第108話 セリオンさんの行方
昨日からセリオンさんがいない。パパに休暇願いを出し、暫く他所の町に行ってくると言い、1週間の旅に出て行った。
「土産を持って帰るからな」、そう言って、セリオンさんは微笑みながら手を振って出掛けた。
行き先をいくら聞いてもはぐらかし、ついぞ言わなかったセリオンさんの行動が気になってきた。
朝食のときに、その話が出ると、パパは心配することは無いだろうと言った。
「アンジェに誕生日を教えてやったが覚えてないのか?」
え?うあ!あたしの誕生日…忘れた…あれ?聞いて無い気がする?
ディオ兄が呆れたとばかりに「6月28日だよ、アンジェ。あのとき眠そうだったから聞いて無かったんだね」
パパはセリオンさんが馬を借りなかったので、カラブリアに行ったと思っている。バッソから往復する定期便のワゴン型馬車が出ているからだ。
「アンジェの誕生日祝いを探しに行くのだと思い許可したんだ。カラブリア領のラドバラで珍しい物があるだろうし…」
そう言ったあとに、パパの声がふいに止まってしまった。
「どうしたの?お義父さん?」
ディオ兄が黙り込んでしまったパパの顔を不思議そうに見た。
「あ、いや、ちょっとな。セリオンは大丈夫さ、きっと…」
―まさかセリオンはアルバに行ったんじゃないだろうな?国の兵士が街道を封鎖しているが抜け道はある。
現にアルバのすぐそばに在る猟師宿に泊まる奴がいるのだ。
ルトガーは落ち着かない気分で、窓の外のバッソに寄り添う水晶山を見た。
その山の尾根と谷が続く先、山なみの向こうにアルバがある。
* * * *
甘い物好きのガイルさんは、水を切って作ったハチミツ入りのヨーグルトクリームを載せたミニタルトを、豪快に口に放り込むと、幸せそうにモグモグしながら玄米茶で飲み下した。
バッソのカフェや食料販売店で、ヨーグルトクリームのタルトの作り方を教えて売って貰ってもらおうかと思い、ガイルさんに試食してもらっている。
2個目!苺のタルトはガイルさんのお気に入りになったようだ。
苺の実に砂糖をかけ、水分が出て来てから形を崩さずに煮て冷まし、布で一晩しっかり水切りしたヨーグルトのクリームの上に乗せてある。
しっかりした固い小さなタルト生地を作り置きし、中身だけ詰めて売れば、菓子職人でなくても菓子屋ができる。
クリームはヨーグルトの他にカスタード、生クリーム、カラ芋、カボチャ、栗など季節によって変えられるから、客に飽きられることもないだろう。
女性や子供、老人が主体で販売ができる、タルト生地を一ヶ所で製造してコストダウンして、降ろしてあげよう。
絞り出た乳清はハチミツを入れてドリンクとして売れるし、果汁をいれてもいい。ドリンクの販売は屋台で出したら子供でも販売できる。
「ガイルしゃん、お味はどうでちゅか?」
「美味いなあ、王都の菓子は甘すぎるけど、これは丁度良いよ。
町の職業斡旋所をやり繰りする身としては、こういう小商いでも増えてくれると本当に助かるよ」
ガイルさんとパパの頭痛の種はバッソの人口増加である。
住民の出産による人口増加ではなく、よそからの流入してくる貧しい家族が多いのだ。
救貧法、乞食・浮浪児禁止法が国の法律であるため、何処の領地でもこの法律は施行されるが、領地によっては条件が緩い。
パパは領主権限で、(バッソにおいては乞食、浮浪児は町の風紀を乱さず、町の治安を脅かさない限り、矯正施設への入所を強いられない)とした。
そして、(バッソにおいては、家族への虐待が認められたときのみに、家族を引き離す処置をとる)と明言している。
そのため、子供に十分な養育ができない親は、子供を取り上げられる恐怖から逃れるためにバッソを目指してやってくるのだ。
フェーデ君の家族もそれでここに来たのだと彼から聞いた。
パパのような自分の領地がある貴族は、税の取り立てはもちろん、警備、裁判、刑の執行、福祉などの役所仕事も全部領主の仕事だ。
ガイルさんは警邏兵のまとめ役と住宅と職業の斡旋所の監督もしている。
人数が急に増えているので、てんてこ舞らしい。
「甘いは美味いとはよく言ったものだなぁ…」
三個めのミニタルトを口に放り込んだガイルさんがウットリとした顔になった。
* * * *
男爵家のランベルさんは、いつでも髪を綺麗になでつけ、ピカピカの靴をはいていて、身なりはこれぞ執事というカッチリとした隙のない紳士である。
そのランベルさんが期待の目であたしを見ている…なんで?
