するのだと説明した。


「それは良いね、クイージさんのところに行って白身魚バーガーが余計にあるか聞いてみよう!」


 調理室にいたクイージさんは喜んで協力してくれることになった。

良い匂いのする鉄板を厚地のミトンで掴んで、焼き上がったナッツやドライフルーツが入ったケーキをみせて言った。


「お二人共、お優しいので爺は嬉しいですよ。それならバーガーだけでなく、クッキーやナッツ入りのバターケーキや乾燥フルーツを供えたらどうですか?」


ニコニコして見ていたダリアさんが、「それなら飲み物もないといけませんね」とワインと水を用意した。


お 供えする場所は普通家族のテーブルと決まっているが、セリオンさんに神の御加護があるように礼拝所の祭壇に置くことにした。


「「セリオンさんが無事に帰ってこれますように」」


お祈りを済ませたディオ兄はちょっと気が晴れたようで、笑顔になった。

祭壇の上は神様のお供え物より多い食べ物が集まった。


話しを聞いたメガイラさんやアイリスさん、ガイルさんが色々な物を持って来てくれたのだ。

ダミアンさんは何を思ったのか携帯カマドまで持ってきた。ポルトさんは屋敷の食糧貯蔵室から山羊乳の熟成チーズを持って来た。


セリオンさんと、バッソの幼馴染である通いの従者のトバイアスさんは、何を思ったのか武器をお供えした。


「トバイアスさん、その武器は何ですか?小さな弓みたいだけど、弦にスリングみたいな皮の包みがついているけど?」


「ああ、これは外国の弓で弾弓(だんきゅう)と言います。

この皮の部分に弾をあてて弾くのです。弦が弾いた弾が当たらないように弓本体をずらすように構えます。

これは射程距離が短いし、弾道は平行でしか飛ばないけど…」


トバイアスさんはにっこりして弾弓を構えて言った。


「これの良いところは、弾はそこら辺のもので間に合わせられるってことです。

小石でもドングリでもOK!セリオンが本当に噂どおり魔獣狩りに行ったのなら、武器が無くなったら大変でしょ?だから、僕はこれをお供えしますよ」


なるほど、至近距離でないと撃てないけど、弾を調達し易いのか。

どちらかと言うと暗殺用の武器らしい。


同じようなことをスレイさんがしていた。彼が置いたのは細身の投げナイフセット、セリオンさんが好んで使う武器だからって、わざわざ買って来たと言った。


「フォルトナでこれを見つけて。あいつの得意はやっぱりこれだと思うから、子供のときから得意にしていた投げナイフを買ってきました。」


 スレイさんは、最近になってからセリオンさんと知り合いになった筈なのだが、何故か以前から知っているような口ぶりする。

すぐに誰とでも仲良くなってしまうスレイさんらしいな。


「皆がセリオンさんを心配しているよ、自分がこんなに好かれているって知らなかっただろうから、セリオンさん帰って来たらびっくりだね」


屋敷の皆の気持ちを知ってディオ兄は、気持ちが少し安らいだのかその晩はよく眠れたようだ。



 ところが、その翌日である。

*グシュン グシュン グシュン*


涙が零れて止まらない、何故かというと、サシャさんが乳母役をお役御免になったと知らされたからである。


あたし達二人が捨て子の兄妹としてバッソでひっそり暮らしていたとき、

お腹がペコペコなとき、オッパイを貰っていた思い出はこの先も忘れようもない。


大人の思い出を抱えたまま赤ん坊になってしまい、こっぱずかしかったが、彼女の胸に抱かれていると子供として素直に甘えられた。


それはせわしない毎日の中で、心安らぐ甘えん坊の赤ちゃんでいられる貴重な時間を与えてくれた人だ。


「サシャしゃん…う、うう」

「お嬢さまは大きくおなりです。それにいつでもバッソで会えますよ」


抱っこしているサシャさんの胸に顔を埋めて、彼女の声を聞きながらグズグズと泣いていると、アイリスさんがあたしの背中を撫でながら話した。


