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いざ高き天国へ   作者: 薫風丸
第4章  活気ある町へ
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第105話 サリーナ先生がやって来た

 緑が一層濃くなり晴れの合間に初夏の風が渡る頃になった、ヤモリンはそろそろ彼女が見つかったのかなあ?


アイリスさんの話では、カメリア様が気を付けてくれて城門の兵士にヤモリンの木箱を渡し、お兄様とあたしが可愛がっていると話してくれたそうだ。

兵士さん達は猫などに虐められないようにヤモリンを見守ってくれている。


爬虫類は大嫌いだったのに、言葉が通じた事で、あたしは「気持ちの悪い生き物」という先入観を捨てさることが出来た。

言葉が通じることで、心が通じる訳では無いけれど。


あの危険な通路で、無邪気な彼とあたしは同じ時間を共有するうちに、ヤモリンは、爬虫類嫌いのあたしと友人になるという奇跡を起こしたのだ。

稀有(けう)な友達になった彼に、是非また会いに行きたい。


 しかし、今はそれより気になることがある。

パパがちょっと塞ぎがちなのである、素は活発で朗らかな人なのに最近静かで心配になる。


家庭教師が来るまで、ディオ兄達はあたしのいる子供部屋で勉強している。

午後になり、パートのおばちゃん達は帰ったし、スレイさんはハイランジア城に、ディオ兄達の家庭教師になる人をお迎えに行った。


やっと休憩のお茶の時間になり、ダリアさんが部屋を離れた。

うーんと、声を出してフェーデ君が大きく伸びをしている。

部屋に残ったメガイラさんがお喋りがてら、今回のアルゼさんの報告を教えてくれた。


「お嬢様とディオ様のお陰で、実はバッソの今年の予算が今までの十年分増えました」

「え?それなのに何故、旦那様は元気ないの?通いのおばちゃん達が心配してたぜ」

「フェーデもそう思ってたのか」


ディオ兄が膝の上にあたしを乗せてメガイラさんの顔を不思議そうに見た。

彼女はパパのお父さんの代から乳母をしている、パパの良き理解者でもある。

メガイラさんは暫く考え込んでから話してくれた。


「ハイランジアの名前を残すため、男爵になったものの、最近、どんどんと増加する町民を今までのやり方では救えない。限られた予算で、領主としてどうやり繰りするか不安なのでしょう」