しかも、ここはさつま芋畑である。
ダリアさんと共にお散歩がてら畑の見物に行くと言ったら、ランベルさんまで一緒について来たのだ。
さつま芋を植えるのは水はけのよいやせた土地、バッソにピッタリの土地が一杯ある!
ということで、ダミアンさんと相談してさつま芋をたくさん植えたのだった。
5月中頃に植え付けで、ダミアンさんが指導して、町に仕事を探してやって来た新参の人を雇ったおかげで、すっかり植え付けが終わった畑だ。
土地をよく耕して、幅45センチほどの畝を作り、水はけと通気性をよくするため高さ20センチ以上の高畝で、間に水たまりができないように排水にも気を付けた。
完璧である!10月から11月初め頃には収穫できるだろう。
「お嬢様、お芋が沢山できると良いですね」
「ダリアはお嬢様と初めて会ったときに頂いたスイートポテトが大好きです」
「パパにお願いして、お芋でおちゃけも作りまちゅ」
「え?お酒ができるのですか?それは素晴らしい!」
ランベルさんが破顔すると、ダミアンさんもそれは良いと声を弾ませた。
「お嬢様、それならもっと植え付けしましょう。今ならまだ間に合いますから、この間一緒に耕作した人達に頼んでみますよ」
ふ!きっと芋焼酎を作る!この世界にウイスキーやジン、ラム酒があるのは確認済みだ。ならば、芋焼酎が出来ない訳が無い!
麹と酵母菌と水があれば何とかなる!市場に味噌や醤油があったのだから、手に入るに決まっている!
あとは、ディオ兄がつききりで開発しなくていいように職人さん探しだ。
「さすがでございますね、お嬢様」
ダリアさんとダミアンさんに囲まれて鼻息荒くバッソの未来を夢見ていると現実に引き戻された。
そうなると…温度設定ができる食料倉庫も欲しいなあ。ジャガイモより保存がしにくいし…
それに蒸留するための施設に結構お金が必要になる。
「芋焼酎?あのカラ芋で酒ができるのかい?」
バッソのフロリス商店で、商談を済ませて屋敷に来たアルゼさんに、ディオ兄が芋焼酎の説明をすると大変喜んでくれた。
柿渋のような価値のある加工品ができればバッソも潤うし、アルゼさんにも徳のある話だ。
期待通りに、食い気味で話を聞いてくれるアルゼさんに、ディオ兄はにこりとした。
「はい、だけど職人さんがいてくれないとできないです、お酒の醸造の…それに専用施設には発酵の温度管理ができる魔石と魔法陣の手配ですけど、かなりお金が掛かりそうで…」
アルゼさんはしばらく考えていたが、何だか不敵な微笑みを浮かべて僕に任せておきなさいと言った。
「またお財布さんに相談しないといけないけどね、フフ」
そういうとアルゼさんは悪い顔をして微笑んだ。
次の日、フォルトナにいまだに滞在しているカラブリア卿が飛んできた。
ああ、やっぱりだわ…
「ディオ!何故わしに助けてくれと言わないのだ!アルゼが、資金が無いから力になれないと嘆いていたぞ。
アルゼよりわしのほうが力になれるのだからな、今度は遠慮なく言うのだぞ」
「ち、父上にお願いするのは申し訳なくて、バッソの産業ですし…」
「何を言う!お前のためなら父は何処にでも出資するぞ」
ニコニコしているカラブリア卿の後ろでは、アルゼさんがしてやったり、という黒い笑顔で立っている。
完全に金づるにされているのに、カラブリア卿ときたら、貢ぐことに喜びでも感じているのですか、と聞きたいくらい嬉しそうだ。
あの調子だと、カラブリア卿はすぐにでも酒造りの職人さんを探し出して連れて来てくれるだろう。
屋敷に戻ってから、ディオ兄と一緒に、パパにカラブリア卿の襲撃の話をすると顔を覆ってしまった。
「またカラブリア卿に貸しを作ってしまったか…」
『パパ、カラ芋のお酒から収益があがれば、カラブリア卿に配当金を出せば?カラブリア卿は出資者ということにすれば、パパの領主としての面子も保てるでしょう?』
「なるほど、本当にアンジェはお利口さんだな。さすがバッソの跡継ぎだ」「ほんとうに、良い子良い子」
ディオ兄にぎゅっと抱きしめられて褒められた。うふふ、なんか嬉しいぞ。
こういうとき、必ずからかってコカしてくる兄貴がいないのがちょっと寂しいな。
セリオンさん、今どこにいるのかな?