「お嬢様、お利口な貴女ならわかって頂けると思い、お話します。お嬢様の乳母をしている間は、サシャに子供は授からないのです。


もし授かっても、授乳していると、子は流れてしまうことが多いのです。

サシャは若い、彼女のためにお乳は終わりにしましょうね」


乳母の解任を決めたのはアイリスさんだろう、彼女もあたしが泣き止まないので困っているようで申し訳ない。


彼女の役割は理解できる、理解できるし本当に、「そうだね、お乳はもう卒業するね」と、言いたいのだが、涙ってやつはなかなか止まらないのよね。


*ぐしゅ ぐしゅ* …… *ひっく ひっく*


「わ、わかりまちゅた…サシャしゃん、おちぇわになり有難うごじゃいまちた…うえええぇ…」


どうやら、あたしは涙と鼻水でくちゃくちゃになっているらしい。

サシャさんがお鼻をハンカチで「ちーん」してくれると、あたしを抱きしめて言った。


「あ、あのアイリスさん、やっぱりもう少し続けましょうか?」


グズグズ泣いているあたしに困っているサシャさんに、メガイラさんが腕を伸ばして抱っこを代わった。

そして、つられて涙ぐんでいるサシャさんに、メガイラさんとアイリスさんが首を振った。


「男爵様もそうするようにと仰っているのです。サシャにはお給料の他に御礼を用意しています。

よくお世話をしてもらい有難うございました」


 お庭に出てサシャさんにお別れをした、むろん同じバッソにいるのだからこれで二度と会わないわけでは無い。なのに、何なのこの涙は?これがお子ちゃまというものか???


理性で分かるのに、感情が抑えられないのはイライラするわぁ。

気分がパーッとする物でもなきゃやっていられないなあ…


そう思ってくさくさしていると、鼻先に素敵な香りが漂って来た。


*      *       *       *


 セリオンは、魔獣を狩りの拠点である廃屋の2階で、天井の隙間から射す朝の光を眩しく見あげた。

今日も忌々しいほどの快晴だったが、昨日、満点の星を見上げて心の整理をしたセリオンの気持ちは安らかだった。


飢えと渇き、疲労と苦痛で、体は悲鳴をあげていたのと裏腹に、心は平常心を保っていた。

喉の渇きは限界にきていた、なんの躊躇いなく自分の小便を飲み干せるようになった。


だが、そんなことをしても追い付かず、渇きはますますセリオンの身体を苦しめた。

既に、血が濃くなりすぎて何度か意識が飛びそうになったが、嘘のように気持ちだけが静まった。


 外の魔獣は今までにない数になっている、ここを切り抜けて町の外に出ることは不可能だろう。

腹は座った、今更ジタバタしても仕方がない。


町の入り口までは3キロ、元気ならなんとか振り切れるかもしれないが、あの数と、この状態では、死神の口の中に飛び込むようなものだ。

餌になるなんて御免こうむる、そんな目に合うくらいなら、ここで餓死してやる。


―魔獣に喰われないで静かに死にたいものだな…覚悟は決めているが


『…ごめん…アンジェ…ディオ…兄弟の誓いを交わしたのに、もう一緒にいられない…』


セリオンは言葉を口に出す元気も無く、乾いた体から涙の一滴も出せず、幼いふたりと過ごした時間がよみがえり胸だけが絞られていった。


観念したセリオンは抱えた膝に埋めていた顔を上げ、腰のベルトに括りつけた皮袋の上から中の魔石を確かめた。


自分の死体が見つかったとき、持っている魔石がバッソのルトガーの(もと)に届くように、袋には名前を縫い込んである。


「…立派な大人に育てよ、アンジェ、ディオ…」


 不信心なセリオンが、最後に神に縋り祈る前に、不意の一撃を額に喰らって床に派手に吹っ飛ばされた。

静かな最期を迎えたいという彼の願望は粉々に砕かれた。

床にアンジェがくれたお守りのピンクの斑が入ったクローバーが散り落ちた。


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