「もしかして、それは予算が足りなくなったということ?」

ディオ兄が尋ねるとメガイラさんが頷いた。


「つまり、今までの予算じゃ足りない。もしかして、ディオ達の名義で入った金に手を付けないと町の運用ができないと悩んでいるのですか?」


セリオンさんが声をあげると、ディオ兄が頭を振りながら穏やかに言った。


「お義父さんたら水臭い人だなあ。アンジェが跡取りなんだから、気兼ねなく使えばいいのに、アンジェもそう思うよね?」


「あい!アンジェはパパの役に立ちたいでちゅ!ドンドン使ってほちいでちゅ!」


*      *       *       *


 ダリアがクイージの焼いたケーキを持って子供部屋に戻ってみると、ルトガーが部屋の前で涙ぐんで佇んでいた。


「旦那様、どうなさったのですか?何を泣いていらっしゃるのですか?」


「う、うちの子供達がみんな良い子で有難いよ…」

ルトガーは子供達の優しさに、今まで肩に込めていた力が解れていった。


*      *       *       *


 王都に行っていたアルゼは、ひとりの客人と共に生まれ故郷のカラブリアに寄ってからフォルトナに戻って来ていた。


その客人とは、かつて大学で学友だった、ナディア・サリーナだ。

アルゼの姉カメリアとはふたつ下の今年35歳、現在家庭教師をして身を立てている。

彼が飛び級して入った大学では、彼の学力に並ぶものは彼女ひとりだった。


眼鏡を掛けた卵型の顔立ちは不美人ではない。

が、そこに浮んでいる気の強そうな表情は、彼女がひとりで自立するため家庭に入ることを遠ざけたという決意の表れだった。


濃いオレンジの髪をきりりと結い上げているのが、細い首が強調されている。

痩せた体型に地味な色の服を着た彼女は、上品ではあるが彼女を少しばかり老けて見せていた。


「姉上、ナディアは産まれた時からディオの存在を知っていたそうです」


「はい、彼女とは会わずとも手紙のやり取りはしていたのです。

外国にいた遠縁が断ってきたので、カラブリア卿の御厚意に甘えたとお聞きしていました」


ディオの母親デルフィーナ・バスキアは、今は断絶された伯爵家の令嬢だった。領地が近く同じ年齢、同じ身分の伯爵家という事もあって、彼女とは仲の良い幼馴染であった。


彼女の話では、カラブリア卿が彼女の存在を伏せていたので、返事が絶えたのは、彼に文通を止められたのだと思っていたという。


「僕らでさえ、弟の存在をつい最近まで知らなかった…」


「まったく、自分の娘より若い娘を、これ幸いと囲うなんて、彼女も口惜しかったでしょう。申し訳ないことをしたわ」


「いいえ、それは彼女の気持ちとは違います。デルフィーナは以前からカラブリア卿をお慕いしていたのですから」

え?と二人は思いがけない言葉を聞いて声をもらした。


「幸運なことに好きな人のお傍に居られると喜んでいました。

奥様の喪が明けても胸の内に収めていたけど、何度も見合いを勧められて遂に耐えきれずに告白したと手紙に書いてありました」


「「えええええー――!」」


「てっきり若い頃の父の評判を聞いていたので、好きもの親父と思っていたのに…な、なんて物好きな…彼女、どういう趣味なの…信じられない」


カメリアは目を大きく見開き、顎に手を当てたまま呆然として言った。

「姉上、そういうことは口に出すものではありませんよ…」


アルゼは、ナディアが扇で口元を押さえて忍び笑いする表情をみて、大学時代を思い出していた。

いつも努力し続ける人だった、どうせ結婚するなら女に学力は要らないだろうと言った男子学生に猛然と突っかかって、相手を謝罪させるまで引き下がらなかった。


 かつて小国が群雄割拠していた時代、城主の夫は常に戦で留守が多かったので、奥方は馬鹿では務まらなかった。

紋章官や財務官がいても、自分の留守に安心して財産を託せるのは、彼らにとって妻であることが多かったためである。


領地内部の裁判、運営、治安は城主の妻がしなければならない。

ときには、領地を脅かす敵を撃退するために指揮することもあったのだ。

歴史には獅子の心を持つと謳われた蒙女は何人か存在する。


小規模な戦が無くなり、夫が領地に留まることが多くなると、領主の妻の仕事も制限されるようになってきたのだ。


 時代の流れで男に有利に働き女は家庭の檻に入れられて、可能性の芽を奪われたのだと彼女は力説した。彼女はそう雄弁に語ったが、あの男子生徒達は、身分の上の彼女に上っ面は同意したが、腹の底では鼻白んでいたと思う。

彼女もそれは判っているが、言葉に出さずにはいられなかったのだろう。


「今はディオのため、君に家庭教師として受けてもらうが、そのままバッソかフォルトナに残って、君がしたかった学術研究をしてもらいたいのだけどね」


「え?私のやりたい研究でも良いのですか?」

彼女はアルゼからの思いがけない言葉に、一瞬、喜びはしたが、余りに良い条件なので不安そうにカメリアの様子を窺った。


「サリーナ先生、私はアルゼから貴女のことはよく窺っております。そのうえでアルゼの推薦に同意しました。


ハイランジア家のアンジェリーチェは私とは血がつながっておりませんが、私にとっては可愛い娘です。

弟のデスティーノの婚約者でもありますし」


「ナディア、ディオはアンジェのことをそれは可愛がっている。

彼女と一緒にいると発明のアイデアが出ると言ってね、本当に仲の良い兄妹なんだよ。

それに、彼はそこらの貴族の子供じゃない、これを見てくれ」


それはディオに頼まれて作ったソロバンの試作品だった。

アルゼはソロバンの珠を指さしながら、数の置き方から丁寧に説明した。


「ここの点がついているのが1の位とすると、次の点が1000の位」

「それじゃあ、その次は…100万?」


「そうそう、この横木がハリと言って上の珠が5。下の珠は1の珠、上と下で9を表していて…足し算をするなら…」


彼女はジッとしたまま耳をすませて聞いている、暫くしてナディアが質問した。

「これは掛け算や割り算もできるの?」


「勿論できる。でも基本の九九は覚えないと、そして珠の動かし方を正しい手順で守れば桁が上がっても計算できるよ。それに、小数点が有っても大丈夫」


「凄いわね、これ…発明したオルフェ…いえ、デスティーノ様も使っているのね」


「いや、あの子はこれを暫く使ったら頭の中で使えるようなったから要らないと、瞬時に複雑な計算を暗算でできるから」


「筆算もしないの???」


ディオは少し使うと、アンジェのイメージのシンクロ訓練から、ソロバンのイメージが固定されて、いつでも脳内でソロバンの珠を弾けるようになった。


同じ金額ばかりだった市場の割引計算ですら、利口な子供だと評判になっていたディオは、傍から見たら侮り難いほど利口な子と認識されるようになった。


カメリアは黙ったまま、ディオが作ったソロバンをいじくるナディアを暫く観察していたが、彼女が「凄いわ」という感心の声を漏らすと話しかけた。


「サリーナ先生、私達の弟は天才なのです。そして、ハイランジア家の跡継ぎであるアンジェリーチェも同じです。

私達は先生に彼らをみっちり教育して頂きたいのです」


「ナディア、僕らは弟の才能を伸ばしてやりたい。それには君のような優秀な教師が必要なんだ。引き受けてくれて本当に有難いよ」


神童と誉れ高かったアルゼと、女性だからという偏見を打ち破った女傑のカメリア、そのふたりが弟は天才だと力説するのを、ナディアはしばらく驚いて聞いていた。


「そして、教育を施した後は、貴女にはディオの発明を活かすために、彼と一緒に魔石の研究をして欲しいのです」


「まあ!本当ですか?侯爵様」

ナディア・サリーナはそれまでの上品に取り澄ましていた態度を崩して、興奮のあまり大声を出した。


ナディアは思いがけない言葉に目を輝かせた、したくても出来なかった研究、生活するために諦めていたものだ。

彼女にとっては願ったりかなったりだ。


「ええ、本気です。王都に負けない研究機関と学校を作り、フォルトナを有望な人材が集まる土地にする、それが私の目標なのです。

サリーナ先生、どうかエルハナス家とハイランジア家に力をお貸しください」


「侯爵様、アルゼ様、私を雇って頂き光栄の至りです。御依頼承りました、必ずや、デスティーノ様とアンジェリーチェ様をしっかり教育致します」



ナディア・サリーナは、ようやく自分を高く評価してくれる雇い主に出会い、落ち着ける場所を得て喜んだ。

そして、風変わりな計算機を考えた少年に、デルフィーナの忘れ形見というだけでなく、大いに興味が湧いて来た。


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