* * * *
袋の中に6粒の魔石が入っている、青い石が4つ、赤い石が2つ。
なかなか大粒で内包物も少なく透明度が高い、さすがアルバだ。
しかも、今までも山にうろつく魔獣とは比べ物にならなかったが、今回は抜きんでた等級、まさにお宝だ!
だが、今回は売らずに持って帰る、ディオやアンジェに託せばきっと役に立つものに生まれ変わる。
これを使って、バッソのために俺も手伝いができる。もう少し頑張ったらキリの良いところで引き上げよう。
セリオンが拠点にしている廃屋は、何度か通って魔獣が2階に上がれないように階段を手斧で破壊しておいた。
そのため、外から入るには玄関ドアから縄梯子を使うか、壁面をよじ登るしかない。
アンジェから特訓された壁面上りの技が活かされたといえる。
セリオンは籠っていた廃屋の2階の窓から、注意深く周りを見ると1階の屋根に降りて腹ばいになり耳を澄ませた。
―ここに来てもう3日になるが、変だな。今日はやけに気配がない。
一切の生物がいないこの町で、唯一動き回る魔獣が今朝は一匹もいない。
魔獣は生態がはっきりわかってないが、ここは山にいる奴らより強い。
生き物が絶えた町、静かだ。魔獣の姿も気配もない。
ここらは警戒してしばらく出てこないのかもしれない、セリオンが引き上げを考えた、その時だった。
枯れはてた樹林帯の藪から何か出て来る影があった、それを見たセリオンは目を見張った。
―なんでこんなところに子供がいる?!
林の中から出て来た子供は銀の髪をした男の子だった、ディオよりも大きい子だ。
泣き声でしゃくりをあげ、手の甲で涙を拭いながらこちらに歩いて来る。
見つかったら大変だ!セリオンはすぐに屋根から降りて彼にむかって走った。
慌てふためいて子供の前に駆け寄り肩を掴んだ。
「おい!君どこから来た?」
セリオンは俯いている彼の姿をまじまじと見た。
足首まである革の編み上げ靴、丁寧に縫われた上等なズボン、絹の白いシャツに付いているのは真珠の輝きを持つ貝ボタンだ。
―貴族の子供だ、どうしてこんな所にひとりでいるんだ?
そう考えたとき、子供が顔を上げた、金の瞳が怪しく光ってセリオンの身体を射すくめた。
子供は視線を外さずに彼の瞳を覗き込んでニヤリと笑った。
彼の首筋に赤く生々しい紐の後を見た時、セリオンの全身の毛穴が一気に粟立った。
「ようこそお帰り!我がアルバの民よ!」
子供が彼の手を振りほどいてそう叫ぶと、それに反応したように右から低いひと声が聞こえた。
それに呼応して左からも獣のような唸り声があがった。
やがて、周囲の瓦礫や廃屋からも、湧くが如く魔獣が姿を現した。